[シリーズ米軍の危機:その3 イラク帰還兵とイラク症候群]
イラク症候群:イラク帰還兵をめぐる諸問題の急速な顕在化
−−負傷と社会復帰の困難、PTSDと精神疾患、社会不順応、薬物汚染・アルコール中毒の蔓延、妻・子どもへの暴力と家族崩壊、自殺と犯罪、職場復帰の困難、失業とホームレス化、所得減と生活苦、劣化ウランなどによる慢性疾患、そしてブッシュ政権による切り捨て政策等々−−


(1) ブッシュ政権は必死だ。何とかしてイラクから米国民と世界の目を逸らそうとして、レバノンやイラン、北朝鮮や中国を焦点化しようとしている。マスコミもイラク関連の報道を極端に減らしている。国内外の世論の関心は大幅に後退している。
 しかし現実には、米によるイラク占領統治は混迷を深め、米軍兵士の犠牲者は拡大の一途をたどっている。1月30日の国民議会選挙から2カ月近くを経ても「移行政府」が発足できない状況が続いている。イラク民衆の犠牲者は増え続けている。

 米兵の死者も、ついに1500人を越えた。3月30日時点で1543人にのぼっている。負傷者は2万1000人にも達しているとの報告もある。米軍兵士の大半は、低所得者層の若者、就職できない若者、生活困窮者、米国籍を求める不法移民等々によって構成されている。彼らは、イラク人に対しては加害者、侵略者であるが、彼ら自身もまた、ブッシュ政権によって戦場に送りこまれた「犠牲者」でもある。その彼らが、戦場で倒れ、ある者は棺に納められ、ある者は肉体的、精神的に傷つき、大量に帰還しているのだ。


(2) ベトナム症候群(ベトナム・シンドローム)。ベトナム戦争が終結してからも長期にわたって、帰還兵の問題は社会に非常に広範で深刻な影響を及ぼした。今年はベトナム戦争終結からちょうど30年を迎えるが、現在においてもまだベトナム・シンドロームの後遺症は続いているのである。
 傷を負い、障害者となった帰還兵の苦しみ。戦場での激烈な体験によって引き起こされるPTSDをはじめとする帰還兵の精神疾患。それと不可分に結び付く社会不順応。帰還兵のホームレス化。薬物汚染、アルコール中毒の蔓延。帰還兵と周囲との隔絶、妻や子どもへの暴力、家族の崩壊。帰還者による犯罪。等々。等々。−−このような深刻極まりないベトナム帰還兵の社会問題は、今回のイラク戦争から帰還する米兵の姿をも暗示している。
※ここでは「ベトナム症候群」の意味や概念については議論しない。戦死や負傷など従軍兵士が直面する様々な困難な事態、帰還兵士や退役軍人が被っている様々な諸問題等々、米軍兵士をめぐる諸矛盾、諸困難、それらが社会に与える影響に限定することとする。言わば「狭義のベトナム症候群」である。しかし「広義のベトナム症候群」は、当時ソ連社会主義と対峙し世界最大最強の軍事力を誇ったアメリカ帝国主義が果てしのない泥沼にはまり込んだあげくに、アジアの小国ベトナムに見事な敗北を喫したことを背景とする、米国民の深い敗北感、自信喪失と自己喪失、政府とアメリカの将来への失望、社会全体を覆う苛立ち・挫折感・無力感を指す。(『ベトナム症候群』松岡完著 中公新書 p7−8)
 ベトナム戦争はアメリカにとって初めての敗北であった。自己の力を過信していた当時の政府と国民の衝撃は相当のものであった。ニクソン以降の米大統領と政府は、ベトナムでの敗北による世論の慎重論を無視して新たな侵略戦争や軍事介入を強行することが出来なくなった。常に支配エリートと世論の「ノーモア・ベトナム」の声を配慮する必要に迫られた。広義には、これを含めて「ベトナム症候群」と呼ぶ。

 すでにその兆候が見られるようになっている。イラク症候群(イラク・シンドローム)である。「戦争が国内に入ってきた」「戦争が家に帰ってきた」と言われている。大都会では早くもイラク帰還兵のホームレスが現れ始めた。死者の数に比して桁違いに多い負傷者の存在もまた大きな影響を及ぼし始めている。従来までなら命を失っていたであろう兵士たちが救命率の飛躍的な向上と共に負傷兵として存命し、従来以上に社会に対して大きな影響を及ぼす事になるのである。すでに大量の負傷兵、PTSDに罹った兵士が前線から米国本土に続々と戻っている。また、米軍の「過剰展開問題」は、予備役・州兵の戦場への大量投入という、これまでの戦争にはなかった事態を引き起こしている。普段は市民として生活している者たちが動員されているのである。戦争は市民の身近な問題、近親者の苦しみ、犠牲を伴うものとしてクローズアップされるようになっている。さらに予備役・州兵の動員に伴う再就職や家業の経営危機の問題が出てきている。


(3) 戦死者・負傷者のとどまるところを知らない増加、イラク帰還兵が持ち帰る様々な諸矛盾、帰還兵が伝えるイラク戦争の真実、州兵・予備役の根こそぎ動員への不満と反対、何よりもイラク戦争そのものの違法性と「大義名分」の喪失−−こうした事態に対して徐々にではあるが、従軍兵士、退役軍人、その家族が反戦の声をあげ始めた。ベトナム戦争時における反戦運動の一つの支柱は退役した帰還兵であった。帰還兵士の反戦運動、現役兵士によるイラク赴任拒否運動、子供を失った母親や家族の反戦運動など、これまで反戦運動に参加してこなかったような新しい部分が反戦運動に合流してきている。反戦運動は、ベトナム戦争の時のように劇的な爆発をしているわけではないが、最も重要な部分である兵士とその家族に着実にその幅を広げつつある。

 [シリーズ米軍の危機 その3]では、まずT.でベトナム症候群に似た新たなイラク症候群が早くも姿を現し始めたことを指摘し、次にU.で昨年夏から急速に顕在化し始めたイラク帰還兵士をめぐる様々な問題――ホームレス、負傷兵問題、帰還兵支援、予備役・州兵の職業復帰などの問題を取り扱った。そして次にV.で、あろうことか辛酸をなめた米兵が、今度は帰還してからもブッシュの切り捨て政策の犠牲者となっていることを糾弾し、最後にW.で、こうした理不尽極まりない境遇に不満を爆発させ反戦運動に立ち上がる反戦兵士の運動を取り上げた。
 末尾には、付属翻訳資料として2つの翻訳――一つは退役軍人のホームレス問題を扱った「私にシェルターを与えよ」、二つめは退役軍人支援切り捨てを扱う「ブッシュ予算案は多くの帰還兵の自己負担を引き上げる」――を添付した。言うまでもなくイラク帰還兵問題はまだ始まったばかりであり、深刻化するのはこれからである。もっと鮮明な姿形で顕在化した時に、もう一度まとめて取り上げようと思う。

2005年3月30日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




T.いつか見た光景:イラク従軍兵士の帰還が国内に持ち帰る様々な諸矛盾。ベトナム・シンドロームとイラク・シンドローム

(1)ベトナム帰還兵問題の再現。ベトナム・シンドロームとイラク・シンドローム
 戦況の悪化、泥沼化。最前線でもがき苦しむ兵士の姿。そして本国に帰還した後の彼らを取り巻く冷たい環境。この光景、いつかの繰り返しではないか。ベトナム戦争時の・・・。何人もの歴史家、何人もの退役軍人、何人ものベトナム戦争体験者が、今日の泥沼にはまった米軍の姿を次のように語った。「ベトナム戦争を繰り返している」と。
 ベトナム・シンドロームという言葉は死語ではないのだ。確かにこの言葉は、400万人以上のベトナムの民衆を大量に虐殺し、南北ベトナムの国土を破壊し枯葉剤で汚染し尽くしたアメリカの戦争犯罪を糾弾するものではない。侵略者の側、加害者の側の傷跡を意味する。あくまでも、侵略戦争に敗北したアメリカの自信喪失と被害を表現した言葉に過ぎない。

 しかし、ベトナム戦争の犠牲はあまりにも大きく、アメリカ軍は6万人近い戦死者を出した。何十万という帰還兵の中には、重傷を負い、かつ戦争のトラウマによって精神も傷つけられた大勢の若者がいた。アルコールや麻薬の中毒になった人々、絶望の末犯罪行為に走り投獄された人々。そしてまた、今なおホームレスとして暮らしている人々。
 当時は徴兵制が敷かれていた。それによって一般市民が、特に若い青年・学生が戦争に巻き込まれた。愛する者、愛する子どもが戦場へ送られ、あるいは愛する者、愛する子どもが政府の戦争政策に抵抗し投獄された。外国に追われた人々もいる。また何千、何万といった家庭が崩壊させられた。80年代中頃から、「ベトナム戦争は過去の出来事」との言葉が繰り返し語られ、ベトナム戦争の影がアメリカ社会から大きく退こうしているように言われた。しかし、未だにベトナム戦争の苦しみと後遺症を抱える人々は多い。ベトナム・シンドロームは、私たちの想像をはるかに超えて米国の広範な人々と社会に深い傷を与えたのである。

 そしてイラク戦争から丸々2年が経過した今、その規模、その時代背景こそ違え、ベトナム戦争時と類似した状況が生まれつつある。とりわけ激しい陸上戦闘、激烈な市街戦・ゲリラ戦で共通する。ベトナム戦争もイラク戦争も不正義の戦争である。米国民はほとんど知らされていないが、現地を体験した兵士達がその虐殺行為、無法行為と良心の呵責に苦しむのは両方とも同じである。ベトナム・シンドロームとイラク・シンドローム。帰還兵は、そして米国社会は、これからベトナムとイラク、この2つの大きな戦争の後遺症に苦しむことになる。


(2)帰還兵を取り巻く様々な苦悩と困難−−帰還兵の犯罪とホームレス化
 ベトナム戦争後の帰還兵が受けた重荷が如何に深刻であったかを、米国のホームレス帰還兵支援組織(National Coalition for Homeless Veterans)がホームページに掲載している。ここでは[調査結果1]「調査結果2]の2つの統計を紹介したい。帰還兵をめぐるこの2つの調査結果は、米政府によって使い捨てにされた兵士達のショッキングな事実を明らかにしている。そして多くの帰還兵が、とりわけベトナム戦争の帰還兵が社会から脱落し、底辺でさまよい歩く姿を明らかにしている。このような事実ですら、ようやく最近になって調査され判明したことなのである。如何に政府も社会もこの真実を隠蔽し目を逸らしてきたのかを物語っている。


米司法省の投獄された退役軍人に関する特別報告書
http://www.ojp.usdoj.gov/bjs/pub/pdf/vpj.pdf

 まず[調査結果1]は退役軍人の社会犯罪に関する統計“刑務所・拘置所に収監された退役軍人”である。これは2000年1月、司法省が発表した投獄された退役軍人に関する特別報告書である。
 今から7年前、1998年当時、各州、連邦刑務所に服役している犯罪者数は180万人を超えていた。調査結果で判明したように、98年に収監されていた退役軍人数は22万人にものぼり、全体の12%に相当する。また収監されている全体の年齢構成と退役軍人の年齢構成を比較すると、退役軍人の年齢の方が中央値で10歳も高い。これらの事実は、ベトナム戦争に従軍した元兵士(ベトナム帰還兵)がとりわけ多く収監されていることを示している。多くの若者が戦争に連れて行かれたが、まさにその世代の人々が本国に帰還後も社会に順応できずに、犯罪者となっていったと思われる。
 このことは、男性ホームレスの実に33%が退役軍人であることからも裏付けられる。またホームレスの66%が重大な慢性疾患に苦しめられており、従軍兵士の帰還後の暗澹たる生活(これもまた政府の戦争政策による犠牲者である)を示している。

調査結果1<退役軍人の犯罪>
投獄された退役軍人
 2000年1月、司法統計局は投獄された退役軍人の特別報告書を発表した。次は、その報告書の要点である。刑務所(Prison)あるいは拘置所(Jail)の中の退役軍人たち。
・ 1998年、22万5千人を超える退役軍人が国の刑務所あるいは拘置所に収監されていた。
・ 1998年、成人男性の中には、 10万人の退役軍人に対して投獄された937人の退役軍人が存在した。
・ 投獄されている退役軍人6人の内1人が、名誉除隊以外で軍を除隊した。
・ 刑務所(prison)内の約20%の退役軍人が、軍務に従事しいていた期間に戦闘任務を経験したと報告した。
・ 1998年には、5万6500人のベトナム戦争時の退役軍人と1万8500人の湾岸戦争退役兵が州と連邦の刑務所(prison)に収監されていた。
・ 投獄された退役軍人の60%近くが陸軍に従事していた。
・ 州刑務所では、半数を超える(53%)退役軍人が非ヒスパニック系白人である。一方、ほぼ1/3(31%)の非退役軍人が非ヒスパニック系白人である。連邦刑務所では、白人の退役軍人の割合(50%)は、非退役軍人(26%)のおおよそ倍である。
・ 州刑務所では、退役軍人の年齢中央値は、その他の刑務所および拘置所の受刑者よりも10歳も歳をとっている。
・ 州刑務所では、退役軍人(32%)が、非退役軍人(11%)よりも3倍近くも大学に進学しているようである。
・ 退役軍人は、その他の受刑者と比較して暴行罪で刑務所にいる場合が多いようである。しかし薬物によって受刑することは少ないようである。
・ 州刑務所の約35%の退役軍人が、非退役軍人の20%と比較して、殺人罪あるいは性的暴行罪によって有罪判決を受けている。
・ 退役軍人(30%)は、他の州刑務所の収容者(23%)よりも多くが初犯で収監されているようである。
・ 暴力による州刑務所収容者の中では、退役軍人の平均の刑期は非退役軍人のそれよりも50ヶ月長い。
・ 1997年の終わりには、性的暴行罪は、軍矯正施設に入れられた3人の収容者に1人の割合である。
・ 戦闘要員の退役軍人が、その他の退役軍人よりも多く暴行罪を犯したということはないようだ。
・ 州刑務所の退役軍人は、その他の収容者と比較して、アルコール依存が高く、薬物依存は低いと報告している。
・ 州刑務所の退役軍人(26%)は、その他の州刑務所収容者(34%)よりも、犯行時に薬物を使用していたと報告したのは少ないようである。
・ 州刑務所内の約60%の退役軍人は、過去に飲酒運転をした。その他の受刑者では45%である。
・ 約70%の退役軍人が、その他の州収容者では54%が、逮捕される前に常勤で働いていた。
・ 投獄された退役軍人は、逮捕された時、非退役軍人と同程度にホームレスであったようだ。

(*訳注:"Jail"は未決囚、軽犯罪者用の拘置所。多くの州では拘留1年以内のものを"jail"、1年以上のものを"prison"と呼び分ける。この調査では、連邦刑務所"Federal Prison"、州刑務所"State Prison"、地方拘置所"Local Jail"に分けて統計を取っている。)

 次に[調査結果2]は“退役軍人ホームレスの人口統計”である。原題は「忘れられたアメリカ人ホームレス」で、1996年に完成した全国調査を踏まえて、ホームレスに関する政府省庁間協議会によって1999年12月8日に発表されたものである。

調査結果2<ホームレスと退役軍人>
 ホームレスの退役軍人に関する統計
・ ホームレスの23%が退役軍人である。
・ 男性ホームレスの33%が退役軍人である。
・ 47%ベトナム戦争時
・ 17%がベトナム戦争後
・ 15%がベトナム戦争以前
・ 67%が3年以上従軍
・ 33%が交戦地帯にいた
・ 25%がVAのホームレスサービスを利用
・ 85%が高校または高校卒業検定(GED)を修了。一方、非退役軍人では56%。 
・ 89%が名誉除隊
・ 79%が大都市に居住
・ 16%が都市近郊に居住
・ 5%が農村地帯に居住
・ 76%がアルコール、薬物、あるいは精神健康上の問題を経験。
・ 46%が白人男性。非退役軍人では34%。
・ 45歳以上が46%。非退役軍人では20%。
・ 支援の要求:
      45%が就職先を見つけることの支援。
      37%が家を見つけること。

※両調査結果とも「退役軍人ホームレス全国連合」(National Coalition for Homeless Veterans、NCHV)のホームページ(http://www.nchv.org/)の“背景と統計”(http://www.nchv.org/background.cfm)にその要約がある。



U.イラク帰還兵に今何が起こっているのか−−昨年夏以降急速に顕在化し始めた諸矛盾

(1)最大の問題の一つ、イラク帰還兵のホームレス化
「ナーシリアの市街で目にした、数え切れないほどの民間人の死体の中には、子供のものもかなり混じっていた。それでも、おれはずっとこう信じようとしていた。これはもっと大きな善のために必要なことなんだと」

「……バグダッドに一番乗りした部隊のひとつで、進撃中はおおむね先頭を切っていました。怖かったですよ。頭は完全に真っ白というやつです。生まれてはじめて目にするたくさんの死体。体を半分吹き飛ばされた人間。銃弾が見事に命中して、数発で両足がなくなっている子供たち。あの光景、あの音、あの恐怖−言葉を失います」
    (『マイケル・ムーアへ 戦場から届いた107通の手紙』マイケル・ムーア著 ポプラ社)

 まずイラク・シンドロームの概要を類推するために、ベトナム・シンドローム、そして湾岸シンドロームの概要を見てみよう。上記の調査結果2「ホームレスと退役軍人」に示されているように、ホームレス人口のうち兵役経験者の占める割合は23%である。ホームレスの男性に関して言えば、兵役経験者が33%にもなる。また、兵役に就いた男性は、そうでない男性よりも1.3倍ホームレスになる可能性が高く、兵役に就いた女性の場合では(ホームレスになる可能性は)3.6倍も高い。復員軍人省によれば、ベトナム戦争から帰還した兵士でホームレスになった人数はベトナム戦争で死んだアメリカ兵の約2倍を越えるという。

 過去には、退役軍人のホームレス調査データは存在すらしなかったがこの1996年の調査によって、初めてその全体像が明らかにされたのである。その結果は、従軍経験とホームレス化との間に明確な関係を示すものであった。またベトナム戦争の影響、残映を米国社会が引きずっていることを改めて示した。ホームレスになった退役軍人のうち47%がベトナム戦争復員兵である。
 「専門家によれば、約30万人もの退役軍人が日常的にホームレス生活を送っていて、1年のうちに住居のない状態を経験している退役軍人は50万人ほどいるということである。」
※「何千もの退役軍人が路上で眠り、ホームレスの英雄が溢れている」(暗いニュースリンク)http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/06/post.html
※「U.S. veterans are major part of America's homeless」 (Reuters; 03/09/99)  http://aspin.asu.edu/hpn/archives/Jun99/0128.html に記事が掲載されている。

 なぜこれほど戦争に参加した元兵士にホームレスが多いのか。正常な日常生活、社会に入り込めないその理由は何なのか。
 @ 一般市民の殺害、無差別殺戮等、非道な戦争体験を契機とする精障的ダメージ。「シリーズ米軍の危機:その2イラク帰還兵を襲うPTSD」の中でも強調したように、PTSDの最大の原因は、「一般市民、女性た子供を殺してしまったという良心の呵責」である。軍服に身を包むとはいえ兵士の人間性は解放されず、良心の呵責を覚えるようなショッキングな出来事を経験し精神を制御できなくなるのである。その精神的ダメージを引きずったまま国に戻り、社会に順応できないまま、いきなり「普通の社会」に復帰するのである。
イラク帰還兵で急増するPTSDと戦線離脱。必死に抑え込もうとする米軍の非人間的な“殺人洗脳ケア・システム”(署名事務局)

 A 調査結果2が示すように、ホームレスとなった退役軍人の多くに、強いアルコール、薬物依存が見られる。精神的なダメージをそのような方法でしか癒すことができないのかもしれない。ベトナム戦争帰還兵に見られた麻薬をはじめとする極度の薬物依存は、まさにその事例であろう。

 B 政府・軍による精神的ダメージのケア態勢の不備。また全般的な帰還兵に対するケア態勢の不備。「家畜のように本国に送り返され」、軍にとっては「ある時期までに決まった人数を動員解除する」ことが大事なのであって、「帰還兵に対する丁寧なアフターケアはほとんどない」。帰還後、困難な生活を強いられた元兵士の多くは、「命を賭けたにもかかわらず政府は何もしてくれない」との不満が渦巻いている。

 C 復員軍人省(VA)の活動の一つとして、住宅購入支援がある。しかし住居の購入を助成するという退役軍人借入助成策は、極度に困難な生活を送っていて収入がほとんどない者に何の救いにもならないという。
※「何千もの退役軍人が路上で眠り、ホームレスの英雄が溢れている」(暗いニュースリンク)http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/06/post.html

 D 経済的に追い詰められた帰還兵の立場を悪用して、高利貸しが襲い掛かる(New York Times 2004年12月7日)。
※「すでにホームレス化するイラク帰還兵−アメリカの貧困。私たちはなにをすべきか。」http://blog.goo.ne.jp/cafepacis/e/a7bf57b99852a138961a417617588745

 イラクやアフガニスタンから帰還した退役軍人のホームレスの人数は、今のところまだ限定されている。それでも直近に復員軍人省の支援を受けた7500人のホームレスのうち50人はイラク帰還兵だった。その数はホームレスの総数と比較してまだ小さな割合に過ぎない。しかし、ベトナム戦争からの教訓を汲み取るならば、イラク帰還兵ホームレスは今後増加することは必至である。
※「避難所に集まり始めたイラク帰還兵ホームレス」http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/12/post_4.html
※参照サイト(本稿の末尾に翻訳資料添付)“Gimme Shelter”http://www.alternet.org/waroniraq/21191/


(2)イラク戦争泥沼化の中で大量に生み出されている肉体的・精神的な傷病兵

A.死者と比較して異常に多い米軍負傷兵
 戦場で負傷した兵士の大量帰還、この問題も同様にアメリカ社会に大きなインパクトを与えずにはおかない。米軍当局の発表では負傷者は9765人である。ところが、西ドイツのランド・シュトゥール米陸軍病院の報告によれば、約21000人にも及んでいる。
※ 「US report: Nearly 21,000 US casualties」26 November 2004,Aljazeera.Net http://english.aljazeera.net/NR/exeres/66A82950-2E99-439A-AD90-8DBFD862F715.htm

 なぜこれほどまでに、死者と比べて負傷者が多いのか。「戦死者1人について8人から16人の負傷者である。これまでの戦争での死者と負傷者の比率が1対3、せいぜい1対5であったのと比べると負傷者率が非常に高い。普段着で戦うイラク人と異なり、米兵は装甲車両に入り、あるいは防弾チョッキを着用し、負傷すれば直ちに病院に転送することで、兵士が死亡するのを防いでいる」([シリーズ米軍の危機 その1総論]から)。
ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害(署名事務局)

     
(Nina Berman; The Digital Journalist より)

※これらの負傷兵の写真は「Purple Hearts: Back from Iraq」からのものである。
http://www.digitaljournalist.org/issue0412/purplehearts_intro.html
※別に「President Bush's "Bring Them On" Picture Album」にも負傷兵の写真がある。
http://www.informationclearinghouse.info/article4173.htm


 この米軍の負傷者には、当然ながら重傷の、従来ならば戦死していたような重篤な負傷者が多くなっている。手足を失った重傷者が異常に多いのである。イラク戦争の負傷者は、ベトナム戦争や湾岸戦争、第二次世界大戦の負傷とは異なる様相を呈しているという。その最も大きな違いは、これまでの戦争では腹部や胸部への銃弾や破片による負傷が共通していたのに対して、爆弾の爆発からくる手足の複数切断の発生率が異常に高いことである。
 これらの兵士は、社会復帰に多大な困難を余儀なくされる。その多くが、軍からの障害年金なしには暮らしていけないことになる。負傷者の増大が社会に与えるインパクトは従来以上に大きくなっているのだ。復員軍人省の統計によると、昨年7月までにおおよそ2万8千人のイラク帰還兵が医療手当を申請している。負傷したイラクからの帰還兵が本国に押し寄せている。
※「Iraq injuries differ from past wars: More amputations, brain traumas」By William M. Welch, USA TODAY 2/28/2005 http://www.usatoday.com/news/world/iraq/2005-02-28-cover-side_x.htm


B.TBI(外傷性脳損傷)の問題
 もう一つ、これまでの戦争と異なる特徴は、負傷した兵士たちに広範に見られる脳損傷(Brain trauma、TBI)の問題である。爆発などによる頭部への衝撃は、脳を損傷させる。そして脳を損傷した負傷兵たちの間には、頭痛、光や音への過敏症、行動の変化、記憶力の低下、問題解決能力の低下、これらの症状が高い確率で確認されるようになっているのである。この症状は今や一般的に認識されているものであり、交通事故などの場合において現れることが知られている。その時の脳への衝撃によって、高次脳機能障害が発生するのである。イラクで攻撃を受ける米軍兵士は、防護服に身を固めていても爆発の衝撃から逃れる術はなく、一命を取り留めてもこのような形で苦しみを背負うことになる。


リハビリを受けるTBI患者 (H. Darr Beiser, USA TODAY より)
http://www.usatoday.com/news/gallery/2005/03-07-rahday/flash.htm

 2003年1月から2005年1月までに、陸軍病院に収容された負傷した兵士の中の437人がTBIと診断された。ベセズダの国立海軍医療センターにおいてTBI検診が始められ、負傷した海兵隊員と海軍兵士の83%−93人に、一時的な、あるいは永続的な脳損傷が見られた。この数字は、負傷者の中の大変大きな割合を占めている。診察を担当している医師たちは、「その数は、(TBIが)深刻な問題であることを明らかにしている」と語っている。2003年以後爆発的に増加している負傷者数を考慮するならば、今後TBIが大きな問題として浮上してくることは明らかである。
※参照サイト Key Iraq wound:Brain Trauma(USA TODAY)http://www.usatoday.com/news/nation/2005-03-03-brain-trauma-lede_x.htm
※参照サイト Brain injuries range from loss of coordination to loss of self (USA TODAY)http://www.usatoday.com/news/nation/2005-03-03-brain-injuries-inside_x.htm
※「USA TODAY」の「Brain trauma」のスライドショーがある。TBIになった兵士のリハビリの様子が映し出されている。http://www.usatoday.com/news/gallery/2005/03-07-rahday/flash.htm


C.劣化ウランによる新たなイラク症候群の発生の恐れ
 更に湾岸戦争症候群が再度発生する可能性も大きい。湾岸戦争では、戦地に投入され復員軍人局の給付有資格者約50万人の内、半数以上の26万人が治療を要求し、3分の1以上の18万6千人が労働不能に対する補償請求を行った。これは戦死者が148名にとどまったのとは対照的に、帰還兵に戦争を原因とする大量の病人を出したことを示している。
 湾岸戦争症候群の原因は劣化ウラン弾の使用が最も疑わしいが、劣化ウラン弾は今回の湾岸戦争においても大量に使用されている。兵士たちが第二の湾岸戦争症候群、いわばイラク戦争症候群に襲われる可能性は非常に高いと考えられる。すでにニューヨークの憲兵部隊の体調不良を訴えていた帰還兵からUMRC(ウラニウム医療研究センター)は劣化ウランを検出している。大量の兵士が同じ病気で倒れる可能性があるのだ。当然彼らもまた、アメリカ社会の大きな問題として浮上してくるであろう。
※私たちはUMRCへのカンパ支援を中心として彼らの調査活動を支えている。ぜひ最新出版「初めて明かされる!サマワ帰還米兵、イラク住民の劣化ウラン被曝」(イラクウラン被害調査緊急報告集会・記録 UMRCアサフ・ドラコビッチ博士講演会 in OSAKA 2004,4,14)をご覧頂きたい。


D.イラク帰還兵を襲うPTSDの恐怖
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかった大量の兵士が国内に戻ってきている。イラク戦争開戦から2年が経ち、PTSDを病む退役軍人の新しい世代が早くも生み出されているのである。イラク・アフガニスタンの任務を外れ、除隊した兵士はすでに244,054人にのぼるが、そのうち12,422人がPTSDの兆候を示し復員軍人局のカウンセリング・センターでカウンセリングを受けている。しかもこれは公式数字に過ぎない。この何倍もの兵士が軍当局によって見捨てられている。
 PTSDは、これまでも専門医仲間では受け入れられてきたが、ベトナム戦争の後までは、公式には診断されなかった。PTSDは、過去の戦争との比較は難しいと言われている。なぜなら、戦争体験による精神的破壊の問題は、「戦闘疲労」(combat fatigue)や「戦争神経症」(shell shock)と呼ばれて無視されてきたからである。
※「Trauma of Iraq War Haunting Thousands Returning Home」by William M. Welch February 28, 2005 by USA Today http://www.commondreams.org/headlines05/0228-01.htm
※この問題については、すでに私たちは「シリーズ米軍の危機:その2イラク帰還兵を襲うPTSD」で特集した。イラク帰還兵で急増するPTSDと戦線離脱。必死に抑え込もうとする米軍の非人間的な“殺人洗脳ケア・システム”(署名事務局)

 末尾に翻訳した「私にシェルターを与えよ」の中に、最も悲劇的なケースが紹介されている。海兵隊のアンドレ・ラーヤ上等兵は昨年イラクで従軍したが、カリフォルニアに戻ってきたとき、彼は全く別人となっていた。ラーヤは会話の間中、空を見つめていたり、あるいは部屋に閉じこもって何時間も音楽を聞いていたという。ある時、ラーヤがパーティでは眠ってしまったことがあって、起こそうとしたところ、彼は叫び声をあげて銃をとろうと(その場にはなかったのだが)手を伸ばしたという。典型的なPTSD症状だ。
 そして今年1月9日、悲劇は起こった。イラクに戻るよう命令を受けていたラーヤは暴れ狂った。彼は突撃銃を手にして酒屋に向かい、店員に警察に電話するよう命じた。警察が到着すると、彼は警官らに向かって発砲を始めて1人を殺し、別のものを負傷させた。彼はその後、建物の周りや家々の裏庭を通りぬけて駆け出した。住人らに向かって、彼らは「罪のない民間人」なのだから傷つけられることはないぞ、と叫びながら。・・・警察はその後、彼を射殺した。彼をここまで追い込んだのはブッシュではないのか!心底からの怒りを感じずにはおれない。まさに臨床心理学者が指摘するように、「十分処理されず消化されないトラウマは、心の出来事としてよりも、むしろ体の症状や暴力、あるいは感情の爆発などとして現れてくる」のである。

 イラク帰還兵士の中に多いのは何の罪もない一般市民を虐殺したことに対する人間としての自責の念である。最近発刊された臨床心理学者森茂起氏の入門書『トラウマの発見』にはこうある。「被害者の持つ自責感に対しては『悪いのはあなたではない』というメッセージを伝えることが出来るが、加害者に対しては、行為に見合った適切な自責感を持つことをむしろ求めねばならない。非難と自責感の苦痛に耐えて自らの加害体験を見つめ直すことは、よほど強靱な精神を持たなければ困難である。加害者の立ち直りを促進する援助が難しいことの一つの理由である。」
 ところが米軍のPTSD対策は、全く正反対の治療をやっている。本[シリーズ 米軍の危機 その2]で紹介した通りである。イラク市民を虐殺した加害者である米軍兵士に「悪いのはあなたではない」の刷り込んでいるのだ。要するに、もっと市民を殺せと「治療」しているのである。これではますます症状が悪化するのは当然だ。まさに「兵士の治療そのものが軍事目的のためにゆがめられている」のである。「戦闘の被害者として兵士の回復を援助する立場と、兵士を戦争の道具として考える立場の間には、どうしても相容れない根本的な溝がある。」「戦争によるトラウマの深刻さを十分認識し、それを予防しようとすれば、戦争をしないのが一番である。」戦争のために「心のケア」を行うということがそもそも根本的に矛盾した不可能なことなのである。森氏の指摘は正しい。

※『トラウマの発見』森茂起 講談社選書メチエ p153−4 p196−8
 PTSDの起源はベトナム帰還兵を診たロバート・リフトンという医学者である。精神障害として治療を受けていた元兵士の病理が、戦闘体験の破壊的な影響によるものであることを彼は確信した。彼はベトナム帰還兵のあまりにもひどい状況を告発し、アメリカの軍事精神医学の根本的誤りを科学的な所見に基づいて批判した。
 彼はベトナム戦争でも湾岸戦争でも常に反戦運動に積極的に加わり、アメリカにおける反核運動の中心人物の一人でもある。人間への深い愛情、人間の尊厳を尊ぶ姿勢がなければ、このような人間を破壊してしまう恐ろしい病を研究し治療するのは不可能ということなのではないか。
 実は戦闘体験によってトラウマ性の傷害が出ることは、すでに第一次世界大戦の際にエイブラム・カーディナーという人物によって指摘されてきた。ところが先達のこうしたすぐれた研究が軍事精神医学に生かされず、ベトナム戦争という悲劇を機会にリフトンがまた一から始めなければならなかったのが実情である。そしてまた、今回のイラク戦争で再びその誤りは繰り返された。森氏は主張する。「トラウマ研究はいつも一からやり直すような形で行われるのである。」(p152)

※最近このカーディナーの古典的著作『戦争ストレスと神経症』の全訳がみすず書房から発刊された。精神医学史上、外傷神経症の唯一の古典とされ、PTSD概念構築作業の基礎となった著作である。初版は1941年、つまり第一次世界大戦の際の兵士達の外傷神経症を研究したものである。翻訳は、阪神・淡路大震災によるPTSD研究に携わっている中井久夫、加藤寛の両氏が行った。
 先に紹介したリフトンは本書を読んで、PTSDの症状を定式化し、ベトナム帰還兵と過去の戦争帰還兵との異動を研究・検討した。おそらく本当の意味でのイラク戦争帰還兵のPTSDの研究や治療は、このカーディナー、リフトンの仕事をベースにやられなければならないだろう。
 専門書なので私たち素人にはなかなか分かりづらいが、最初の数章に第一次世界大戦に従軍して様々な外的神経症にかかった貴重な症例が40以上書き留められている。しかしイラク戦争と比較した場合、カーディナーが研究対象とした第一次大戦はあくまでも正規軍同士の正規戦であり、ゲリラ戦ではない。陸上戦闘が誰が敵か味方か分からない都市の住宅密集地で行われることは極めて例外的なことであった。ファルージャなどスンニ派三角地帯での市街戦、非武装の群衆が集まり生活する中で、米軍が占領軍として武力で治安維持を行い虐殺や銃撃戦をやるケースは希であった。
 現にカーディナーの症例は、いずれも戦場での激しい戦闘体験、正規兵同士の戦闘、上官と下士官との摩擦などによるものであった。敵と味方、戦闘員と非戦闘員との区別が付かない状況での外傷神経症ではなかった。それはベトナム戦争で初めて途方もなく大量の症例が出てきたのである。イラク戦争では、ベトナム戦争と違った意味で、非武装の女性や子どもや一般市民を理由もなく虐殺するケースが多発している。おそらくイラク戦争におけるPTSDはベトナム戦争におけるPTSDよりも次元の異なる深刻さが現れて来るのではないか。


(3)異常に高い自殺率
 従軍兵士の自殺率の異常な高さを示すデータもある。兵士たちの追いつめられた状況を最も集中的に示している。コロラドを拠点とするイラクから帰還した陸軍特殊部隊兵士は、自宅の庭で頭部を撃ち自殺した。「少なくともイラクに従軍した7人の兵士が自殺を企てている」(警察)。
 しかもその内容は見殺しに等しいものであった。自殺を企てたある兵士のケースでは、所属する部隊において、精神的なケアを求めていたが、無視されたと報じられている。別の兵士は、肉体的不調を家族に訴え続けたが、任務から解放されることがなかったという。また別の兵士の場合は、精神的問題−攻撃性−自殺と結び付く、部隊内で供給されたラーリアン(Lariam)と呼ばれるマラリア治療薬の副作用の可能性があると指摘されている。

 食品医薬品局(FDA)はその薬物を長期間服用すればパニック発作をおこし、自殺しようと考えるようになること、鬱、不安、偏執症、妄想等の精神疾患を引き起こすと警告している。このようにFDAによって危険だと警告されている薬物を米軍が使用し続けていることそのことが問題である。

 2003年にイラクとクウェートで自殺した米兵は、10万人あたり17.3人にものぼり、米軍全体の12.8人、ベトナム戦争時の平均15.6人を大きく上回っている。この数値は氷山の一角であり、自殺にカウントされなかった事例も多かったと見られている。大義なきイラク戦争に動員され、激烈な都市ゲリラ戦争の真っ直中に放り込まれた兵士の苦しみが表れた数字である。

 しかし、これらの数値には、帰還兵の自殺は除外されている。戦場で攻撃にさらされ、また自らの戦場での行為に良心の咎め覚え、精神的にも苦しみにを抱える帰還兵にとって、長期にわたる試練が始まったばかりである。家庭内の不和と暴力、薬物依存、アルコール依存など、生活環境の破壊にともない、べトナムからの帰還兵の自殺者は、正確な統計はないが6万〜10万人にものぼると推定されている。イラクから帰還した兵士たちの未来を暗示する驚くべき数値である。
※参照サイト Seventh Iraq war veteran kills himself(UPI)http://www.upi.com/view.cfm?StoryID=20040316-040640-6755r



V.ブッシュの現役・退役軍人切り捨て政策。イラク帰還兵の社会復帰に立ちはだかる大きな壁

「……フォート・カーソンは医師不足で、PTSDの患者向けに医師は二人しかおいていないそうです。マイケル、それをどう思いますか?戦闘を経験した兵士が何千人と帰還するというのに、日常生活に復帰する手伝いをするいしがたったの二人!指導者が正しい判断を下しているのなら何の見返りもいらないといって命を差し出した者に、国は何という仕打ちをするんです?」
                『マイケル・ムーアへ』(戦場から届いた107通の手紙)


(1)退役軍人への自己負担増を求めたブッシュ新年度予算案
 ブッシュ大統領は来年度予算編成において、大半の退役軍人たちに対して処方薬の自己負担金を2倍にし、ヘルスケアを利用する代償として一年間に250ドルもの新たな支出を退役軍人に求めた。チェイニー副大統領は、「予算が極めて制限されている」ことをその根拠に挙げたが、軍事費そのものは、特に主要兵器システムの開発、試験、評価のための予算は大きく増額されている。それにもかかわらず退役軍人に対しては、負担増を求めるというのである。
 「…兵士が軍を去ってから経験する事柄については、軍部の懸念することではない」が当局の本音だ。あとはどうぞご勝手に、ホームレスになろうと野垂れ死にしようと、自己責任という訳である。自分達の石油利権のため、軍産複合体の利益のためにイラクに対して戦争を仕掛け、兵士を動員したブッシュは、兵士を使い捨ての駒としか考えていないのである。

 しかもこの「財政逼迫」のもう一つの理由は、レーガン政権以来の大型減税−−金持ち優遇税制の徹底−−にある。決して戦場に行かない金持ちを優遇し、兵士として戦場に赴く中間層、低所得者層には冷酷。これがブッシュ政権のやり方である。自らが引き起こした戦争で泥沼に陥ったにもかかわらず、「財政が厳しいから」との理由で、いとも簡単に帰還兵、退役した兵士を切り捨てようとしているのだ。
 退役軍人関連予算の削減圧力は、財政逼迫を背景に今後強まってくるに違いない。医療・教育・社会福祉関連予算の削減にも踏み込もうとしている現在、退役軍人の利益と底辺の労働者や勤労者の利益はますます共通したものとなるだろう。「66万人にものぼる食糧支援を受けている女性、乳幼児、子供たちは今、まな板の上に乗せられている。12万人もの未就学児が・・・いる。37万人もの貸家支援を失った家族、年配の人々がいる。きれいな空気と飲み水のための支援を失うことになる自治体がある。・・・」(ニューヨーク・タイムズ 2005年3月5日 “A Fighting Strategy for Veterans”)。退役軍人の運動は、他の医療・教育・福祉関連費用削減反対の運動と連帯し、ブッシュ政権と対決することが求められている。
※「A Fighting Strategy for Veterans」The New York Times ^ | March 5, 2005 | EDITORIAL
http://www.freerepublic.com/focus/f-news/1356477/posts


(2)傷病兵に高まる不満。あまりにもお粗末なイラク帰還兵への医療体制
 「大急ぎという感じだ。連中は俺たち(傷病兵)をしばらく倉庫に放り込んだんだ。まるで牛扱いさ」。「ずべては数字次第なんだ。質の良い対応をする代わりに、連中は期限内に全員を復員させようとしている。困ったことがあっても、連中が言うのは“退役軍人局が面倒を見ます”だけだ」(ある兵士の言葉)。……「他の仲間もそうだろうが、まるで“お前はもう現役じゃない”と言われたように俺には感じた。俺たちは退役軍人局扱いになるという同意書に署名する事になった」。これらは、イラク戦争で負傷した兵士たちの叫びである。軍務に就けなくなった兵士たちが、公然と「お払い箱」にされているのである。その結果、医療の質が大きく引き下げられるのである。

 また、イラク帰りの40 パーセントを占める負傷した兵士たちの間に、処遇に対する不満が高まっている。前線から戻ってくる負傷した兵士たちは、「医療待機」を求めるケースも続発していると言われている。医師の診断を受け、外科手術などは軍が行うが、内科、神経科などの病気については病名が確定すると、医療給付金額が確定されて、それぞれ出身地の病院に移されるという。しかし、診断が簡単にはくだらないという。医師の絶対数が少なく、それにもかかわらず補充の目途がついていない。だから医師の診断を受けるのは困難だという。さらに、戦場で背負い込んだか、出征の過程でなった病気であるにもかかわらず、以前からかかっていたとして「労災」には当たらないといった診断をされるというケースもあるという。軍当局は、医療給付金を低く査定しようとしているというわけである。
※「アメリカ軍予備部隊兵士のやるかたない憤まん」 http://www.edagawakoichi.com/AMERICA/a-amerikagunyobi.html

 それだけではない。ブッシュ政権は、戦傷者への治療にあたる軍病院の閉鎖を強行し、予備役の福利厚生費を削減しようとしている。ブッシュが大統領に就いた4年間、対テロ戦争を掲げながらも、兵士に対してあまりにも冷淡であった。イラクから戻った兵士たちは、戦場での負傷によって生活費を稼ぐことできず、わずかな政府補償金等によって食いつないでいく。彼らが路頭に迷おうが、紙府にとっては関係ないというのである。まさに負傷兵たちに追い打ちをかけるがごとく、見殺しにしようというのである。
 このように、兵士達は、イラクで散々な目に遭ったあげく、帰還してからも切り捨てられるのである。ブッシュ政権のあくどい仕打ちに対して、退役軍人の中からも、現役兵士の中からも、早期帰還、早期撤退を求める声が高まるだろう。
※参照サイト(本稿末尾に翻訳資料添付) Bush Budget Raises Prescription Prices for Many Veterans(Wilmington Star-News)http://www.wilmingtonstar.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20050207/ZNYT04/502070314/1004/LOCAL
※参照サイト Budget boosts vets' co-pay for drugs and adds new fee Benefit changes show up in Bush's $2.5 trillion spending plan(NCHV) http://www.nchv.org/background.cfm#facts
※参考サイト「アメリカよ、目を覚ませ!息子、娘たちを無駄死にさせるな!イラク帰還兵が逮捕覚悟で惨状を証言」http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200312141410470


(3)予備役・州兵の職業復帰の困難、生活状態の悪化。揺らぐアメリカの州兵・予備役制度 
 現在のイラクに派遣されている地上部隊は15万人。その40%が、普段は市民生活を送っている「パートタイム兵士」という予備役兵・州兵である。戦争が継続し長引くに従い、この「パートタイム兵士」をめぐる様々な問題が浮上してきている。普段は市民として職業を持ち、家族を養っている予備役、州兵にとって、帰還後の職場復帰は大きな問題である。基本的には、雇用主は社員が軍務から復帰した場合、元の条件を保証しなければならない。しかし実際には保証しないケースも多い。

 イラク戦争の泥沼化で予備役が大量に戦場に動員され始めたため、職場復帰をめぐる問題がここへきて急速に増大している。昨年の4月以降、政府・国防総省の雇用担当窓口には、帰還した予備役からの雇用をめぐるトラブルの電話が6462件もあったことが報告されている(その内の5739件は、仲裁の結果解決)。しかし予備役が、自営業を営んでいたり、「高額所得者」の場合、事態は仲裁だけでは済まない。当然のこと、その軍務に従事することで、その後の復帰した時の事業の継続に大きな影響を受ける。アーカンソー州の七面鳥飼育農家の予備役の一例がTVで紹介されていたが、その経営は当然のこと、働き手の柱を失うために困難なものとならざるを得ない。場合によっては、倒産もありうるのだ。

 また派遣された4割の予備役が、兵役に就くまで民間の職場で支給されていた給与水準を数千ドル下回っている。残された家族は、一家の大黒柱の収入源を失い、困窮する場合も稀なことではない。このような予備役の条件面での様々な問題が表面化し、米政府は新たな予備役の募集もままならなくなっているのである。アメリカの軍事体制を支えてきた予備役制度の根幹が揺るぎ始めているのである。
「戦争に行かされたりしたら、生活がめちゃくちゃですよ。稼ぎはなくなり、医療費はかさみ、ああ!それから何だろう?とにかくこれが二年間!……自分の金儲けのために、職業軍人じゃない州兵を戦争に送りこみ、その人生を踏みにじろうとする政府のやつらをは憎んでも憎み足らない」
                   『マイケル・ムーアへ』(戦場から届いた107通の手紙)

※Many Reserve and Guard Face Job Probrem After Discharge from Active Duty(VCS) http://www.veteransforcommonsense.org/index.cfm?page=Article&ID=2863
※イラク駐留米軍ボーナスアップ 異例の厚遇 民間引き抜きに対抗(産経新聞) http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20050301/m20050301012.html
※負傷しても差別――突然戦争に駆り出される負傷した予備役兵の悲惨な待遇(マーク・ベンジャミンの記事を紹介したサイトから。「アメリカ軍予備部隊兵士のやるかたない憤まん」http://www.edagawakoichi.com/AMERICA/a-amerikagunyobi.html

 ……ジョージア州は南部(負傷した予備役兵のキャンプがある)で、10 月と言っても暑く、しかも湿気がひどい。彼らの寝起きしているのは、砂地にコンクリート・ブロックを積んだだけの兵舎で、エアコンもない空間に、1 棟 60 人が野戦用ベッドで寝起きしている。トイレがないため、シャワーと用便は、離れた共同棟まで出かけていかなくてはならない。そこは、流しが漏れっぱなしになっているし、おしっこの臭いで充満し、ゴキブリがうようよしていると、マーク・ベンジャミンというレポーターが記している。
 このような場所に隔離されている兵士たちの不満の根には、自分たちは差別されているという強い意識がある。彼らはすべて、陸軍予備部隊か、あるいは各州に所属する州兵部隊で、正規軍とはちがう。この戦争開始で、各地から駆り集められた「市民兵士」である。従来は定期的に基地に出頭して訓練を受ける以外は、普通の市民生活をつづけてきた。その人々が、この「国家の大事」に、突然呼び出されてイラクまでも行かされた。その結果、その兆候さえなかったはずの病気に罹ったらしい。
 しかも、きちんとした医療が受けられない。
 正規軍も予備部隊も、同じアメリカ軍として共に行動し、同じようにイラクの砂嵐のなかで戦ってきたはずなのに、自分たちだけなぜ冷遇されなければならないのか。この孤立感は、戦争に賛成するか反対するかという観念のレベルから発するものではない。戦争の現実に接した者がどうしようもない感覚として抱く。それは、ある種の厭戦意識につながっている。差別を受けるような軍にはいたくないし、これ以上戦いに参加するのはごめんだという兵士の意志は、国家の戦争意思を足元から掘り崩しかねない。
 国防総省は今後。予備部隊の召集を拡大する予定らしい。また、ブッシュ大統領は、10 月 9 日に、ニュー・ハンプシャー州の予備部隊の兵士たちを前にした演説で、「諸君は軍の背骨の一部になった」と持ち上げたそうだが、少なくとも、ジョージアの砂地に放置されて、見捨てられたという思いを深めている疾病兵士たちは、これを言葉通りに受け取ることはないであろう。……



W.労働者・学生・市民の反戦運動にイラク帰還兵・退役軍人・兵士家族の反戦運動が合流し始めている

(1)退役・現役兵士達の反戦運動が独自の要求を掲げて立ち上がり始める
 占領統治の泥沼化と米軍兵士の犠牲の拡大は、退役軍人の問題をより鋭い形でアメリカ社会に突きつけることになるであろう。確かにイラク帰還兵の問題は、まだ萌芽の段階である。しかし、大勢のPTSDにかかった兵士への緊急対策を求める声が高まり、傷病兵の大量帰還、帰還兵のホームレスが現れ始めている。

米国の退役軍人組織が、徐々にではあるが声を上げ始めている。退役軍人組織の一つである「ベテランズ・フォー・コモンセンス」(VETERANS FOR COMMON SENSE)は、次のような声明を出している。「従軍兵士、退役軍人、その家族を支えよう! VCS(上記組織の略)は直ちに、包括的なヘルスケア、傷病手当金、すべての従軍兵士、退役軍人、家族への再調整されたサービスの提供を求める。・・・・わが政府は、戦場における負傷、ワクチンと毒ガスに曝露されたことによるPTSDを含む、戦争における良く知られた、または知られていない影響の両側面を解決する責任と義務を負っている」(VCSのサイトhttp://www.veteransforcommonsense.org/から)。
VCSのような退役軍人組織やイラク戦争に従軍し負傷した兵士、命令を拒否した元兵士らの組織が反戦の声を上げ、連帯する動きを活発化させている。彼らは、帰還兵、退役軍人の処遇をめぐる問題への政府の積極的関与を要求、良心的兵役拒否者へのサポートも行い始めている。今の段階では、その一つ一つの声はまだまだ小さいかもしれない。しかし、ベトナム戦争の末期に繰り広げられた、市民や学生や労働者らの反戦運動と帰還兵の運動の合流が、今再びイラク反戦をめぐって再現し始めているのである。


(2)イラク戦争2周年の今年3/19−20の全米反戦行動最大の特徴は退役兵士・兵士の犠牲者家族の運動の合流

    
(ANSWER HPより)
(IVAW; chicago.indymedia.orgより)

 イラク戦争2周年の今年3/19−20、全米で反戦運動が繰り広げられた。幾つかの特徴があるが、その一つは、これまでの大都市中心戦術、例えばニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルスなど巨大都市へ数十万人規模で全国から総結集する戦術から、全米の隅々の地方都市・小さな町やコミュニティで、草の根の自主的組織、自主的運動を組織する戦術への転換である。アメリカ最大の平和運動ネットワークをもつ 「ユナイテッド・フォー・ピース・アンド・ジャスティス」(United for Peace and Justice、UFPJ)によれば、今年は全米50州、765の町や市で行動が行われた。これは昨年の1周年の際の319地域と比べると2.4倍増加したことになる。ここ数十年間全く反戦運動がなかった地方の幾つもの町や小都市でデモや集会が行われた。米国では新たな部分、新たな参加者を掘り起こして反戦運動の裾野を拡大する方針を着実に実行に移しているのである。
 また米国のもう一つの反戦ネットワーク「インターナショナル・アンサー」連合(ANSWER)も地方重視という同様の方針を打ち出した。
※UFPJが組織した地域のリストについては「U.S. Cities and Towns Holding Mar. 18-20 Anti-War Events」を参照。http://www.unitedforpeace.org/article.php?id=2782
※ANSWERが組織した地域については、リストが掲載されている。http://answer.pephost.org/site/PageServer?pagename=ANS_March19_actions



(ANSWER HPより)
 もう一つの、そして最大の特徴の一つが、退役軍人、兵士犠牲者家族の反戦運動の参加である。ANSWER連合は今年の3/19−20行動に向けて昨秋来、メイン・スローガンに「今すぐ兵士を帰還させよ!」("Bring the troops home now.")を含めるよう呼び掛けている。それはイラク人民の民族自決権を保証するスローガンであると共に、多くの若い米軍兵士達が帰還したがっている状況を、運動自身が重く受け止めなければならないからでもある。
 とりわけ、イラク反戦2周年の行動では、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地前の行動が注目された。この行動の主催は、「発言する兵士家族の会」、「平和を求める退役軍人の会」、「反戦イラク帰還兵の会」など、イラク帰還兵、退役軍人、兵士家族が中心となった。そしてここではオクラホマ陸軍刑務所で9ヶ月服役し2月15日に釈放されたカミロ・メヒアスが演説した。彼は、イラクでの戦闘に6カ月参加後帰国し、再度招集された際にイラクへ赴任することを拒否した、いわゆる良心的兵役拒否者である。
※「Why We Say Bring the Troops Home Now!」Sunday, October 10, 2004
http://answer.pephost.org/site/News2?abbr=ANS_&page=NewsArticle&id=5501





[翻訳資料]
私にシェルターを与えよ!
Gimme Shelter
ローズ・アグイラ AlterNet2005年2月8日
http://www.alternet.org/waroniraq/21191


 多数のイラク戦争帰還兵が戻ってきて、ホームレスや精神的な問題に直面している。一方、復員軍人省が問題にしているのは行方不明兵士(MIA)だけである。
 ヘロルド・ノエルは軍務に就いていた。それには2003年のイラク戦争の最初の5カ月を軍の燃料担当として過ごした期間も含まれている。彼はその年の8月にイラクからニューヨークのブルックリンへと戻ってきた。歓迎を受け、そして復員軍人省(Department of Veterans Affairs:VA)からの支援を受けることを望みながら。それらは彼がこれまで期待してよいと言い含められていたことであった。しかしそれらはなかった。
 「政府が言っている事とやる事は違うんだ」とノエルは言う。「私は支援が受けられるだろうと考えてニューヨークに戻ってきた。仕事もみつかるだろうと。でも、残念ながら考え違いだった。」8ヶ月間、寒く眠れない夜を車の中で過ごした後、この25歳の退役軍人は、やっと彼が家とよべる場所を手に入れた。もし一年間の賃貸料を払ってくれる匿名の寄付者がいなかったならば、ノエルは未だにブルックリンの通りをさまよい、妻と4人の子供にも会うことができなかっただろう。ノエルは、復員軍人省も含めいくつかの政府プログラムに連絡をとったが、サービスを受けるには1年は待つことになる、と言われたという。「政府は目を覚ますときだ」と彼は言う。「もし兵士たちが戻ってきて、自分たちが嘘をつかれたことに気がついたら、私たちは反乱を起こすだろう。」

 小さなうねりとなったイラクからの帰還兵が本国に帰還するとともに、住宅供給や雇用、カウンセリングサービスを提供する様々な組織・団体は、この問題はアメリカでかつて経験したことのないものになると予感している。これらの組織・団体は、その受け入れ準備ができておらず、また連邦政府が十分な支援や援助を提示していない、と口にしている。

 ある場合には、政府は文字通りに彼らを路上に投げ出しているのである。
 数週間前、オハイオ州シンシナティ郡長官はチャーリー・ブリス(ベトナム退役軍人で、ホームレスの退役軍人に対する州の慈善産業プログラムの調整官)を呼び出し、あるイラク退役軍人が復員軍人省(VA)の運営するアルコール依存治療プログラムから、またVAによって実行されたローカルのアルコール処理プログラムから放り出されようとしており、彼はどこにも行くところがないのだ、と通告した。ブリスは、彼が復員軍人省の別の部署の保障を受けられるまで、彼を収容することに合意した。「だからといって大して意味があるとは思わないだろう?」ブリスは皮肉な言い方をした。「復員軍人省は誰でも28日間もてなせば後はそいつを放り出すんだ。そいつは行き場所がないと、彼らが知っていった場合でもね。」
 ブリスは現在3人のイラク帰還兵を収容しており、またすでに、イラクから帰還した後に路上に放り出されるとみられる多数の人々からの電子メールを受け取っている。「帰還してくる連中は、男も女もそうなんだが、私たちがあそこに派遣したわけではないし、私たちには彼らを世話するための資金も持ち合わせていないんだ。」と彼は言う。

 「私たちの政府が兵士らに対して基本的に送っているメッセージは、『君たちが制服を脱いだ後は、君ら自身でやっていけ』ということだ。」とリンダ・ブーン(退役軍人のホームレスをなくすために活動している非営利団体、ホームレスの退役軍人らのための全国連合(the National Coalition for Homeless Veterans:NCHV)の理事長は話す。「国防総省は、軍に市民生活のための準備をさせるという適切な仕事ができてない、という言い方ではあまりにも控えめすぎる。」
 復員軍人省は、ブーンの批判は的外れだと言う。「国防総省の役割は、よい市民生活を送る方法を教えることじゃない」とピート・ドゥハーティ(復員軍人省ホームレス・サービス局長)は述べた。「国防総省の役割は、良い水夫、あるいは良い現役の軍務メンバーになる方法を教えることだ。」ブーンは最近、全国各地から加盟している19団体の調査を行い、昨年にホームレス避難所にイラクおよびアフガニスタンからの退役軍人が67人いたことを数えた。「ホームレスは途方もない大問題になるでしょう。ところが、国防総省はホームレスになった退役軍人の一団が存在する事さえ認めていないのです。」
 ドゥハーティは、問題があるとは認めているが、それが「途方もない大問題」にはならないだろうと主張している。

 それでもなお、ホームレスの退役軍人を支援する様々な組織・団体は、最悪の事態に向けての準備をしている。「個人的には、これはベトナムよりさらに厳しい事態になるだろうと考えています」とバート・カシミール(サンフランシスコに拠を構える退役軍人を支援する退役軍人らの団体、ソード・トゥ・プロウシェアー(剣を鋤へ)の健康及び社会福祉事業担当役員)は言う。
 ベトナムで衛生兵として従軍したカシミールの話では、湾岸地帯のイラクからの帰還兵が帰還する際には、予備役兵の者がもっとも援助を必要とすることになるだろうという。「思い出してほしい---予備役にいた時には、週末に一度集まり、毎年2週間軍務に就く、ただそれだけなのです。予備役らは銃の扱いにさえ慣れてないのだ。」と彼が言う。「これら予備役兵の大半は軍務を解かれて放り出される事になるだろう。」
 カシミールは、ベトナム戦争が終わってから広範なホームレス問題の解決までに12年あまりかかったと語る。今では、彼はこの問題が社会を直撃するだろうと予測している。「兵士らが家族に暴力を振るい、乱暴な働きをするのを耳にする覚悟をしたほうがいい。それは既に現実に起こっている。」と彼は言う。

 海兵隊のアンドレ・ラーヤ上等兵のケースは、カシミールが指摘した事柄の一例である。ラーヤは昨年イラクで従軍したが、カリフォルニアのケレスに戻ってきたとき、彼は全く別人となっていた。友人らがサンフランシスコ・クロニクル紙に語ったところによれば、ラーヤは会話の間中、空を見つめていたり、あるいは部屋に閉じこもって何時間も音楽を聞いているという。友人の話では、ラーヤがパーティでは眠ってしまったことがあって、起こそうとしたところ、彼は叫び声をあげて銃をとろうと(その場にはなかったのだが)手を伸ばしたという。
 1月9日、イラクに戻るよう命令を受けていたラーヤは暴れ狂った。彼は突撃銃を手にして酒屋に向かい、店員に警察に電話するよう命じた。警察が到着すると、彼は警官らに向かって発砲を始めて1人を殺し、別のものを負傷させた。彼はその後、建物の周りや家々の裏庭を通りぬけて駆け出した。住人らに向かって、彼らは「罪のない民間人」なのだから傷つけられることはないぞ、と叫びながら。警察はその後、彼を射殺した。

 軍のメンタル・ヘルス専門家たちは、ラーヤは昨年のイラク従軍後の外傷後ストレス障害(PTSD)に最も苦しんでいたようだと話している。
 NCHVのブーンは、退役軍人らの一団が帰還してくるときには、PTSDが膨大な数字となって現れるだろうと予測している。なぜなら、「兵士たちは都市部で戦闘をしている。誰もが敵の可能性があるのです。食堂にいるときさえ殺されかねないのですよ。」

 これは2003年3月から2004年4月の間、ジョー・シャープ軍曹にとって現実の問題だった。彼は、イラクの銀行システムと株式市場を再建する予備役兵として従軍していた。彼は来年には配置転換されることを期待している。「誰もが銃で狙われている。日常的な砲火や爆発を耳にすることも、銃弾を避けようと身をかわすことも、やらなくてすむ道はどこにもないのだ。」と彼は言う。「多数の人間がこの種のトラウマにさらされており、またそれに対処するための適切なインフラも持ち合わせていないのだ。」

 それでは、何か適切に準備されているものがあるのだろうか?
 国防総省はこれに答えようとはしなかった。そして私たちに、州兵(National Guard)や予備役兵(Army Reserve)に聞いてみてはどうか、と提案した。州兵では、マイク・ミロード中佐が私たちの質問に対して単にこれだけしか言わなかった。「それはきちんとした回答をもらうだけの価値がある質問だね」。彼は国家レベルの人間に聞くよう勧めた。
 私たちは復員軍人省に挑戦してみたが、30分間待たされた後、あきらめた。後で、ドゥハーティーはこの長時間待たせたことは「普通ではない出来事」であったと述べている。

 NCHVのブーンは、復員軍人省のシステムは突き崩されてしまったと言う。「世間では、復員軍人省は全ての退役軍人を支援するものと当然思っています。でも彼らはそうじゃない。一般的にいって、私たちはホームレスの人々に対して十分な費用を充てていない。退役軍人向けについていうまでもなくね。」

 復員軍人省を通じての支援を求める手続きは、精神的ダメージを与えかねないものだとローズ・サットンは話す。サットンはカリフォルニア州メンローパークに居を構える非営利団体「ネクスト・ステップ」(Next Step)の理事で、この団体は年間で500人の退役軍人らに雇用トレーニングや住宅サービス支援を提供している。「退役軍人が傷を負っている場合であれば、復員軍人省は彼らの面倒をみるだろう。でも彼らが精神的な傷を負っている場合は、復員軍人省は彼らをさんざん苦労させ、その問題が任務に起因するものであることを彼ら自身で証明するよう求めるだろう。」

 サットンやカシミール、ブーンらは、市民が政治家らに圧力をかけて国防総省が帰還兵らの帰還時に社会に同化できるように手助けするよう要求させる必要がある、なぜなら国防総省はそれを自発的にはやろうとしないからだ、と言う。
 ブーンは9年前に首都のワシントンに移住した。それは彼女が「議会の人間がその問題をまったく理解していないと思った」からだという。彼女はこの話を広めれば、政府は彼女の団体のようなところに資金を提供するようになるだろうと語った。「私は9年ここにいますが、まだ彼らは小切手を切ったことがありません。」

 ペンタゴンの管理事務所の発表によれば、アメリカはイラク侵略と占領に一ヶ月48億ドルを費やしている。ブーンは言う:「なぜホームレスの退役軍人プログラム向けに5000万ドルを出させるために、これほど多くの時間を費やさなければならないのでしょうか?退役軍人がホームレスになるのはおかしい。政府が戦争に費やしている額に比べれば、はるかに小額でこれを食い止めることができるでしょう。全くナンセンスな事です。」


[翻訳資料]
ブッシュ予算は多くの帰還兵の自己負担を引き上げる
Bush Budget Raises Prescription Prices for Many Veterans(New York Times)2005/2/7
http://www.wilmingtonstar.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20050207/ZNYT04/502070314/1004/LOCAL


 ブッシュ大統領の予算案は、多くの帰還兵に対して処方薬のために課される自己負担を2倍以上にし、政府の健康管理を利用する特典を得るために毎年250ドルの新たな公共料金の支払いを一部に要求するであろうと、政府筋が日曜に語った。
 この政府筋の語ったところでは、この政府案は、ブッシュが月曜に公表する予定の2兆5千万ドルの予算に含まれている。

 「(予算は)緊縮である」と副大統領のディック・チェイニーは“Fox News Sunday”に対して語った。「我々がここに来て以来、最も緊縮的な予算である」。
 帰還兵への負担増のこの政府案は、退役軍人組織、民主党の下院議員、一部共和党員からの強い抵抗を受けている。

 チェイニーは、ホワイトハウスは削除あるいは削減される多くの内政プログラムを慎重に見極めてきた、と語った。「我々が大なたを振るったのは大したことじゃないし、突然に我々の社会の最も困窮した人々を見捨てているのでもない。」

 この計画は、連邦議会における何ヶ月もの凄まじい論争を巻き起こすであろう。民主党はすでに、ブッシュ政権が退役軍人の給付金を削り取ろうとしている如何なる兆候にも襲いかかろうと身構えていることを明らかにしている。

 全体として大統領は、10月1日から始まる会計年度に復員軍人省(VA)に708億ドルを要求している、と担当省からの予算文書を見た議会担当の側近は語っている。
 この全体額(708億ドル)は、議会による年間予算の対象である裁量支出における334億ドルと、以前の法律によって定められている、障害補償、遺族給付金、年金などの公的給付としての374億ドルからなっている。
 健康管理が、政府機関の裁量支出のほとんどすべてを占めている。ブッシュは、この支出において2.7%の増額、8億8000万ドルもの増額を求めている。

 大統領は、現在の7ドルから15ドルへと、月々の処方薬への自己負担額を増やそうとしている。政府は、自己負担金と250ドルもの“受益者負担金”は、高収入があり従軍関連の障害を負っていない、優先順位の低い退役軍人に対して主に適用されるだろうと語っている。

 政府は、受益者負担金と自己負担金の政府案が適用された場合、どれほどの退役軍人が影響を受けるのかについての適正な評価をしていない。しかし退役軍人のグループは、数十万もの人々がもうこれ以上援助を受けられず、多くがこの変更によって影響を受けると指摘している。

 退役軍人グループは、この政府案を攻撃している。“負傷した米退役軍人”(Paralyzed Veterans of America)の法律代表であるリチャード・B・フューラーは次のように語っている。「提案されている保健支出の増額は、患者の数が増大し、健康管理費用が増大しようとしている今では、十分なものではない。必要額をカバーしていない。登録費は健康管理税であり、歳入を高め、人々に登録させないことを意図したものだ。」
 予算は退役軍人病院と診療所でのサービスを制限することになるだろうと彼は付け加えた。「すでに我々は、イラク帰還兵の一部にさえ、待機者リストが増えていることを知っている。」

 たとえばミシガン州では、数千人もの帰還兵が医療サービスを受けるために待機リストにあり、イラクから帰還したある予備役兵は、約束されたケアを受けることができないと言っている。ミシガン州のポンティアックの退役軍人のクリニックでは、新規の登録を制限した。ペンシルベニア州のアルトゥーナの退役軍人病院では、一部の帰還兵に対してどこか他のところでの治療を探すよう求めている。

 しかし、復員軍人省のスポークスマン、シンシア・R・チャーチは、政府の実績を弁護した。「我々の予算の2001年から2005年の間の健康管理単独の増加は、40%以上だった」とチャーチは言った。「ブッシュ大統領は帰還兵への約束を守っている。」

 復員軍人省は、今年、管轄の病院と診療所で500万人の健康管理を扱うと予想している。新しい予算の下で、復員軍人省は、当局が「中心顧客」と表現したものに焦点を当てようとしている。それは、従軍に関連する身体障害や低収入の状況にある帰還兵を含んでいる。

 この予算案はまた、退役軍人病院を閉鎖ないし縮小しようという以前に公表された計画を促進する。十分に利用されていない建物や余分な土地に支出されていた費用が、より多く帰還兵の健康管理に支出できると、復員軍人省は語った。

 退役軍人グループは、復員軍人省の健康管理予算を35億ドル増加することを望んでいるが、連邦議会補佐官はその要求は非現実的だと述べた。

 その上、他の予算の詳細が週末の間に明るみに出た。60の大きな研究大学を代表する「米大学協議会」の政策アナリスト、トービン・L・スミスは、予算書類を精細に調べて、ペンタゴンの優先順位に変化があることを発見した。

 「2006年度予算要求においては」とスミスは述べた。「国防省の科学技術への支出は顕著に縮小し、一方、主要兵器システムの開発、試験、評価の予算が増大している。」

 ペンタゴンの予算は、2006年度に科学技術に105億ドルを準備しているが、今年の水準より25億ドルの削減であると、彼は述べた。
 「我々は、その変化に懸念を抱く。というのは、国防省が大学の研究支援を減らそうとしていることを意味するからだ」と、スミスは語った。「エンジニアリングとコンピュータサイエンスは特に大きな打撃を受ける。」

 新予算は、大統領の最大の国内優先政策である、国民に雇用保険料の一部を個人投資勘定に回させる、社会保障制度の改革のコストを示していない。

 チェイニー副大統領は語った。変革の資金として、連邦政府は向こう10年間に7500億ドル、「その後さらに数兆ドル」を借りることが必要だ。しかし彼は語った。「個人勘定は、それを保有する者に顕著なリターンを与えるだろう、従って彼らはより多くを得るだろう。」

 帰還兵プログラムへの支出を抑制するどんな努力も、必ず、民主党からの強い批判を引き起こす。彼らは、共和党主導の議会とブッシュ政権が既に、現役軍人と旧軍人への支払いをごまかしていると主張する。

 この数年、民主党は自分たちの帰還兵支援プログラムを強調しようと試みてきた、確実に共和党支持者だと見られていた有権者に狙いを定めて。政府の努力は、共和党支持者にかなりの不安を引き起こしている。

 1月はじめ、議会の指導者たちは、退役軍人援護委員会の議長であった、ニュージャージー選出の共和党下院議員クリストファー・H・スミスを失脚させた。彼は、帰還兵プログラムと支出増加の強力な擁護者と見られていた。スミス氏は、インディアナ選出共和党下院議員スティーブ・バイヤーに交代させられた。

 復員軍人省の新しい長官ジム・ニコルソンは、先月の上院委員会での彼の承認公聴会が行われたとき、帰還兵の健康管理についての多くの不安を聞いた。

 アイダホ選出共和党上院議員ラリー・E・クレイグは、この委員会「復員軍人援護に関する委員会」の議長であるが、ニコルソンに言った。「君が受け継ぐ財政環境は、復員軍人省が過去4年間楽しんできた比較的好景気のときより、相当に厳しいだろう。」




[シリーズ米軍の危機:その1 総論]
ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害


[シリーズ米軍の危機:その2 イラク帰還兵を襲うPTSD]
イラク帰還兵で急増するPTSDと戦線離脱。必死に抑え込もうとする米軍の非人間的な“殺人洗脳ケア・システム” −−NHK・BSドキュメンタリー2004年12月11日放送:「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」より−−