『亜空間通信』143号(2002/01/18)

ほろ苦い想い出のヴェトナム戦争政治的誤報に朝日・赤旗反省なき地獄存続の怪

送信日時 :2002年 01月 18日 金曜日 10:00 AM

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『亜空間通信』143号(2002/01/18)
【ほろ苦い想い出のヴェトナム戦争政治的誤報に朝日・赤旗反省なき地獄存続の怪】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 今回は前回の142回、【アフガン意識:真実公開の場でも隠蔽された朝日・井川ヴェトナム戦争文学改竄】に引き続く(その2)である。

 大阪で製本会社を経営する大川均さんの略歴は、前回紹介したが、1940年生まれで私より3歳若い。「べトナム難民漂流記」で朝日ジャーナル・ノンフィクション大賞奨励賞を受賞しているが、根っからのものかきではない。ましてや、わが大日本帝国にて裸の猿の史上空前の中央集権的巨大化、そして腐敗化を遂げた大手メディアの社員だったことは一度もない。

 これも前回に一部だけ紹介した記事、

『人民新聞』(1998.11.15)
「水に落ちた犬」になった二人の「朝日」重鎮

では、『噂の真相』から追放された本多勝一の「労害」の方が先に記されていた。本多勝一が妻子を伴って参加した朝日新聞スキー倶楽部のリクルート・スキー場「接待」云々に関する争いなのであるが、その件では、すでに発行済みの同誌2002.2月号特集記事「遂にリクルート接待で動かぬ証拠!大嘘がバレた本多勝一の絶体絶命」には、11人分21万2160円しか支払っていないのに、ホテルの66万6160円の料金計算書があり、その複写を同誌が入手とある。

 同じ朝日新聞のOBではあるが、やはり朝日の威光を背負う本多勝一のヴェトナム・カンプチア問題の盟友、「重鎮」こと井川一久のヴェトナム戦争文学「改竄」と「妨害」の要旨をまず、以下から抜粋すると、次のようである。

『正論』(1999.1)
「編集者へ」=大阪市の大川均さん(会社経営)から。

[中略]

 ベトナム戦争を舞台にしたこの小説は、胸痛む悲恋物語でありますが、『正義の軍隊』とされてきた北ベトナム軍の、善悪・正邪とりまぜた実像を描いて余すところがありません。井川氏は、この小説の英訳書を重訳するに当たり、これを再び『正義の軍隊』に改竄されました。また、原書から直接、翻訳した私の本の出版を妨害されました。

[後略]

 以上で一部のみの引用終わり

 私こと木村愛二にも、ヴェトナム戦争に関する「ほろ苦い想い出」の数々がある。ヴェトナム戦争の当時、26歳以後の私は、日本テレビ放送網株式会社の社員であると同時に、民放の労組の全国組織、民放労連の関東甲信越地連の執行委員などの役職にあり、非公然の日本共産党員として東京の民放の日本共産党の総細胞の総細胞長(今読むと恐っそろしい名称)などの位置にあった。その後にも民放労連日本テレビ労組(この単位組合の名称で連帯性を示していた)や千代田区労働組合協議会の役員になっていた。

 当時、私は、報道関係ではなく、放送番組の広報の仕事をしていた。上記の民放労連関東甲信越地連執行委員の担当業務の中には放送対策があり、就任直後に、足元の日本テレビで「南ベトナム海兵隊戦記」の1部放映後、2部の放送中止という放送番組弾圧史上でも名高い事件が起きた。私は、この番組の宣伝写真などから足元の広報部の組合員が作成したスライドと録音テープを全国に普及し、いわゆるヴェトナム反戦運動と連携する運動を繰り広げた。

 私が当時、ヴェトナム戦争に関する知識を得ていたのは、実に幼稚なことに、もっぱら、自宅で取っていた朝日新聞と赤旗の記事からであった。この双方ともに、南ヴェトナムでアメリカと戦っているのは南の住民からなる解放戦線の戦士だけで、アメリカが言うような北からきた「ヴェトコン」ではないと主張していた。

 そして私は、迂闊にも、それを信じて、アメリカの主張を支持する報道部の組合員などを熱心に説得していた。ああ、ああ、今更ながら冷や汗百斗、ああ、恥ずかしい。当時も、かなり馬鹿にされていたであろうし、その後に判明した事実で、ざまあ見ろと言われていても仕方がない。だれが、この落とし前を付けてくれるのか。

 ところが、この頃の「犯人」たちは、まるで反省もせずに、同じことを繰り返し、おそらくは、「ハノイ」とやらに取り入っているのだ。以下が、さすが「野次馬」週刊誌の最右翼、簡潔な事情説明である。

『週刊文春』(1997.11.27)
朝日元記者にベトナム戦争文学『戦争の悲しみ』「改ざん」疑惑

[中略] 

 ベトナム戦争を舞台に、極限状況における人間の内面を描いて好評の文学作品の邦訳に改ざんの疑惑が持ち上がっている。訳者はサイゴン陥落にも立ち会った元・朝日新聞記者。政治的な意図はなく、自身の経験を生かして、日本人向けに訳しただけというのだが……。

 ベトナム人作家バオ・ニンの小説『戦争の悲しみ』の邦訳が出版されたのは今年7月(井川一久訳、めるくま-る刊)。「戦争という悲劇の意味を改めて考えさせる鎮魂の書」「これまでにない深みのある戦争小説」と各紙誌で絶賛されてきた。しかし、この邦訳に改ざん疑惑が持ち上がった。

「これは翻訳ではなく贋作だ」大阪で製本会社を経営する大川均氏(57)が、『正論』12月号で、厳しく指弾したのである。大川氏自身は昨年春にベトナム語の原書を手に入れ、独自に翻訳を始めた。そして、『めるくま-る』から先に出た井川氏の邦訳を読み、愕然としたという。

「井川訳は、全編何ヵ所にもわたって原作を意図的に改ざんしている。特に北ベトナム軍(人民軍)にとって不都合な箇所に、大幅な修正を加えています」

 訳者の井川一久氏(63)は元・朝日新聞記者。サイゴン支局長、ハノイ支局長などを歴任、1975年のサイゴン陥落にも立ち会っている。『戦争の悲しみ』は、もと北ベトナム軍兵士キエンを主人公に、彼が経験する戦地の惨状、幼なじみとの悲恋を回想形式で描いた文学作品だ。著者バオ・ニン自身が北べトナム軍に6年間従軍しており、本書ではその体験を下敷きに、これまで『正義の軍隊』として美化されることの多かった人民軍の実像を描いている。

 大川氏は『正論』誌上で「改ざん」点を2点、指摘している。しかし、それ以外にも井川氏の邦訳と氏が使用した英訳本の間には、数多くの問題部分が散見された。

(1)まず、北ベトナム軍当局が、人民軍による略奪行為がなかったかどうがをチェックする場面。

(井川訳)〔当たり前のことだが、人民軍将兵による南での私的な略奪行為は厳禁されていた。で、軍当局は、しばしば帰郷中の兵士たちの私物を検査した。背嚢のあらゆるポケットを調ベた。それはまったく無用の努力だった。南の親戚からみやげものをもらった兵士はいたが、明らかに略奪品とわかる品物を持っているような兵士は一人もいなかった。

「馬鹿な話だ」と、ある軍曹が苦笑しながらキエンに言った。「俺たち、痩せても枯れても人民軍だ。命がけで祖国のために戦ってきたよなあ。その俺たちが、南の同胞か何か盗むとでも思ってるのかね」〕(106-107ページ)

 同じ部分が、英訳本ではこう記述されている。

(英訳本)〔The authorities checked the soldiers time after time, searching them for loot. Every pocket of their knapsacks had been searched as though the mountain of property that had bee looted and hidden afer the takeover of the South had been taken only by soldiers.〕(80ページ)

(英訳本の和訳=編集部。以下同)

〔軍当局は析りに触れて、略奪したものがないか、人民軍の兵士たちを検査した。背嚢のポケット全てが調べられた。まるで、南の侵略後に略奪され隠された物品の山は、兵士だけが取ったとでもいうように。〕

 つまり………線部は原書にも英訳本にもない。井川氏が加筆したものなのだ。

 井川氏は人民軍の略奪行為がなかったことを、説明として書き加えるだけでなく、原作にはない「ある軍曹」まで登場させ、それを強調する台詞をしゃべらせている。

[中略] 井川氏に「改ざん疑惑」を質すと、意外にも、「私の訳が原文に最も近い」と胸を張った。

「本書には、ヴェトナム人にとっては常識でも、ヴェトナムの風土と人間を知らない日本の読者にとっては意味が通じない部分が多い。日本人読者の誤解を避けるため、かなり意訳や加筆、修正をする必要があった。

[後略]」

 以上で一部のみの引用終わり。

 つまり、井川「重鎮」は、少なくとも「意訳や加筆、修正」をしたことを認めているのである。では、その意図が、どこにあったのか、背景はなにか、経過はどうだったのか、などが厳しくが問われるべきである。(次回に続く)


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