学 習 会 第 2 回

笠原十九司著『南京難民区の百日』

田崎敏孝


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会の活動として以前より開催されている講師による「連続講座」とは別に、 「学習会」という名称で毎回の会議時(大体月に1回) に読書紹介などを行うことが決まりました。

最初の学習会では笠原十九司(宇都宮大学教授)著 『 南京難民区の百日――虐殺を見た外国人――』 (岩波書店)を取り上げました。 担当はこの本に感銘を受けていた福田広幸さん(前半部分を担当)と 私(後半部分を担当)が当たりました。 私は普段の読書は気楽に行うのですが、 今回はレジュメを纏めて皆の前で説明するということで、 赤線を引いたり付箋を付けたりしながらじっくりと読みました。 5月の連休も終り5月9日の会議の日の前日にやっとレジュメを仕上げました。 5月9日の会議では福田さんが思いを込めて読書紹介を行い、 私にまで時間が回らず私は6月に行うことになりました。 その為、1ケ月の余裕が出来ました。結局私は最初の通読、 レジュメ纏め時に再読、更に余裕の1ケ月に三読を行いました。

さてこの本は笠原教授がアメリカ関係の資料を発掘・ 紹介されたものが中心であり、 その他に中国人の聞き書きや日本軍兵士・司令官の日記なども載せられています。 全て歴史事実の紹介です。 現在、南京大虐殺から60年以上も経過し、 この様な歴史の事実を表した本は貴重なものです。 敷衍しますと、私達「ノーモア南京の会」としても出来る限り 当時の体験者の聞き取りや当時の資料の収集を行うことが 緊急かつ重要であると思います。
以下、学習会用に作成した福田さんと私のレジュメよりサワリの所を抜粋します。

【南京難民区国際委員会の成立】
11月17日の夕方、ロッシング・バック邸における共同生活者のベイツ、 スマイス、ミルズの三人は、アメリカ大使館のウィリヤ・ペックの邸宅を訪れて 南京難民区を設定する計画を説明し、 大使館をとおして中国当局と日本当局に 正式認知のための交渉の労をとってくれるよう依頼した。 ・・・まもなくして、南京安全区(難民区)国際委員会が結成された。 委員長にはドイツ人のジョン・ラーベが就いた。

【難民区の便衣兵狩り(フィッチの日記)】
12月14日、日本軍の捜索隊が本部近くのキャンプから、 中国軍の制服の山を見つけだし、近辺の者、 1,300人が銃殺のため逮捕された。 髪の毛が短いとか、船こぎや人力車引きが仕事のため手にタコがあるとか、 ほかに力仕事をした形跡がある者は、身分を証明するこのような傷によって、 死ぬ保証を得ることになった。 日本軍の捜索隊によって、 安全区のこれらの男たちが妻から引き裂かれる光景は痛ましかった。 キャンプでは、夫や息子(すべて民間人)を連れ去られた婦人は千人にのぼった。

【虐殺の記録(ダーディン記者の記述)】
上海行きの船に乗船する間際に、 記者は埠頭で200人の男性が処刑されているのを目撃した。 殺害時間は10分であった。 処刑者は壁を背にして並ばされ、射殺された。 それからピストルを手にした大勢の日本兵は、 ぐでぐでになった死体の上を無頓着に踏みつけて、 ひくひく動くものがあれば弾を打ち込んだ。

【入城式の後も地獄(マッカラム牧師の12月19日の日記)】
中国の南京防衛軍が崩壊してからちょうど一週間がたった。 ・・・誰もが安堵の吐息をもらしたのも束の間、一週間がたってみると、 まさにこの世の地獄であったのだ。 思い出すのもおぞましい。 どこをどう話したらよいのか見当もつかない。 このように酷い話は聞いたことも見たこともない。 レイプ、レイプ、レイプばかり。 強姦事件は一晩に千件は起こり、昼間でもたくさんある。

【ヴォートリン女史の婦女収容】
12月17日、ミニー・ヴォートリンは街頭に出て、それらの女性避難民を集め、 あらたに婦女、子供の難民専用に設置した金陵大学寮へと引き連れていった。 ヴォートリンが、 3〜400人の女性難民の集団の先頭に立って街頭を行進するさまは、 さながら日本軍の蛮行に抗議する女性のデモ行進のようであった。

【二人の生き証人】
日本兵に抵抗し37ケ所も刺された李秀英さんと 一家が惨殺された夏淑琴さんの被害の実例は、 マギー牧師が16ミリフィルムで密かに撮影した映像資料と、 ウィルソンとマギーの記録した文字資料と、 さらに生存する被害者の証言資料とが三つともそろっていることにおいて、 これほど決定的な確証事例はほとんどない。

【エピローグ】
南京安全区国際委員の人たちこそ日本軍の残虐行為を一貫して目撃してきた、 真の歴史の証人であった。 すでに彼らの全員がこの世を去っている。 しかし、彼らは目撃し、体験した南京事件にかんする膨大な記録を残した。 安全区国際委員たちの南京の軍民を守るための闘いは 「南京の歴史に残る」ものであった。 それは、 彼らの奮闘ぶりがいまでも南京の古老たちに語り継がれていることに証明される。 彼らがもしも日本軍占領下の南京に留まっていなかったら、 彼らがもしも南京難民区を組織していなかったら、 日本軍が歴史に刻んだ不名誉はさらに深刻なものとなっていただろう。

追伸:5月、6月で第1回の読書紹介は終わりましたが、第2回の学習会は、 8月と9月で津田道夫(評論家・長野大学講師)著 『南京大虐殺と日本人の精神構造』(社会評論社)が取り上げられました。 9月には、津田さんご本人もご参加くださいました。 続いて、次回からは野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店) を取りあげる予定になっています。ぜひ多くのみなさんのご参加を希望します。

「ノーモア南京の会」ニュース第3号より

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