南京レイプを明らかにする東京集会
−日本軍による性暴力−
1998年12月13日

カーテンを隔てた「証言の重み」

朱 秀子


「南京大虐殺」については、以前、絵画展や記録フィルムを見たことがある。 しかし、南京レイプに関する証言を直接聞くのは今回がはじめてだった。 上海師範大学・蘇智良教授の講演のなかで語られた、老若問わず、 尼僧にいたるまでも昼夜を徹して強姦・殺害されたというだけでも 南京レイプの悲惨さはうかがい知れたが、その後につづいた元日本兵、 蔡玉英さん、張俊英さんの証言はさらに衝撃だった。

中国帰還者である元日本軍兵士は、ブタ小屋に逃げ込み、 糞を塗りたくって身を守ろうとした少女を強姦したことを告白し、 「十数人いた部下のだれ一人として潔白なものはいなかった」と断言した。 それだけでなく、 会場で購入した「中帰連−6号」の冊子には他にも数件の証言が載っていた。 かの戦争を振り返り、 罪の意識に苦しみながらの証言に「よくぞ語ってくれた」という思いはあったが、 多くの無力な女性が強姦・殺傷され、 捨て置かれた状況をその証言から連想するほどに、 戦時であったが故の狂気では済まされない憤りが胸を込み上げてきた。 それは一兵士にとどまらず、侵略戦争を引き起こした旧日本軍、 そして戦争責任を回避しつづける「日本国」へと行き当たった。

元日本軍兵士による加害証言の衝撃がさめやらぬうちに 被害女性の証言となったが、 壇上と客席がカーテンで仕切られたときは 緊張感で胸がしめつけられるようだった。 蔡玉英さんは9歳で強姦され、傷つけられた性器を自ら手当したという。 両親が殺されたあと、 たったひとりで生き延びられたことが奇跡に思うほどであった。
また、張俊英さんは7歳でレイプされた。 長い年月、心の奥底に封じ込めていた記憶を思い起こすことは どれほどの苦しみを再現させることか。 癒されぬ心の傷、戦後の苦難が嗚咽となって一枚の布を通して伝わってきた。 これまで何度となく、元「慰安婦」被害者の証言を聞いているが、 性的虐待を受けた年齢が幼いほど心に受ける傷は深く、 被害者がその体験を語るとき、はかり知れないほどの不安に苛まれるという。
今回の集会では占領地における性暴力被害者の苛酷さの一端を思い知らされたが、 被害女性にカーテンを仕切らせたのは、 いまだ「南京大虐殺はデッチあげ」だという 政府高官の暴言に見え隠れする歴史認識や彼女たちを戦争の被害者と認めず、 これまで放置してきた日本政府の無責任さにほかならない。 閉じられたカーテンは、被害女性の拭いきれない「日本の鬼」への恐怖と、 半世紀過ぎても解かれることはない 日本社会への不信感のように思われてならなかった。

最近、戦争・戦後責任に関して「遠いむかしのことだし、 戦争だったのだから仕方がない」 「何度も謝罪してるじゃないか」といった言葉をよく耳にするが、 わたしたちはどれほど植民地・ 占領地支配や女性に対する性暴力の実態を知り得ていただろうか。 戦後、その史実が隠蔽されていたことや 被害者がいまだ苦しみながら同時代を生きていることからしても 決して過去の問題とは思えない。

戦争を知らない世代でも、もし自分が玉英さんや俊英さんだったならば、 母や姉妹が強姦殺害されたならば、 と証言を自身に引き寄せてみれば 僅かでも被害者の痛みに寄り添えるのではないだろうか。 日本政府が繰り返す中身のない「謝罪」はアジア諸国の被害者に届くはずもなく、 むしろ相互理解の障害にすらなっているように思われる。 現在、南京大虐殺時の生存者は千人ほどだという。 聞き取り調査をはじめとした総体的な調査の実施・真相究明は不可欠であるが、 高齢となった被害者に残された時間は余りにもすくないことが気掛かりである。

21世紀も間近だというのにいつまで被害者・ 加害者という立場で対峙しなければならないのか、 というやるせない思いと同時に、 カーテンを隔てた「証言の重み」を痛感させられた証言集会であった。

 

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