わたしの雑記帳

2004/9/28 富士市のいじめ控訴審、16歳の本人尋問


2004年9月27日、東京高裁810号法廷で、富士市のいじめ裁判、控訴審の第2回目が行われた。(第1回目の報告は「雑記帳」の2004/8/11付けme040811を参照)控訴人(一審でいう原告)の本人尋問。地裁に続いて2度目の証人尋問になる。
(なお、私自身は、事件の詳細を知らないまま、法廷でのやりとりとその後の弁護団からの簡単な解説内容からだけで、この報告を書いています。要領を得ない箇所や勘違いをしていることもあると思います。それを考慮のうえでお読みください。)

A子さんは現在、16歳。小柄なかわいらしいお嬢さん。制服か、標準服か、白のブラウスにグレーの細かいチェックのひだスカート姿で証人席に立った。そして、よく通るはっきりとした声で、宣誓文を読み上げた。

最初に、控訴人代理の伊藤敬史弁護士からの尋問。問題となっている小学校6年生のときのいじめ事件について聞かれた。

伊藤弁護士の手には、茶色のジャンパー。平成12(2000)年2月2日、このジャンパーのポケットのなかに、水で濡らした生理用品を入れられていた。
I女性担任は、「A子さんは、掃除の時以外は茶のジャンパーを着ていた」と陳述書に書いているという。
しかし、本人の証言は、「具合が悪くて体育を見学していたときと、帰りの時のみ着ていた」「着ていない時には教室の後ろのロッカーのなかに入れていた」「ロッカーには扉はついていない」。
つまり、担任は、A子さんは常時ジャンパーを身につけていたのだから、他人が彼女のジャンパーのポケットに濡れた生理用品を入れるすきはないというもの。そして、本人は、常時着ていたことはない、という。
ふつう、風邪をひいているとか、特別な事情がない限り、6年生の児童が授業中や休み時間にジャンパーを着っぱなしということのほうが異常な気がするし、そんなことをすれば当然、教師から注意を受けると思うのだが。

2月24日、水飲み場で、骨折が治りかけていた足をけられて倒れた事件について。
茶色のジャンパーが濡れた。濡れたのは肩のあたり。
一審で被告と裁判官は、この時、A子さんは犯人が見えたはずだと主張した。
A子さんは、「みどり色のようなものが柱のあたりから見えた」「柱の陰ですぐ見えなくなった」と証言。
現場の見取り図に、自分の位置と相手の位置を書き込むように言われて、書き込んだ。
一審の詳細を知らないので、はっきりしたことはわからない。しかし、これが恐らく、児玉勇二弁護士たちが前回から主張している、現場検証をしてみればすぐわかるはずだ。トイレのドアの隙間からは足元しか見えない。写真やビデオ撮影をしてそのことを実証したい、と言っていたものだと思われる。

次に「なんでもノート」の現物が提示された。
6年生の4月19日から始まっているメモで、「日々、その時々に書いた」「ノートは学校に持っていった」「学校で書いた」ものだという。5年生まではノートはつけていなかった。5年生でいじめがあったので、書くようになった。それと、縦割り活動のリーダーをしていたので、下級生をまとめてゲームをする時のためにも使っていたという。
一審のときに証拠として提出しなかったのは、しまい込んであって見つからなかったからだという。今年(2004年)の春から夏にかけて、棚の奥から見つかった。

5月10日のところには、「うわさによるとEではなく、Tが入れたのではないか。もしかしたら他の仲間の女子ではないか」と書いてあるという。他の仲間の女子というのは、今回の民事裁判の被告になっている相手を指すという。
この時点でA子さんはいじめの犯人を具体的には認識していなかった。

5月17日のところには、「(担任に)問題児扱い」とある。具体的にどういうことなのかと聞かれてA子さんは、担任教師はA子さんに対して、ふつうの生徒じゃないという態度をし、睨み付けるように見た。近く寄ってほしくないような目で見たという。
担任がA子さんの荷物を預かってくれた。最初はほっとしたが、周囲から「あの子だけ特別扱い」と見られるのがいやだった。教師用トイレに入れてもらっていたが、抵抗があった。それでいじめがなくなるのならと思ったが、他の生徒たちから普通の子ではないと見られるのがいやだった。

6月29日、最後に小学校に通った日のことについて。
担任は「Bさんが教室にランドセルをもってきてくれた」と書いている。しかし、A子さんは否定。トイレに行って、被害にあって、Bさんには保健室にショルダーバックをもってきてもらったと主張。
担任はA子さんが社会科と算数の教科書、汚れた半紙をみんなの見ている前で取り出したと書いている。しかし、A子さんはみんなの前で見せたことはないという。

アンケートについて。
今年(2004年)の夏、A子さんと両親とで、元6年2組のクラス生徒にアンケートを出した。
回答は2人。その内1人は、「どのように使われるかわからないので」「私はクリスチャンですので辞退します」と書いてあった。
もう一人は答えてくれていた。アンケートには、6月29日の件について、「A」と「B」の二者択一式の回答が用意されていた。
「A」の回答は、A子さんが「こんなことをするのは誰ですか?」と叫んだら、男子が「オレたちを犯人と決めつけるなよ」と言い、担任は「A子さんがそんなことを言うから」と言った。その後、A子さんは教室を出ていってしまった
「B」の回答は、A子さんが教科書をみんなに示したというもの。
「A」にまるがついたものが証拠提出された。

A子さんのその後について。
今現在、高校には行けていない。高校に入ってからずっと出席していた。しかし、9月初めから行けなくなってしまった。小学校のときのいじめで、人の目が気になる。仲のよい子に裏切られそうな気がして怖くなる。学校が襲ってくるような恐怖を感じるという。
中学も、1年生の4月、5月、6月までは行けた。7月から行けなくなって9月には別の学校に転校した。しかし、転校先では、自分を受け入れてくれない気がしていた。中2の春から1年間は学校に行った。中3で、友だちの目が気になってトラブルになった。仲良くしてくれている子が裏切るのではないかと思うと恐ろしくなった。
10月から精神科に行ってみようと思っているという。

いじめが「自作自演だ」と言われたことをどう思うかについて。
「いじめられている子を犯人に仕立て上げてひどいと思う」「学校には少しくらい時間を費やしても犯人を見つけてほしかった」と話した。


一審での「いじめの事実はなく全て自作自演」「自分でやった可能性がある」とされた判決を読んで。
「納得がいかなかった」「怒りより、哀しみが強かった」「公平なはずの裁判で、学校の先生のいうことばかり聞いて、自分の意見を入れてくれなかった」「悲しくなった。悩み苦しんだ。」
学校に望むこととして。
犯人を探してほしい。いじめをなくしてほしい。

児玉勇二弁護士からの補足質問に対しては、小学校の1年生から5年生まで、不登校はなかったこと。「うそつき」だとか「自作自演」だとか、「変わっている」と言われたこともなかった。他にも、精神的な問題があると言われたことはなかった。問題行動もなかった。

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ここから反対尋問。
被控訴人の代理人弁護士3名が順番に質問した。まずは女性弁護士から。

アンケートについて。何人に出したのか。
30人クラス中の18人に出した。全員に出さなかったのは、住所がわからなかったから。
回答のあったものに関しても、全ての設問に答えているわけではないことが指摘された。

「なんでもノート」について。それはいつ書いたのか、誰に見せるために書いたのか。
その日に書いた。自分でいじめをされたことを忘れないように、母親に見せるために書いた。毎日、報告していた。
トイレでのいじめについて、いくつもあるのに、一行ずつしか書いていない理由は、ノートはメモとして書いたものだから。詳しいことは母親に言葉で説明していたから。
女性弁護士はしつこく、「(ノートは)本当に当時書いたの?」「一部だけじゃないの?」と聞いた。
「防災ずきんにのりがああああああああ」「筆箱にいいいいい」と書いている箇所について、「何でこんな書き方をするのか」「いつもそんなふうな文を書いているのか」と責める口調で聞いた。
A子さんは、「その時はびっくりして」「怒りや哀しみで書き殴るような気持ちで」書いたと答えた。
また、一審でノートが証拠提出されなかったことの理由について、A子さんは見つからなかったからと話していたが、「母親が持っていたのではないか」「なんでなくなったのか」「どこから見つかったのか」「弁護士は一審のときからノートの存在を知っていたのか」「一審で日記はつけていないと言ったではないか」と追及した。
A子さんは、「『なんでもノート』は日記ではないので、日記はつけていないと答えた」「弁護士の先生には前から話していた」「棚の奥から見つかった」「その時々に書いた」と説明した。

水飲み場での事件について。
「みどり色のようなものが柱のあたりに動いた」という表記について、「みどり色とはなんなのか」「なぜ上履きだと思ったのか」と追及した。

別の代理人弁護士からも、女性の弁護士と同じような内容が繰り返された。
水飲み場でなぜ犯人を確認しなかったのかでは、A子さんは、「骨折が治りかけた足を蹴られたとき、激痛で、この痛みをなんとかしなければと思って、犯人をしっかり確認する余裕がなかった。」「犯人を見なきゃと思って上目づかいに見たら、上履きが見えた」と答えた。

担任の陳述書とA子さんの陳述書との違いについて、しつこく質問がなされた。
担任が陳述書に、「A子さんが急にかばんをあけて、社会科や算数の教科書を見せて、『こんなことをしないでください』と叫び、墨で何ページかくっついた算数の教科書を見せて、きのう塾で使ったときは何ともなかった』と言ったのを、担任が『こんなに乾いてくっついているじゃん。きょうやられたのだったらまだ濡れているはずでしょ』と言うと、『じゃあ、きょうじゃないかも、きのうの夜かも』と言った」と書いているが、ちがうのかと何度もしつこく聞いた。
A子さんは、「こんな会話はありませんでした。ハサミで切られた体操服を見せて『こんなことをするのは誰ですか』とは言った」と答えた。
それでもしつこく、尋問するかのように続けられる同じ質問の繰り返しに、根本眞裁判長はたまりかねたように口をはさんだ。「作り話などという言い方はしないほうがいい」「本人が違うと言っているのだから、もう、それでいいでしょう」とたしなめた。男性弁護士は、少しやりすぎたか、しまったという顔をした。

3人目の反対尋問は短く終わった。やはり「なんでもノート」と「水飲み場事件」「最後の登校日での事件」「アンケート」についての質問の繰り返しだった。

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尋問は10時半から始まって、11時10分過ぎに終わった。前回、裁判長からの配慮で、証人の年齢を考慮して、長時間の尋問は耐えられないのではないかということで、予め時間設定がされていた。(一審では一切の考慮がされず、長時間のきつい尋問にさらされたという)
そして、今回は高裁ということで、一審の結果を踏まえての裁判なので、すでに聞いていることは省かれている。控訴人弁護士は、短時間の尋問のなかで、新たな証拠(「なんでもノート」、アンケート調査)と、少女の心の傷について裁判官にわかってもらうための質問に絞ったという。

この事件では、通常、いじめの証拠となる品でさえ、「自分でやった」と言われて、証拠としての価値を否定されている。一審敗訴を受けて、何とか証拠になるものをと必死だったのだろう、4年もたって当時の同級生たちにアンケートを郵送した。ほかのいじめ裁判でも、もう何年もたって、内申書や進学などに影響されることなく、本当のことを言ってくれるのではないかと期待しても、周囲は関わりを恐れて、なかなか協力してくれない。たったひとりの証言であっても、被害者側にとって大きな力になる。それが、裁判を左右するかどうかは別にしても、少しは孤独感、見捨てられ感から救われる。

そして、「なんでもノート」の存在。私もいじめにあっている人には、とにかく記録することを勧めている。その当時でしか書けない感情があるし、覚えているつもりのことでも忘れてしまうことがある。特に、細かい日時などは、あとからでは思い出せないことが多く、信憑性に欠けると言われる。また、自分の心を守るための反応として、嫌なことが記憶からすっぽりと抜け落ちてしまうこともある。A子さんの場合も、ノートは大切に保管しておくべきものである一方で、見たくないものとして、しまい込んでしまったのかもしれない。
きっとノートは自然に見つかったというより、必死に探して、ついに見つけたのではないかと思う。

A子さんは、とても16歳とは思えないほど、しっかりとした受け答えをしていた。
ただ、反対尋問になってからは、売り言葉に買い言葉ではないが、激しい口調の女性弁護士に対して、A子さんの口調もだんだんと怒りを含み、紋切り調子になってきた。
裁判の形式上、証人は相手から質問されたことにしか答えられない。もう少し詳しく説明しようとすると、「あなたは質問されたことだけに答えて」「よけいなことは言わないで」と女性弁護士からたしなめられた。相手から都合のよい言葉を引き出されたあと、「なぜ」を説明したいのに、言いたいことを言うことが許されない。どれほど悔しい思いだったろう。
聞いていて、今に彼女が泣き出すのではないか、法廷から逃げ出すのではないかと気をもんだ。しかし、A子さんは逃げなかった。泣きもせず、相手を睨み付けるようにして毅然と、しかも冷静に答えていた。

一方で、A子さんのこの冷静さが、一審の裁判官には、「この年で、しっかりしすぎている」「いじめられる子には見えない」との心証を与え、「自作自演かも」との判断に至らしめたのだとしたら皮肉なものだ。
そして、裁判官はおそらく、「いじめられるのは、大人しくて、理不尽なことをされても何も言い返せない弱い子」という根強い偏見を持っていたのだろう。

今のいじめはどんな子どもでもターゲットにされる。そして、どんな子どもでも加害者にもなりうる。強い子には、その強さを挫くため、プライドをずたずたにするような陰湿なやり方を子どもたちは考える。

また、担任教師も、A子さんがしっかりしているところが気に入らなかったのかもしれない。ただメソメソと泣いているだけなら、いじめを解決しようとはしないまでも、まるでいじめに加担するような態度はとらなかったかもしれない。担任は、自分の好き嫌いで生徒を判断したのではないかと思える。
いじめを訴えられながら、有効な対策が打てない自分にコンプレックスを感じていたかもしれない。自分のクラスにいじめがあるということは、担任へのマイナス評価につながる。他の教師の手前もあって、解決してみせたいのに、思い通りにはいかない。無能扱いされることは、教師のプライドが許さない。
いじめられても泣き寝入りして生徒が不登校になる分には、本人の問題として蓋をすることができる。しかし、「いじめられている」とはっきり言えるA子さんには通用しない。いじめ問題を解決できない担任にとって、A子さんは自分を苦しめる、トラブルメーカーに見えたのかもしれない。

この事件の最大の加害者は担任教師だ。担任の態度が被害者を深く傷つけ、加害者たちに勢いを与えたのだと思う。

多くのいじめ事件で、担任教師は同僚にも、校長や教頭、学年主任などにも相談せず、自分だけでなんとか解決しようとして、あるいは問題に蓋をしようとして、被害者をさらに追いつめている。
いじめられている子どもは、報復を恐れる気持ちとプライドから大人に相談できない。それでも、信頼して、勇気を振り絞って、あるいはいよいよ追いつめられて、担任に相談したときに、担任のちっぽけなプライドのために、連携のとれた情報収集も、対策もとられない。どれだけ多くの子どもたちが死に追いつめられてきたことか。

担任教師は、A子さんの心の傷を思いやったことがあるだろうか。「たかが、いじめ」と思ってはいなかっただろうか。しっかりしているA子さんは、傷ついているように見えにくいかもしれない。しかし、他の子なら、自殺していもおかしくない状況だ。彼女が傷ついていないはずがない。いじめの心の傷だけでも深く心に残る。
もし、小学校6年生のときのいじめがきちんと解決されていたら、加害者たちから、担任教師から謝罪を受けられていたら、彼女の心の傷も消えはしないまでも、少しは癒されていたかもしれない。
裁判官は考えたことがあるだろうか。少女がどんな思いで法廷に立ったかを。「自作自演」だと決めつけられて、この方法しか自分の身の潔白を証明する手だてがなくて、裁判に臨んだに違いないのに、見事にその期待を裏切った。傷のうえにこれ以上、塩を擦り込まないでほしい。

唯一、彼女の言葉を信じてくれた両親のおかげで、裁判までして、娘の真実を見つけようとしている両親に支えられて、彼女は生きているのだと思う。
彼女は、深い心の傷を抱えながらも、普通の生活をしようと努力している。
人間不信から何度も学校に行けなくなり、それでもまだチャレンジし続けている。
裁判にも、一審で負けてなお、屈することなく、挑みつづけている。
児玉弁護士が言っていた。「これは、いわば冤罪事件です」。
自作自演してまで他者の関心を引きたいと思う子どもに、これほどの確固たる信念が持てるはずがない。彼女の真っ直ぐな気持ちを大人たちは手折らないでほしい。

藤野知美さんは、その著書「生きてていいの?」(寺脇研・藤野知美共著/2001年11月20日近代文芸社発行)のなかで、小学校のいじめで、中学校を不登校になって、その後もずっと心の傷を引きずっている経緯を書いている。

(P105から、引用)
「いじめにあっているんです、辛いから、助けて下さい」って、SOSを出したのに、何故その答えが、「あんたが悪い」なの!?
自分の欠点ばかり拡大して見られて、過剰に非難されて(いじめにあって)いて、必要以上にいやがられる(=いじめ)から。「助けて」って言ってるのに、私はなおも、責められなきゃならないの?お前が悪い、ってさ。
先生の“助ける”とは、責められて責められてへとへとに疲れはてた子どもに向かってなおも、“責める”ことなの?
未だに分からない。大好きな先生もいたけど。そこだけは、分からない。理解できない。
お願い。意を決して先生の所へ「いじめが辛い」って言いに来た子どもを、なおも責めないで。
先生ってさ。まず初めに、言いに来た子の心理を探り、そしてその子の欠点を探そうとするけどさ。それが一番、手っ取り早い方法なのかも知れないけど、さ。
その手っ取り早い方法が一番、子どもを傷つけているんだよ。
分かってよ。
お願い。いじめにあっている、責められている子どもに向かって、先生まで、その子を責めないで。
そんなんじゃあ、その子の立つ瀬がなくなっちゃうじゃあないか。
その子の心の居場所がまたひとつ、減っちゃうじゃあないか。

(P199から引用)
いじめから我が身だけが遠ざかって七年、未だに、私の中で「友だち戦争」は続いているんです。


A子さんは、藤野知美さんのように、これからも心の傷を抱えながら生きなければならないだろう。せめて、彼女のこれからの人生に、勇気の楔(くさび)となるような、高裁判決がほしい。

児玉弁護士が裁判長に、学校側に現場検証のお願いを門前払いされたことを訴えたが、「もう、必要ないでしょう」との答えだった。
高裁での審議は次回(2004年12月13日午前10時から、東京高裁810号法廷)で、結審する予定。





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