わたしの雑記帳

2008/9/19 「当事者と親の知る権利」「「自殺、事件、事故後の調査書」のフォーマット案」に対する文科省の回答。

※以下はあくまで個人の見解です。

2008年9月16日、「NPO法人ジェントルハートプロジェクト並びに学校事故・事件当事者と遺族有志」が提出した「当事者と親の知る権利」の要望やジェントルハートプロジェクトが提案した「自殺、事件、事故後の調査書」のフォーマット案の回答をいただけるとのことで、文部科学省に行ってきた。
まるで、判決を聞きに行く気分で、せめて、「一部認容」を勝ち取りたいと願っていた。

2008年5月、NPO法人ジェントルハートプロジェクトが「当事者と親の知る権利」を実現するひとつの具体的な方法として、渡海文部科学大臣秘書あてに、「自殺、事件、事故後の調査書」と「注意事項」の案を郵送した。
実はこのとき、新しく文部科学大臣になられた渡海大臣に、学校事故事件の当事者や遺族とともに、直接お会いして、私たちの要望や提案をお渡ししたいとお願いしたところ、どういう内容を渡すのか事前に知らせてもらわないと、会わせる、会わせないの判断もできないと秘書の方に言われて郵送したところ、「文部科学省で内容について検討します。回答やその理由説明は事務方から直接します」と返事をいただいた。
結局、大臣に会えるか会えないかの話は立ち消えみたいなかたちになってしまった。(ちょっとすかされた気分)

それが改組で、文部科学大臣が新しく変わられて、再び、会わせてくださいと要望したところ、担当者から、「自殺、事件、事故後の調査書」だけでなく、2007年5月25日に「NPO法人ジェントルハートプロジェクト並びに学校事故・事件当事者と遺族有志」として提出した要望書に対しても、再度、お返事をいただけるということになった。(この要望書に関してはすでに、法務省と文部科学省初等中等教育局児童生徒課長から、返事ともとれるようなとれないような回答をいただいている)

自民党が再び改組となり、選挙戦も射程距離に入ったこの時期に、文部科学省の審議官と生徒指導室長というたいへん力のある方たちが直接会って、要望書に対する回答を伝えてくれるとの話に、少しでもよい話がきけるのではないか、全部は無理でも、一つふたつは検討の対象にしてもらえるのではないかと期待した。

日程が急に決まったこともあり、ジェントルハートプロジェクトのメンバーを中心に6人のみで、2008年9月16日(水)に回答を聞きに、文部科学省まで出向いた。
その際、いざというときにまたサポートしていただくべく、ジェントルハートプロジェクトの活動には2003年の設立当初から、そして「当事者と親の知る権利」については、ずっと陰で各大臣との面談を交渉・セッティングしてくださるなど支えていただいた民主党の千葉景子議員にも同席していただいた。また、報道各社にも取材をお願いした。

最初に、担当者との対面場面の撮影だけを許可して、そのあとは報道関係者はすべて部屋から出されてしまった。
私たちとしては、すべてのやりとりを報道の方たちにも見聞きしていていただきたかったのだが。
(あとになってなおさら、そう強く思った)

最初に審議官のほうから、2006年のいじめ自殺を例示して、早期発見、早期解決、すみやかな対応の大切さ、事実を隠すことなく、家庭地域と連携をはかっていかなければならないと思っていることなど話された。
文科省としては具体的に
・子ども・保護者の丁寧な情報把握に務めていること
・有識者を集めて様々な対応を話し合い、マニュアルをつくったり、提言を発表していること
・自殺に結びつく子どものサインを見極めるために自殺予防の研究会を開いていること
などの取組について説明された。

なお、私たちの具体的な提案については
2007年5月25日付けの要望書のなかの、
事件・事故が発生する前に
・事件でも事故でも、子どもの心や体を傷つけるできごとが発生した場合、あるいは、予兆となるできごとが発生した場合、即刻、教師間や保護者と情報を共有し、連携して対応してください。
・学校・教師はどのようなときに保護者と情報を共有するべきかのガイドラインを作成して、周知徹底をお願いします。


事件・事故が発生した時は
・学校に係わる場所や人間関係のなかで、不幸にして、自殺や事件・事故が発生したときは、徹底した事実調査をお願いします。
・事実調査の方法については、学校の調査だけでなく、被害者や遺族の意見を重視してください。
・最初から、遺族に公開することを前提として、子どもたちに事実調査をしてください。
・事実調査の経過や結果を第一に被害者や遺族、加害者として名前のあがった本人や保護者など、当事者に報告してください。
・被害を被った当事者が自ら動かなくてもすむように、学校・教育委員会は率先して情報を提供してください。
・事故報告書には必ず、遺族を含めた当事者の意見を併記するよう、新たな事故報告書のフォーマットを作成してください。
・得られた情報の公開にあたっては、どこまでを公開するのかを学校と被害者や遺族が協議して決めてください。
・国、文部科学省、教育委員会、学校は、二度と同じ事件・事故が起こらないように、プライバシーに配慮したうえで情報の周知徹底をはかってください。
・原因分析をもとに、責任の所在を明らかにし、適切な処分を行ってください。
・事件・事故を起こしてしまったこと以上に、事実を隠ぺいしたり、虚偽の報告をしたことに高いペナルティを科すようにすれば、より真実が出てきやすくなると思われます。
・関係者の処分については、被害者や遺族の要望を入れるようにしてください。
・正しい情報が収集されるよう、目標数値の設定をやめてください。


という具体的な内容と
最初から被害者や遺族に開示することを明記したアンケート調査のフォーマットの提案には、主旨には賛同すると言われたものの、一切、具体的に触れられることはなかった。


また、生徒指導室長からは、
・正確に情報収集するかはやり方が色々ある。作文やアンケートなど。
・ケースは一件一件違い、学校の環境も違うので難しいので、道を探っている。
・有識者から、自殺予防の知恵は拝借し、地方の取り組みも参考にして探している。
・このやり方が正しいかどうかの研究を確認してからでなければ、文科省として提案することはできない。
という話があった。

生徒指導室長は、なぜか、自殺予防の専門家会議の中間報告の報告書を手に持ち、何度も何度も今、文科省が自殺予防にいかに真剣に取り組んでいるかの話をしようとする。

まるで、議論が噛み合わないなかで、私たちは「当事者と親の知る権利」を求めて要望しているのであって、子どもの自殺予防をお願いしにきているわけではないことを話した。
しかし、ものごとには優先順位があり、「自殺予防が先でしょう」と強い口調で言われるので、私たちは即座に「違います。正しい情報の共有が先です」と、言い合いのような形になってしまった。

私たちは何も、自殺後の対応ばかりを言っているわけではない。いじめのことだけを言っているわけでもない。
いじめにしろ、教師のしっ責にしろ、正しく情報が学校と保護者に共有されなければ、子どもに自殺の予兆があったとしても、親が気づくことは難しい。自殺予防でいえば、その部分のみ重なる。正しい情報共有が、目の前の子どもの自殺防止には欠かせない。
そして、不幸にして子どもが亡くなってしまったとして、なぜ子どもたちは死ななければならなかったのか、正しい現実把握をしなければ、正しい対策など望むことはできないと言っているのだが、どうも話が通じない。

以前に同じ要望書を提出したときに、要望書の内容とはまるで関係なく、「私たちは日々、このような努力をしています」と自分たちがやっていることのアピールばかりがされていたのと全く同じ対応だった。

再度、私たちがいつ、どのようにこの要望内容を具体的に検討してもらえるのか、その結果はいつ聞かせてもらえるのか尋ねても、いろいろ審議しなければならないことがある、有識者や専門家に意見を聞かなければならない、これからデータを集めて検討しなければならないなど、あいまいな答えしか返ってこない。

私は思わず、キレてしまった。「いじめ問題が始まって30年ですよ。その間に、どれだけの子どもたちが死んだと思っているんですか! 今まで何をしてきたんですか! 何を今さら、これから検討するなどと言っているんですか! 鹿川裕史くんのときにも、大河内清輝くんのときにも、文部省は同じことを言ってきたじゃないですか。それでだめだったから、子どもたちが死に続けているんじゃないですか! 報道こそ下火になったけれど、今も子どもたちは死に続けているんでよ!」
まるで人ごとで、あまりの温度差に、その場にいた遺族を差し置いて、私のほうがすっかり熱くなってしまった。

せっかく文科省に足を運んで、実権のあるひとたちと話をしても何の進展もないなかで、千葉景子議員が、「よいご意見をありがとうございましたで終わらせようとしないでくださいね。この提案は具体的で、とてもシンプルでよい内容だと思います。きちんとどこに問題があって実行できないのか、どう改善すれば実現の可能性があるのか、具体的な回答を出してください」と最後に審議官にお願いして下さった。
期限はいつまで?と迫っても返事がないので、「1カ月くらいしたらまたいつ、お返事がいただけるか連絡します。」とダメ押しをしてきた。
結局は「棄却判決」気分。そして、即日控訴気分。

今回、文科省の責任あるひとたちと話をして、
・文科省が組織した有識者・専門家の意見中心で、それ以外の意見には耳を傾けたくないと思っていること。
・「親にも知る権利をください」といった要望に対しては「はい。はい。私たちもできるだけのことはしているんですが」という感じだが、具体的な要望内容を出されると困ること。
・いじめ問題を「自殺問題」すなわち、「個々人の心のの問題」にすり替え、国や学校の責任から切り離して、「個人と家庭」、心理士が対応すべき問題にもっていきたいのではないかという意志を感じた。
・自分たちが推進しようとしていることには、ちょっとしたきっかけがあれば即日動く(たったひとりの校長の自殺をきっかけに、あっという間に国家国旗法までつくってしまった!)のに、自分たちにとってマイナスになるようなやりたくないことについては、何十人、何百人子どもが死のうが、ずうっと検討中ですませてしまう。


これを突破するには、マスコミを含めた世間の関心しかないと改めて思う。
そして、議員の力添えがなければ、私たちはきっと要望書を出しても、内容を見たかどうかの返事さえもらえないまま放置されたのだろうと思う。千葉議員は、民主党でということにこだわらず、超党派でこの問題に取り組んでもらえるよう動きなさいと、最初からアドバイスをして下さっていて、実際にそのためにいろんな方を紹介しても下さった。
選挙のあるなしにかかわらず、世間の注目のあるなしにかかわらず、ずっと私たちを支えてくださっていることに、本当に感謝している。たくさんの議員さんとお会いするなかでも、それがどれだけ稀有なことなのかを実感する。


なお、今回、ある程度、文科省の言うであろうことを想定して資料も用意していた。
いつもの文科省の主な言い訳は2つ。
1.自分たちには、やりたくても権限がない。
2.個人情報の問題で、いかんともしがたい。


珍しく、そのどちらも今回は出てこなかった。
1に関しては、もしかすると、農水省が「自分たちの責任ではない」と開き直ってマスコミから総攻撃をくらったばかりだからかもしれない。(結局、担当者は辞任?)
相撲界の問題でも、文科省は「権限がない」と言っている。
しかし、文科省に責任がなくて、日本の教育全体の責任を誰がとるというのだろう。
グループ会社の一社員が起こした不祥事を、グループ会社本社の社長が、「私には、その社員をクビにする権限がないので、どうしようもない」と言っているようなものだ。

文科省は、権限がない、権限がないと言うが、教育行政において、文科省ほど権限をもっているところはほかにない。
また、権限拡大のために、戦後ずっとたゆまぬ努力を続けてきて、着実にものにしている。でなければ、日の丸、君が代が、沖縄を含めた日本全国で、あれほど高い実施率をほこれるわけがない。あれくらいの熱心さをもって、国が取り組んでくれたなら、いじめ問題はもっと違った形になっていただろう。
文科省は「予算」「人事」「方針」を握っている。プランだけたてて、実行するのは学校現場だとしても、チェックは誰がするのか。
現在、文科省は教職員育成のプログラムに、ブラン・ドゥ・チェックのマネジメントサイクルを導入させるアイデアを募集している。
チェックの必要性、チェックを含んだプランの作成を文科省自身が学ばなければならないのではないか。

そして個人情報の強調。
なぜか、情報を出さないことばかりに使われる。個人のコントロール権や正しい情報の取得については、ほとんど触れられることがない。
また、事故情報など、国民の生命・財産の安全にかかわることは個人情報の規定外だという。
もし、事故情報が、個人のプライバシーを理由に伝えられることがなかったら、みな、自分が事故にあってしまうまでそのこと知ることができない。
企業にとっては都合のよいことかもしれない。ガス湯沸かし器、温風ヒーター。情報が伝わらなければ、個人の使い方の問題にできて、企業の責任を追及されることは少ないし、命にかかわる危険な製品でも売り続けることができる。

同じことが、学校事故・事件、いじめにも言えるのではないか。全国で同じようなことが起こり、子どもたちの心と体が傷つけられている。情報が共有されなければ、どこに真の問題があるのかわかりにくい。文科省は同じ方針を、子どもたちの死に関係なく、続けていくことができる。
学校内でのいじめ、事件・事故情報も、個人情報の適用外であって当然だと思う。

そして、私たちが今回提案したのは、最初から情報を共有することを前提にして、情報収集を行う方法。あるいは、学校の言い分だけでなく、被害者の言い分もただ紙に書くという方法。
法律を変える必要も、予算も必要ない。大した手間もかからない。事実確認の方法として「こういう方法がありますよ」と文科省が率先して例示してくれるだけでいい。(もちろん、こうしてくださいと出してくれるにこしたことはないが、第一歩として)

今までの文科省の数々の方針、教育再生会議が出してきた提案、それらがどれだけ精査されて、「間違いがない」と太鼓判を押されたものだったのか。NPOや有識者でもない人間の集まりが出した提案は、とことん精査しなければ、危なくて出せないものらしい。

今回、文科省の回答を想定して、いじめ問題を中心として、私なりの「責めどころ」というのを用意していた。
結局、それを十分にぶつける時間もなかった(一部はその場で述べさせていただいたが、きっと右耳から左耳に抜けたと思う)ので、下記に別立てで、私が現在感じている文科省のいじめ対策の問題点としてあげておきたい。
有識者でもない私の考えが、どれだけ的をいているかどうかはわからないが。
(思いつくままを並べているので、読みにくい点はあると思う)




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