第Ｉ部、打算とニヒリズム－南京大虐殺事件の精神構造

第２章．南京大残虐事件（アトロシティーズ）の条件

さて、第Ⅱ章からいよいよ南京大虐殺の考察にはいる。

「南京大残虐事件の条件」では、上海戦から南京攻略戦、そこにおける兵站計画の不備、一番のり競争、俘虜対策の欠落、必然化された大虐殺が明らかにされる。

津田は、ここでまず、「大虐殺」の人数論を批判する。
「数が問題になりうるのは、個々に惹起された残虐行為を前提とし、その限りにおいてのことであろう。ここで問われるのは一人一人の人間の重みである。そうみてくると、３０万か６千かを、抽象的にあげつらうのは、文部省検定の論理に足をすくわれる方向にも流されかねない」
津田はそこで、彦坂諦の問題提起を引用する。

「大量殺戮（ジェノサイド）のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある」
「この世界に生起するさまざまな『惨禍』の悲惨さをそれによる死傷者の数の大きさによって表現するしきたりに、私たちはあまりに深くなじんでしまっているようだ。このしきたりが私たちにとってあまりになじみ深いので、私たちは、そこでの死傷者の数が多ければそれだけ『惨禍』の悲惨さが大きいようについ思いこんでしまって、もともとどのような比較もゆるされないはずの二つの出来事の悲惨さの程度を比較してみたり、『大虐殺』と呼ばれるにあたいする死傷者の量的基準を作ってみたり、はては死傷者の数を明記した文書が残されていないできごとは存在しなかったと認定するのが客観的態度であると言明したりする」
（『ひとはどのようにして兵となるのか』上）

津田は、したがって「南京大残虐事件（アトロシティーズ）」とよび、そのうえでさらに、その「殺人」「強姦」の実相に孕まれる、「捕虜の虐殺」「据え物切り」などのやり口そのものに示される残虐行為の質をとりあげ、津田が「ニヒリズム」とよぶところの「日本兵の精神状況とそのもとになる日本人大衆の精神構造」を問題にしていくのである。

また、「虐殺の不法性」の問題については、「『不法処理』のみを、日本帝国主義の犯罪事実として限定する」ことの限界に注意をうながす。

「実は、日中戦争そのものが、日本の側にそくしてみれば、不法・不正義の帝国主義的侵略戦争以外ではありえなかった。・・・この帝国主義的軍事行動は、たんなる近代的帝国主義の発現たるにとどまらず、それとなえあわされた前近代的な・掠奪的帝国主義として現象した天皇制帝国主義（軍事的・封建的帝国主義）の発現であった。つまり、中国侵略そのものがアトロシティーズだったのであり、そこにおける中国側犠牲者は、原則としてすべてその結果に数えられるべきなのだ」という、戦争の性格に関する基本的観点を提出し、したがってさらに「通州事件」や「大山事件」という中国人民による日本居留民殺害への報復という観点の愚を指摘する。

日中戦争当時の日本を近代的帝国主義と天皇制帝国主義（軍事的・封建的帝国主義）の二重の帝国主義とみるかどうかは異論のあるところであり、日清・日露戦争後の中国侵略の必然性は、金融資本的確立による市場再分割戦にあり、そこに後進帝国主義として世界再分割戦にわりこまざるをえなかった日本帝国主義にとっては、封建的諸関係を完全に解体するよりも、一部温存しながら、金融資本を基礎とする支配構造のうちに再編し、日本独特の統治形態として天皇制ファシズムを形成していった、中国侵略の残虐性は前近代的な性格というよりも金融的資本蓄積を基礎にした近代的な国家が世界再分割戦とロシア革命をはじめとする民族解放闘争、階級闘争の昂揚に対する反革命としての性格のなかに形成されてきたものと思うが、これは本論ではないので論じない。

ただ、津田が、一貫して「国際法」や不法性の観点ではなく、日本帝国主義の侵略と中国人民の抗日救国闘争という観点からみていることは、問題点を鮮明に浮かび上がらせるものとなっている。

かの藤岡ら歴史修正主義者たちは、実にこの「国際法」の不法性の観点から限定して論じ、しかもその「国際法」理解も、当時の日本政府の理解のレベルにねじ曲げることによって、「事変」と「戦争」を区別して侵略と殺戮、暴虐を合理化しようとする二重の犯罪性をもっている。われわれはだが、たとえ国際法違反でなかろうと侵略を認めるわけにはいかないのである。

ここでもついでながら、若干横道に触れておくと、この「国際法」自身が歴史的産物であり、大国によって基本的基準を規定されるものであるがゆえの当然の限界をはらんでいるということもおさえておかなければならない。

よくいわれる「日清・日露戦争では国際法が守られた」という点に関していえば、当時の国際法自身が朝鮮、中国に対しては守られず、かの１８９４年、朝鮮王宮軍事占領や旅順大虐殺事件をひきおこしたりしたのであるが、またその当時の国際法自身も第二次大戦における国際法とは異なり、侵略の正当化、力による他国の征服を適法とし、また戦闘行動における奇計を認めるなどの多くの限界をもっていたのである。

さて、南京攻略戦において、「兵站計画の不備」「俘虜対策の欠落」というのはよくいわれることであるが、むしろそれも日本帝国主義の長期化した戦争による不備というよりも伝統的な日本帝国主義の侵略戦争遂行上の軍事体系の構造上の欠陥として始めから意図的に組み込まれていたことをみておく必要がある。

つまり、日清・日露戦争の時点から、日本軍は、食糧、軍馬を現地調達主義としており、実にこの現地調達の失敗から日清戦争時における古志大隊長の自殺事件というものまでおきているのである。当時の陸戦法規によれば戦利品について「戦争ノ必要上万已ムヲ得ザル場合ヲ除クノ外敵ノ財産ヲ破壊シ又ハ押収スルコト」を禁止、となっており、敵の軍事力を弱めることと派遣軍を維持するための「押収」を認めている（平和回復後の返還と損害賠償を含む）のである。

従って日本軍は、巧妙に国際法をもくぐり抜け、もしくは朝鮮、中国を適用外としながら、「軍紀厳正」「秋毫不犯」と宣伝するうらで、実は日清・日露戦争から一貫して、掠奪・暴行・殺戮を繰り返してきたのである。そこにもまた脱亜入欧論にもとづく「文明国」と「未開国」の振り分けがある。

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