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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊
ニューヨーク取材日誌

ブルックリンのコミュニティ集会

今井恭平


安田弁護士のこと

 安田弁護士のフレームアップと逮捕については、以前にe-mailで伝えておいたが、「あなたにも同様のことが起こりうるだろうか?」という質問に対して、「可能性はあるが、やり方は少し違うだろうな」と語ってくれた。裁判の中での検察や裁判官に対する抗議に、法廷侮辱罪などという理由をつけて身柄拘束することはアメリカでも起こるようだ。彼自身、別の裁判で逮捕されたことがあり、有罪判決を受けたが、上級審が判決をくつがえしたので、じっさいに収監されることはなかった、と言う。また95年のムミア裁判では、弁護団の一人が身柄拘束されている。しかし、これも2時間ほどで拘束を解かれており、嫌がらせではあっても、安田弁護士のような周到な計画として仕組まれた逮捕・起訴というフレームアップは、異常なこととして目に映るようだ。

 なによりもワイングラス氏が驚いていたのは、安田弁護士が逮捕後2か月以上たって、まだ保釈もされていないこと。たとえ起訴事実に何らかの根拠があったと仮定しても、暴力事件でもなく、経済事案で弁護士を保釈にもせずさらに拘禁がつづくという事態は、信じがたいことのようだった。

ディアロ氏殺害で頂点に達している暴力支配への怒り

 約1時間のインタビューを終え、最後に日本の支援者のためにメッセージをお願いします、と言って持っていったビデオカメラの前で数分話していただく。
「今回アメリカに来るに当たって、とくに何らかの計画があった訳でもなく、ただいろんな支援者と会ったり、会議などに参加させてもらうことしか考えていないんです」とお話ししたら、「じゃ、これから行く集会も役に立つかな。でも、いっしょに行くなら最近起こった事件について知っておいたほうがいいよ」とワイングラス氏が話してくれたのが、アマドゥ・ディアロ氏殺害事件についてだ。
 この時にワイングラス氏から聞いた話と、後から新聞・テレビの報道で知った話をいっしょにして書いてしまうが、ディアロ氏殺害事件の概要は以下のようなものだ。
2月22日アマドゥ・ディアロ氏殺害に抗議するデモ(市庁舎前)
 アフリカ西部の国、ギニアからニューヨークに働きに来ていた22歳のアマドゥ・ディアロ氏は、2月4日の深夜、自分の住んでいるブロンクス地区のアパートの玄関前で、4人の白人警官から射殺された。警官たちは計41発を発射し、うち19発がディアロ氏の体に命中。ディアロ氏は武器などはいっさい持っておらず、死体が手にしていたものはアパートの鍵とポケベルだけ。ポケットには財布しか入っていなかった。警官たちはstreet crime unitと呼ばれる私服の特別班で、このためディアロ氏は彼らを警官と認識できたかどうか定かでない。事件後、警官たちは身柄拘束もされておらず、48時間ルールというものに守られているため、この時間内はいっさい捜査員の尋問に応じる必要がなく、そのためになぜディアロ氏が殺害されることになったのかの経緯がほとんど明らかにされていない。また彼ら同士で口裏をあわせることもできる。殺害された根拠として唯一流れている憶測は、この地区で手配中だった連続強姦犯とディアロ氏の容貌が似ていたのではないか、という程度。一人の相手に対して41発も発射するという異常な事態を「説明」する手がかりすらなく、新聞も憶測を書き連ねているだけだ。僕がニューヨークにいる2週間の間、ディアロ氏の事件が報道されなかった日は一日もなかった。また、ほとんど毎日どこかで抗議の集会やデモなどが行われていた。数日前にも千人規模のデモによって市内の交通が一時ストップした、という話も聞いた。

 いままでにない規模の抗議行動になりつつあり、警官の暴力への怒りは、黒人、ラテン系の人々を中心にして、頂点に達しようとしているという。そうした状況下では、ワイングラス氏ですら、黒人コミュニティの集会などに参加するのは見合わせたほうがよい、と忠告する人さえある状態だという。
「僕はべつに危険だとは思わないけど、そういう状態だと言うことは知っておいたほうがいいから」と言われる。

ディアロ氏殺害事件について

政治犯のためのコミュニティ集会

 ワイングラス氏といっしょに事務所を後にして、地下鉄を乗り換えながらブルックリンの集会場へ向かう。
 ちょうとラッシュの時間帯で、けっこう混み合っているが、とはいえ身体がいやでも他人と触れ合わざるをえないような東京のラッシュとは別世界。黒人の子供数人のストリートパフォーマーが、きれいなバイオリンのアンサンブルを車内で聴かせてくれるゆとりさえある。ワイングラス氏はにこにこしながらポケットに手を突っ込んで小銭をさがす。また、席が空くと、自分のほうが高齢なのに「君は着いたばかりで疲れているだろう」と僕に席を譲ろうとする。

 集会場は小さなカフェのようなところで、参加者も全員で30人程度の小さなもの。黒人でない参加者はワイングラス氏と僕だけ。メインスピーカーはワイングラス氏と、黒人のアクティビストらしき男性。
 ムミアを含めて3人の政治的囚人の支援のための集まりだが、ムミア以外の人については、予備知識がない僕はほとんど話についていけない。以下、ムミアに関連し、僕にとって耳新しかったことだけを列挙する。

  1. 4月24日の「ミリオンズ・フォー・ムミア」大集会にぶつけて、FOP(警察友愛会)が前夜の23日にフィラデルフィアで大集会を予定している。
    23日は、ムミア支援者側でもYOUTH MARCHの日として、ことに若者に街頭でのデモを呼びかけている。
    その日にぶつけて白人人種主義者集団がこうした催しをすることは明らかな挑発だろう。
  2. ムミアの息子が数年前に拳銃不法所持で逮捕され、15年〜25年の不定期刑で現在服役中
    拳銃不法所持でのこの重刑は、明らかにムミアの息子であるからだろう。
  3. 95年の裁判のさいに明らかになった事実として、フォークナー巡査のポケットからビリーでもムミアでもなく、第三者の運転免許証が出てきた。
    これは、たんに僕が当時の裁判記録を読み落としていただけのようで、周知のことのようだ。この免許証の持ち主にはアリバイがあり、事件現場にはいなかった。この免許証は彼がビリーの友人に貸したものだという。その友人の行方は分からないとされている。
以下つづく