┃憎まれ愚痴入口木村書店 ┃結論┃┃4┃
詳細目次
はしがき
第1章:神学的な諸神話
  第1節
  第2節
  第3節
第2章:20世紀の諸神話
  第1節
  第2節
  第3節
  第4節
第3章:神話の政治的利用
  第1節
  第2節
  第3節
結論
 原著者「結論」
 [付録]
  訳者解説


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『偽イスラエル政治神話』(33)
結論

訳者解説(その1)

 本書の数多い主張の中には、まだまだ複雑な問題が潜んでいるが、ここでは四点についてだけ、補足をして置きたい。

 第一は、イスラエル国家、またはパレスチナの場所の問題である。

 本訳書では、八八頁~八九頁に、エリコとアイの場合の、遺跡の考古学的発掘調査の実例が紹介されている。それらの調査結果は、旧約聖書の物語と食い違うのである。

 しかし、最近の考古学の成果を見ると、意外にも、これまでは軽視されがちだった口承伝説には、かなりの真実が含まれているようである。なぜ旧約聖書だけが、という疑問が残る。

 ところが、ここに、旧約聖書の固有名詞の読み方が間違っているのだという、有力な説があるのである。旧約聖書の地名、人名、部族名などの固有名詞の解読が間違っていたとしたら、当然のことながら、考古学的な知見とは矛盾が生じる。もしも、この旧約聖書誤読説が当たっているとしたら、これまでのすべての研究は、ご破算となり、全面的な見直しが必要になるだろう。

 この問題を私自身が知り得たのは、拙著『湾岸報道に偽りあり』(92)の発表直後に、ある読者が、これをぜひ読めと、当時すでに絶版の本、『聖書アラビア起源説』(草思社、88)を提供してくれたからである。

 著者のカマール・サリービーは、「ベイルート大学の歴史学教授で、中東史の権威である」(同書の「訳者はしがき」より。以下同じ)。

 訳者の代表はパレスチナ問題を追い続けている広河隆一だが、その解説から一部を引用すると、「旧約聖書の舞台はパレスチナではなく、サウジアラビアのメッカの南、アシールと呼ばれる地方だというのである」。

 この本の内容を知っている日本人は、ほとんどいない。だが、「欧米での刊行後、『ニュウズウィーク』『クリスチャン・サイエンス・モニター』『サンデー・タイムズ』などを含む世界の主だった紙誌に取り上げられ、一大センセーションを巻き起こした」という。

 日本語版の出版は一九八八年だが、その当時すでに、英・仏・独・オランダ・スペイン・アラビア・フィンランドの各国語版が出ており、インドネシア語版は準備中だった。論証の中心は「セム語学および固有名詞学の一分野である地名学」による旧約聖書の地名の照合にある。旧約聖書にはふんだんに地名が現われるが、現在のパレスチナ地方の地名とはほとんど一致しない。確かな証拠となる遺跡もない。エルサレムはアラビア語の「アル・シャリム」と同じく、「祝福された場所」の意味で、日本ならば「鎮守」の社とか森のような名称である。この地名は、あちらこちらにあり、もちろんアシール地方にもある。ソドムとゴモラは火山の爆発で消滅したとされているのに、パレスチナ地方には火山はない。ところが、アシール地方には類似の地名があるし、火山の爆発の跡が残っている。

 アシール地方には、古代からのユダヤ教徒の子孫もいる。同書には、現地の「ユダヤ人」の写真が収録されている。肌色は、むしろ、アフリカの黒人に近い。縮れ髪を編んで垂らしている。私はかつて、旧著の『古代エジプト・アフリカ史への疑惑』(74)で、セネガル人の研究者による古代エジプト人の黒人説を紹介したことがある。その際、エデンの園のサハラ砂漠説の可能性を指摘していたので、この写真を一目見ただけで興奮を抑え切れなかった。いずれ現地にも足を運びたいと願っているが、とりあえず、つい最近の現地探訪記事だけを紹介しておこう。

 日本経済新聞(97・5・27)の「文化」欄、京都大学霊長類研究所教授、庄武孝義の紀行文、「マントヒヒの楽園発見」には、つぎのような描写がある。

「サウジといえば砂漠というイメージを抱いていた私はアシール地方の緑の山々に目を見張った。国立公園でもあるこの山岳地帯は標高三千メートル、サウジ有数の避暑地だ。

 ヒトにとって快適な気候は、マントヒヒにも都合がいいようだ」

 お隣りのサハラ砂漠の山地の洞窟には超古代の黒人文明の壁画が残っている。そのころのサハラ砂漠は緑に覆われていた。アラビア半島全体も同様だったのである。

 考古学的な議論だけなら、こういう超古代の有様を、ゆっくりと楽しんで研究すればいい。だが、「『サンデー・タイムズ』紙(84・8・12)が言うように、『イスラエルのユダヤ人は、間違った場所に住んでいるのかもしれない』」という議論になれば、話は血なまぐさくなる。

 考えてみれば、日本列島なら縄文だ弥生だという時代のことである。旧約聖書が文字で残されるようになったのは古代ユダヤ・イスラエル王国の崩壊後とされている。本来は口伝えの伝承である。古代からの文明の中心地にあったから位置が確かだというものでもない。逆に、歴史の十字路といわれるほどの激しい戦乱の明け暮れを余儀なくされた地方だから、考古学的な証拠にもとづく厳密な鑑定が必要である。

 現在のパレスチナ地方は、古代ギリシャ神話の最大のテーマ、トロイ戦争の舞台と隣接してるのだが、ギリシャ神話には、ユダヤ人がまったく出てこないという指摘もある。つまり、伝承文学上の証拠でも、古代ユダヤ・イスラエル王国のパレスチナ地方説は、決定的に不利だということになる。

 本書の著者、ガロディは、アラブ人の学者たちとも親しい関係にあるから、この問題がまるで耳に入っていないとは思えない。他にも色々と聞いてみたいことがあるので、いずれ渡仏して直接の意見交換をしたいと願っている。今のところは推測でしかないが、以上のような「聖書誤読説」が正しいとしたら、ユダヤ教に発する地中海文明の三大宗教はすべて、その聖典の現代語訳を、全面的に変更しなくてはならない。これまた本書のテーマ以上に、国際的な大騒ぎとなる。だから、戦略的には、先送りして置いた方が良いのかもしれないのである。

 第二は、いわゆるユダヤ人の血統の問題である。

 本訳書ではすでに、シオニストのテロリストに暗殺されたイギリス人、モイン卿の発言(二三七頁)に、簡単な訳注を付して置いた。そのままではほとんどの日本人の読者には、前後の脈絡が分かりにくいだろうと判断したのであるが、著者が、そこで詳しく述べていないのは、欧米の読者には周知の事実だからである。

 この問題は、拙著『湾岸報道に偽りあり』でも紹介した。簡単に言うと、ユダヤ人と呼ばれている人々の内の九割ほどは、旧約聖書のユダヤ人、イスラエル人、またはヘブライ人の血統ではないのである。

 本書でもその問題点が指摘されているように、現在のイスラエル自体が、「ユダヤ人」の定義を、基本的には「ユダヤ教徒」に求めている。それ以外には共通の基盤がないのだ。

「日本人」の場合にも、帰化すれば同じ「日本人」なのだから、もともと何々人という言葉自体が、厳密に血統を問う言葉ではない。だが、ユダヤ人の場合には、単なる懐古趣味の系図研究ではなくて、古代の先祖の土地所有権を争っていることになるのだから、決定的に、こだわらざるを得ない。しかも、血統が違う人々の比率が、桁外れに高いのである。

 世界のユダヤ教徒の人口の九割に当たり、アシュケナジムと呼ばれる宗教上の流派に属する人々は、古代のユダヤ人の血統上の子孫ではない。七世紀から十世紀にかけて南ロシアで栄え、国ごとユダヤ教に改宗したタタール系の民族の王国、カザール(ハザール、ハザルとも記す)の末裔とその係累なのである。だから、ロシア、ポーランドなどの東欧諸国に、桁外れに多いユダヤ人の集団が存在していたのである。彼らは、「東欧ユダヤ人」とも呼ばれている。

 この問題は、政治的シオニストの主張にとっては都合が悪いから、「血統云々」の発言を繰り返すモイン卿の暗殺にまで発展した。つまり、生命の危険を覚悟しなければ公言できない問題だったのである。当然の結果として、今も、欧米のメディアは報道しない。日本のメディアも、自称歴史学者のほとんども、欧米の習慣に従っている。しかし、本物の学問の世界では国際的な定説であり、日本でもかなり広く知られている。

 詳しい研究書もある。その日本語訳も出版されている。その一つは、日本語訳では『ユダヤ人とは誰か/第十三支族カザール王国の謎』(三交社)となっているが、原題を逐語訳すると、『第十三支族、カザール帝国とその末裔』である。著者のアーサー・ケストラーは、ハンガリー生れのユダヤ人で、平凡社発行の『世界大百科事典』にも載っている著名な作家、思想家である。

 旧約聖書に発する地中海文明の三大宗教の圏内では、「第十三支族」で意味が通じる。始祖アブラハムの子孫の内で行方が分からなくなった支族の意味だから、日本語訳の題名のように「ユダヤ人」を明記する必要がない。この原題および日本語訳の双方に現れる「第十三支族」という言葉の使用法は、あくまでも、そういう古代の伝承を借りたキャッチフレーズに過ぎない。なぜならば、カザールは、まったく別系統の民族だったからである。

 その後、ロシアの考古・歴史学者、S・A・プレェートニェヴァの『ハザール/謎の帝国』(新潮社、96)が出た。訳者の城田俊は、モスクワ大学大学院終了のロシア語教授である。長文の訳者解説には中国史、モンゴル史からの観察も加わり、知られざるユーラシア大陸史の趣きがある。

 古代ユダヤ人の直系は地中海周辺を中心に分散(ディアスポラ)していたが、イスラム帝国の発展に伴なってイベリア半島に移住した中心グループが、ヒスパニア時代を経て、ヘブライ語にヒスパニア語を交えた言語を使用するようになった。以後、その他も含めて、直系は、セファルディム(ヒスパニアからきた人々)と呼ばれるようになった。セファルディムは、当然、アラブ人と同じ肌色の有色人である。

 現イスラエルには、セファルディムの人口の方が多いが、半白人で欧米を背景とするアシュケナジムの支配下に置かれ、「黒」呼ばわりの人種差別さえ受けている。ところが、アシュケナジムが元祖の「邪教」政治的シオニズムによる人種差別主義が、逆に、被支配者側ながら古代ユダヤ人の直系であるセファルディムに乗り移り、数千年の共同生活者だったアラブ人への憎しみを募らせるという、複雑怪奇な悲劇的事態が進行つつある。白人のキリスト教徒から差別された半白人のユダヤ教徒が、有色人のユダヤ教徒を差別し、さらにそのユダヤ教徒が、有色人のイスラム教徒を差別するという、まさに、この世の地獄が現出しているのである。ラビン首相を暗殺したイガール・アミールは、日本国内でもカラー写真入りの報道があったが、典型的なセファルディムである。

 第三は、謎というよりは、ゴラン高原などの違法占領の意図をより詳しく指摘し、さらには、知るひとぞ知る類いの現在日本との関係を、明らかにして置きたい問題である。

 一九九六年三月以来、日本は「自衛隊」と称する軍隊を、ゴラン高原に「派遣」と称して出兵している。だが、なぜゴラン高原なのかという議論は、まるで起きていない。

 本訳書では、二四〇頁から二四一頁に引用されている“ユダヤ国民基金”総裁の一九四〇年の発言の最後は、こうなっていた。

「北の方はリタニ川まで、東の方はゴラン高原まで、ほんの少し国境線を広げれば、イスラエルの領土は、それほど狭くはない」

 リタニ川の方は今、イスラエルが占領地に勝手に設定したレバノン南部の「安全保障地帯」に含まれている。ゴラン高原の方は「併合」宣言下にある。ともに連合国総会の非難決議の対象であるが、ダブルスタンダード超大国、アメリカは、何らの行動も起こさないどころか、安全保障理事会では拒否権を行使してイスラエルを援護している。

 ともかく、イスラエルは今、一九四〇年の“ユダヤ国民基金”総裁の発言の通りに、実質的な領土拡大を実現しているのである。なぜ、国際世論を敵に回してまでそうするかと言えば、領土の広さの問題だけではなくて、リタニ川もゴラン高原も、水源地帯だからである。

 しかも、この両地帯をイスラエル国家の領土内に確保しようという考えは、一九四〇年どころか、一世紀以上も前からのシオニストの構想だったのである。

 とりあえず最寄りの資料だけを紹介して置く。

 通産省の外郭団体で財団法人の中東経済研究所が発行している『現代中東研究』には、三つの専門論文が載っている。「ヨルダン川水系に於ける水資源開発と国際水利権紛争について」(9号、91・8)

「イスラエルとパレスチナの水資源」(12号、93・2)

「シリア被占領地ゴラン高原」(13号、93・8)

 国立国会図書館調査立法考査局が発行する『レファレンス』は、折々の国際的な政治課題を予測しながら特集を組んでいるが、そこにも、五三頁にわたる論文が掲載されている。

「中東の水と平和~イスラエル・パレスチナ水資源管理をめぐる対話」(通巻第五三八号、95・11・15)

 シオニストの構想は、まず、周囲のアラブ諸国との力関係から見て、それと十分に対抗できるだけの国民皆兵国家を建設するための人口、約四五〇万人の確保であった。さらには、その人口を養う食料の自給が可能な耕地面積、そこへの灌漑、水資源地帯の確保という順序で、リタニ川とゴラン高原は、重要な戦略的獲得目標に設定された。右の「ヨルダン川水系に於ける水資源開発と国際水利権紛争について」と題する論文では、つぎのように、この経過を要約している。

「一八六七年に早くもパレスチナの開発基金を集めた創世期のシオニストの運動組織は、パレスチナの天然資源を調査するための技術調査団を派遣した。一八七一年の報告書では、ネゲブ砂漠を含むパレスチナは数百万人の人口を移住させる可能性を有し、そのためには北部の豊富な水資源を乾燥した南部へ導水しなければならないことを指摘している」

 シオニストは、一九一七年のバルフォア「意志表示」以前から、国際談合で、この北部の水資源地帯がイギリスの委任統治の範囲に入るように画策したが、それは果たせず、フランスの委任統治地域に入ってしまった。それが現在の国境線にもなっているのである。

 では、なぜ、以上のような歴史的事実を記載する論文が、通産省の外郭団体の雑誌などに載っているかといえば、現在、日本の企業集団が、「イスラエルとパレスチナの水資源」に関して、巨大プロジェクトを売り込み中だからである。

 日本側の売り込みが最初に具体化し始めたのは、チグリス・ユーフラテス両大河の水源でもあるトルコの山岳地帯を出発点とし、クウェイトを終点とするコンクリートのパイプ・ライン計画だった。だが、こちらはトルコの政変で棚上げのままになっている。現在、最も有力とされているのは、地中海から四百米の落差のある死海に海水を導く水路を堀り、その途中に逆浸透膜による浄水化工場を設置する計画である。農業用水確保と同時に、かねてからの懸案の塩工業プラント建設も展望されている。売り文句は「二一世紀プロジェクト」などとなっているが、イスラエル側が日本のODA予算を狙っていることは見え見えである。暗殺されたラビン首相も、その直前、日本に来た。『マルコポーロ』廃刊事件の背景に、外務省だけでなく通産省の圧力を見る向きもある。

 本書には、この間の底流の一端を伝える二つの資料が紹介されている。第一は、『キヴーニム』(82・2)掲載論文、「一九八〇年代のためのイスラエルの戦略計画」(一五五頁上段)であり、第二は、『ニューヨーク・タイムズ』(81・12・1)掲載、ベギン政権のシャロン国防大臣とワインバーガー米国防長官が“戦略的協力”計画を語った会見の記事(同前二七〇頁)である。

 湾岸戦争の主役を演じたシュワルツコフ指揮下の中央軍の前身は、緊急展開統合機動軍であるが、私は、旧著『湾岸報道に偽りあり』の中で、この機動軍の形成が一九八〇年に方向付けられたことを立証するアメリカ議会の特別委員会議会記録の存在を指摘した。本文が三六八頁にも達する議事録そのものも、三〇〇部自費出版で頒布した。伏せ字の多い議事録には、日本の掃海艇派遣に関する報告も入っている。

 ゴラン高原出兵にいたる経過には、まだまだ深い秘密の交渉経過が潜んでいるのである。

 第四は、本訳書の一八八頁一四行以下で論じらている「芸術作品」の問題である。

 特にフランスの場合、アラン・レネの『夜と霧』は、すべての小学生が教室で見せられたそうだが、その問題点は、本書で指摘されている「九百万人」だけではない。

 この「ノンフィクション」には、本書にも出てくる「人間石鹸」の工場が出現する。それも、頭と胴体が切り離されて、大きな容器に並べられている「動かないシーン」、つまり、誰かが撮影した写真が出てくるのである。「人間石鹸」という話自体が否定されているのだから、当然、この写真は捏造である。もう一つは、ベルゲン・ベルゼンでイギリス軍が撮影した死体処理の映像の使用方法である。この8ミリの映像は、多くのドキュメンタリーで使われている。ハリウッド製の映画、『ニュルンベルグ裁判』の場合には、検事の説明が入り、NHKの放送衛星では字幕に、「衛生上の理由から英軍はブルドーザーで」となっていた。ところが、『夜と霧』では、このシーンに何らの説明も付けていない。観客は、当然ながら、ナチ親衛隊の作業だと思い込む。

 私自身、日本国内での会合で、このシーンについて某著名映画評論家が、「ナチ親衛隊が撮影した極秘のフィルム」という説明を加えたのを聞いて、非常に驚いた経験がある。これはぜひとも大声で事実を語らなくてはと思ったほど、根深い影響力を持ち続ける歴史の捏造である。私は、この種のごまかし、または思い込みによる錯覚報道を、結果から見て、すべて「映像詐欺」と呼ぶことにしている。

 これらの疑問と問題点の数々、および本書の記述の細部についての意見も含めて、私自身、稿を改め、『アウシュヴィッツの争点』の続編で論ずる予定である。とりあえず、ここで確認しておきたいのは、つぎの基本的認識である。

1、「ホロコースト」物語が、たとえ本当であっても、それは(いわゆる)ユダヤ人がパレスチナに建国する根拠にはなりえなかったのだということである。

2、「ホロコースト」物語の真偽に関しても、ユダヤ人の血統に関しても、古代ユダヤ・イスラエル王国の所在に関しても、完全な研究と発言の自由が保証されなければならないということである。

3、これらの問題に関する論争の状況を、メディアは、科学的に検証された事実にもとづいて、正確に報道すべきだということである。

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