マサコの戦争

講談社 2004年5月発刊


朝日新聞「ポリティカ日本」で
紹介されました


「あとがき」から             

 人は、 生まれてから17年間、およそ60年前の記憶を出来る限り正確に辿りながら、ふたたび戦争と戦後を生き延びて、わたしは、果たして「戦争の普遍」を生きたのであろうか、といくたびか自分に問いを発し、反芻した。わたしはたしかに戦争の時代を生きた、それは戦争の「普遍的なもの」に通底していると思う。必然は、偶然の現象としてしか、この世に姿を現すことはないであろうし、人間ひとりの歴史もまた、抽象的言説のみでは、真の姿を語る力をもたないのではないか、語り部のみが、日本という国の戦争忘却政策に対峙できるのではないか、そんな思いが去来しての、長いもの書きであったのだから。しかし、悲惨さにおいて、わたしよりはるかに苛酷であった人達は多い。黙して語らない死者たちには、生きているわたしの体験から、なんと言えばよいのだろうか。
 さて、憲法調査会の現実に立ち戻って見れば、2003年(平成15年)6月4日の参議院憲法調査会公聴会において、駒沢女子大学の学生が、5月3日に新しい憲法をつくる国民大会で首席となった作文を読み上げてから、次のような発言をした。
 「平和とは、無防備でいることが平和ではないとおもいます。国家が国民と国家を外部から守り、安全な状態にしておくことが平和だと思います。安全保障は国の存亡にかかわる重大なことです。それには国民ひとりひとりが愛国心をもって、日本人全員が日本人自身で国を守るという気持ちが必要だと思います。(中略)自分たちの国なのですから、勇気と誇りをもって、国を守ろうという精神が必要だと思います。敗戦後に日本は愛国心よりも個人主義に走り、利己的になってしまったのではないかと思います。日本が戦争になったらどうしますかという世論調査に、いつも逃げるという意見があるのはこの表れだとおもいます。」
 質疑のなかで、自民党の議員からは「大変、敬服いたしました。」という意見がだされたが、野党の女性議員が、「いまから60数年前の戦争体験について、当時大人であった方からお話を聞いていらっしゃるでしょうか?」と聞いたのに対し、彼女は、あっさりとひとこと、「聞いておりません。」と答えた。この彼女のひとことは、わたしには、正直いって、ショックであった。しかし、こうした戦争の現実を周りの大人たちから、気配としても、聞いていない世代は、いまでは決して少なくないであろう。「戦争のできる国づくり」への方向舵の切りかえは、容易に、もはや抵抗も少ない中で行われていくのであろうか。
 イラクへの自衛隊の派遣には、日の丸や旭日旗の小旗が打ちふられる。黄色い旗は千人針。わたしは目まいを覚える。小牧基地から飛び立つC130輸送機に、縄をつけて引き戻したい気持ちを抑えることができない。「日出づる国」「武士道の国」という言葉がテレビから流れて来るーー。
 戦争の原体験や追体験に根をもつ平和の思想は、生きのびて、憲法9条の改正をとどめる力となることができるであろうか。
 本書の刊行にお力を貸してくださった川村湊様、講談社の籠島雅雄様、北村周様に心からお礼を申し上げます。

2004年5月 大脇雅子

 

 

 
 



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