自治労音協通信

 2面  NO46号/2001.12.15発行

わがまま音楽紀行(連載第16回)★タイ編その2

大阪市職労 宮本雄一郎

タイの本屋には日本のマンガ全盛         

1 日本は秋模様です

同時多発テロや報復攻撃、狂牛病、不況などなど、世界中が真っ暗闇に突入という雰囲気の今日この頃ですが、とりあえず日本は全国的に秋ですね。会員の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私は相変わらず職場と保育所を往復しながら、音楽や家庭や学校やに毎日ドタバタと走り回っています。たまにはギター音楽などを聴きながら秋の名月でも眺めて、俗世間から離れるくらいの余裕が欲しいのですが、どうもそんな余裕とは無縁の生活が続くようです。例によって今回もわがままにあちらこちらと話が飛びますが、見捨てずによろしくお付き合いの程お願いします。

2 アルバム作りは後悔 とのたたかい

今年の6月にライブをしてから、ここ数年間に書きためた曲を実際の音にしてみようと思い立ちました。友人の協力を得て、現在、アルバム製作に入っています。ところで、一度でも実際にアルバム作りをしたことのある人なら、「自主製作アルバムなんてもう二度とごめんだ」と言って逃げ出すのではないでしょうか。手間ばかりかかって、何の得にもならないような作業に熱中するのは、よほど暇を持て余しているか音楽に狂っている人間のやることとしか思えないからです。
アルバム作りの過程を順に並べてみましょう。まずは自作の曲を整理して、その楽譜と歌詞カードを作ることから始まります。同時にデモテープを作ってバンドメンバーに配ります。次にメンバーを集めて、レコーディングの打ち合わせのような宴会のようなミーティングを開きます。こういう作業初期の時期はまだ夢いっぱいですから、仲間と集まってああだこうだと好き勝手なことを言って気分は高揚の中にあります。
それから実際の練習に入って音を出します。演奏してみて曲の構成を変更し、いわゆるアレンジをしていきます。イントロの入り方とメロディー、間奏や後奏、コーラス、エンディングの構成などがどんどん変わっていきます。このアレンジが大変です。私にとって、アレンジをすることは、ひとつの曲を完成することよりも数倍の労力を使います。心底疲れ果てる作業なのです。この段階になるとレコーディングは楽しみよりも、苦しみの方が比重が大きくなってきます。やっぱりやめとけばよかったなあ、と後悔の念が湧いてきます。後悔とのたたかいの時期にさしかかったのです。
ふと、いつも自分が何気無く聞き流しているありふれた音楽、その音楽が実際に音となって私の耳に届くまでに、どれほどの時間と労力がかかっているか、そのことに思いが至ります。聞いているときは何でもなく平凡に聞こえる音楽、実際にはその「何でもない」「平凡な」ということこそが大変なことなのです。
さて、アルバム作りは音楽のことだけを考えていては進みません。各曲やアルバムのタイトルの決定、実際のレコーディングの進行やミックスダウンからマザーCDの製作、CDのプレスの手配、ジャケットやレーベルのデザイン、解説の執筆、写真、それら全般にわたる様々な支払いの会計など、これでもかというように雑用が押し寄せてきます。こうしていつのまにか音楽は苦しいだけの「義務的労働」に変わってしまう時期がきます。
ときどき「いったい何のためにこんな無駄なことを続けているんやろ?」と自問します。お金のため?ノーです。名誉や体裁のため?ノーです。それでは自分の楽しみのため?そうかもしれません。答えはありません。結局これは音楽の魔力ということになるのでしょう。
私のような素人にとってのアルバム作りとは、未知の世界であり、手探りの状態で進んでいくしか道はありません。今回のアルバム作りが一段落したら、いっそ「誰にでもできるアルバム作り」という本でも出してやろうかなどと考えています。音楽というのはやっぱり魔物です。

3 マレー半島を行く

前号ではタイの旅の途中まで行きました。ここで話は突然飛んで、東南アジアのマレー半島を南から北へ縦断する旅に向かいます。どうぞよろしく。今年の9月、またも東南アジアの旅に出かけました。シンガポールからマレーシアを北上してタイに抜けるのです。
実は旅行社の中で航空券がもっとも安かった大手旅行社で格安チケットを予約していたのですが、出発の3日前になって席が取れないという連絡がありました。旅行社から「チケットは取れませんでした」と宣告されたときには旅行をあきらめかけたのですが、もう年休届を出した後です。今さら年休を取り消す気にもなりません。とにかくあたってみようとその日のうちに旅行社を2社回りました。そして、ぎりぎりの時間でチケットを確保し、9月6日の夜にシンガポールへ飛び立ちました。
格安チケットというのは必ず安いなりの理由があるものです。私の手に入れたチケットの場合は、深夜にシンガポールに入り、深夜にバンコクから出るという不便な時間帯がその理由でした。木曜日の夜中にシンガポールに着いて、空港で入国手続きを済ませます。赤道直下のシンガポールは、夜でもどこからか南国の香りが漂ってくるようです。
ガランとしたチャンギ空港内で唯一開いているのは銀行です。ここで現地通貨のドルに両替を済ませ、荷物を背負ってタクシーに乗ります。深夜はタクシーしか足はないのです。格安チケットはやはりそれなりのものと実感し、「この次からは安いチケットはやめとこう」という考えがちらりと頭に浮かびます。さいわいシンガポールは安全な国ですから、夜中でも危険はありません。運転手は年配の中国系の男性です。タクシーには英語のラジオ放送が静かに流れています。
この時、私はまだ泊まる場所も決まっていませんでした。まず寝るところから探さなければなりません。一流ホテルなら日本からでも予約できるのです。しかし、シンガポールは物価の高い国です。格安チケットで飛びながら、日本で予約したホテルに宿泊するくらいなら、最初から格安チケットに乗らなければいいのです。
私は祈るような気持ちで「今からホテルを探すんですが、安くていいホテルはないでしょうか」と運転手に片言の英語で話しかけます。運ちゃんは何か返事をしているのですが、聞き取れません。私の英語がまずいのか、運ちゃんのがまずいのか、あるいはその両方なのか、言葉が通じません。タクシーは真っ暗な道を走っていきます。今度は中国語で話しかけると、なまりのある言葉で「ホテルならいっぱいある」と返事が返ってきました。言葉が通じます。
それまで不安いっぱいだったのが、言葉が通じた瞬間に不安が吹き飛びました。「中国語が分かるんですね」「わかる。あんたはどこからじゃ」「日本からです」「どこへ行くんじゃ」「あのう、ホテルを探してるんです。泊まれるところへお願いします」「ホテルなんてどこにでもあるのじゃが」「どこでもいいです。泊まれれば」「この近くにもあるよ。値段も安い」「それならよろしくお願いします」「あいよ」と話をしながら、タクシーはシンガポールの夜の街を走っていきます。さてさて、私はこれからどこへ行くのでしょうか。 (つづく)

庶民の足はトゥクトゥク(乗合いトラック)約30円

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