木村愛二の生活と意見 2003年8月 1件のみ

『バカの壁』馬鹿受け状況下「馬鹿」再考し「利口」な養老猛司「名誉教授」大誤訳「癖」情報で納得

2003年8月4日(日曜日)

 かなり前から、時折、新聞の短い囲み記事に登場していた解剖医で、今回、調べてみれば、私と同年齢の東大名誉教授、養老猛司の新著、『バカの壁』が、ベストセラーとか聞いた。ベストセラーとは、羨ましい限りである。結構なことで、別に、やっかんだり、足を引っ張りたいなどとは、毛頭思わない。

 ところが、何と、この薄っぺらな新書の本を巡って、わがデスクトップとかの電網空間の世界では、大変な事態が生じたのである。簡単に言うと、電網情報の嵐が吹き荒れたのである。あれよ、あれよ、という騒ぎであった。

 私は、一度も会ったことはないが、養老猛司の新聞コラム記事を、何度か読んだし、関連の知識はあるから、書評だけ見れば、内容の大体の見当は付く。書評によれば、『唯脳論』という著書もあるらしい。ただし、「東京大学名誉教授」などという肩書きの人種は、何人も面識があるが、あまり信用していない。だから、「文は人なり」の判断も加えて、少し薄味だな、とは思っていた。

 ともかく、今は忙しいから、急ぐまい。いかに安い値段の新書だからと言って、研究室どころか、まともな書庫もない現状ゆえに、これ以上の本を買う気は毛頭ない。この種のベストセラーの通弊として、公共図書館での注文殺到の結果、その内に有り余るだろうから、そうなったら、やおら借りて、ゆっくり読もうかと、頭の隅に予定して置いた。それでも、読みたい本も、録画したままのヴィデオも、沢山あるから、いつのことになることやら、自分でも、皆目見当が付かなかった。

 とりあえずの位置付けとして、『バカの壁』の馬鹿受けは、題名だけの勝利でなくて、一般にも関連の知識への理解が進展している状況の反映と考える。しかし、研究と理解が進むことは、「馬鹿は死ななきゃ直らない!」の病(やまい)、または業(ごう)の解決には、毫(ごう)も、つながらない。仕組みの理解と仕組みの制御とは、関係はあるが、理解できた理屈の通りに制御できるわけではない

 私自身は、梅雨明けの遅い夏の気怠さを堪えつつ、すでに発表予告をしてしまった単行本、『イラク「戦争」は何だったか』の中に組み込むことを予定しつつ、9年前のわが湾岸戦争法廷証言の増訂による転載を準備しつつ、「ああ、馬鹿だなあ」と何度も思いつつ、その傍ら、制御などは不可能な「脳」の方が勝手に、わが自意識の中心部には何の断りもなしに、分裂症的に、「バカ」などと片仮名語にして語感を緩める向きに反発しつつ、わが大好きな「馬鹿」という言葉に関して、隅の方の一区画で反芻しつつあるのを、かすかに感じつつ、数週間を過ごしていた。

 私自身の「馬鹿」の基本的な原因は、裸の猿で特別に発達した脳(脳幹)を中心とする神経の活動が、養老が説くように、適当な壁を築いて、そこで思考停止するからではなくて、その逆に、絶対、金輪際、停止しないからなのである。同じ音読みの「ヘキ」でも、「カベ」ではなくて、「クセ」の「癖」の方が、高じてしまうから、高飛びで、いかなる「壁」をも、簡単に乗り越えてしまうのである。

 そんなことを、わが脳の片隅が、勝手に、うつらうつら考えていたところへ、友人が、「これ贈呈本だけど、先に読まない」と、薄っぺらな新書の『バカの壁』を届けてくれた。

 仕方ない、ともかく、めくると、ありゃ、こりゃ、何じゃ、解剖学専門の医学博士だというから、一般には「頭脳」として理解されている装置が、実は、脳だけでなくて全身に張り巡らされた神経の複合体であり、末端の反射神経の作用をも含む記憶装置、総合司令部であることには、まるで触れていない

 実は、この点こそが、これは単なる自称ではなくて高校時代の友人が名付けてくれたわが「雑学博士」の最近の興味の的だったのであるが、これがない。面白くも、おかしくもない。

 うむ、またしても仕方ない、よくあることで、肩書きで本を売るのが大手出版社の最も安全な商法である。要するに、出版社の仕掛けに乗せられた解剖学専門の医学博士が、その博識を披瀝して、一般教養書をも出し始めたのだな、と諦めて、さらに、ぱらぱら、めくる。

 すると、p.18.「現実とは何か」の小見出しあり、中身の中心は、p.19.「テロ」、つまり、私が「自作自演の戦争挑発謀略」として追究中の911事件のことである。簡単に「テロ」と名付ける向きに対して、私は、厳しい批判をしている。これが私の最新の言論人向け「試金石」である。

 もう一つの数年来のわが「試金石」、「ホロコーストの大嘘」理解に関しては、p.109.「フランクル」が出てきた。日本語訳で名が売れた『夜と霧』の著者のことであり、現象としては、これを金科玉条とする偽善系への盲従である。こりゃあ、何じゃ、わが試金石による検査は、二つとも落第や。

 ただし、少しは頂ける部分もある。

 p.21.「NHKは神か」、「客観的事実が存在する」信仰の領域、代表、NHKの報道は「公正、客観、中立」がモットーである、と「堂々と唱えています」などとある。

 NHK批判は、似非紳士代表の朝日新聞もやるし、やっている連中が多いから、さして、世間を狭くはしない。しかし、この部分に関しても、『電波メディアの神話』などの著者として、私は、一応、編集者の分担としての資料調査不足をも含めた疑問を呈する。NHKが依拠する放送法では、「公正、客観、中立」ではなくて、「公正原則」である。一般にも「公共性」「不偏不党」「公平」「中立」などが「原則」であって、「客観」は、報道手法の一種でしかない。

 もっと単純な下世話なところでは、p.57.「君子豹変」は悪口か、がある。「過ちだと知れば、すぐに改め、善に移る」という意味としているが、これは一般向けの通俗的な解釈である。そこらにころがっている解説を、適当に、ぱくったのであろう。これだと、「豹」という言葉が、「すぐに」の意味であるかのように取られてしまう。

「解剖学者」ならば、もっと詳しく、「動物学」にも接近すべきである。豹の毛皮は、非常な貴重品、高級品で、昔は、身分による使用制限もあった。古代から、裸の猿は、豹の毛皮の変化を知り尽くしていたのである。その含蓄がなければ、面白くない。しかも、今では、調べる気にさえなれば、実に簡単で、以下のような「君子豹変」の検索で、一発出てくる電網情報もある。

---------- 引用ここから ----------
http://www.asahi-net.or.jp/~zx5n-ysmt/2470essay.htm
[中略]
「易経」革卦篇の「君子豹変、小人革面」ってのがあるそうで、物の本によると、「豹の毛が季節によって抜け変わり、斑文も美しくなるように、君子は時代に適応して自己を変革する」って書いてある。
で、下の句の「小人革面」は、「つまらんヤツは、表面だけをあらため(革)る」って意味なんでしょうねぇ。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 で、この本の中心の「バカ」の中芯部分は、「一元論」であるが、これも、批判の対象は宗教だけで、共和主義とか、社会主義とか、共産主義とか、近代の社会思想と称する「一元論」の弊害、全体主義、独裁主義、主義主張などへの論究はない。こりゃあ、まるっきりの腰抜けじゃ。

 私の「敵」は、むしろ、「馬鹿」ではなくて、「利口」な、または、「悪口」として言うのならば、「小利口」で世渡り上手の下司根性である。養老は、やはり、「利口」な世渡り上手の部類のよう(養)であろう(老)かな。

 「馬鹿」を「低脳」と同一視する薄っぺらな「優等生」の典型なのである。だから、「バカ」などと片仮名語で緩めて、誤魔化しているのである。私は、「コリコウ・ゴロツキの壁」の方の危険を重視する。

 で、これと比較すべく、わが頭脳の片隅が、勝手に、ほじくり出していた「馬鹿」に関する旧文を、以下の電網検索で、実に簡単に発見できた。

---------- 引用ここから ----------
全言語のページから馬鹿正直、木村愛二、弁護士を検索しました。約3件中1- 2件目 ・検索にかかった時間0.08秒

http://www.jca.apc.org/~altmedka/d-1-3-28-3.html
電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館
2001.3.28.(水)「東大に史上最もアホな助教授着任」への「ちゃんとした馬鹿」からの鼻向けの辞
送信日時 : 2001年 3月 28日 水曜日 2:13 PM
件名 : [pmn 14046] Re: 客員助教授鼻向けの辞

> From: "下村健一"
> Date: Wed, 28 Mar 2001 10:28:50 +0900
> Subject: [pmn 14040] 客員助教授着任の御挨拶
> 来月から副業として、東大で客員助教授をやることになりました。
> 放送のサブタイトルは、「東大に史上最もアホな助教授着任」です。
> 東大も、本気で変わろうとしているのかな、とちょっぴりワクワク。

 民衆のメディア連絡会周辺から自称「史上最もアホな助教授」が出現する時期になったことを、喜び、鼻向けの辞を呈します。

 まず、「アホ」に関しては、別途の電子手紙広場で、私が末端組合員の出版ネッツ所属の大阪の漫画家が、「ちゃんとしたあほう」を自称されました。それへのわが返信を再録します。

 ちゃんとした馬鹿の木村愛二です。

 いや、いや、ひさびさに痛快な電子手紙に接しました。私は長らく東京にいますが、江戸時代には九州にいた家系ですから、東京にいながらも猛然と東京の偽善に反発し、悪口ばかり言うもので、毎日のように敵が増えるのです。絵が下手なので、漫画家にはなれないのが残念ですが、漫画を書いても同じ結果に成るでしょう。

 で、関西とは言っても、京都と大阪では、かなり人情に違いがあるようですが、やはり、「ちゃんとしたあほ」なんて言葉は、造語能力を失って片仮名語を多用する 「NOと言えない腰抜け」植民地の東京では出てきません。

 以下、取り急ぎ、東京周辺の「馬鹿」についてのみ、一言します。

 私が東京地方(痴呆に近い)争議団共闘会議の副議長として、女性が多い「独り争議」の担当をしていたころ、先輩争議団のカンパを有効に使って、千葉の外れの大きなホテルで、勉強会を開きました。恒例の二次会で、私が、「ここに集まっているのは、止せば良いのに逆らって首を切られて、止せば良いのに裁判やったり、馬鹿ばかり」と言ったら、当然のことながら、身に覚えのある当事者たちは、喜んで大笑いとなりました。

 ところが、何時の間にか職権を乱用して潜り込んでいた事務局長で「女性に優しい」500人もの大型倒産金属争議団の書記長が、「木村さん、倒産争議だって、馬鹿と赤(あか)の集まりだと言われていますよ」と言いました。私が即座に、「赤でも利口なのは逃げたでしょ」と切り返すと、やはり彼は、「そう言えば、設計士が逃げたな」と答えました。私は、「だから、残ったのは馬鹿ばかりなんだ」と、締めました。

 ところが、ところが、私の争議の裁判の最終準備書面作りの泊まり込みで、私よりも若い弁護士たちと、寝る前に飲んでいた際、この話をしたら、一番若いのが、真剣な顔を上げて、おそるおそる、「木村さん、お言葉ですが、私たちが支援している労働者を、馬鹿などと言わないで下さい」と来たものでした。「馬鹿正直」(私は、そう表現するのは内心忸怩)のニュアンスを教えて、その場は、お開きとなりましたが、もうこれ以上は注釈しなくても、私の言いたいことは、お分かりになるでしょう。

 次に、失礼ながら、「東大も、本気で変わろうとしているのかな」とは、やはり、かなり甘いのではないでしょうか。私が若くして民放労連の関東甲信越地連執行委員として、放送問題を担当した頃には、当時の東大新聞研究所の教授や助教授が、常連の講師団でした。稲葉さんは、総評を中心勢力とする国民会議の理論的指導者でもありました。

 いわゆる体制というものは、実に懐が広いもので、だからこそ、永続きしているのです。日本の古代では、坊主などが、今のアカデミー業界の商売人の役割を果たしていました。私は今、カール・マルクスを、暴力革命思想を脱却できなかったとして徹底批判を始めましたが、当時のプロイセン王国は、マルクスにベルリン大学の教授の椅子を提供したそうです。マルクスは、それを蹴ったことで、根性を示したのですが、 別に革命家を気取ったこともない下村さんには、そこまでは勧めません。

 自称『憎まれ愚痴』編集長としては、これくらいの苦言を呈しないと、かえって、 意地悪な横目で見ているのかなどと、ひがまれかねないので、一言しました。ミイラ 取りがミイラに成らないように、頑張って下さい。
---------- 引用ここまで ----------

 私は、このように「馬鹿」が大好きで、「コリコウ・ゴロツキの壁」の方の危険を重視する。

 そこで、養老猛司への疑問が募り、約一週間前、暇を盗んでは、この日記風の準備作業と称して、自分を納得させ、以下の電網検索を実施し、またもや、ありゃま、こりゃま、となったのである。

---------- 引用ここから ----------
全言語のページから、著を検索しました。
約134件中1-100件目・検索にかかった時間0.28秒

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/yoro.html
養老孟司について 黒木 玄
2001年5月31日更新 (2001年5月29日公開)
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 これが、実に興味深い電網宝庫記事なのであるが、何と、昨日(2003.08.03)、消え失せているのである。消え失せた理由は、まったく分からないし、「黒木玄」を探し求める気もない。電網記録を入手したのは、嘘偽りではない。ああ、これ、電網怪談かな。しかし、何度か同じ現象を経験しているので、即座に再び、以下の検索をした。見事、的中せり。取り込んで置いた記事の中から選ぶ出した鍵言葉は、やはり、滅多にない特有のものだった。


---------- 引用ここから ----------
日本語のページからevolve ML, 7527を検索しました。 約2件中1 - 1件目・検索にかかった時間0.11秒

養老孟司について
... 現在品切中のようだが、図書館などで見掛けたときには注意を払った方が良いだろう。その理由は evolve ML の 7527 番の記事に転載された太田邦昌による次の批判を読めばわかる: 太田邦昌、「マイアーさんの思想 VS ...

www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/yoro.html - 14k - キャッシュ - 関連ページ


 上記の「キャッシュ」とは、グーグル検索の業者の保存版である。URLは複雑になっているが、以下のような中身は、まったく同じである。なお、以下は抜粋であるが、これを抜粋して再録する理由の一つは、最後に紹介する。上記のような、「消え失せた理由は、まったく分からない」という問題もあるからである。


http://216.239.57.104/search?q=cache:J1STND5uhTsJ:www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/yoro.html+evolve+ML,+7527&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&inlang=ja
養老孟司について 黒木 玄
2001年5月31日更新 (2001年5月29日公開)

 [中略]

養老孟司の大誤訳

 [中略]
養老孟司訳、エルンスト・マイアー著、『ダーウィン進化論の現在』、岩波書店、1994 は大誤訳だらけなので要注意である。現在品切中のようだが、図書館などで見掛けたときには注意を払った方が良いだろう。その理由は evolve MLの7527番の記事に転載された太田邦昌による次の批判を読めばわかる:

太田邦昌、「マイアーさんの思想 VS.養老孟司訳(1994)『ダーウィン進化論の現在』」、昆虫分類学若手懇談会ニュース、 No.76 (20/July/2000)、 pp.3-6、昆虫分類学若手懇談会事務局 (大阪府大・農学生命科学・応用昆虫学教室)

これを読むと、養老孟司はマイアーの基本的立場を理解してないどころか、進化生物学のイロハも知らずに進化論の本を訳してしまっている可能性があることがわかる。以下は太田による養老批判の紹介である。

マイアーと言えば「本質主義 (essentialism) 批判」と「種の実在論」で有名である。例えば、 46頁では「唯名論者……とは対照的に、今日に至るまでナチュラリストたちは種の実在をつねに一貫して支持してきた」とマイアーの主張が正しく訳されている。

ところが、養老孟司はキーワードの一つである "essentialism" を何十箇所にも亘って全部“実在論”と訳してしまっている (11、 45、 62~77、 117、 133~143、 159、 197~199頁)。そのせいで、上に示した部分以外の箇所では、マイアーが一貫して種の実在論を否定しているかのように訳されてしまっているのだ。例えば、 65頁では「実在論者にとって、進化はありえない」などと訳されてしまっている。これは大大大誤訳である。

以上によって養老孟司はマイアーの基本的立場を何も理解せずに、デタラメな翻訳をすることによって、マイアーに関する誤解を広めることに貢献していることがわかる。

さらに、養老はダーウィン進化論のイロハさえ理解してない可能性がある。
[中略]


(2019.8.11追記:以下、太田邦昌からの引用)

ダーウィン進化論の忠実な紹介を目的とした文中の文句であるにも拘らず、それを根底から覆すものとして遂に次の文句まで飛び出すに至る。曰く

“個々の生物は、自分の種に属する個体と競合するわけでなく、他種の個体と生存のためにたたかう”。

これはいくら何でもヒドイと思いつつ家に帰って原書を確かめてみると、上に挙げた諸例はやはり全て誤訳であること、特に最後の箇所(原書では p.64)は正しく訳すと、

「個々の生物は、自分自身の種の個体と競合するだけでなく、他種の個体とも生存のためにたたかう」

となるべきものであること(勿論これは全く当然の話である!)が確認された。……
[中略]。

(2019.8.11追記:太田邦昌からの引用ここまで)


ここで、養老による訳は“”で囲まれており、太田による訳は「」で囲まれていることに注意せよ。養老がもしも自然淘汰の考え方を理解していたなら、このような大誤訳をするはずがない。

太田は他に以下のような誤訳を指摘している:


養老孟司は「四足動物は肺魚に由来するかシーラカンスに由来するかといった問題」と訳すべき部分を“四足動物は肺魚に由来するかといった問題”と訳し、
 [中略]
ダーウィン時代の有名な地質学教授アダム・セジウィックのことを“地理学の教授”と呼んでいる (5頁)。
 [中略]
養老孟司はこれ以前に岩波書店で『進化のタイムテーブル』という本を訳しているが、これまた誤訳箇所が沢山あるものとして有名であった。


科学研究に対するルサンチマンと「唯脳論」?

 [中略]
『現代思想』2月臨時増刊 2001 vol.29-3、総特集「システム 生命論の未来」の「科学と私」 (8-10頁) というエッセイの中で、養老孟司は、

 それでも大学で給料を貰えたのは、科学者のフリくらいはしたからであろう。論文らしきものも書いた。しかしその興味がとことん自分に発したものでないかぎり、本当にはうまくいかない。借り着は身につかない。いまは教師のフリをしているが、このほうが楽である。

だとか、

 科学は個人的営為か。これを倫理と言い換えてもいい。現代の日本社会では、倫理は世間の規則と見なされている。科学も同じで、要するに世間的なものなのである。だから「客観」評価が問題になる。評価は世間に通用するものでなければならないからである。乱暴に言えば、自分で納得がいかなくたって、世間に通用すればいい。
 私は万事を正反対に考えていた。……

のように科学研究の世界に適応できなかったことに対する愚痴と言い訳を延々と述べ続け、最後に次のように述べているのだ:

 こういう馬鹿みたいなことを考えていれば、科学もクソもないであろう。世間の人は、もっとちゃんしたことを、きちんと考えるのだと思う。ただ私の頭は、こういうことが解決しないと、考えが進まないようにできている。意識が同一性を主張する理由は、状況的には明らかである。そうでないと、脳内活動がバラバラになるからである。はふつうの人が思っているより、異質な活動を組み合わせている。それを総合する役割を持つ意識は、俺は俺だと古来から断固として主張する。そうしないと、人間の脳活動はまさしく「分裂する」に違いないのである。だから分裂病質の人は、わけのわからないことをよく考えるのであろう。自分の脳の整合性を保つのに苦労するからである。

(2019.8.12追記:赤字強調は元サイト表示)

ここで強調は引用者による。養老孟司が「唯脳論」で有名であることを思い出しながら、「脳」という言葉をどのように用いているかに注目せよ。養老孟司は自分自身のルサンチマンを「脳内活動」や「自分の脳の整合性」のような言い方で正当化しようとしているのである。

 解剖学に関して一流であり、世間でも有名人としてあれだけ認められているのだから、科学に対するルサンチマンをみっともなく垂れ流さなくても良いと思うのだが……。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------


 はい、もう、結構。上記の批判者、太田邦昌は、電網検索で、即座に出てきた。

---------- 引用ここから ----------
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/476222586X/qid%3D1056794813/sr%3D1-7/ref%3Dsr%5F1%5F2%5F7/249-8806061-3746706
[中略]
進化学 新しい総合・・・・現代動物学の課題
(著), 宮井 俊一 (著), 鈴木 邦雄 (著), 日高 敏隆 (編集)
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[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 つまり、太田邦昌は、それなりの著作もある専門家である。

 ただし、なぜか、その太田邦昌の文章を引いた上記の記事、「養老孟司について 黒木玄」の主の「黒木玄」の方は、昨日、以下の電網宝庫も消え失せていた。以下の抜粋部分のみを紹介して置くが、これがまた、翌日(もう翌日になってしまったのである)の本日、8月4日には、なぜか、復活しているのである。ああ、忙しい。

---------- 引用ここから ---------- 
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/index-j.html
黒木玄さんのウェブサイト

 [中略]
 養老孟司は科学研究について「自分で納得がいかなくたって、世間に通用すればいい」ものだと決め付けているが、そこで養老が言うところの「世間」とは一体何なのだろうか?

 現在の養老は (通常の意味での) 世間における有名人として認められているようだが、そのことにそれなりに満足しているのだろうか?

 しかし、マイアーの本などをデタラメに翻訳して害毒を流しているようでは、科学的には迷惑な人物とみなされて当然である。そして、 (通常の意味での) 世間においても科学に関しては信用できない人物であるとみなされるべきである。そうでなければ養老が広めている科学的なデタラメに騙される人が世間的に増えてしまうことになる。

 ところで、脳に関する科学的に面白い本に養老孟司の解説文がおまけて付いて来ると不快になるのは私だけだろうか?

 その本を他人にすすめるときに「但し書き」が必要になってしまう。
 [中略]
 少なくともマイアーの本のデタラメな翻訳を行なったという実績があるというのは事実である。

 個人的には養老孟司に一般向けの科学雑誌が原稿を好んで依頼しているという事態は非常に奇妙なことだと思う。どのような人たちが養老孟司に“リスペクト”を表明しているか、逆にどのような人たちの活動を養老孟司が支援しているか、どのような人たちが養老孟司と一緒に本を出しているか、などなどは注意して観察しておく価値があると思う。そのあたりの動向については、掲示板に書いた「このあたりの動向について」を参照せよ。
 [中略]
色々な情報 現代の戦争の姿:米国同時テロ後の世界 [2001年9月21日]
 [中略]
連絡先
氏名:黒木玄
所属:東北大学大学院理学研究科数学専攻
住所:〒980-8578 仙台市青葉区荒巻字青葉
ファクシミリ:022-217-6400
電子メール:kuroki@math.tohoku.ac.jp
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 以上のごとく、この黒木玄も、「米国同時テロ」という表現をしているのだから、これもまた、わが試金石検査では、落第である。

 ということで、私は、今後も「馬鹿」を貫き、「コリコウ・ゴロツキの壁」を小さな「頭脳」の中に張り巡らせては、反射運動的に権力の神殿を守護する優等生どもと、戦い続けるのである。夏休みなどは無い!

 と、決意を新たにしたのだが、最後に発見したのは、以下の「閉鎖掲示板」であった。「閉鎖」の「理由は尋ねないで下さい」とあるのは、思わせぶりである。ともかく、読む。

---------- 引用ここから ---------- 
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Tmp/April_Fool_2000.html
黒木玄のウェブサイト閉鎖のお知らせ

 今まで応援して下さった皆さん、どうもありがとうございました。
 このサイトは閉鎖されました。
 理由は尋ねないで下さい。
 閉鎖掲示板だけはしばらく残しておきます。
 黒木玄
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/heisa.html
閉鎖掲示板
 [中略]
「閉鎖」してしまった掲示板に書くのも何ですが、
明日の開業を楽しみにしています。
 [中略]
くろき げん 黒木玄のウェブサイト閉鎖!!!! 2000年04月01日(土)02時04分54秒
 [中略]
管理者: 黒木玄 <kuroki@math.tohoku.ac.jp>
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 ところが、念のために見直すと、りゃ、りゃ、「閉鎖」の日付は、3年前の2000年04月01日である。エイプリルフールとかでもあろうか。よく分からん。ああ、疲れた。やはり、夏休みにする。

 以上。


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