神戸少年事件(1997年神戸連続児童殺傷事件)告発状1

1999.8.6 WEB雑誌『憎まれ愚痴』掲載

神戸少年事件・後藤弁護士告発状(その1)

「友人の皆さんへ」という御挨拶とともに、湾岸戦争反対の市民平和訴訟以来の友人、大畑豊さんから、以下の「告発状」が送られてきました。

 すでに、これも同じく平和訴訟の弁護団の一員だった後藤弁護士に了解を得ているとのことなので、本誌前号に引き続き、その全文を掲載します。長文ですので、やはり、定額料金制への移行が遅れている後進国の読者の皆様は、取り込んでから、ゆっくり御覧下さい。(←この嫌味な記述は1999年当時のものです。あしからず)

 なお、後半部分で、都合により、(1)(2)などとした項目は、原文では丸数字になっています。


 後藤昌次郎弁護士は昨年10月に、神戸・児童連続殺傷事件で少年Aを違憲・違法な手段によって逮捕・監禁したとして「特別公務員職権濫用 刑法第一九四条、第六〇条」で告発しました。

 この告発状においては少年Aの逮捕を「冤罪」とまでは断じていませんが、その可能性も大とし、少なくとも少年Aの逮捕・監禁は特別公務員職権濫用罪にあたるとしています。

 これに対し、告発を受けた大阪高等検察庁は現在のところ、態度を明確にしていません。

 後藤昌次郎弁護士は松川事件、青梅事件、土田邸爆弾事件等、多くの冤罪事件を手がけ、92年には東京弁護士会人権賞を受賞しています。

****************************

告発状

 告発人は、後記犯罪があると考えるので、御庁において至急捜査の上、被告発人らを厳重処罰されたい。

第一 被告発人

1 兵庫県警察警察官山下征士(一九九七年六月当時兵庫県警察本部刑事部捜査第一課長)

2 氏名不詳の兵庫県警察警察官A(一九九七年六月二八日、本件少年の取調べに立会い「自白調書」を作成した警察官)

3 同B(同右)

4 同C(右同日本件少年の逮捕状を請求または執行した警察官)

1 氏名不詳の検察官検事D(一九九七年六月二八日、本件少年を取調べ「自白調書」を作成した神戸地方検察庁検察官)

2 同 E(一九九七年六月二九日、本件少年を取調べ「自白調書」を作成し、本件少年の勾留状を請求した神戸地方検察庁検察官〔1と同一人物であればD〕)

第二 被疑事実 

 一九九七年五月二四日午後、神戸市須磨区に住む小学六年生の男児J君(当時一一歳)が家を出たまま行方不明になっていたが、同月二七日早朝、その頭部が神戸市須磨区所在の友が丘中学校正門前で、残りの遺体が同区所在の通称タンク山ケーブルテレビアンテナ基地内で発見され、兵庫県警察において殺人・死体遺棄事件(以下本件という)として捜査が行われたが、犯人逮捕に至らないまま一か月余が徒過した。このような中、兵庫県警察は、六月二八日午前八時前ころ、A少年(当時一四歳・中学三年生)を同事件の被疑者として県警本部に「任意同行」した。

 被告発人山下征士は、兵庫県警察本部刑事部捜査第一課課長、被告発人警察官A、同警察官B、同警察官Cらは、いずれも兵庫県警察所属の警察官らであったが、共謀の上、当時警察が集めた証拠では、A少年に対して逮捕状も請求できず、その「自白」がなければ逮捕することができない状況だったので、被告発人警察官A、同警察官Bらにおいて、本件犯行を認めないA少年を長時間にわたって種々追及し、「物的証拠があるのなら見せて下さい」と尋ねたA少年に対して、真実は兵庫県警本部科学捜査研究所が前二七日、犯行声明文の筆跡と少年の筆跡とが同一人の筆跡か否か判断することは困難であるとの筆跡鑑定書を提出していたのに、「物的証拠はここにある」と言って、机の上の捜査資料をパラパラとめくって、赤い字で書かれた右声明文のカラーコピー等を見せるなどして、あたかも筆跡鑑定により、右声明文の筆跡がA少年の筆跡と一致しているとの結果が出ているかのように説明してA少年を欺き、その結果、A少年をして、物的証拠があるとみられているのなら、何を言っても聞き入れられないであろうという絶望感から、泣きながら本件「犯行」を認めさせ、「自白調書」を作成した。A少年と本件とを結びつける直接の証拠がなく、見込み捜査に基づき、偽計によってA少年を欺いて「自白調書」を作成したのである。被告発人警察官Cにおいて、被告発人山下の指示により、右のような事情を隠蔽し、右「自白調書」を「証拠」として神戸簡易裁判所裁判官に逮捕状を請求し、同裁判官をして、右「自白調書」の存在をよりどころにして逮捕状を発行させてこれを詐取し、これにもとづいて同日午後七時五分ころ、A少年を逮捕して身柄を拘束し、もって職権を濫用して同人を逮捕・監禁したものである。

1 被告発人検察官Dは、一九九七年六月二八日当時、神戸地方検察庁検事であったが、同日、他にA少年と本件とを結びつける直接の証拠はなく、その「自白」がなければA少年を逮捕することができない状況の中で、被告発人警察官Aらが、前述のような違憲違法な取調によってA少年を「自白」させたことを知りながら、右「自白調書」を証拠として前記逮捕状を請求することを認容し、前述のとおり、右A少年を逮捕、拘束させ、もって被告発人警察官らと共謀の上、職権を濫用してA少年を逮捕・監禁し、

2 さらに、被告発人検察官DとEは六月二九日共謀の上、A少年が、前述のような被告発人警察官Aらに偽計によって欺罔され、錯誤と絶望状態にあることを知りながらこれを利用して、さらにA少年の「自白調書」を作成し、これらを証拠として、神戸地方裁判所裁判官に勾留を請求して勾留状を発行させてこれを詐取し、A少年の身柄拘束を続けさせようと企て、被告発人検察官Eにおいて、右同日、A少年の「自白調書」を作成した上、同日、神戸地方裁判所裁判官に勾留を請求し、同日、同裁判官をして、勾留状を発行させてこれを詐取し、A少年の身柄拘束を続けさせ、もって職権を濫用して同人を逮捕・監禁したものである。

第三 罪名および罰条

特別公務員職権濫用 刑法第一九四条、第六〇条

第四 告発理由

1 神戸市須磨区に住む小学六年生のJ君(当時一一才)が、一九九七年五月二四日午後から家を出たまま行方不明になっていたが、同月二七日早朝、その口に犯行声明をくわえさせられた頭部が同区所在の友が丘中学校正門前で、残りの遺体が同区所在の通称タンク山ケーブルテレビアンテナ基地内で発見され、猟奇事件として社会の瞠目を浴び、センセーショナルな報道が続く中、兵庫県警と神戸地検の協力態勢のもとに殺人・死体遺棄事件(以下本件という)として捜査が行われたが、犯人逮捕に至らないまま一か月余が経過した。

2 六月二八日にA少年が逮捕されるまで、目撃情報によるなどとして「黒いポリ袋を持った三〇~四〇歳代の中年の男性」「黒いブルーバードに乗った複数の男」などというのが本件の犯人像として報道され、流布されていた。

3 この間、六月四日には、神戸新聞社に「犯行声明文」が送付されてきた。この「犯行声明」は、使われている用語や修辞、さらには文体や内容、構想力や文章全体の論理性などから、高学歴の成人の手によるものというのが大方の見方であった。二1 六月二八日午前八時ころ、A少年は、兵庫県警察本部刑事部捜査第一課の警察官らによって、神戸市須磨区の自宅から、兵庫県警本部に「任意同行」され、同本部取調室で、被告発人警察官A、同警察官Bほかの警察官らによって、被疑者として取り調べられた。

 しかし少年は、本件「犯行」を認めなかった。

2 右「任意同行」当時、兵庫県警の捜査によっても、本件を、少年と結び付ける証拠はなく、集めた全ての状況証拠の中で、最も証拠価値の高いものといえば、前記「犯行声明文」と少年の筆跡の異同に関する兵庫県警本部科学捜査研究所による筆跡鑑定であった。右科学捜査研究所の判定は、同一人の筆跡か否かを判断することは困難であるというものであり、同科学捜査研究所は、その旨の検査回答書を、右少年の任意同行の前日である六月二七日に兵庫県警に提出していた。このようなものを証拠として逮捕状を請求しても却下されること必定である。

 捜査状況が右のようなものであったため、兵庫県警は、当時は、A少年に対して逮捕状を請求することもできず、A少年を逮捕するには、任意の調べにおける、自白が最後の頼りという状態であった。すなわち兵庫県警は、その「自白」がなければ少年を逮捕することができない状況であったのである。

 捜査当局は、このような状況の中で、右鑑定書が提出された翌日の六月二八日午前八時前、少年を兵庫県警本部に「任意同行」して被疑者として取調べたのである。

 当時一四歳であった少年の取調べは、両親等第三者の立会いもなく、少年は、ただ一人、数名の警察官に取り囲まれ、長時間にわたってつづけられたものであるが、取調べにあたってA少年には、黙秘権が告げられなかった。

 本件の犯行を認めないA少年に対して、被告発人警察官Aらは、種々追及をつづけ、自白を迫った。これに対してA少年は、「物的証拠があるのなら見せて下さい」と尋ねた。

 すると被告発人警察官Aは、「物的証拠はここにある」と言って、机の上の捜査資料をパラパラとめくって、声明文のカラーコピー等を見せ、あたかも筆跡鑑定によって、「犯行声明文」等の筆跡がA少年の筆跡と一致しているかのように説明してA少年を騙した。

 A少年は、物的証拠があるとみられているのなら、何を言っても聞き入れられないだろうという絶望感から、ついに、泣きながら、本件犯行を認めさせられた。

 こうして被告発人警察官Aらは、偽計によって絶望感に陥れたA少年の「自白調書」を作成したのである。

 なお、偽計による「自白調書」作成の事実については、家裁の審判で取調警察官は、この事実を隠蔽しようとしたが、尋問の中で、捜査当時に作成した取調ベメモの存在が判明し、これを開示させたところ、少年の「自白」経過に関して、自身の証言と異なり、A少年の供述に記載が符合していた。取調警察官は、偽計を用いて「自白調書」を作成したのみならず、家裁の審判廷で偽証してこれを隠蔽しようとしたのである(後記第五証拠方法の二、A少年の付添人であった本上弁護士のレポート)。

3 このようにしてA少年の「自白調書」を得た兵庫県警本部刑事部捜査第一課長山下征士らは、右「自白調書」かなければ逮捕状請求ができない状況の中で、神戸簡易裁判所裁判官に対して、A少年に対する偽計の事実を隠し、右「自白調書」が適法に得られたもののごとく装って、これを本件とA少年とを結び付ける証拠として添付し、A少年に対する殺人・死体遺棄被疑事件の逮捕状の発付を請求し、情を知らぬ同裁判官をして、右逮捕状を発付させてこれを詐取したものである。

 こうして逮捕状の発付を得た兵庫県警警察官(被告発人C)は、同日午後七時五分ころ、A少年を本件の殺人・死体遺棄被疑事件で逮捕し、須磨警察署に留置した。

4 被告発人検察官Dは同日、被告発人Aに対するA少年の「自白」後逮捕前に警察の取調室において、被告発人Aの偽計による呪縛の下に錯誤と絶望状態に陥っているA少年を取調べて「自白調書」を作成した。

5 同月二九日、被告発人検察官DとEは、右各「自白調書」が作成された経緯を隠蔽して、右各「自白調書」を「証拠」として、神戸地方裁判所裁判官に勾留を請求し、同裁判官をして、同日勾留状を発行させてこれを詐取し、A少年を須磨警察署留置場に身柄を拘束させつづけた。

6 これらの、少年を偽計を用いて取調べ、その「自白調書」を作成した被告発人警察官AおよびB、そのように作成された「自白調書」であることを知りながら、この「自白調書」に基づいて逮捕状の発付を請求し、交付された逮捕状によって少年を逮捕した被告発人警察官C、そしてこれらを知りながら逮捕状の請求および執行を許容した被告発人山下らの特別公務員たる警察官らの所為は、その職権を濫用し、少年を逮捕・監禁したものであり、刑法第一九四条の特別公務員職権濫用罪に該当する。

 被告発人検察官Dは、六月二八日、被告発人警察官Aらの偽計によるA少年の心理状態を利用して、被告発人警察官Aに対する「自白」後逮捕前に警察の取調室で「自白調書」を作成した。送検以前に、検察官が、警察の取調室で被疑者を取り調べること自体異例中の異例の事態であり、この一点だけでも、神戸地検が兵庫県警と緊密な連携のもとに共同捜査態勢を取っていたことを示している。

 一般的にも警察段階で自白した被疑者を取り調べるに際して検察官は、形式的に黙秘権を告知するだけでなく、その証拠能力と証拠価値を検討するために自白に至った経緯と動機を被疑者に尋ねるものであるが、まして、予想された犯人像と全く異なる少年が自白に至った本件のような場合には、その経緯と動機を詳細に尋ねるはずである。

 このような事情からして、被告発人検察官らが、前述した被告発人警察官Aらによる本件「自白調書」作成の経緯等について知らないはずはなく、被告発人検察官らが兵庫県警警察官らの少年に対する逮捕状の請求およびその執行に同意したことも否定の余地はない。

 また被告発人検察官DとEは、逮捕後も偽計によって陥っているA少年の錯乱状態を利用して、取調をつづけ、右「自白調書」に沿った多数の「自白調書」を作成し、これらをもとに、A少年の勾留に関与したものである。

 被告発人検察官らのこれらの所為が、兵庫県警警察官らと共謀して、職権を濫用して、A少年を逮捕監禁したものとして、特別公務員職権濫用罪に問擬されるべきことは論をまたない。

1 前記逮捕勾留後、神戸地検検察官は、七月八日、同地検検察官が作成したA少年の供述調書などを証拠として、神戸地裁裁判官をして、一〇日間の勾留延長を決定させ、須磨警察署留置場に身柄拘束をつづけさせた。そしてその後、A少年は、同月二五日、家裁に送致され、少年鑑別所への収容、鑑定留置を経て、一〇月一七日、神戸家裁井垣康弘裁判官による医療少年院送致の保護処分決定を受け、関東医療少年院に送致され、現在に至るまで同少年院に身柄を拘束されつづけている。

(一) 神戸家裁は、A少年の検事調書について、「いわゆる毒樹の果実の理論の適用はない」として、証拠から排除せず、非行事実認定の証拠とした。検察官は、少年に対し、「言いたくなけれぱ言わなくてもよいのはもちろん、警察で言ったからといって、事実と違うことは言わなくてもよい」と明確に告げてから少年の供述を求めている、というのがその理由であるが、警察官の偽計によってA少年の中に形成された心理状態はそのような形式的な黙秘権の告知によって解消されるものではない。

 偽計を用いた取調べによって得られた「自白」によって逮捕された後、A少年は、須磨警察署留置場(代用監獄)に留置され続けたのである。二四時間警察官の監視下、支配下に置かれていたのである。検察官の取調も、須磨警察署の取調室で行われていたものであり、その間、警察官らの取調べも同警察の取調室で並行して行われていたのである。とりわけ、一四歳の、人格も、判断力も未形成の少年において、このような環境の中で、形式的に黙秘権を告知されたからと言って、警察官の違憲違法行為によってつくられた心理状態から自由になったなどと言えないことは明らかである。

 現に、A少年が、筆跡鑑定によって、「犯行声明文」の筆跡と自分の筆跡が一致したと判定されたかのように述べた被告発人警察官Aらの言が虚偽であったことを知ったのは、家裁へ送致された後であった。付添人からそれを知らされた少年は、「警察にだまされていた。悔しい」と泣きながら訴えた。A少年は、この期間一貫して、偽計によって騙された状態の中に置かれていたのである。このような状態の中で、検察官調書がつくられ、これに基づいて、A少年は、本件の犯人と認定されてしまったのである。

(二) 「捜査手続といえども、憲法の保障下にある刑事手続の一環である以上、刑訴法一条所定の精神に則り、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ適正に行なわれるべきものであることにかんがみれば、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れ自白を獲得するような尋問方法を厳に避けるべきであることはいうまでもないところであるが、もしも偽計によって被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定すべきであり、このような自白を証拠に採用することは、刑訴法三一九条一項の規定に違反し、ひいては、憲法三八条二項にも違反するものといわなければならない」

 これは、偽計を用いた取調が違憲違法であることを断じた昭和四五年一一月二五日付最高裁大法廷判決の一節である。

 最高裁判決が明示しているように、偽計を用いた取調は、「虚偽の自白が誘発されるおそれ」があるのである。われわれはこのことを決して忘れてはならない。3 現に家裁が非行事実認定の証拠とした検事調書には、したがって家裁の事実認定には、次のような合理的な疑問がある。

 そもそもA少年は、逮捕以前に流布されていた目撃情報や神戸新聞杜に送付された「犯行声明」などから想定されていた犯人像とあまりにもかけ離れたものであったが、さらに、A少年の前示検事調書に記載されている内容は、不自然、不合理であり、また、客観的に明らかな事実、もしくは他の証拠等によって明らかになっている事実などと相反し、矛盾するものである。その主な例を挙げれば次のとおりである(なお、「検事調書」の内容は、『月刊文藝春秋』・九八年三月号に掲示されているのでこれによる)。


以上で(その1)終わり。(その2)に続く。


弁護士の告発状(その2)
神戸少年事件記事一括リンクに戻る
週刊『憎まれ愚痴』32号の目次へ