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ものづくりエッセイ

京都ものづくり塾塾長 滋野
週刊京都経済 連載記事

最終回 京都の「光」支えるものづくり文化

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最終回 京都の「光」支えるものづくり文化

先日、ある町工場を訪問して、京都から消えてなくなろうとしている技術があることを知った。また「いったんつぶれなければ再生はない」と言い切ったある伝統産業の職人さんにも出会った。

6回の連載を通じて、私の「京都におけるものづくりのあり方」についての考え方が少しでもわかっていただけたかと思う。私は何が何でも既存のものづくりを守ろう、と訴えているのではない。時代の変遷の中で消えていく産業や技術があるのはやむを得ないことである。しかし、京都には歴史・風土の中で醸成されてきた「ものづくり文化」があり、ものづくりに真摯に取り組み、日々研鑚を重ねている技術者や職人達と目の肥えたユーザーがそれを支えているということである。おりしも、こういったクラフトマンシップが、ネットバブル崩壊後見直されてきたように思えるのがせめてもの救いだ。

最近、伝統産業に携わる若い職人さんと話す機会があった。前回、観光について少し述べたが、彼は京都のものづくりの観光資源化については歓迎していなかった。その理由として、「仕事を見せているだけで"すごい"と感嘆される。でも、それだけで偉いと勘違いするような甘い言葉を毎日繰り返し聞いて仕事をすることは、特に若い人には良くないのでは」ということだった。

確かに京都のものづくりが歴史や風土が培った「光」、卑近な言葉でいえば「観光資源」の一つであることについて異論はなかろう。携わる人間にとっては迷惑だろうが、仕事場をある程度公開しなければならないのも時代の流れかもしれない。しかし、観光自体が目的化したとき、すなわち、京都のものづくり文化を消費し続けるようになったとき、それは命を失うだろう。「光」はそれが革新を続けながら、創造を積み重ねることによってはじめて光るものである。彼の言葉はそれを如実に物語っている。

これからの京都のものづくりを担うのは次世代の核となる若い人材だ。幸い、ものづくり見直しの機運が高まってきた。ものづくりに関心を持ち、その世界に飛び込んでくれるような魅力づくり、専門的に、総合的に、また体系的に学べる教育機関の充実、受け入れる企業や工場、そして、夢や思いを持ってものづくりの世界に入り、やり抜ける人がいることで、それが「光」を放ち続けるのだろう。これらを醸成するのは「ものづくり文化」を育んだ京都の風土そのものなのである。

これまでの6回の連載を通じて、雑駁な文章を通読していただきました皆様、そして拙稿を取り上げてくださった編集長には慎んで御礼申し上げます。
今後、少しお休みをいただいて、より具体的な「戦略論」を展開できたら、と考えておりますので、ご指導・ご鞭撻いただけたら幸甚です。



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