自治労音協通信

   NO22号/97.6.1発行 3面

『私の音楽活動』

バイオリンとともに/オーケストラ活動とのかかわり

 報告/田中路男(群馬県笠懸町職)

 地元のアマオーケストラ「桐生交響楽団」(桐響)に入って今年で9年目。結成当時からの団員であることが小さな自慢だ。何か音楽的な活動に携わりたくて日音協での活動を始めたのが、桐響結成の1年前なので、桐響があと2年早くできていれば、日音協などという野暮な世界には入らなくてすんだのになあと、返す返すも残念である。

 オケの練習は、毎週土曜日の晩に桐生市内の地区公民館で約2時間やっている。団員数は約40名。せっかくの週休2日制なのに、練習があるために週末旅行はまったくできない。まあその分出費もないが・・・。私の担当楽器は、ご存知バイオリン(Vn)で、とりあえずそれしかできない。ビオラや管楽器などの他の楽器もやってみたいが、忙しくて当分はだめだろう。それに、チェロやコンバスは置き場所に困るし、移動もやっかいだ。

 私がVnを習い始めたのは4才のときである。家から歩いて5分のところにVn教室があったのは幸運で、当時としては比較的音楽好きだった母が、私が物心つかぬうちから通わせてくれたのだ。街中なので、お稽古事としてピアノを習う子はけっこういたが、Vnは少なかった。「へえ、バイオリンをやっているの。すごいねえ」などと周囲の大人たちから言われるのが子ども心にうれしくて、励みになった。学芸会などでは珍重されてギーギーとよく弾いたものだ。また、運動嫌いで食べ物の好き嫌いの激しい私は、よくいじめられもしたが、Vnの取り柄のおかげで、いじめぬかれることはなかった。精神的に大きな財産であった。

 一方、失敗もある。Vnだけでなく、せめて2年間ぐらいピアノを習っておけば、群大の音楽課に入学して音楽教諭の免許を取り、どこかの中学あたりの音楽教師になって、授業中は適当にレコード鑑賞などにして、優雅にスマートに生活できていたのではないかと思うのだ。

 さて、本題に入ろう。桐響は年1回、定期演奏会を開いてきて、昨年が8年目であった。たまたま、桐生市の文化会館が老朽化して建て直されることになり、平成9年が竣工ということから、桐響結成9年目とかにひっかけて、オープン記念のコンサートに、桐響によ「第九」ゐやれないかという話が興り、私をはじめ、一同色めきたった。このときの桐響の団長は、地元の予備校の英語講師で、フルートとティンパニー奏者であり、娘2人を桐朋音大へやり、世界での活躍をめざしつつ、地域の音楽文化の向上も図るという崇高な目標を持った方だったので、実行委員会を引き受けて、トレーナーも招くという熱の入れようだった。しかし、である。第九といえば大曲である。通常の桐響のメンバーだけでは質・量ともに手不足は明かで、周囲のオケから何人もの助っ人を頼まねばならず、桐響の中味が相当に水増しされることが明白となった。加えて、きつい練習に直面して、技能向上を目指す団員と、とにかく楽しくなければ意味がないという団員との間での対立が表面化してきた。私は中間派。こういうことは、どこのオケでも組織拡大に伴って必ず通る道なのだろうが、桐響の場合、詳しくはヤバイので書かないが、通常活動との整合やカネの問題、イニシアティブの問題などで紛糾し、団長が交代する事態となった。まあ、見通しがあまかったということだろう。旧団長は退団し、団とはケンカ別れのようになってしまった。

 とにかく桐生市さんには「やります」と言ってある手前、ひっこみがつかず、そうかといって、当初計画の実行は日がたつにつれて無理とわかっていった。そこで「桐響」の看板をはずし、桐響団員を含む祝典合奏団を一時的に編成して行なうことになり、私は賛成した。さらに全楽章の演奏はあきらめ、一・四楽章だけをやろうということになった。クラッシック音楽は1曲であるから私は嫌だったが、自分の技量と図って承諾した。ところが1ヶ月後には四楽章だけという話になった。これはたまらない。第九は合唱の入る四楽章がメインなのだろうが、楽器奏者の私としては、深遠で哀調な一楽章をこそやりたい。四楽章は、合唱が始まればVnの音などはソプラノの声にかき消されてしまうし、客の目が歌の方にいってしまうのだ(三楽章は寝ている)。寂しい…。こうなると、もう演奏会ではなくセレモニーの一部である。

 こういう次第で、5月11日の”本番”に向けての体制ができた。私は第二Vnをやることにした。ベートーベンは共和主義者なので、すべてのパートに必ず華を持たせるそうだから、どのパートも疲れる。以前、第九の合唱に参加したとき、前方の第二Vnがびんびんに弾いていたのがカッコ良く見えたので、自分で決めたのだ。難しい部分は、第一Vnよりも第二Vnの方が先にやってくる。本来のテンポで弾くと、その速さに驚かされる。いや、速い速い。素人に毛の生えたような程度ではついていけない。毎日コンスタントに練習できればいいのだが、けっこう仕事も多忙なので、帰宅してバタンキュということが多かった。特別編成のオケだから、私よりずっと上手な人も来てくれていたので、そういう人たちは前列に出せば多少やりやすくなるが、助っ人は遠慮して後部に控えるのがエチケットなので、私が最前列である。本番が迫るにつれて、手抜きの要領と度胸はついていった。合唱部分はさらりと流し、間の手は気張ってポーズで弾こうという気になっていった。この間、風邪をひかないように充分注意する一方、本番当日に突発の仕事などが入らぬよう、役場で段取りを付けた。

 本番は、指揮は群響の沼尻さん。4人のソリストは全員プロ。始まってしまえばあっという間である。けっこう客の顔を見る余裕はあった。前から2列目に役場の町長が招待されていて、あくびをしたのがわかった。合わせの重要ポイントでは指揮者をにらみつけ、コンマスの弓の動きを横目にひっかけ、耳でファゴットなどを聴いていた。マーチの部分に突入する直前で拍手が入ったのにはびっくりした。

 今は、とにかくほっとしている。ベートーベンは当分いやだ。私にはバッハやビバルディーがやっぱりいい。次の定演の曲目が決まるまでは、オケのことは考えたくない。そうだ、私の趣味は他にもある。信越線に乗りに行こう。夏の自治労の交流集会は…。ああ眠くなってきた。

●タイトルページに戻る ●22号目次ページに戻る●1ページに戻る●前ページに戻る