2002年6月18日高橋徹記

初期の優生学のたどった道

優生学はその出発点において誤りを犯した

 優生学の誤りはその出発点で重大な誤りを犯しました。

 ダーウィンの進化論に語られた競争原理は、自然から学んで編み出したものではなく、当時のイギリス社会や、政治・経済学の「マルサスの人口論」をヒントにしたものです。それが進化論を経由して再び人間社会を見る論理になったときに、進歩を約束する原理として、もっと純化・増幅されたのです。それが社会ダーウィニズムや、優生学として広まっていくことになります。

偏狭な人間観

 また優生学は人間の性質や能力が生まれながら決まっているという考え方(生物的決定論)が前提に立ちます。そして、その上で人間の能力や性質を優れたものと劣ったものに評価しわけていきます。この考え方に立つと、人間の価値が生まれながら生物学的に決まっている事になります。優生学は科学の装いを取ることによって、この価値判断の陰に隠れている差別性を見抜く目を曇らせてしまいます。生存競争に打ち勝ったもの、社会的に優位を占めるものが「優れている」=「存在して良い」という価値判断をします。「人種」「民族」「障害者」「病弱者」など、社会的な弱者、少数者に対する差別が科学的に正当化されていく事になります。

 人間はどうあるべきかということは、そこに一定の価値判断が入ります。ところが自然界は、誰かが一定の価値のもとに作り上げたものではありません。なにが正しいとか、正しくないとか、なにが優秀で、なにが劣っているとかの価値判断をしながら生物は進化しているわけではありません。確かに自然のありようから、人間はたくさんのことを学んできたし、これからもそうするでしょう。しかしある事柄に価値が存在するかどうかは、自然界に客観的に存在するわけではありません。つまり人間の持つ性質に対し価値判断を前提とする優生学は、生物進化学とは無縁のものでなければならなかったはずです。

遺伝しない性質まで優生学の対象となった

 初期の優生学では、遺伝しないような性質まで、遺伝すると考えました。たとえば、アルコール依存や、犯罪者となる性質も遺伝するとしました。アルコール依存はお酒さえ飲まなければならないのですから、断種の対象にするのはとんでも無い思い違いです。このころは獲得形質の遺伝も信じられていたので、飲酒により遺伝子が変化するととらえられてもいたようです。また知能も遺伝的に、一義的に決まると信じられていました。IQ(知能指数)も年齢や環境によらない、その人の遺伝的な知的能力として信じられてきました。そのためアメリカやヨーロッパのいくつかの国の取った優生政策で、「アルコール依存者」「犯罪者」「知的障害者」も断種の対象となりました。日本では感染症であるはずのハンセン病まで「感染しやすい体質の遺伝」が問題にされ、優生政策の対象とするよう主張されています。

様々な国の優生政策

 以後20世紀の中頃にかけて、ヨーロッパ各国をはじめ、アメリカや日本へも優生学に基づく政策が普及していきます。授業では、優生学がどんな事態を生み出したか、その実相を知ってもらう意味で、この項で少し時間をかけますが、具体例を挙げると長くなるので、ここでは割愛させて下さい。ほとんど社会科の授業になるので、生徒達は面食らいます。

 さて、特にナチス時代のドイツが強烈な優生政策をとったことから、人々は優生学の差別性を自覚するようになっていきますが、優生学はナチスの専売特許ではありません。このことは米本昌平氏が強く主張してきたところです。「優生学と人間社会」(米本昌平他、講談社現代新書)で米本氏は次のように述べています。「優生学をヒットラーとナチスだけに閉じこめて理解するならば、歴史的事実の多くを逆に見落とすことになる。」として、優生政策が福祉国家との親和性が強いことを指摘しています。

 日本では、むしろ戦後の方が積極的に優生政策を展開しています。

初期の優生学の末路

 20世紀中ごろ以降、人権意識の高揚とともに優生学はいったんは否定され、退却していくことになります。その理由としては

  • さまざまな遺伝学上の誤りをかかえていたこと
  • ナチスドイツの優生政策が反面教師となったこと
  • 優生学上排除の対象にされてきた、障害者や、病者、少数者自身の批判の声があげられるようになったこと

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