週刊SPA!栗本コラムの誤り

だいぶ以前の1992年に起こったことですが、週刊SPA!の栗本慎一郎氏のコラムについて、甲山事件救援会、甲山東京救援会が抗議し、被害の補償を求めました。長い交渉の結果、いくつかの具体的な成果を生んでいます。

1.週刊SPA!栗本コラムの誤り

1992.4.29
週刊SPA Vol.16に栗本慎一郎氏が担当の脱帽的ニュース新論で「甲山事件上告棄却学園内の小権力のほうが国家権力よりも怖い」掲載。誤りが多く、山田さんを真犯人とする印象の内容でした
1992.6.29
甲山事件救援会から栗本慎一郎氏、出版元の扶桑社へ質問状を送付。
1992.7.30 
扶桑社より、「人権侵害のないよう配慮している、是非話合いをしたい」との回答が届いた。
1992.8.18
栗本氏の代理人として、N弁護士から回答。「二審有罪としたのは誤解なので是正する、いずれ裁判記録を読んで事件自体の論述を書きたい」と回答

 1994年、神戸で差し戻し審が進むなかで、この問題は甲山東京救援会で主に取り組むことになりました。ただ、誤りを一定程度認め、改めるとの回答が既にあり、その後の活発な取り組みがされないままに時間だけが過ぎてしまったのが実状でした。
 この間、毎日新聞の記者であった木部克己さんが報道被害をテーマに「犯人視という凶器」(1993年10月 あさを社刊)をまとめられました。その中で、栗本コラム問題は報道被害の典型的な例であることが明らかにされています。また、著者の栗本慎一郎氏はその後、新生党(さらに自民党へ鞍替え)の国会議員になっています。


2.取り組みを再開
 回答から二年になる1994年夏から、栗本氏、扶桑社が前の回答で約束していることがすでに実現したのかを確かめることにしました。
1994.10.15
 前回の質問に続いて質問状2を郵送。栗本慎一郎氏には、
@「誤解でした、是正します」とされたことの実施または予定について。
A「事件その自体に触れる論述を書きたい」との回答の実現または予定。
B 報道被害について、図書館などに所蔵され、閲覧することが可能な週刊SPAがさらに間違った論述を作る原因になることへの心配。
また、出版元の扶桑社SPA編集部には、
@ 回答にある甲山に関する勉強会が開かれたのか、その予定は。
A 救援会との話合いが実施されていない理由と、今後の可能性。
1994.11.11
 扶桑社SPA編集部から回答があり、その後、数度、質問状を送受して扶桑社SPA編集部との話合いになりました。

3.扶桑社との話合い
  話合いが、第1回 (1995.3.25)から、第9回(1997.4.16)まで、2年間にわたって扶桑社SPA編集部と甲山東京救援会との間で続きました。

 4.合意事項
 最初の3回の話合いの結果、次の3点をほぼ合意しました。
(1) 3次被害の防止策
 報道の3次被害を防ぐために、週刊SPAが保管、閲覧されるものについて、このコラムの間違いを正すメモを挿入する。このメモの内容については、栗本氏とも相談する。バックナンバのある図書館は扶桑社が調べ、救援会でも協力する。
(2) 誤った理解の是正
 誤ったコラムにより、誤って理解されていることを正す意味で、甲山事件についての記事を新たにSPAに載せる。編集部企画もの、署名記事、対談などの形式もあるが、SPA編集部としては遡及力も考慮して適切な方法をとりたいとのこと。
(3) 栗本氏との交渉の仲立ち
  栗本氏とのスケジュール調整を行い、本人不在の場合はN弁護士が対応する予定とのこと。

5.成果と反響、そして現状

このように週刊SPAの栗本コラムについて、報道被害に泣き寝入りしないで、刑事裁判の無罪判決を獲得し、冤罪を晴らすことに繋がる具体的な結果をめざして交渉を重ねました。その成果が1997年夏にでました。

 「事件報道という病」(週刊SPA! 97.8.6号)と題する甲山についての記事になりました。鎌田慧さんへのインタビューを中心に、扶桑社の五年前の過ち、事件報道の問題、甲山事件の冤罪性を知ることのできる四頁です。なにぶん、五年前の記事に対する補償、出版社としての訂正、そして今の運動にとっては一人でも多くの人が甲山事件の理解を深めることなど、多重された期待に応えるものになったのかどうか心配でした。
 まず最初に連絡があったのは国賠ネットの原告の一人Kさん。「甲山事件は冤罪、山田さんは無実というのがハッキリと印象に残るところが良かった、扶桑社にとってもカッコ良いような仕上がり」との評価。ずっと交渉相手であると同時に今回の記事をまとめられた編集部の担当のSさんは「読者や社内での評判もなかなかよく自分でもある程度満足のいくページになったと思います」とのハガキ。一安心でした。国賠ネットの定例会では、「良かったね」、「もっと自分たちの主張を」との批判もありました。英文パンフレットの作業を開始したNさん、Fさんも「まずはこんなものかな」と評価。
 電話で聞いた山田さんの感想は「良かったと思います、今のマスコミの状況を考えると扶桑社は良心的ですね。鎌田さん、東京救援会の尽力に感謝しています

図書館への訂正文、栗本氏との交渉など残った課題がありますが、一つの節目を通過した感じです。 

報道被害
捜査一課長
SPA!


参考 打ち合わせの概要

会合 年月日 扶桑社 救援会 概 要
第1回 95.3.25
(土)
15-18
SPA編集部
S氏
9名 ・経緯の確認(92年以降の)・SPAの制作過程は署名原稿と編集部企画ものがあるが、責任はどちらも扶桑社にある。・栗本コラムが問題があり、そのもたらした報道被害を償う主旨で可能な範囲で協力する。・SPAの後の号に訂正記事を載せたとの説明があった。
第2回 95.5.13
(土)
15-19
SPA編集部 S氏 7名 ・編集長 T氏、人権担当N氏を待つが現れなかった。・訂正文を載せた記事は見つけだせなかったとの報告、次回までに探す。・春日部図書館にはバックナンバーがあり、メモを挟むことは可能。・編集長が現れなかった顛末と前回約束の栗本コラムの問題点のS氏の認識について事前にファクシミリで連絡のことを約束。
第3回 95.5.27
(土)
15-17
SPA編集部
T 編集長、S氏
7名 ・報道被害について重大な関心を持っている。最近のオウムについてのテレビ報道はひどいと思う。編集長として金儲け抜きで報道被害については取り組みたい。・これまでの打ち合わせ内容を再確認した。
・合意事項(1)3次被害の防止策 報道の3次被害を防ぐために、SPAのバックナンバーが保管されて閲覧されるものについては、このコラムの間違いを正すメモを挿入する。なお、このメモの内容については別途、栗本氏とも含めて検討する。どの図書館にあるかは扶桑社が調べる。救援会でも協力する。(2)誤った理解の是正 誤ったコラムにより、誤って理解されていることを正す意味で、甲山事件についての記事を新たにSPAに載せる。編集部企画もの、署名記事、対談などの形がありうる。(3)栗本氏との交渉の仲立ち 栗本氏とのスケジュール調整を6月上旬までに行う。本人不在の場合はN弁護士が対応する予定とのこと。余裕を持って事前に連絡する。(4)その他・訂正文が載った記事の調査・扶桑社の勉強会の実施 など
第4回 95.9.25
1930-2130
I雑誌第二編集部長、T編集長、S氏 5名  新たにI部長が責任者として加わったのでこれまでの経緯とおおよそ合意している次の3点を再確認した。(1) 3次被害の防止策:週刊SPAが保管、閲覧されるものについて、コラムの間違いを正すメモを挿入する。原案は救援会から既提案。(2) 誤った理解の是正:甲山事件についての記事を新たにSPAに載せることを検討中。SPA編集部と救援会で相談してゆく。(3) 栗本氏との交渉の仲立ち。 扶桑社としては報道被害が起こらないように努め、もし、起きた場合はできる限りそのリカバーを行うとの表明があった。また、栗本氏との話し合いは先方が、N弁護士を代理人として進めたいとのことで、(1)については三者での話し合いを行うことになり、その日程については10月はじめに連絡。
第5回 95.12.13
(水) 1930-2130
S氏 7名  これまでの4回の交渉で約束をとってきた3点について、早期の約束実行を迫る。刑事裁判の無罪判決を獲得し、冤罪を晴らすことに繋がる具体的な結果をめざして行く予定。栗本氏の代理でN弁護士と新編集長が出席の予定であったが結局現れず、空振りに終わる。
第6回 96.7.22
1930-2130
S副編集長 4名  7カ月の中断ののち再開した交渉でこれまでの交渉内容を再確認する。結審への見通しや山田さん、甲山救援会、弁護団との相談結果をふまえて、これまでの確認点の第二、「甲山事件について新たな記事を週刊SPA!へ載せる」ことについて主に打ち合わせた。
第7回 96.10.24 I雑誌第二編集部長(SPA発行人)、
S副編集長、
N総務部主任(法務担当)
4名  これまでの交渉結果を再確認し、扶桑社としては報道被害が起こらないように努め、もし起きた場合はそのリカバーをするとの基本的な考えが再確認された。その具体化として、掲載時期、取りあげ方について様々な可能性を話し合い、次のような方向が確認された。 掲載の時期は予想される結審時期から、97年2月ごろになる可能性が高い。取り扱い方については、人権や冤罪を主題とする特集記事の一部分とする方法ではなく単独の記事として扱う。その形式はルポライターの取材に基いてドキュメンタリーにするか、座談会などを行うか、など読者に理解してもらうのに効果的な方法を考える。具体的な人選は今後つめて行く。甲山東京救援会としてライターや編集者が甲山事件を理解するために協力する。 ここ三回の交渉では言論機関の人権問題、報道被害への補償など総論的な合意が形成され、実り多い成果が期待される。
第8回 96.11.12
1930-2130
S副編集長 4名  入口でN総務部主任(法務担当)にちょうど会ったが、この日は編集についての実務的な内容ということで挨拶して別れた。前回に引き続き、甲山事件に関する新たな記事を週刊SPA!にのせることの具体化が主テーマである。 この間に双方で具体化に向けて検討した内容をまず話し会う。私達からは裁判の進行状況、そこから掲載時期を97年3月ぐらいにしたいこと、当初より会員として甲山事件を見守ってきたルポライターの方に助力をお願いしていること、等を報告。 扶桑社からは、編集方針としてノンフィクションを重視する方向があり、前回交渉時に話のあったO氏によるルポを一二月下旬から開始する予定、長さは一回三、四頁、数回に分ける場合もあるとのこと。 ルポの形態は12月下旬にさらに相談して決めることとした。ライターへのレクチャなどで協力することを約した。最後に一の課題である図書館等への訂正文について、扶桑社のみでできる範囲を検討しているとの報告があった。文案を扶桑社から提案してもらう事となった。
第9回 97.4.16
1930-2130
S副編集長 5名  出席が予定されていたI部長、S編集長は、編集部で急病の方があったということで欠席したが交渉内容については事前に検討済みのことであるとの説明がSさんからあった。 前回に引き続き、甲山事件に関する新たな記事を週刊SPA!にのせることの具体化が主テーマである。救援会から論告の日程がきまったこと、鎌田慧さんにご助力をお願いしてご了解いただいていることなどを話し、扶桑社から記事の時期、概要などの相談があった。 結論として以下の事項を確認した。SPA!へのとりあげ方として、論告公判後に報道記事的に取り扱う。鎌田さん、Oさんにお願いして、全体で四頁程度とし、時期は7月1日の論告公判の1ー2週間後。また、図書館などへの訂正文については扶桑社が作成中でできあがり次第、救援会に示してもらうことになった。 また、これまでの交渉経緯をまとめる確認書を作る方向で、内容は双方で出し合ってまとめることとした。
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