「ガス室」裁判 原告本人陳述書 その1

最新の被害状況 ― 新たな誹謗中傷


 平成九年(ワ)七六三九号 名誉毀損・損害賠償請求事件

              原告   木村 愛二

              被告   株式会社 金曜日ほか

 一九九八年[平10]一一月二四日

 東京地方裁判所   民事第三八部 合議係 御中

     陳述書(一)

 一八〇 東京都武蔵野市西久保一丁目四九番一六号むさしの荘三号室

             右原告   木村 愛二

 私は、本件の原告本人として、『週刊金曜日』が掲載した名誉毀損・誹謗中傷記事によって私が受けた被害の実情と問題点を、時間の許すかぎり、つまびらかに訴えたいのですが、その被害は、それが生じた原因が私自身の現在も進行中の仕事と密接な関係を持つ性質上、決して過去の事実として終結したものではなくて、本件提訴以後、現在に至るまでも継続して発生、累積しており、今後も続くものなので、まず最初に、そのような継続的性質を持つ事件の構造全体についての説明をしなければなりません。

一、最新の被害状況

 本年七月二八日の本件第七回口頭弁論において、被告側申請証人で元『週刊金曜日』副編集長の巌名泰得は、乙第34号証「陳述書」の文責を認め、かつ私の提訴の意図を、「五 原告の訴訟意図について」(同右8頁9行)の中で邪に憶測し、「1著名人本多勝一氏と裁判で争うことにより、原告のジャーナリストとしての『知名度』を上げること、2損害賠償金(ないし和解金)の収得の二点にあるとみることができよう」(同右9頁2~3行)とした下司の勘ぐりの主張箇所について、私が特に2の根拠として同証人が挙げた私の文章の前後関係を示して反省をうながした(この件は別途書面参照)にも関わらず、何らの訂正もしませんでした。

 つまり、被告会社の立場を代表する証人は、私の提訴の意図に関しても新たな誹謗中傷を積み重ねており、何ら反省の色を見せていないのです。右「下司の勘ぐり」に対しては、簡略に次の点のみを指摘しておきます。

1、右1の根拠として右証人が挙げた「『単行本』(仮題)の出版」(同右8頁16行)に関して。

 私は、一九七二年(昭47)から一六年半にわたる日本テレビ放送網株式会社相手の不当解雇撤回闘争においても、提訴と並行して、裁判所の外においても可能な限りの闘争を繰り広げ、その闘いの前提として、知られざる放送界の実情を広く世間に訴えるために、ありとあらゆる手段を駆使しました。

 私は、その長期にわたる闘争を通じて、税金で運営されている裁判所に救済を訴えるという行為を、どう位置付けるかについて、何度も、あらゆる角度から考え尽くしました。結論として、これは一種の公的行為であり、裁判を提起した当事者には公的責任があると考えることにしました。当然、裁判の原告には、法的に規定されてはいないとしても、納税者全体に対する一定の公的な債務が生じます。その債務への返済行為とは、自らの被害の救済を求める裁判を通じて、納税者の住む社会、ひいては人類社会全体の権利擁護の法的及び社会的制度の向上に寄与することであろうと考えています。

 以上の理論的前提を踏まえ、さらには、本件と関係の深いユダヤ人差別問題の象徴ともいえるフランスのドレフュス事件において作家のエミール・ゾラが果たし、本件とも共通の情報操作の象徴ともいえる松川事件において作家の広津和郎が果たした社会的役割に学ぶならば、いささかなりといえども文筆活動の経験を持つものが、自ら提起した裁判に関して、あたう限りの執筆の努力をするのは当然の社会的義務だということになります。

 私の不当解雇撤回闘争に関しての執筆活動の内、労働組合が通常行う情報宣伝活動は当然のことなので、特に詳述はしません。

 その期間に市販された拙著・拙文に関しても、あえて新しい物的証拠として提出するのは繁雑の限りなので、すでに提出した『読売新聞・歴史検証』(甲第3号証)巻末「主要参考資料」13頁によって説明しますと、当時は解雇撤回要求の都合上、ペンネームの執筆ですが、単行本としては『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』『テレビ腐食検証』(共著)、『NHK腐食研究』『読売グループ新総帥/《小林与三次》研究』があります。その他にも、ここに収録した限りでも11本の雑誌記事を発表しています。単行本にしても雑誌記事にしても、一応は商業的に成り立つ出版社の仕事なのですから、これは一般の労働組合の情報宣伝活動の執筆よりは工夫を要するものです。

 私は、人生を賭けた裁判闘争を決意する以上、可能な努力をするのは当然のことと心得ており、本件の場合の出版の可能性をも事前に公明正大に通告して被告・本多勝一の思い上がりをたしなめ、被告・本多勝一の反省をうながしました。この仏心に対して、こともあろうに、「自己暴露」(乙第34号証8頁16行)などと形容し、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てる証人の態度は、証人自身が、「ジャーナリストは死ぬまでジャーナリスト」(本件第9回口頭弁論速記録2頁2行)などと人並み以上に気張っているだけに、いかにも見苦しい限りです。

 なお、右の「ジャーナリストは死ぬまでジャーナリスト」との証言に関しては、別途、『週刊金曜日』副編集長辞任後の「ジャーナリスト」活動と生計の詳細の釈明を求めます。

2、右2の根拠として右証人が挙げた私の文章の前後の文脈とその真意。

 右2の根拠に関しては、すでに反対尋問の過程で、私の文章の前後の文脈を指摘しています。

 被告側証人は、陳述書(乙第34号証)において、私の文章(乙第24号証、甲第33号証の33と同じ)から、次の部分のみを引用しています。

「(争議で敗訴したため厚生年金がとぎれ、六五歳からの民間年金を継ぎ足すために積立を担保に借金増大中)」

 ところが、この部分の前後をつなげてみると、次のようになっています(甲第33号証の33、33~34行)。

「別途、FAXにて、金子氏の連載分に注釈を加えたパンフレットをカンパで頒布する旨、『通告』しました。これもまるで無い自腹(争議で敗訴したため厚生年金がとぎれ、65歳からの民間年金を継ぎ足すために積立を担保に借金増大中)を切って印刷します」

 文中、「通告」とは、その通りの題の「通告」(第33号証の31)のこと、「金子氏の連載分に注釈を加えたパンフレット」とは、その後に発行した『歴史見直しジャーナル』3号特集(甲第7号証の4)のことです。さらにその前後を見れば、私の文章の意図は一目瞭然となります。『週刊金曜日』連載記事は、その表題に勇ましく掲げた宿年の怨敵「文芸春秋」や、被告・本多勝一自らの古巣「朝日」新聞を相手と称する割には腰砕けで、被告・金子マーティン執筆分の場合には、いきなり、「文芸春秋」でも「朝日」でもない個人の私を目掛けて、原爆まがいの不作法な誹謗中傷名誉毀損記事を、ほうり投げてきたのです。

 私は、口先の大言壮語とはまったく逆に「文芸春秋」や「朝日」とは直接戦おうとせず、「貧乏暇無しの私」をなめて掛かっている被告・本多勝一の裏切りと卑劣さを厳しく批判しつつ、それでもなおかつ、反省の機会を与え、万が一にも可能性があれば餓鬼地獄に墜ちる前に改悛させようとの仏の慈悲を表現したまでのことです。

 さらに、文中の「金子氏の連載分に注釈を加えたパンフレット」とは、右のように『歴史見直しジャーナル』3号特集(甲第7号証の4)のことであり、現物のコピーに「注釈を加えた」印刷物なのですから、『週刊金曜日』が版権を主張して妨害することもあり得ましたので、そのような不当な妨害を事前の警告によって防ぐ意味をも含ませたのでした。

3、「法的手段」という言葉が「威圧的」に聞こえるのは犯罪人の常

 さらに、前記「「五、原告の訴訟意図について」(同右8頁9行)の前段では、私が弱者救済の最後の手段としての位置付けで用いた「法的手段」という言葉を、意図的に誇張して「威圧的」(同右8頁1行)と形容し、あたかも私が「著名人本多勝一氏」を社長とし、その他の著名人を「編集委員」として担ぐ著名出版社を「脅迫」した強者であるかのような印象を作り出そうとしています。

 これらは、まことに拙劣な欺瞞のレトリックであって、私自身は、裁判に訴え、それを継続することが、経済的弱者にとっては非常に困難なことだという事実を身に泌みて知っています。

 私は、前述のように、不当解雇撤回闘争という厳しい労働裁判の当事者であっただけでなく、その期間中に、東京地方争議団共闘会議の副議長として法廷闘争を担当したこともあり、右会議の第24回総会議案書では「司法反動」状況に関する45頁の報告(甲第69号証)をも執筆しています。その間の十数年にわたって「司法反動」問題に関する運動を経験しているので、人並以上に、日本における裁判で貧乏人がいかに困難な状況に直面するかを熟知しているつもりです。

 私は、日本における損害賠償請求裁判の解決条件が、被害者にとっていかに低水準であるかということについても、同様に人並以上に熟知しており、現状に関してもすでに最近の実例として、私自身が係争中に交流の機会を持った原告の事件の判例報道(甲第16号証の1~6)を証拠として提出しています。この事件のみならず、一般にも損害賠償請求裁判の解決条件が低水準であることに関しても、『ジュリスト』記事(甲第29号証の1)及び『人権と報道連絡会ニュース』(一二一号、97・11・10、甲第29号証の2)を提出しています。「日本の裁判は[中略]名誉毀損に対しても即決せず、一〇年単位の時間と費用をかけた上で、勝訴してもウン十万円ていど」(甲第15号証、45頁17~21行)という事実に関しては、表現の品格は別として、被告・本多勝一と認識を同じくしています。

 しかし私は、被告・本多勝一のような、自己の冤罪拡大報道に対する正当な批判(後に詳述)に関して、その提訴も不可能な事態を糊塗するために、「暴力団に依頼した方が早いと考える例があるのは当然」(同右、45頁31行)としたり、自らの敗訴の原因を「裁判そのもののひどさ」(同右同頁18~19行)によるものとばかりに粗雑に口走り、世間をごまかして渡るような卑劣極まる輩とはまったく無縁な立場にあります。私は、いかなる困難が司法局面にあろうとも、自らが経験した労働争議の場合と同様に、裁判を含むあらゆる手段で社会の不正を糾弾し続け、可能ならばその闘いの中で司法改革にも一石を投ずるべきだと考えています。

 現在、私は、『人権と報道連絡会ニュース』(一三〇号、98・7・30、甲第70号証)に記載されている「ロス疑惑」事件の冤罪被告、三浦和義氏の救援運動にも参加しており、三浦氏が大手メディアの冤罪垂れ流し報道に対して弁護士に依頼せずに本人訴訟で果敢に戦い、着実に勝利判決を獲得していることを高く評価し、大いに学びたいと願っています。

 大手メディアの卑劣極まる商業主義的な検察・警察依存の発表報道、誤報、虚報、冤罪被害拡大、誹謗中傷に対抗するためには、自らの人生を賭けた「法的手段」による戦いも辞さない市民の個人個人の決意が不可欠であるとの考えを固め、そのような考えを発表し続けてきました。

 同じ言葉でも、使う立場と背景によって意味が異なるということは、「ジャーナリスト」などとカタカナ語で気張らなくとも分かる初歩的な「国語」の基礎知識です。「法的手段」という言葉そのものには、確かに、明治時代の庶民が弁護士を「三百代言」と呼んで忌み嫌ったように、官憲の暴力を背景として高利貸しの貸し金と法外な利息を取り立てる強圧的な匂いが染み付いています。しかし、私と被告会社との関係は、全く逆で、被告会社は本件紛争以前から顧問弁護士を抱える商業的法人であって、私は「三百文」の小銭すらない貧乏な個人なのです。

 以上により、貧乏暇無しの私という社会的弱者の個人が用いた「法的手段」という言葉に「威圧的」な権力行使の背景があろうはずがないのでして、証人が相対的に社会的強者である被告会社を代言して「法的手段」という言葉を、あえて「威圧的」と表現するのは、本来の意味の犯罪処罰における「法的手段」を恐れる罪の意識の反映と考えるほかありません。

4、「同じ頁数の紙面提供」を「無理難題」と強弁するに至っては「噴飯、唖然、愕然、呆然」の他なし

 私が「同じ頁数の紙面提供」を要求したことに関しても、右証人は「無理難題」と主張しているのですが、そう要求したのは、それと同じ要求を被告・本多勝一が自分が地裁、高裁、最高裁と連続敗訴した事件(本年七月一七日言い渡し。11月25日発売の『判例タイムス』12・1号が掲載するので、その後に書証を提出する)の発端で文藝春秋に突き付けていた事実(甲第15号証参照)を知人から教えられたからであって、被告会社側証人の方が、この要求を「いかなる新聞・雑誌もやっていない。これは事実上、雑誌の編集権を放棄するに等しい自殺行為」などと大袈裟に主張するのは、最早、噴飯、唖然、愕然、呆然という他ない事態なのです。

5、被告・本多勝一個人の誹謗中傷名誉毀損癖に起因する「自損」転落から提訴騒ぎへ

 しかも、むしろ、その後の事実を見れば、私自身の単行本出版を待つまでもなく、被告・本多勝一の方が自ら、本年10月号『噂の真相』(甲第71号証の1)特集記事等に顕著なごとく、言論詐欺師としての正体を広く世間に「自己暴露」してしまい、最早、論評の余地もない状態に陥っています。同右『噂の真相』には私も投稿欄に一文(同一三三頁2段21行~一三四頁1段2行)を寄せました。

 この件は訴訟騒ぎにまで発展していますが、その火元は、被告・本多勝一ら朝日新聞記者が、政界汚職にまで発展したリクルート社の接待スキー旅行に参加していた件を、講談社発行の雑誌『ヴューズ』(97・1)が仮名で報じたのが発端でした。右『ヴューズ』記事の執筆者、岩瀬達哉は、被告・本多勝一が『噂の真相』(97・5、甲第35号証の5)の個人コラム「悪口雑言罵詈讒謗講座/蒼き冬に吼える」の中で「『人間のクズ』『カス』と断定してもいいだろう」(同94頁3段10~11行)などと同人を誹謗中傷した事実を名誉毀損として、本年九年一八日、当裁判所に提訴しました。

 事件の詳細については『創』(98・11、甲第72号証の1)、同(98・12、甲第72号証の2)、『噂の真相』(98・11、甲第71号証の2)に関連記事が掲載されましたので、若干の説明を加えるのみとします。


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