わたしの雑記帳

2004/12/23 ある「いじめられ体験」  〜 メールの紹介 〜


私のサイトを見た29歳の男性からメールをいただきました。
生々しい過去のいじめられ体験を綴った内容です。
今、苦しんでいる子どもたちに、そしてご両親に、先生に、ぜひ読んでいただきたく、ご本人に掲載の許可をいただきました。

「ぼくの経験がいじめられてるみんなの力になればと思います。ぜひ、紹介してください。」と快いお返事をいただきました。
加えて、「ぼくは毎日死ぬことばかり考えていた15年前の経験をいじめれている子のチカラに今こそなりたいと20代最後の年に思います。今いじめれている子達よ。まだ、自分の可能性を捨ててまで自分を追い込むことはないといいたいです。ぼくもここまで生きていたから、いい恋愛やすばらしき思い出や仲間をつくることができました。ここにも、君達の味方はいるんだと伝えてください。」とのメッセージもいただきましたので、ここに紹介させていただきます。 (改行はTAKEDA)


こんにちは。はじめてメールします。29歳の男です

このサイトをたまたま見て今から15年前のいじめを思い出しました。
ぼくも中学2年生の時、クラスメイト数人からいじめを受けました。

それは、それはつらくて毎日、ある男子からは特訓だとかで廊下に休み時間に呼び出され殴る・蹴るの暴行を受けました。そいつは陰湿で絶対顔は殴りません。必ず顔から下のみしか暴行をしません。わかりますよね。顔ははれたりして先生にばれるからです。
ぼくは、そいつが
不良どもと仲がいいので変に騒げば余計酷い目にあうことがわかっていたので親にも、先生にもいえませんでした。周りのやつも見てみぬふりで、暴力は振るわないのですが、陰湿ないじめ(シカト等)を繰り返しました。ぼくは耐えるだけです。

もっと傷ついたのは、女子からのいじめでした。ぼくがいじめられてるのを見ながら、面白く思ったのでしょう。
陰湿ないじめをしてくるようになりました。
毎日のように靴はなくなり、自分の机の上はごみがまかれ、いすの上には画鋲だらけ。
ある女子の持ち物がなくなれば、必ず僕の机の中から出てくる始末。毎日が地獄でした。

原因は、ぼくのおどおどした行動や言動にあるんでしょう。ぼくは、相手に意思を伝えれず、いつも相手の出方を見てしまいます。相手に嫌われたくないという一身でおどおどしてしまいます。
それが気持ち悪いとか・腹立たしく思えるのでしょう。
それが原因だと思います。でも、直せないのです。怖いのです。人が。視線が。

幼稚園のとき、母は妹を妊娠したとき北海道の実家へ帰り出産に備えました。家には父と二人だけでした。父は、僕に何かとしつけだと言って暴力を振るってきしました。頭の形がかわるほど・・・いまも僕の頭は変形したままです。
ぼくが中学生になり体格が父よりも大きくなるととたんに静かになりました。はっきりいって父は今も怖いし、きらいです。
そういう大人への怖さがおどおどした態度になるのだと思います。

さて、戻りますが、ぼくはある日ついにキレテしまいました。
その日は、居残りテストでぼくと、いじめていた奴らも残ってました
ある女子がぼくが書いていたテストをいきなり取り上げ別の女子に渡し、「あいつ(ぼく)があんたのことスキだっていてるよ。ほら、このカミにかいてあるじゃん。」とさけび、受け取った女子も「いやだ〜」といって泣き出したのです。

一斉にぼくが泣かしたとちゃかします。ぼくは何がなんだかわからなくなりました。
気がついたら椅子と机を
ちゃかした奴らにあたりかまわず投げ出していました。そして一番最初にちゃかした女子をこぶしでなぐってました。
どうしたんだろう。いつものおろおろした自分に戻ってました。その日は、家に帰されました。

それ以来、僕へのいじめは終わりましたが、卒業まではこのくそクラスと付き合わないといけないのでいつまた、いじめられるかという恐怖で以前にもましてオロオロするようになりました。
結局、いじめれたことは親にはいいませんでした。いってもしょうがないし、また、父から暴力を受けたら最悪ですから。

あれから15年たちました。中学時代の同級生とは連絡をとってません。
こんなつらいいじめを今になってもさらに
続いてるってどういうことですか。
ぼく以外にもたくさんの子供たちがいじめを受けているなんてゆるせません。

ぼくのような被害者がもうこれ以上でないでほしいです。そして、自ら死を選ぶなんてやめてほしいです。

苦しかったら、学校なんていかなくていいです。
ぼくは、いじめを黙認する学校なんて弱いものをさらに追い込む処刑場と同じです。

どうかこのサイトに書き込みをしてつらい思いをぶつけてください。ぼくも29年生きてきてあの時死を選ばないでよかったとちっぽけですけど思ってます。
全国のいじられっこ諸君、いじめれている環境から逃げだしたって、少しも情けなくないよ。

ぼくは、死を選ぶほうがいじめた奴らの思うつぼさ。死んだら負け。がんばってください。
これからも、メールします。ながながと失礼しました。




心と体に対する暴力は、人の心を深く傷つけます。ひとの一生を変えてしまうこともあります。
「死んでしまいたい」「死んだほうがまし」と思えるときがあるかもしれません。それでも、私たちはあなたに生きていてほしいのです。生きていればきっと、いいこともあるから。あなたのまだ知らない、たくさんの素晴らしいであいも、きっとあるから。あなたのそばにもきっと、命の応援団はいると思います。

そして、「いじめは昔もあった」と言う大人たちへ。
今の形のいじめが始まったのは1980年前後からだと私は考えています。実に24年間もの間、そうやって大人たちの言い訳とともに、いじめは放置され続け、多くの人生を傷つけてきました。暴力が暴力を生んできました。
一方で、いじめの辛さを実感として知る人たちが大人になり、次の世代を家庭で、職場で育む時期になりました。あの頃の辛かったことを思い出してください。「たかが、いじめ」「自分たちのときにもあった」などと言わないでください。「もっと強くなれ」「やられたら、やり返せ」と、これ以上、子どもたちを追いつめないでください。

強い相手に、集団でかかってくる相手に、やり返すということは、中途半端では終われないということです。死ぬか、殺すかの世界です。あなたは自分の子どもを、生徒を犯罪者にしたいと思いますか?
大人たちが、子どもたちに強さを求めるから、強さを誇示するために、いじめをするのです。暴力を振るうのです。ナイフや金属バットを持つのです。

力と力の争いから降りる勇気を。そして、一人ひとり、顔も違う、体格も違う、性格も、育った環境も、考え方も違うなかで、共に支え合って生きていく知恵を、今こそ、大人たちが子どもたちに自らの行動で示すべきときだと考えます。




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