第I部、打算とニヒリズム−南京大虐殺事件の精神構造


第3章.実相の一端(1)

−−蒋介石・日本陸軍省・極東国際軍事裁判−−

さて、南京アトロシティーズの実相である。
一つは、南京大残虐事件の事実が、「人道に対する罪」 「人類史上に汚点をとどめるものであった」という点について、 中国の政治指導者・蒋介石、極東国際軍事裁判から、
二つ目は中国側の文献から「獣兵」と呼ばれた南京レイプの残虐さと 中国人民の怒りについて、
三つ目は、元日本兵の側から、具体的な文献が引用されている。
いちいちここでさらに引用はしないが、必ず目を通すべき資料である。 われわれは、津田の真剣さに学びながら、われわれ自身が、 こうした資料に目を背けることなく、真剣に向き合わなければならない。

かの蒋介石は、38年7月7日、次のように日本国民によびかけた。 中国民衆の道徳的伝統をまえにした日本軍の堕落を象徴するものなので、 引用が長いがもう一度載せる。
《戦争勃発以来、貴国の人力財力物力の損失は、 既に日露戦争の時の数倍にのぼっている。 そのうちで最も重大なのは、実に精神道徳上の損失である。
諸君は知っておられるか。 貴国の出征将兵が、すでに世界でも最も野蛮な、 最も残酷な破壊力になり果てたことを。
また諸君は知っておられるか。 貴国が誇称している「大和魂」と「武士道」が、 実はもうこの世には存在していないということを。
毒ガス弾を使ってはばかるところなく、阿片その他の毒薬を公然と売り捌き、 また一切の国際公約、人類の正義が、 ことごとく貴国の侵華部隊に破棄されてしまったことを。
一地区を占領した後は、掠奪放火のほか、 逃げ遅れたわが無辜の人民および負傷の兵士に対して、大規模な屠殺を行い、 あるいは広場に千百の人を縛って機銃掃射をし、 あるいは数十人を一室に集めて、油をかけたうえに焚殺し、 甚だしいのになると殺人の多寡を競って互いに暴虐を助長する。》

《ことに私がここでいうに忍びなくても、然もなおいわざるを得ない一事がある。 それはわが婦女同胞に対する暴行であって、 十歳内外の幼女から五六十歳の老婦にいたるまで、ひとたびその毒手に遭うや、 一家こぞって難を免れることが出来ない。・・・

貴国は従来礼教を重んじ、武徳を尚ぶゆえ世界から称賛されてきたが、 しかし今日、貴国軍人の行為に現れたものは、礼教地をはらい、武徳すたれて、 人倫全く絶えたところ、天理に逆らうものというほかはない。 このような軍隊は日本の恥辱であるばかりでなく、 また実に人類史上に汚点をとどめるものである。》

《以上述べたところは、・・・ もとより諸君全体がこの責を負うべきではなく、この責を負うものは、 とりも直さず彼ら凶暴なる軍部である。 かれら軍部は人間性を喪い、理智をもって部下を統御し得ず、 ゆえにその部下は均しく紀律なく、または上のなすところを下がならい、 ともに罪悪の深淵へ走りしかも相競って罪悪を製造するのである。 どんな国家でも、軍紀がこれほど乱れ、軍隊がこれほど堕落し、 なほかつ敗れないものは断じてない。》(蒋介石『日本国民に与へる書』)

さらに40年の「抗戦3周年に当たり日本民衆に告ぐ書」では、 日本陸軍の文書中に暴行事例が記録されていることに触れ、
《貴国の軍人は暴行を恥じとせず、 かえってそれを誇るほどに堕落するにいたったことがよく判る》
と指摘している。

また、国際的にすでに確定したものとして、 極東国際軍事裁判記録が引用されている。 そこで、歴史修正主義の「極東裁判」見直し論について、以下のように批判する。

《第二次大戦は、連合国側(連合国側人民)にとっては、 ドイツ・ファシズム、軍国主義日本のくびきを払いのけ、 全世界的に民主主義を回復するための民主主義的革命戦争であった。 反枢軸国側の指導者たちが、戦争にかけた願望には、 これといささか異なる帝国主義的な要素もあったとはいえ、 それが全体として民主主義革命戦争であったその性格を変えるものではない。 とくに中国人民の抗日民族解放戦争が、 その不可欠の決定的要因をなしていたのはいうまでもない。
だからこそ、戦争犯罪の問題も、 「事後法裁判」として特別に提起されざるをえなかった。 それも、日本人大衆が、 その人民的事業によって天皇制軍閥独裁を打倒しえなかった以上、 それは戦勝諸国の開設した法廷で裁かれる以外にない。 たとえば、アメリカの指導部に主観的には報復主義的意図があったにしても、 この裁判の基本的性格が変わるものではない。》
(第二次大戦自体は、基本的には帝国主義列強間の戦争であり、 これに民族解放戦争、民主主義革命戦争がからみあうものとしてしてあり、 その構造が、極東裁判の不徹底さと戦後冷戦構造を形成したのではないか。)

さらに、戒能通孝に注目しながら、「極東裁判」が罪刑法定主義によらず、 「平和に対する罪」「人道に対する罪」が問われたのは、 「民主主義革命裁判」としての性格において、 「反革命分子」の反抗を除去するものとして合理的である、と。 ただし、極東軍事裁判は、「見直し論」者とはまったく逆の観点から、 「中途半端」であった。

「少なくとも大日本帝国憲法上の権限を戦争に貸した天皇」 が起訴を免れただけでなく、証人として喚問されることもなかった点、また、 「『成り行き』を作った実行派、 被告らとともに『成り行き』に乗って巨利をえた財閥」 もことごとく免責されたこと。 さらに津田は、 最も計画的かつ残虐な殺人行為であった731部隊関係者も追加する。

 

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