わたしの雑記帳

2005/12/8 小森香澄さんの裁判傍聴報告


2005年12月6日(火)午前10時00分から横浜地裁101号法廷で、小森香澄さんの裁判があった。
提出書類の確認のあと、裁判長は「必要な証拠調べは終わった。次回、結審します」と宣言した。
裁判とはこんなものだと頭ではわかっていても、心が納得しないのだろう。美登里さんの瞳から次から次へと涙がこぼれ落ちた。
最後の最後に栗山弁護士が食い下がって、次回、原告の意見陳述を法廷で行うことの許可がでた。とは言っても、すべての時間を含めて30分。充分な時間とは言えない。

開廷時間はわずか10分程度。その後、いつものように原告弁護団から説明があった。
傍聴しているだけではわからない提出された書類や発言の意味について、簡単な解説があった。

裁判長は、必要な証拠調べはすべて終わったとした。
結局、原告側が主張していた校長や青少年センターの臨床心理士、香澄さんの父親・小森新一郎さんの証人尋問は入れられなかった。

小森さん側は、加害生徒だけでなく、学校を訴えている。学校のなかの原因で香澄さんが亡くなったということに対して、生徒の生命の安全を守る最終責任者である校長の証人尋問が行われないことには納得がいかない。
顧問や養護教諭の証人尋問はなされた。しかし、学校全体としての対応、調査や報告の義務を負っているのは、具体的には校長だ。個々の教師らは、報告はすべて校長にあげたという。そして、全体としての話し合うことは一切しなかったという。すべての情報を校長は知っている。そのうえで、どういうプロセスで、何を根拠に、いじめはなかったと判断したのかが、明らかにされていない。
また、香澄さんから直接、話を聴いた臨床心理士の尋問も認められていない。
さらに、自殺当日、部活動に行こうとする香澄さんと一緒に家を出て、途中で、「学校に行くのが怖い」と言って歩けなくなってしまった香澄さんを背負って自宅に帰った父親の証言も法廷でなされていない。

前回から今回にかけての期間中に、Cさん側からは、いじめはなかったこと。香澄さんの自殺の原因は家庭にあることなどの主張が改めて出された。
改めて思い知らされる。被告側に反省などないこと、後悔などないことを。むしろ、恨みばかりが聞こえてくる。


そして、おそらく、美登里さんにとっていちばんショックなことは、かつてか香澄さんとは仲のよかった友達、いじめの事実を話していた元同級生が、県側について、いじめはなかった、香澄さんの死の原因は母親にあるという内容の陳述書を出しているということ。
法廷で、原告側は、なぜ今頃になって、どういう経緯で元同級生がこのような陳述書を出すに至ったのか、経緯を知りたいと質問したことに対して、県側は回答する意思はないとしたことをきちんと書類化してほしいと申し入れた。

この元同級生は、当時、学校で書いた作文の開示を拒否している。もし、当時からそのように思っていたとしたなら、作文を開示してもなんら差し支えはないはずだ。事件直後に思っていたことと、今回、自ら進んで出した陳述書とに矛盾があるからこそ、提出を拒否しているのではないか。
そして、裁判所は、本人が同意していない作文の開示はしなくてよいとした。

他の裁判でも同様のことがある。いちばん味方だと信じていた人たちに次々と裏切られる。それは、教師だったり、生徒だったり、保護者だったりする。
裁判を前に、学校側は誰を押さえておくのがいちばん自分たちに有利かを考える。その結果、事実をいちばんよく知っている人間、被害者に味方をしている人間、自分たちに不利な証言をしそうな人間を脅したり、おいしい餌をぶらさげたりして取り込むことを考えるからだ。組織にはそれを可能にするだけの力がある。ひとは組織のなかでは弱いものだ。最後まで抗い続けることは難しい。
子どもたちのいじめで、その親友たちをも、脅したりすかしたりして、自分たち側に取り込み、被害者を裏切らせて、ショックを与える方法に似ている。
私は「子どもたちは二度殺される」としたが、遺族からは、「遺族もまた、何度も殺されるのです」という言葉をあちこちで聞かされた。

亡くなったわが子の真実を知りたいとして裁判を起こすのに、その裁判のなかで、真実よりむしろ、事実を捻じ曲げた証言ばかりが出てくる。
本人も言っていない、家族も言っていない、やっていないことが次々と出てくる。真実がよけいに見えにくくなる。
子どもの命をかけた最後の望みも打ち砕かれる。死んでなお、大勢の大人たちを巻き込んでいじめられる。「そんなのいじめのうちにはいらない」「あなたの気の持ちよう」「こんな子だったからいじめられても仕方がなかった」「死なれて迷惑」「学校に、地域に泥を塗ってくれた」「親の育て方が悪い」「気づかなかった親が悪い」「こんな親だから、子どもが死んだ」といわれる。名誉は挽回されるどころか、さらに泥を塗られる。怒りと悲しみに打ちひしがれる親に、追い討ちをかける。

香澄さんは入学から、4ヶ月足らずで亡くなった。本人にとっては、けっして短くはない。苦しさの連続、地獄の4ヶ月。しかし、同級生らにはその後の時間のほうが長い。
当初は、香澄さんや遺族に同情し、一緒に憤ってくれた人たちが、学校生活が長くなるにつれ、教師の言葉に、責任を逃れたい多くの人たちの言葉に多く耳を傾けるようになる。
好きな先生のことば。仲のよい同級生らのことば。自分たちが傷つかないように、自分たちに都合のよいように変えられていく事実。それを信じたいと思う心。愛すべき学校、母校というしがらみ。学校推薦などの利害。
いじめが進行するなかで、被害者がどんどん孤立さらされていくように、死んでからも、なお、孤立化させられていく。生きているひとたちは、より自分の生きやすい道を選択していく。その他大勢に取り込まれていく。そうでなければ、今度は自分がいじめられると思う。

母親のせいで子どもが死んだ。親は、他人から言われるまでもなく、誰より自分を責めている。わが子をこの命に代えても救えなかったのはなぜか、どうすればあの時、救えたのか、ずっと考え続けている。そのうえで、真実を見極めたいと思う。一緒に罪を背負っていく覚悟でいる。
それでも、そう思っているところに、「周囲からお前のせいで死んだ」と言われるのは何より辛い。
そう思う人が増えるのは辛い。

しかし、客観的な事実をもう一度見つめなおしてほしい。
香澄さんは入学時は元気だった。それがあっという間に、坂を転がり落ちるように変わっていく。家庭に問題があれば、特別な事件でもないかぎり、子どもの不満は徐々に芽生え、そしてゆっくりと膨らんでいくものではないか。
また、香澄さんは学校に行けなくなっていた。母親に問題があるのなら、家にはいたくないはずではないか。むしろ学校にいて、母親と顔をあわせずにすむときこそがほっとする時間になるのではないか。あるいは家に帰らず、町でたむろするようになるのではないか。
まして、母親と一緒に、親の勧めるまま素直に青少年センターに通うだろうか。
母親に原因があると思っていたとしたら、その原因をつくった本人から、カウンセリングを勧められたりすれば、「誰のせいだと思っているんだ、責任転嫁するな」と怒るのではないか。
青少年センターからの帰りに金沢八景に母親と一緒に行ったり、母親と一緒にH指揮者の自宅に行くようなことをするはずがない。

香澄さんは高校1年生だった。中学から高校にかけては反抗期であり、それがむしろ正常な成長でもある。親のあらが見えてくる。特に同性である母親に対して批判的になる。反発をする。
まして、自分が辛い目にあっているとき、ひとりっ子で、友達関係にとても気を遣う香澄さんは、母親だからこそ、安心して、甘えて、自分のなかのやりきれなさをぶつけることができたのではないか。とても周囲に気を遣う香澄さんが、母親にだけは自分の心の傷を開いてみせた。
友達にも、なかなか自分がいじめられていることを打ち明けられなかった。いじめのことはいえなくとも、母親に対する愚痴であれば、同級生にも話しやすい。共感しあって、互いに親の悪口を言い合ったのではないか。そのことで、ささやかながらストレス発散していたのではないか。

またもし、いじめの事実がなかったとしたら、Cさんからの電話をわざわざ録音したりするだろうか。
録音は香澄さんの携帯電話で、香澄さんの意志によってなされたものだ。
いじめの証拠を残す意図がなくて、誰がそんなことをわざわざするだろうか。
言葉や態度でのいじめは周囲にはわかりにくい。証拠もあげにくい。言っても信じてもらえるかどうかわからない。そのことを香澄さんは十分、認識していたからこそ、いじめの証拠を残そうとしたのではないか。
Cさん側は、いじめととられるような内容ではないと言っている。しかし、香澄さんは「いじめ」だと感じたからこそ、わざわざ消さずに証拠として残していた。それ以外に、香澄さんが同級生との会話を録音し、残していることの説明はつかない。

そして何より、香澄さんが自殺をはかったのは、夏休みに学校の部活に行こうとして、行けずに途中で帰ってきたその直後なのだ。学校に原因がなくて、なぜこの時に衝動的に自殺に走るだろうか。遺書を書く心のゆとりも、時間さえもないままに。

裁判は原告の利益のためにあるのではなくてもいいと思っている。しかし、これからの子どもたちの利益を考えたら、事実が事実としてきちんと解明されること。責任を負うべきひとたちが、自分たちのしたことをきちんと振り返り、反省してこそ、次の防止策につながるのではないか。
事実がいつまでもあやふやにされるから、責任の所在がきちんと追求されないから、いじめはなくならないし、学校の体質も変わらない。追い詰められた子どもたちは死へと向かう。
判決の与える影響を「命」という視点にたって、裁判所は考えてほしい。行政の保身のためではなく。

小森さんの裁判、次回は、2006年2月21日(火)横浜地裁503号法廷にて。小森さんの口頭での陳述が行われる。そして、結審。




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