現場に立つ

大脇雅子の視察日記 (1) 1995〜1997



北朝鮮を訪問、高潮被害の実態を調査
1997年11月11日〜14日

堤防を超えて農地に流れ込んだ高潮は、土地に白い塩を残し、数年間は耕作ができないという。 隣国の食糧危機に日本は無条件に米の支援をするのが人の道だと思う。


フィリピン残留日本人の国籍回復問題調査
フィリピン・ダバオ 1997年6月20日〜23日

第2次世界大戦中日本軍はフィリピンにおける日系人を子どもに至るまで戦争に協力させた。終戦後フィリピンの人たちの恨みを買い、山奥に逃げた日系人の人たち。今、国籍の回復や確認を求める人の数は2300人にのぼる。


江沢民国家主席を表敬訪問
1997年3月9日〜12日

小平死亡後初めての訪中。江沢民主席のもとでの中国は、中国の社会主義的市場経済をかかげて高い経済成長を誇る。社民党と中国共産党は古い友人として党間交流をはかった。


子ども買春根絶にむけてタイを調査
1996年7月16日〜20日
スウェーデンにおける「子どもの商業的性的搾取に反対する国際会議」出席
1996年8月25日〜31日

1999年、子どもの人権の視点からはじめて「児童買春処罰法」成立した。 国外で子どもの買春をする男たちに何度恥ずかしい思いをしたことだろう。十分とはいえない法律だがまず第一歩。


旧日本軍遺棄化学兵器視察(中国東北部)
1995年11月26日〜12月2日

雪深い山の奥にある化学兵器の墓場。調査の結果その数は約80万発という。村山政権の時、予算が10倍になり、やっと調査が本格化した。2000年より予算がつき、処理が本格化する。

← 写真: チチハル市フルラギ地区で保管されている246発の不発弾。ガスマスクを着用して視察した。

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