電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年5月

1945年の敗戦時には、「『国体』といえる実態は大日本帝国には無かった」のかどうか

送信日時 : 2001年 5月 11日 金曜日 10:48 AM

件名 :[pmn 14791] Re: 歴史改ざん

 以下の近藤さんの意見には、同調する点も多いのですが、そこが実は、大問題なのです。

Date: Fri, 11 May 2001 09:17:24 +0900
Subject: [pmn 14789] Re: [pmn 14788] Re: 歴史改ざんと明治絶対制国家

もう1945年に入った時点で、おうぎょうに『国体』などといえる実態は大日本帝国には無かったんだと思います。

 立場を変えて考えると、南北朝を生き抜いた連中の感覚は、「国破れて」も、「山河」と自分たちさえ残ればいい、「民草などは焼き払っても、いくらでもまた生えてくる」のであって、落城の際の逃げ道を用意して、御曹子を抱いて逃げた戦国武士と、ほとんど変わらないと思います。その意味では、「国体」は存在し続け、護持されたのです。

 私は、日本テレビで、われら民草が「読売進駐軍」と呼んだ連中と戦い、元内務官僚、後の読売新聞社長、小林与三次の過去を調べ上げ、知られざる愚著、『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』を、征矢野仁の筆名で発表しました。この際、以上の実感を深めました。NHKも、そのいい加減な「歴史」の中に、戦犯資料隠滅作戦実行の有り様を記しています。ヒトラーが自殺して、国内まで攻め込まれたドイツの周辺情報も、短波放送はもとより、中立国ポルトガルの首都、リスボン経由で、すべて掌握していたようです。彼らは最後に、軍部すら切り捨てたのです。

 私は、こういう連中の基本的には「阿呆」ながらも、それなりのしたたかさを、過小評価することを慎み、しっかりと見つめ、調べ尽くし、孫子曰く、「彼(敵)を知り」尽くすことなしに、「よしりん」ごとき悪餓鬼の揚げ足を取って得意がるような程度の「小人小成に甘んず」る運動なら、心情左翼の革命幻想を甘やかすだけのこと になり、むしろ、やらない方がましだとまで、極言します。


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