「ガス室」裁判 日本国内で私が闘っている裁判の現状

「ニュルンベルグ裁判再審請求事件」
改め「ガス室裁判」
または『週刊金曜日』損害賠償請求事件

 別紙「訴状」の当方命名「ニュルンベルグ裁判再審請求事件」を、分かりやすくするために、「ガス室裁判」と改めます。

~「ガス室裁判」こと
『週刊金曜日』損害賠償請求事件に関する状況報告~

 傍聴支援大歓迎。終了後、喫茶室で交流・名刺交換等を行います。

 証人1終了:元『週刊金曜日』編集長代理・巌名泰得(いわな・やすのり)

 証人2として原告本人が予定されていたが、最終準備書面(別掲)に記した経過で、1999.2.16. 13:30. 713号法廷で判決言渡し。

 原告は、証人1採用の順序について強い異義を述べておいた。

 巌名氏の株式会社入社は、1995年2月末に発生した『マルコポーロ』廃刊事件以後も以後、同年の10月1日であって、本件紛争の発端をなす原告の旧稿『「ガス室」神話検証』を「連載させてほしい」という前年、1994年11月3日の本多勝一被告の懇望などの内部事情を証言できる立場にはない。本来、本多勝一被告が証言すべき問題なので、原告側から証人申請をする予定である。巌名氏を出してきたのは苦し紛れの代打戦法といったところで、実際には負けを認めたような醜態である。この訴訟指揮に対する対応は慎重に検討し、反対尋問でいくつか得点を上げた。

 巌名氏は、元赤旗記者で、ルーマニアのチャウシェスク評価の問題で共産党本部と対立して離党を通告し、結果は除籍。月刊誌『現代』などに批判意見を発表したという珍しい経歴の持ち主である。詳しい経過はのちに入力します。

 現在までの問題点。

 口頭弁論(口でしゃべるという意味)だというのに、被告側は、代理人の弁護士が書面を出して、「陳述」と呟くか、裁判長の質問「陳述しますか」に頷くだけ。日本独特の極めて奇妙な習慣に終始する。いわゆる「立法・司法・行政」商売のサービスの悪さは定評があるが、その中でも最悪なのがこの「司法」商売である。「民営」の暴力団取り立てが横行する基本的原因は、このサービスの悪さにある。

 当方は、弁護士を付けない「本人訴訟」。裁判長が制止するまで、法文の通りに本物の「口頭」で大声の「弁論」を行なう。

 現状:原告本人証言に入る前段階。裁判長が交代したので「弁論更新」としてしゃべる。前の裁判長は法文、判例、理由も高圧的に「ガス室があるかないかは判断しない」と言い、被告側は卑劣にも外で「けしからん」とか言いながら、法廷では沈黙作戦。湾岸戦争の平和訴訟で国側が取った態度とそっくり。それでいて「市民派」「平和主義者」を気取るのだから、呆れてしまう。別途、2月24日の第5回口頭弁論で提出した「陳述書(1)」42頁を、「『週刊金曜日』本多勝一・徹底批判・正体を見破る」と題して本ホームページに入れたので、参照されたい。もっと詳しく書き直して、10月末に提出し、差し換える。

 証人:申請予定で申請しても採用されるか否かは裁判官の判断。

1。フランスのフォーリソン教授;ホロコースト見直し論の理論的な中心人物。今回の訪仏で同じホテルに泊まり、数日間の相談をした。

2。アメリカのマーク・ウィーバー氏;The Journal of Historical Review(歴史見直しジャーナル)の編集長。1994年末に現地研究所で2日間会談。

 以上の両氏とも、一番安い飛行機(コツを知りたい人は往復ハガキ下さい)で快諾。交通費・滞在費のカンパを募る。

3。西岡昌紀氏;『マルコポーロ』廃刊事件のきっかけとなった記事「ナチ『ガス室』はなかった」の執筆者。昨年、『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』(日新報道。2000円)を発刊。「歴史見直し研究会」の会員。

4。菅孝行氏;被告の本多勝一氏とは共著もある仲の『週刊金曜日』執筆者。「共産党」の評価をめぐる『週刊金曜日』誌上論争で大量バッシングを受けたまま中断という苦い経験をした。私とは、学生演劇以来の仲間。

5。菅原秀氏;アジア記者クラブ創設者。『週刊金曜日』がアジア記者クラブの市民情報紙から無断転載したために、仕事に支障をきたすという経験をした。私とは、JCJ(日本ジャーナリスト会議)国際部の仲間。

6。田悟恒雄氏;拙著『アウシュヴィッツの争点』の版元、リベルタ出版代表。同じくJCJ(日本ジャーナリスト会議)国際部の仲間。

 その他多くの諸氏からも承諾を得ているが、サイバースペースでの紹介には改めてご挨拶が必要と思う方については、後日報告する。

 相手方の本多勝一氏らをも、あえて当方から証人申請した。

 本多勝一氏は、裁判で訴状に記した「連載計画」の存在を否認したが、偶然にも、その直後、他の問題で積ん読書類の山を考古学的発掘調査中に、「連載計画」当時の本多勝一氏発・自筆署名入りFAXを発見。感熱用紙の着色消滅直前状態を法廷でも提示し、被告側の確認を求め、証拠として提出した。いずれスキャナ-技術習得後、本ページにも陳列する。

 つい最近には、西岡氏が『噂の真相』本年1月号投書欄に寄稿し、「連載計画」問題に加えて、西岡氏の原稿の『マルコポーロ』掲載が延びていると聞いた本多勝一氏が、「それ、うちに貰えないかな」とまで言い出した件をも記した。昨年暮れに入った耳情報によると、本多勝一氏は、この投書に「激怒」。1月10日発売の同誌2月号の持ちコラムに何やら記した。3月号にも続いたが、お粗末すぎるので省略。

 ぜひとも、同誌の1998年1、2、3月号を続けて読んでいただきたい。私は、同誌と、創刊以来の付き合いである。初期には、日本テレビ放送網株式会社在籍中だったので、各種ペンネームで寄稿していた。最初の寄稿は同誌1980年7月号「マスコミ報道と大地震の危険な関係/関東大震災において『報知新聞』と務台光雄が果たした知られざる犯罪からの教訓」(筆名:徳永正樹)である。いわゆる「ガス室」問題、私の命名では「極右シオニスト政治謀略・報道操作」問題では、『マルコポーロ』廃刊事件より半年前の同誌1994年9月号に寄稿している。編集長の岡留正則が付けた題名は「映画『シンドラーのリスト』が訴えた“ホロコースト”神話への重大疑惑」であった。

 別途、裁判の訴状などの資料を掲載する。とりあえず以上。その後の経過については、別掲の「本人陳述書」「最終準備書面」を参照して下さい。

 ご意見のある方は、E-mail下さい。altmedka@jca.ax.apc.org

 ただし、当方は貧乏暇無しの典型ですから、返事の約束はできませんので、あらかじめ、ご承知置き下さい。

➡ 日本で最初の「ガス室」判決全文


本多勝一"噂の真相"の城
『週刊金曜日』犯罪記録