イスラエル国策映画『ショア』の欺瞞 製作意図は国の存在擁護

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために ― 論証と資料

シオニスト謀略「ガス室」は嘘だ! 本丸:「ガス室」神話

『偽イスラエル政治神話』の「訳者はしがき」から抜粋)

イスラエル国策映画『ショア』の欺瞞

 日本では、国際的な「ガス室」論争の経過を無視した時代遅れの運動が、もう一つ続いている。

『マルコポーロ』廃刊事件は、『ショア』の日本上映運動と同時発生した。偶然のようだが、戦後50年という時代背景から考えれば必然だったのかもしれない。この映画の影響も、本件の日本国内における今後の議論の上で、無視できないであろう。拙著『アウシュヴィッツの争点』でも、146-150頁で、問題点の一部を指摘しておいた。

 1974年に製作開始、1985年に完成の『ショア』には、当然のことながら、1988年にカナダの法廷に提出された「ガス室」に関する初めての法医学的鑑定報告、『ロイヒター報告』の影響は、まったく現われない。つまり、時代遅れも甚だしいのである。

(『ロイヒター報告』について、このホ-ムペ-ジでは、別途、『週刊金曜日』相手の裁判の訴状に詳しく記した)

 これまた、私自身、『ショア』の観客のみならず、上映実行委員会関係者の一部から、感情的な反発を受けた体験がある。だが、何人かと話してみて、すでに『マルコポーロ』の記事で紹介されていた『ロイヒター報告』どころか、この映画の製作意図や、監督のランズマンの経歴や思想についても、何も知らず、しかも、知ろうともしない人が多いにのは、今更ながら唖然とせざるを得なかった。いい加減を絵に描いたような大手メディア報道が、それほどに強い影響力を持っているのである。

 まずは、ランズマンがイスラエル支持のユダヤ人であり、イスラエルの存在を擁護する目的で映画を作ったのだという、最も核心的な情報が、まるで伝えられていない

 私の『ショア』初観賞は、1995年1月28日の土曜日、忘れもしない『マルコポーロ』廃刊決定発表の直前、しかも、その後に訴訟の相手となる『週刊金曜日』編集長の本多勝一から招待券が回ってきてのことであった。

 会場で配布された上映実行委員会作成の「参考資料」では、ランズマンの「映画製作」の基本的動機を、実に回りくどくも、「反植民地闘争を共に闘った仲間が硬直した言辞と態度に立てこもり、アルジェリアの独立を支持した上でイスラエルの存続を支持することが可能だということを頑として理解しようとしないのに対する、ランズマンの反論でもあったのだ」と説明していた。

 ランズマン「3部作」の題名を並べただけで、イスラエル支持の国策映画以外の何物でもないことは、最早、論ずるまでもなくなる。

『なぜイスラエルか』(1973年)

『ショア』(1985年)

『ツァハル』[イスラエル国防軍](1994年)

 その後の上映運動では、こうした背景は説明されていない。意図的に隠していると批判されても仕方がない状態である。

 映画製作には膨大な資金が必要である。ところが、本書でも指摘されているイスラエル首相(当時)、極右政党代表、元テロリストのメナヘム・ベギンが、85万ドル(約1億2千万円)を出し、《この映画には国益が関わっている》と公言したことなど、日本人には、まるで知らされていない。

「映像芸術」などという言葉もある。「百聞は一見に如かず」ともいう。声や活字を越える情報伝達効果を否定するわけにはいかない。しかし、テレヴィ業界で二十数年を過ごした私自身の実感からいうと、写真といい、映画といい、テレヴィといい、その先祖の芝居といい、それぞれに負の歴史がある。いかにも真に迫る映像描写と音響効果で人を騙し、戦争を煽ってきたメディアでもある。嘘も付けるという基本的な問題点は、活字文化と同様なのだ。

 最近発達した小型8ミリヴィデオは別として、映像作品を作るのには文章を書くよりも金が掛かる。それも手伝ってか、多くの映像作家には、一発屋の性格が濃厚である。真偽よりも刺激、深い歴史的背景よりも目前の表面的現象を追う一時的表面的性格が、活字メディアよりもさらに増幅される。真実の報道の道具としてよりも、デマゴギーの増幅役としての危険性の方が、より大きいメディアである。特に「記録映画」などと大書されている場合には、大いに疑って、眉毛にたっぷり唾を塗り込んでから、細部を注意して見る必要がある。ヴァーチャル・リアリティによる非論理的な仮想の認識の世界などいうものは、今に始まったことではない。おとぎ話以来のことなのだろうが、現在の映像作品には、さらに、想像力、ひいては批判力を眠らせてしまう効果さえある。

『ショア』に関しては、『偽イスラエル政治神話』の中にも皮肉っぽい批判が、いくつか出てくる。手元には、フランス人の「ガス室」専門家、フォーリソンが執筆した作品評など、詳しい資料もある。早い時期に総合的な批判をまとめたいと願っているが、とりあえず、「証拠」の側面から、一応の補足をしておきたい。

『ショア』には、アウシュヴィッツの焼却炉が出てくるが、焼却炉そのものの位置付けについては、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも論じたし、『偽イスラエル政治神話』にはさらに詳しい論証がある。

 火葬を習慣とする日本にも、そこら中に焼却炉がある。ナチスドイツ時代の収容所の焼却炉が、発疹チフスの蔓延で急遽増設されたことは誰しも否定できないのだから、これだけでは、「ユダヤ人絶滅政策」の証拠にはなり得ない。しかも、アウシュヴィッツの第1収容所の病院の前にある「ガス室」と称される建物は、戦争中には防空壕だった。そこへ戦後、焼却炉を運んできて据え付けたのだということを、すでに博物館当局が認めている。粘土細工の「ガス室」などは何の証拠にもならない。

 実際に公開されている「ガス室」のデタラメ振りについては、拙著『アウシュヴィッツの争点』を参照されたい。

『ショア』で、怪しげな雰囲気のモノクロ画面に映し出される「トレブリンカ」の建物配置図についても、詳しい批判の論文がある。この配置図自体が、これも戦後の裁判の際に作られ、法廷に提出されたものである。『偽イスラエル政治神話』にも出てくるカナダ人、ボールは、戦争中にアメリカ空軍が撮影した航空写真の分析で、この配置図よりも実際の方が、はるかに単純で、丸太造りの小屋しかなかったことを立証している

 配置図を前に説明する元SS下士官は、3000ドイツ・マルクで雇われたことが明らかになっている。証言についても、詳しい研究論文がある。近い内に訳出する予定である。

 なお、この件でも、『世界』(95・8)「インタビュー/映画『ショア』ができるまで/ランズマン監督に聞く」という記事があった。要約すれば、本人に勝手にしゃべらせ、「証言」と検証なしの「俗論」を綴り合わせただけである。論評する気にもならないほどの、発表報道型、お粗末記事でしかない。これもマスコミ業界の実情の象徴であろう。

 とりあえず以上。

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