わたしの雑記帳

2002/9/20 小森さんの裁判(9/17)の傍聴報告


2002年9月17日、いじめ自殺した小森香澄さんの遺族が起こしている裁判の第5回口頭弁論が行われた(弁論とは言っても、実際にはほとんどが書類のやりとり)。
いつも通り、開廷15分前に傍聴券の配布があったが、JRが事故で遅れていたこと、小雨が降っていたこと、公判の間隔がかなり空いていたことなどが影響してか、今回は傍聴人はそれほど多くなかった。それでも、席の7〜8割は埋まっていたと思う。

被告である学校側から提出された書類に対して、原告が「関係生徒からの事情聴取はここに書いてあることがすべてか?」ということを確認。ここで言う「関係生徒」とは、香澄さんをいじめていたとされる吹奏楽部の3名(被告になっている)。
公判後の報告会で、原告弁護団の栗山弁護士から説明があった。裁判では書類のやりとりのなかで、議論をして争いのある部分に関して証人を呼ぶ。その準備を今、進めている段階であること。
原告(小森さん側)の「学校側はやるべきことをやっていなかった」という主張に対して、被告(学校設置者である横浜市)は、「自分たち(学校)の対応は何も問題はなかった」と反論している。

しかし、今までは、どのような対応を行ったのか具体的なことが示されていなかったために、前回の口頭弁論で、具体的な内容を求めた。学校は母親からの相談を受けて、香澄さんに異常がないかを注意していた。本人からも、関係生徒からもよく話を聞いていたとした。
しかし、どのように気を付けていたのか、関係生徒には誰が、いつ、どのような話しをしたのか、香澄さんとは誰が、どのような話しをしたのかがわからない。
今回、被告側が出してきたのは、関係生徒3名のうちの1名の話しを聞いたというもの。それに対して、原告弁護団が、学校がした事情聴取はそれで全てなのか、残りの2名からは一度も話しを聞いていないのか、ということを確認した。相手弁護士の回答は、「現在、確認できているのはこの範囲」ということだった。

それから、原告側が要望を出している「(裁判所の)文書提出命令」を出すか出さないか。これは、裁判官が10月7日までに判断するとした。
「文書提出命令」とは、裁判で真実を追及するために、相手側が持っている証拠を「出してほしい」と、裁判所を通じて、相手側に要求するもの。命令を出すか出さないかは裁判所の判断に委ねられる。
具体的に原告側は、「保健室日誌」(保健室ノートはないとすでに回答された。利用状況を記した日誌のみ存在という)、生徒から事情聴取した際の「聞き取りメモ」、香澄さんの死後、吹奏楽部の生徒全員に書かせたという「作文」、学生健康診断表。

これらは、生前の香澄さんを知る手がかりになるだろう。特に「作文」には、同級生、クラブ仲間から見た香澄さんの様子が書かれていると思う。
弁護士は言う。「私たちは香澄さんの代理人であるのに、香澄さんを知らない。直接は声を聞けない。だからこそ知りたいと。そして、香澄さんのお父さんは言った。「親はもっと知りたい」と。

裁判所命令が出れば、「作文」は必ず見られるものなのか?
その可能性はある。一方で、学校側は生徒のプライバシーや生徒との信頼関係を楯にとって、拒否してくるかもしれない。「作文は第三者に見せることを前提に書かせたものではないから、教師以外には、たとえ亡くなった子どもの親であっても見せるわけにはいかない」「書いた生徒たちはいいと言うかもしれないが、今後の教育活動に影響しかねない」などと学校側が言ってくるのは目に見えるようだ。そうなれば場合によって、前田さんのところのように、「作文を見せろ」「見せない」の裁判が別に始まりかねない。それでなくとも、遅々として進まない裁判がまた停滞してしまう。

支援者からは、「作文は自殺の真相を明らかにする目的で生徒たちに書かせたはず」「生徒も真相を知りたいのでは?」「名前を伏せてもいいから見せられないのか」「それくらいで崩れるような信頼なら、元々信頼関係などなかったのでは」「自分たちが聞いてみて、見せてもいいという生徒の分だけでも見られないのか」「生徒の意見を聞いてもみないで、学校側が一方的に生徒のために見せられないというのはおかしい」などというもっともな意見がたくさん出た。
そんな中で、裁判の傍聴に訪れていた11年ぶりに娘の晶子さんの自殺直後に学校側が生徒たちに書かせた作文を見ることができた前田さんが、自分の経験をもとに、なんとか小森さんも作文を見ることができないものだろうかと話した。生徒の作文には、もちろん書けなかったこともたくさんあるだろうが、真実もたくさん込められていた。そのことで、遺族の心がどれほど癒されたかということを話された。

ほんとうに、前田さんを前例に、ただし11年かかったものを年月をかけずに、一番その死の真相を知りたいと切実に願っている親への、わが子の死への手がかりのひとつとして、日本中どこでも当然のこととして、わが子に関するすべての情報が見られるようにならないものかと思う。
親には、特に亡くなった子どもに対しては、子どものことを知る権利がある。それは、子を亡くした親の義務でさえあると思う。たとえ今の日本の法律に謳われてなくともだ。

もうひとつ、小森さんのほうから、全国大会で金賞をとるような伝統のある吹奏楽部内での事件という、別の側面での、この裁判の難しさがあがった。急に口を閉ざし始めた子どもたちの陰に、OBたちの圧力が、伝統の縛りがあるのではないか。

部活動内で起きた多くのいじめや事件、事故で、その伝統を守りたい人びとのエゴが、いかに被害者の口を封じてきたことか。告発した側が、その部に所属する生徒の親やOB、地域の人びとから、伝統に泥を塗る行為をしたと責められる。自分の子どもはこの部活動がやりたくてずっと努力してこの学校に入った。レギュラーを目指して日夜、死ぬほどの努力でガンバってきたのに、その夢を壊すのかと言われる。
部活動が停止になったら、それは不祥事を起こした人間たちのせいではなく、それを外に漏らした人間が悪いとされる。
勝利や名声の前には、あらゆるものを犠牲にするのもやむなし、あるいは当然とされる。それが子どもの心であれ、将来であれ、命でさえも。そうやってみな栄光を掴んできたのだという。それなしには厳しい競争を勝ち抜いてはいけないという。そんなことが日本全国のさまざまな強豪といわれる部活動あるいはスポーツクラブのなかで行われている。
そして、子どもたちまでもが「自分はこの活動に命をかけている」と宣言する。そのためにはあらゆる犠牲をも厭わないという。

あるいは、香澄さんもその一人だったのかもしれない。中学時代からずっとあこがれにあこがれて入った部活動。そのための高校。どんなに辛くとも、それは自分が目指した、自分の夢を実現する場。夢をあきらめきれなかった。捨てきれなかった。もしそれが自分の目指した音楽のことでなら、才能がないとか、努力が足りないとかなら、まだあきらめがついたかもしれない。
音楽とはまるで関係のないところのいじめ。だからこそ、香澄さんはあんなに心がズタズタに傷ついた状態でも、学校に行けないような状態でも、音楽だけは、部活動だけはあきらめれなかった。その部活動内に自分を傷つける相手がいるとしても、逃げることができなかった。
そんななかで追いつめられていったのかもしれないと思う。

陸上部顧問の暴力的シゴキや体罰を苦に自殺した竹内恵美さんや、バスケット部の練習で熱中症により死亡した阿部智美さんと共通するものをそこに感じる。
もちろん、夢をもった子どもたちが悪いわけではけっしてない。自分の夢のために必死で頑張る子どもたちに、その夢と引き替えに理不尽なことを平気で押しつけてきた、勝負に勝ちさえすればすべての問題は見ないことにされる、許されてしまう環境が、多くの子どもたちを殺してきたと思う。
部活動のなかで強いられる絶対的服従。価値観の統一。当事者たちからも、周囲からも、黙認されてきた力による支配と言葉の暴力、そして性的暴力。同じようにいじめも無視されてきたのではないか。文化部である吹奏楽部にも、PL学園の野球部のように「いじめも伝統のうち」という考え方があったかもしれない。顧問たちは、競争に勝つこと以外には目を向けることがなかったのかもしれない。

本当なら、子どもたちが夢を描きにくいこの今の日本で、早くから自分の夢を見つけて、それに邁進した子どもたちは、適切な指導さえあれば、環境さえあれば、何に興味をもってよいかわからない、好きなことが見つからない子どもたちよりも、ずっとずっと充実した学生生活をおくれたはずだ。活き活きとした楽しい青春の日々をおくれたはずだ。
学校は希望に輝く子どもたちの夢さえ、つぶしてしまう。それは大人たちの怠慢以外の何ものでもないと思う。

その学校が、自分たちの指導には何も問題はなかったという、その裁判を見守っていきたい。
次回公判は10月29日、午後1時30分(傍聴券配布は15分前)から。横浜地裁503号法廷にて。


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