学習会第2回
笠原十九司著『南京難民区の百日』
―虐殺を見た外国人―

福田広幸・田崎敏孝


第4章.南京大虐殺の始まり

南京戦区の村村

1937年12月1日、 大本営は「中支那方面軍司令官は海軍と協同して敵国首都南京を攻略すべし」 と南京攻略戦を正式に命令する。 12月5日、第16師団(京都)が南京から50キロの句容を占領して 南京戦区に突入したのを皮切りに、 南京近郊の町と農村を戦場とする南京攻略戦が開始される。
この南京戦区は・・詳細は83ページより。

ヴォートリンは農村に避難していった人たちへの不安をこう記している。 「貧しい人でも、市から出ていけるものはすべて農村へ避難していった。 彼らは家族の中で息子や娘を疎開させ、家を守るために年寄りを残留させた。 しかし、私は、 農村地域に避難していった民衆に何がおこっているかを心配している。 私たちの情報では、農村における破壊と被害の方が、 南京市内よりもずっとひどいということだからだ。(「ヴォートリン文書」)
ヴォートリンの不安は的中した。 農村では、日本軍が来ると、・・・85ページ参照

逃げ場のない農民

棲霞山は南京の二十キロにあり、・・・87ページの終わり88ページ参照
棲霞山に被害状況を視察に行った、マギー牧師は、・・・88ページ参照

虐殺の村

陳光秀さんの証言・・・91ページ参照

市民よりも多い農民の犠牲

崇善堂という埋葬団体が記した、 南京郊外の遺体がものがたる日本軍の残虐の様相である。
「郊外の民衆で、未だ他所へ避難できず、難民区にも入れない者は、 昼間は一ヶ所に集まって助け合っているが、 不幸にして日本侵略者にみつかると多くが被害に遭う。
背後から撃たれて倒れている者がいたが、逃げる途中で難にあったものである。 横臥した形で、刀で突かれて血を流している者は、 生きているうちにやられたものである。 口や鼻から血を出し顔面が青くなり、脚が折れているのは、 大勢の者から殴られたり、蹴られたりしたものである。 婦人で髪が顔にかかり、乳房が割れて胸を刺され、ズボンを付けていないもの、 これは生前辱めを受けたものである。 また、頭をもたげ、目をむき、口を開けて歯を食いしばり、手足を突っ張り、 ズボンの破れているものは、乱暴されるのを拒んだものである。 惨たるかな、惨たるかな。
毎日夜になると、集団をなして遠方に逃げる。 声が聞こえると草叢にに隠れたり、田の畦に隠れる。 一番危険なのは、夜が明けてから、敵が高所から遠くを見渡す時で、 逃げる所を見つかると、すぐに弾丸が飛んでくる。 中に婦人がいると、手で止まれと合図して、追ってきて野獣の仕業をなす。 言うことを聴かないと殺されるし、言うことを聴いても輪姦されて殺される。 立ち止まらずに行こうとする者には、銃声がいっそう激しく浴びせられ、 死者がますます増える。 それ故、農村部の遭難者は都市部より多い。 (「南京市崇善堂埋葬隊活動一覧表・付属文書」)

 

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