木村愛二の生活と意見 2000年11月 から分離

文化勲章・科挙など骨董品を温存し屋上屋の誤解を重ねるバベルの塔に一発

2000.11.4.(土)(2019.6.18分離)

 昨日は文化の日とか称している日だったので、やはり何か、臍曲りの憎まれ愚痴を叩かねばなるまいと思い、2000年を期して生産中止の骨董品のワープロことワード・プロセッサー、使い慣れたる東芝ルポで入力を始めたのだが、あれやこれやと愚痴ネタが多すぎて、仕上げが遅れ、本日に繰り越した。

 主旨を要約すると、文化ッタラ、勲章ッタラ、司法試験ッタラ、古代国家さながらの科挙制度の骨董品を、その伝来の源の中国が変貌を遂げた今日もなお、後生大事に温存する日本の摩訶不思議について、少し論じてみたいのである。近頃の暗記優等生型、インターネット・バーチャル思考による文章には、言語は明瞭なれど意味は不明瞭の特徴がある。結果は、誤解の言葉の独り歩きが屋上に屋を重ねて重層をなす現代的バベルの塔である。これをしも、文化というべきなのだろうか。文化ッカ、文化ッカ、カッカ、カッカ。

返上の話はトンと聞かないお手盛り叙勲国家のお飾り文化人たち

 わが仮住まいの唯一の宅配、『日本経済新聞』(2000.11.3)にも、多分、他の商業新聞より地味ではあろうが、「秋の叙勲4632人」「輝く功績/満面の笑み」」などの見出しの記事が載っていた。32頁は、4632人全員の紹介で全面が完全に埋まっている。叙勲者の筆頭、「勲一等旭日大綬章」の受章者は参議院議長の井上裕(アイウエオ順)である。

 それでも、「勲一等旭日大綬章を受章した9人はいずれも自民党所属の閣僚経験者。越智氏は今年2月、金融検査に関する『手心』発言で辞任に追い込まれたばかり」と、一応の指摘があったり、社会面の「道を究めた受章者」の紹介の方が詳しくて写真も大きいことなどが、唯一の救いではあろうが、この「道を究めた受章者」たちも、すべて皺だらけの老人で、ゆるみっぱなしの無邪気な笑顔である。老いて幼児に戻るとは言うが、実に幼稚な喜びようである。この老人たちは日本の侵略戦争の経験者であるが、このところ、勲章を返上した話はトンと聞かなくなった

 勲章などの軍人が特に好む道具を、子供の玩具に類すると揶揄した芥川龍之介(1892-1927)は、わずか36歳で自殺した。1927年は、いわゆる大正デモクラシー崩壊期の昭和2年で、私が生まれる10年前である。昭和は戦争の時代だった。以後、軍人商売の大失敗を経ながらも、名のみの「文化国家」で復活した「文化勲章」が、この骨董品愛用国家の象徴の一つとなっている。

 文化勲章に関して私には個人的な想いがある。私を不当解雇し、総額では6,000万円の支出をしながらも最後まで正式な解雇撤回をせず、「玉虫色」終結を固執した叙勲者がいたのである。当時の社長だった小林与三次は、もう死んだが、元自治省事務次官、日本テレビの社長・会長、読売新聞の社長・会長、その途中で卒中を2度、最早、残る望みは勲章だけと世間から言われ、その通りに受賞した。その「玉虫色」和解のせいで私は、60歳から出るはずの厚生年金が受け取れず、国民年金を継ぎ足して、半分以下の金額を、44か月遅れで、やっと受け取れる直前の身である。恨み骨髄の叙勲者なのである。

 その私から見れば、いかにもお人好し風の「道を究めた受章者」たちさえ、体制お手盛り勲章国家のお飾りでしかない。戦争を知っている癖に、抵抗を知らない、愚かで哀れな人達なのである。

日本の大手新聞の論説委員の文化水準の低さに慨嘆

 同紙の1面下の「春秋」欄の冒頭は、「きょうは文化の日」だった。私は、大抵の記事を、サッと斜めにキーワード検索してから、詳しく読むか読まぬかを即断する。「イラン」とあるので、ウヌッ、「あの」首都テヘランで「アメリカに死を!」のデモが行われる国の話なら、少し読んでみようかと思ったら、つぎには、「英語parliamentがフランス語のparler」、とある。

 つい最近、この「日記風」で議会の本質を論じた際、私は、parliamentの語源がフランス語のparlementであり、歴史用語では「諸侯会議」、具体的にはルイ王朝の王家の客間だと指摘した。民主主義とかの宣伝文句を取っ払ってみれば、唯一実在し続けているのは議会であり、かつての宮廷貴族の半分がチャラチャラお飾りの野党議員と入れ替わって、つぎつぎと体制に取り込まれ、庶民を騙して続けているだけなのである。そういうことをハタミ大統領がしゃべるわけはないと思って点検したら、やはり、まるで違っていた。

 ハタミ大統領の日本の「国会での演説は、国会を意味する英語parliamentがフランス語のparler(対話)に由来するとの語源説明から始まり、それぞれの国が独自性を保ったうえで民主化を推進できるとの信念を示した」のだそうである。

 この欄の執筆者は、論説委員とかの肩書きの、いわゆるベテラン記者である。ハタミ大統領の演説を「知的で格調の高い」と大仰に評価し、「聴衆になった日本の政界の人々には、現実とは無縁の難解な文明論に聞こえたかもしれない」と締め括る。皮肉を効かせた積もりなのだろうが、何のことはない。そこらのバス停大学の政治学教授の子供騙しの西欧「民主主義」礼讃のたわごとと同じことを、イラン、イギリス、フランス、などなど、外圧混じりで、チャラチャラちりばめただけの優等生的白痴論説でしかない。

 私は、1998年1月、パリでロジェ・ガロディの裁判傍聴に参加した際、イランの反体制派の作家と知り合った。イランは、反アメリカだから面白いが、やはり、イスラム教の狂信独裁国家である。せめて、西欧の議会主義の欺瞞を暴く姿勢を示してほしいものだが、実のところ、石油産出国の元首として、石油消費国または工業国の日本の国会で演説するとなれば、日本人の西欧コンプレックスに付け込む芸当で、凡俗を煙に巻くことになるのであろうか。

 今は、国際通訳が発達したから、意味が不明瞭でも言語は明瞭な演説の解説記事ができ上がる。しかし、その元の言語が歪んだ実態の反映なのだから、分かるようで分からない。誤解の屋上に、さらに誤解の屋を重ねるバベルの塔でしかなくなるのである。

司法試験合格数の制限の科挙こそが「独占エゴ」「質の低下」なのだ!

 上記の「春秋」の冒頭部分はさらに、「日本では『知識人』という言葉が、いつの間にか死語になってしまったような気がする」と続く。「知識人」も「文化人」も気障で嫌われるから自然消滅するかもしれない。しかし、「資格人」には決定的な既得権があるから、しぶとく生き残るかもしれない。

 文化の日の前々日、2000.11.1には、日本弁護士連合会の臨時総会が開かれ、司法試験合格数を年間1千人から3千人に増やす司法審議会の方針を容認する執行部案が可決された。『日本経済新聞』(2000.11.2)によると、「委任状を含め賛成は7,437票、反対は3,425票だった」。賛成者は、「法律業務を独占する我々はエゴを排し、改革の担い手になるべきだ」と主張したらしい。反対者の論拠の中には、「経済的な犠牲は計り知れない」とか、「質が低下する」とか、があった。

 私は、自分自身の不当解雇反対闘争でも16年半、それ以外にも労組幹部として、市民運動参加者として、個人として、かなりの裁判を経験している。具体的な経験に基づく感想を先に述べると、付き合いの深い弁護士のことになってしまうので困るのだが、それでも遠慮なく言うと、意外も意外、素人目にも法律関係の知識が乏しい弁護士が多い。司法試験の合格を目指す特訓は大学の受験と同様で、試験に出る法律の丸暗記に終始している。資格を得た後には、新しい勉強をしないどころか、目の前の課題に関しても、それまでに学んでいなかった法律に、まるで目を通さず、間違いを指摘しても平気で居直る弁護士さえいた。私は彼等を法律屋と呼ぶ。人数制限のある資格人には、医者こと、医は算術屋もいるが、法律屋と同様に独占収入が確保されているから、同様に腐敗も甚だしい。

 私の考えでは、「3千人に増やす司法審議会の方針」さえも、やはり人数制限であり、特権階級の育成による支配体制強化の一環でしかない。たとえば、運転免許と、どこが違うのか。業務上の運転免許は普通免許よりも厳しいが、人数制限はない。競争に晒されるから実務で腕を磨き続けることになる。競争がない「独占」の方が「質が低下する」のである。事実、アメリカでは、桁違いに司法資格者が多くて、法律では飯が食えずに運転手をしている例もあるそうだ。

 日本でも、そうなるべきである。少なくとも、競争が激しくなれば、法律屋も医は算術屋も、「あのように」威張れなくなるであろう。威張り屋よ、去れ!