現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2006年の発言

◆独裁者の死2006/12月

◆〈民衆の対抗暴力〉についての断章2006/12月

◆東アジアの緊迫した情勢について2006/12月

◆映画『出草之歌』を観て2006/10月

◆政治家の「文章」と「表現」について2006/10月

◆〈民衆の大綱暴力〉像の変遷――ボリビアの映画集団ウカマウの作品群を通して2006/10月

◆もうひとつの「9・11」とキューバの米軍基地――ラテンアメリカから見る「対テロ戦争」の本質2006/10月

◆ボリビア、515年目の凱旋――抵抗の最前線に立つ先住民2006/8月

◆拉致とミサイル『武力で平和は創れない――改憲必要論についての私たちの見解』2006/8/19

◆ゲバラがヒロシマから現代日本に問いかけるもの2006/7/31

◆「どなたかは存じませんが、何のご縁で?」ーー〈米軍再編〉計画の中の日米関係2006/7/24

◆拉致とミサイル2006/7/24

◆「黙っていると一〇〇年先も基地の町2006/6/20

◆現代ナショナリズムの一面2006/6/19

◆懐かしい人2006/6/19

◆弁護士のあり方を通して見る日本と世界の現状2006/5/27

◆「江戸の水運」と世界水フォーラムの間の、深き溝2006/4/12

◆「真実和解」へと至る、果てしない道 ―南アフリカ共和国の経験に学ぶ2006/3/19

◆ボリビアで先住民族(アイマラ人)出身の大統領が誕生―その意義をめぐる対話2006/3/19

◆グローバリズムか、「抵抗の五〇〇年運動」か2006/3/14

◆韓国映画『送還日記』が語ること2006/2/7

◆二〇〇六年新春夢譚 フィデル・カストロ演説「キューバは革命軍を解体し、軍備を全廃する」2006/2/2

◆遠くから、サパティスタが問いかける普遍的な課題――蜂起12年目に当たって2006/2/1

◆憲法問題に触れて、私も一言2006/1/26

◆書評『国家の品格』藤原正彦/著2006/1/13

◆「構造改革」はどこへ行き着いているか2006/1/10

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「どなたかは存じませんが、何のご縁で?」ーー〈米軍再編〉計画の中の日米関係            
『反改憲運動通信』第2期05号(2006年7月19日発行)掲載
太田昌国


「革新王国」と言われた時代の北海道で生まれ育った私は、中学生のころまでは、大してわけもわからずに(だったのだろう)「民族独立行動隊」「原爆許すまじ」などの歌をよく歌っていた。

高校生の時に60年安保を迎え、そのころ、「反米民族主義」路線か、「自立した日本独占資本打倒」路線かの論争があることを知った。前者が共産党、後者がそれへの批判勢力として登場した新左翼によって主張されていた。

自覚的に無党派であることを選んだとはいえ、そのころから新左翼文化の中で育つことになる私は、民族主義的に偏向していると思うようになった「代々木」の歌とわかれた。


 それから40年以上の歳月が流れた。思想的な立場はほとんど変わらなかった。オールド左翼の論理は、日頃「国際主義」の重要性を訴えながらも、究極の地点では排外主義的な民族主義に転化しがちだと捉えている私は、古典的なスローガンで言えば「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫ぶ運動文化からは遠い地点に居続けた。


 そんな私が、2006年5月1日に日米両国政府が発表した「在日米軍再編最終報告」のふたつの文書「共同発表」と「再編実施のための日米のロードマップ」を読む。

そして、頭を抱える。そこにあるのは、「国家としての主権意識」をまったく欠いた日本国の姿である。「米側よりは、小泉総理をはじめとして、日本以上の友人はいない、これほどまでに日米関係は重要であるとの発言があった」とは、「日米安全保障協議委員会(2+2)の概要」冒頭の言葉だ。

そうでもあろう、日本は、在日米軍再編・移転のための費用を負担し、地上を知り尽くした米軍が精緻な計算に基づいて自在にはじき出した「日本領土」内基地再編計画のことごとくを受け入れ、沖縄からグアムへの海兵機動展開部隊の移転は、普天間飛行場代替施設の完成を具体化させ、グアムでの施設とインフラ整備に日本が資金的貢献 をすることが不可欠の条件だとするパッケージ案を認め、ミサイル防衛計画にも嬉々として参加するというのだから。

米国側は正直にも、「これほどまでに」と表現したくもなろうというものだ。


  惚けた妻が、下(しも)の世話をする夫を見つめながら、「どなたかは存じませんが、何のご縁で?」と感謝する描写が、耕治人だったかの小説にあった。

そこには、切ないまでの愛情があろう。だが、日米間の「尽くし・尽くされる」関係には、何があるというのだろう? 

尊大と追従、傲慢と屈服、主人と下僕? 

19世紀末以来の、国家としての独り善がりな選民思想がそれなりに力を発揮して、世界にただひとつの超大国として残った米国は、その傲慢な振る舞いの挙げ句、世界における自己の位置を見失うまでに「惚けて」いる。

経済的には自立した帝国主義国である日本国は、ほぼ一世紀を跨いでの「黒船」と「敗戦・占領」という、近代日本の大転換期を画するふたつの「負の記憶」を基軸に米国と付き合うコンプレックスのゆえか、その「惚けた」国に対する政治的・軍事的従属を深めるばかりである。

私の内部に、ふつふつと、「屈辱感」が沸き起こる。民族としての? 国家の成員としての?


 否、そうではないだろう。あえて言うなら、「人間としての」と表現すると、私の感情に近いだろう。

「民族の自由を守れ」「血潮もて叩きだせ、民族の敵、国を売る犬どもを!」「同胞(はらから)の絶え間なき労働に築きあぐ富と幸」――このような歌謡的感性に依拠しない論理をもって、自国の軍隊の存在そのものをも否定する射程を有する「在日米軍再編」批判の思想と運動の展開を志したいものだ。

 
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