わたしの労働運動ものがたり






塚田義彦 “太田薫”を語る






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塚田 義彦 Yoshihiko Tsukada  (1926年〜2016年 )

1948年 人事院 勤務
1951年 合化労連 書記・調査部勤務
1972年 合化労連 書記長 
1980年 合化労連 副委員長 
1982年 総評民間単産会議 事務局長
1985年 合化労連 退職


Video 塚田義彦 “太田薫”を語る



塚田義彦さんへのインタビューは2012年5月12日、ビデオ『語り継ぐ総評40年 1950〜1989』(企画・制作:公益財団法人総評会館、総評退職者の会)の収録としておこなわれました。このビデオは、そのときの収録を約60分にまとめたものです。








タイトルをクリックするとその部分から視聴できます。

高野と太田 蜜月から対決へ00:00〜

Q:なぜ太田さんは高野さんに挑んだのですか?
それは(高野さんの)政治闘争への偏向でしょう。経済闘争を軽視していると。組合は本来、賃金などの経済的要求で対決すべきなのに、遠回りをして、政治に活動の舞台を求めすぎると。

なぜ春闘をつくったのですか?13:57〜

企業の闘争だけでは限界がある。化学産業の労働者の足並みが必要だという発想です。


Q:企業別組合の弱点の克服について、太田さんは資本からの独立を強調されましたが・・・。
いろいろ考えても、ご自身も成功できなかったわけで、どのように反省し、批判をしたのか、明確ではない。
大手組合では、組合役員の人事権を企業がにぎっていたので、企業に嫌われた人は、組合役員になれない。これを排除するのは、教育でもだめで、組合体質を根本的に変えることをやらないと。

資本家の執念 三池闘争23:23〜

Q:なぜ石炭資本は、組合つぶしに執念を燃やしたのですか?
石炭資本に限らず、当時の資本陣営はかなり凶暴だった。組合をたたきつぶして初めて日本の成長があると、信念にもえていた。三井三池闘争は、労働組合がしくんだ闘争ではない。

(指名解雇者) 1,200名の中心は社会党員と共産党員です。 これを排除しようという会社の執念でしょう。

春闘の画期と終焉 1964と197530:25〜

鉄鋼労連の変質
八幡製鉄所に「作業長制度」が入る。これをテコに労務管理を徹底する。
会社が職場で労働者を管理するだけでなく、24時間、社宅から寮に至るまでを掌握して管理するシステムをつくった。


JC管理春闘
端的に問題提起をしたのは、鉄鋼労連の千葉利雄さんの「経済整合性論」です。賃金は、経済に左右されるという論理です。これでさっそく鉄鋼の宮田さんは、前年プラスα賃上げを終わりにした。JC管理春闘の論理的基礎をなしていく。

労働戦線統一をめぐって39:27〜

Q:労働戦線統一をめぐる太田さんの立ち位置は?
太田さん自身、左右にぶれたと批判されても止むを得ない。私は同じ行動をとってきたので、弁解の余地はない。

労働組合と政治45:58〜

日本的労働組合主義という文章を読んでみると、日本には政治闘争が必要だと。革新政党が弱体のなかで、労働組合が政治闘争の前面に立つのは仕方ない。しかし、いきなり前面に出るのではなく、経済闘争の積み重ねのうえに政治闘争を、という段階論です。

にんげん太田薫51:23〜

平和革命という言葉が好きだった。これは山川理論の影響です。夢を追い続けた指導者であり、風貌に似合わぬロマンチストであった。


塚田義彦 “太田薫”を語る
2012年8月制作
インタビュー:土谷一雄
編集:芹生琢也
撮影:高須裕彦