子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
S610509 学校災害 2004.5.16 2012.5.11更新
1961/5/9 埼玉県大宮市立南中学校の大谷立くん(中1・12)が、柔道クラブの練習中、頭を強打して意識不明となる。
その後、意識は回復するが全介助を必要とする障がいを負った。
経 緯 立くんは、先輩と組んだとき、一度投げられて、頭を強く打った。
保健室で休んでいると、先輩が呼びに来て柔道場に呼び戻され、再び乱取り。
また頭を強く打って、意識不明となる。

近所の医師の指示で日赤病院に運ばれたが、当時は、脳血管撮影の技術がなかった。1ヵ月意識戻らず。
その後、東京大学付属病院の外科に転院。脳血管撮影の結果、血腫が見つかり、手術。
1カ月半後に、意識回復。
後遺症 手足は全く動かず、口もわめく程度しかきかなくなった。
その後、手術を繰り返し、右手はは動くようになった。また、ゆっくりなら会話ができるようになった。
補 償 発足まもない学校安全会から医療費が支払われるが、1年で打ち切られる。
「廃疾」(現行の「障害」)見舞金として、13万円が支払われた。
その後 1962/6/2 母親が看病疲れで倒れて入院。死亡。

立くんの医療費が足りず、父親が宅地と家を売る。
さらに、入院していた病院から「治る見込みがないので出てくれ」と言われる。
父親は「私は立をこんな弱い子に育てた覚えはない。朝元気に学校に行ったものが、廃人にして帰される。こんな馬鹿なことがあるか。元気な子どもになるまで市でめんどうをみてくれ。それまで、子どもをここに置いていく」と市に訴え出た。

1964/12/21 大宮市議会は、「義務教育の管理下における児童生徒の学業災害補償について」という決議を採択。
議会内に特別委員会を設置し、「学業災害補償法」の制定を国会・政府に働きかける。
1966/ 「学災法制定促進全国協議会」発足。運動が全国に広がる。

その後、立くんはクリスチャンでもあった故・粟野光理事長の支援を受けて、大宮中央総合病院であつい看護を受ける。
参考資料 「学校災害ハンドブック」/喜多明人/1993.9.12草土文化、「わが子に言葉なく ある学校事故の記録」/三浦孝啓著/1978.9.30/総合労働研究所





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