トルストイ・蘆花・ゴルバチョフ、そして「森を抜けて行こう」

─蘆花恒春園を巡るメモ─

2026・53

大井靖子(ロシア児童書などの翻訳とエッセイ ペンネーム 佐伯靖子)

「またも戦争だ。またも誰にも必要のない、根拠のない苦しみ、またも数々の虚偽、またも国じゅうに広がる混乱、狂暴化する人びと...。何千キロメートルも離れて暮らす何十万人もの人びとが(一方は、人間だけでなく動物の殺傷も禁じる掟の仏教徒、もう一方は、兄弟愛と愛の掟を説くキリスト教徒が)、陸でも海でも、まるで野獣のように残酷極まりない方法で相手を傷つけ殺そうと躍起になっている。」(トルストイ『正気を取り戻せ!』より)

1904年、トルストイは75歳のとき、日露戦争の交戦国、日本とロシアを鋭く批判し、停戦を呼びかけている。この記事は、イギリスのタイムズ紙に掲載。日本では、平民新聞に掲載され、感銘を受けた与謝野晶子は反戦詩「君死にたまふことなかれ」を書いている。

徳冨蘆花は、若いときにトルストイの『戦争と平和』(英語訳)を読んで感動。日露戦争開戦直前の1904年1月、平民新聞に非戦論を寄稿。1906年(蘆花38歳)、トルストイを領地ヤースナヤ・パリャーナに訪ね、トルストイとの対話から人類平等の思想を吸収するなど、生涯忘れることのできない体験をしている。また、そのときのトルストイの勧めで、翌年から、現在の世田谷区粕谷の地で晴耕雨読の生活を始めている。

トルストイは断固たる死刑廃止論者だったが、蘆花もまた、1910年、大逆事件で幸徳秋水らが処刑されると、一高の講演で「圧制はだめである。自由を奪ふのは生命を奪ふのである」と熱弁をふるっている。恒春園には、幸徳秋水ゆかりの秋水書院がある。

(写真はヤースナヤ・パリャーナで。左からトルストイ、蘆花、末娘アレクサンドラ)

ゴルバチョフ元ソ連大統領は、日本の国会で軍拡競争の停止、対話と協調などを提案した1時間に及ぶ演説を(1991年4月17日)、「レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは日本の作家、徳富蘆花に、日本とロシアの長期にわたる友好について訊かれ、『それは、一つの、共通の意志に貫かれた場合にのみ可能です』と答えています。この言葉を、私たち両国の本当の出会いの道を示してくれる、導きの星としようではありませんか」と結んでいる。

「真の英雄とは、殺人の仲間入りをきっぱりと拒否し、キリストの掟に背くことより殉教を選んだために、今、ヤクーツク地方の刑務所に収監されている人びとのことである。」(『正気を取り戻せ!』)

ウクライナ侵攻開始以降、さまざまな反戦プロジェクトが厳しい弾圧を逃れ、グルジアなどロシア国外で活動しているが、そのひとつ「森を抜けて行こう」идите лесомは、できるだけ多くのロシア人が殺し・殺されないために、徴兵を逃れ、国外に脱出し、亡命先を見つけるまで、経済的、法的、心理的に支援。なんらかの形で、支援を受けている人は5月1日現在、69,531人に及ぶ。

また、政治的迫害に抵抗する独立系メディアプロジェクトОВД-Инфоによると、反戦や抗議活動など政治的動機に基づく刑事事件で起訴されている人は4,690人、刑務所に収監中の”真の英雄”は2,130人にのぼる(2026年5月1日現在)。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です