『亜空間通信』1049号(2005/07/08) 阿修羅投稿を再録

77イギリス爆破テロ表現を七夕の蘆溝橋と支那事変に果たしたメディアの戦争責任の教訓に照らせ

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『亜空間通信』1049号(2005/07/08)
【77イギリス爆破テロ表現を七夕の蘆溝橋と支那事変に果たしたメディアの戦争責任の教訓に照らせ】

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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 本日(2005/07/08)の日経朝刊は、昨夜(2005/07/07)来の予測通り、スポーツ紙もかくや、1面トップから最後の43面の社会面に至るまで、「ロンドンで同時テロ」である。

 犯人は、ビン・ラディン、アルカイダと連呼する点でも、大手メディアの大騒ぎは、911事件直後と相似形である。報道というよりは、戦争屋の情報操作の手先というべ状況である。

 電網(インターネット)の日経記事では、以下の見出しである。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050708STXKF004408072005.html
英外相「同時テロ、アルカイダが関与」・死者37人に

 だが、テロであるいう決め付けは、「テロを装った戦争挑発の謀略」の疑いを押し潰す言論弾圧である。BBCは911事件ではテロ表現を避けて「アメリカ攻撃」とした

 わが読者からの電話によると、日本のFMラデイオ、Jウェイブでは、現在、「ロンドン同時爆発」と言っているそうである。

 日経の読者応答センターにも電話したが、戦前からの三大紙、読売ヨタモン、毎日マヤカシ、朝日エセ紳士も、電網(インターネット)情報で見ると、一斉に、以下の見出しである。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050708it03.htm
英同時テロ、アル・カーイダ濃厚…死者は37人

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050708k0000e030037000c.html
ロンドン同時テロ:アルカイダ関連の犯行と断定 英外相

http://www2.asahi.com/special/050707/TKY200507080176.html
<ロンドン同時多発テロ>
英テロ、死者50人の情報も 外相「アルカイダの特徴」

 この状況に関しては、阿修羅戦争掲示板にも投稿が溢れている。しかし、そこに出てこない歴史の教訓を、ここに指摘する。

 以下は、今から6年前のユーゴ戦争の報道に関する論説である。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aiaiai-17.html
インターネット 週刊誌"I.eye.愛"(aiaiai!)
『憎まれ愚痴』
1999.4.23.(金)発行:17号
時事論説:「1寸の虫の5分の毒針」
好戦報道を疑うための「3題話」

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-17-onk.html
(メール再録)
好戦報道を疑う温故知新「3題話」

[中略]

温故知新(その2)『陸軍葬儀委員長』
「命取りの支那事変」

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 とても「慎重」には見えない鷹派の石原慎太郎が都知事になって、中国筋から「支那」という石原用語が非難の材料になっている折も折ではありますが、これは戦後に出た本の章の題なので、仕方のない歴史用語でしょう。

 自称「陸軍葬儀委員長」こと御当人の著者は、蘆溝橋事件直後、折から病床にあった現地の軍司令官および軍参謀長の了解を得て、「不拡大」方針を中央に具申したのに、「日本の新聞を見ると、支那を叩けと盛んに抗戦熱を煽っている」し、「北支在住の日本の浪人達」は「『池田参謀を葬れ』と気勢をあげ」るし、「支那事変のスタートを切った翌々日」、「天津軍参謀の職を解かれ内地に転勤を命ぜられた」のでした。

 以下は、私が、この本の核心の1つとして評価する部分です。

「数日経って私は近衛公を訪うた。公爵は開口一番『池田君とうとうやったね、支那事変は軍の若い人たちの陰謀だ』といった。

 公爵も関東軍の前科を類推して軍の陰謀だといったのだ。私は弁解して見てもつまらぬと思った。

『公爵、戦争張本人は軍でなくて、総理たるあなたですよ』

 といったら公爵はビックリした顔で私を見直した。

『なんですって?』

『そうですよ。公爵あなたの責任ですよ』と答えるなり、私は1枚の新聞を取出して公爵に見せた。それは7月13日附けのもので、折角我々が支那側と調印した現地解決案なるものは、新聞の1隅に小さく取扱って、1面から3面にかけて、大々的に国民の戦争熱を煽るような記事で充満していた。

『公爵、政府は不拡大方針を唱えながら、この新聞の扱いは何ですか、これでは戦争にならないのが不思議ではありませんか』

 公爵は私の真意が判ったのか黙ってしまった」

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 近衛は、アメリカ軍に逮捕される前に服毒自殺しました。しかし、「戦争熱」を煽ったメディアの責任者は、一時的かつ形式的な「公職追放」だけで、直ちに復活しました。

[後略]

 以上。


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