憲法9条とポツダム宣言

深草 徹(元弁護士、深草憲法問題研究室、「九条の会.ひがしなだ」共同代表世話人) 

 憲法9条は、ポツダム宣言において既に想定されており、それをマッカーサー・GHQが具体化したに過ぎないとの論が、保守・右派の人たちだけではなく、リベラル・左派の人たちにも深く浸透している。

 たとえば歴史学者の松尾尊兌(まつお たかよし)氏は、次のように述べている(『昭和天皇は真珠湾攻撃の責任を東条元首相に転嫁した』論座2007年2月号)。

 「ポツダム宣言には、主権在民、基本的人権の尊重、戦争放棄の三本柱がすでに示されていることを忘れてはなるまい。」

 確かにポツダム宣言は、日本が軍国主義国家から平和主義国家に生まれ変わること、好戦勢力の排除・壊滅、軍隊の武装解除を求めている。しかし、そのことと、憲法に戦争放棄・戦力不保持の条項を設けることとは距離がある。

 ポツダム宣言に示される平和主義国家としての再生は、国家の根本的なあり方を示すもので、憲法マターではあが、平和主義国家として再生することと民主主義的国家の平和と独立を守る軍隊を保持することとは必ずしも矛盾するものではない。一方、好戦勢力の排除・壊滅、軍隊の武装解除は当面の課題であり、国家の中長期のあり方を示すものではなく、必ずしも憲法マターであるとは言えない。

 これは論理のレベルでの話だけではなく、事実の面でも論証できる。以下に示すのは、1945年10月16日、アメリカのバーンズ国務長官がGHQ/SCAPの国務省派遣政治顧問ジョージ・アチソンに発出した日本の憲法改正に関する基本的な考え方を示す訓令である。

 「日本の憲法が広範な代表を選ぶ選挙権に基づき、選挙民に責任を有する政府を規定するよう改正することが保障されなければならない。統治の執行部門は選挙民からその権限を発し、かつ選挙民と完全な代議制に基づく立法府とに責任を有するような規定がもうけられるべきである。

 もし天皇制が残されない場合は憲法上の規制は明らかに不必要であろうが、その場合においてもつぎの諸点が必要である。

(1)財政と予算にたいする議会の完全な統制

(2)日本人民のみならず、日本の支配下にあらゆる人民に対する基本的人権の保障

(3)国家元首の行為は、明白に委任された権限にのみ従うこと

 もし天皇制が残された場合、右に挙げたものに加えて以下の規制が必要となろう。

(1)天皇に勧告と承認を行う内閣は、代議制に基づく立法府の助言と同意によって選ばれ、かつ立法府に責任を負う

(2)立法機関に対する拒否権は、貴族院、枢密院のごとき他の機関によって行使されない

(3)天皇は内閣が提案し、議会が承認した憲法の改正を発議する

(4)立法府は自らの意思で開会することが認められる

(5)将来認められると思われる軍のいかなる大臣も文官でなくではならず、軍人が天皇に直接上奏する特権は除去される。

 さて、1945年10月16日とはどういう時期であっただろうか。以下に見ておくこととする。

 1945年10月4日、東久邇宮内閣の副首相格の無所任国務大臣近衛文麿が、GHQにマッカーサーを訪ね、面談した。その面談で、マッカーサーは近衛に対し、日本は憲法改正をして自由主義的要素を充分取り入れる必要がある、と指摘した。マッカーサーは、後に、これは指示ではなく、一般論を述べたに過ぎないと釈明しているが、近衛の方は、これを自分に対する指示と受け止め、内大臣木戸幸一と諮って憲法改正作業に着手し、大学時代の恩師、京都大学教授佐々木惣一博士を内大臣府御用掛に任命してもらい、佐々木博士とともに憲法改正案の起草を始めた。

 マッカーサーは、同日、治安維持法違反等により刑に処せられ服役中の政治犯らの釈放命令を発したため、5日、東久邇宮内閣総辞職、9日、幣原喜重郎を首班とする内閣成立、10日、日本共産党幹部ら16名を皮切りとした政治犯の釈放開始、11日には、マッカーサーは、新首相幣原喜重郎に対し、①婦人解放、②労働組合結成の助長・促進、③教育の自由化・民主化、④秘密的弾圧機構の廃止、⑤経済機構の民主化の五大改革指令を発出、政治は激動して行く。

 11日の面談では、憲法改正問題については、直接の言及はなかった模様であるが、水面下ではGHQ筋から新内閣に対する憲法改正の検討要請があったことは間違いないようだ。幣原内閣は、25日、政府に憲法問題調査委員会を設置し、松本蒸治国務相(東大教授で商法学の権威とされる。)を委員長とした。

 こういう時期に出された日本の憲法改正に関する基本的な考え方を示す上記の訓令は、GHQが日本の憲法改正への働きかけをする際の内容的枠組みを設定するものであったと言ってよいのであるが。よくご覧いただきたい。そこには9条に直結するものは何も示されていない。それどころか、天皇制を残す場合に、特に、将来、軍隊が再建されたときの規制、即ち、文民統制と天皇と軍との関係を断つことが必要だとの認識が示されているのである。これは軍を天皇の軍隊としないための保証、備えである。天皇制を残さない場合には軍に関する事項は何も触れられていないが、それは軍の存在を認めない趣旨とは考えられない。

 上記訓令で示されたアメリカの日本の憲法改正に関する基本的な考え方は、最後まで変更されていない。GHQに示した最終文書である1946年1月7日付「日本の統治体制の改革」と題する文書(SWNCC228)には、次のように記されている。

(憲法改正に関する一般的指針)

 日本国民が、その自由意思を表明しうる方法で、憲法改正または憲法を起草し、採択すること

(天皇および天皇制に関する指針の骨子)

(1)日本における最終的な政治形態は、日本国民が自由に表明した意思によって決定されるが、天皇制を現在の形態で維持することは不可

(2)日本国民が天皇制は維持されるべきではないと決定したとき

国民を代表する議会優位、国務大臣は文官であることを要する。

(3)日本国民が天皇制を維持すると決定したとき

 国民を代表する議会が選任した国務大臣は議会に連帯責任を負う内閣を構成する。

 天皇は一切の重要事項について内閣の助言に基づき行動する。

 天皇は、旧憲法に規定する軍事的権能をすべて剥奪される。

 内閣は天皇に助言を与え、天皇を補佐する。

 以上に述べたところから言えることは、9条は、ポツダム宣言から直接生み出されたものではなく、ポツダム宣言と9条の間を架橋する何らかの人間的営為があった筈であるということである。要するに、9条は、ポツダム宣言により既に既定のこととされていたとの論は誤りであると言わざるを得ないのである。(了)


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