現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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 〈民衆の対抗暴力〉についての断章          
オルター・トレード・ジャパン+at編集室変『at』6号(太田出版、2006年12月)
太田昌国



                   (一) 

 現在の社会革命が直面している困難な問題は、前編で触れた〈民衆の対抗暴力〉が有効性を失った状況、あるいは〈民衆の〉という形容詞を付すわけにはいかない、きわめて凶暴な形で、場所も対象も行為の結果も熟慮することなく行使された類の〈対抗暴力〉が、他ならぬ民衆の離反を生み出したことからばかり生まれているのではない。

問題のありかを少し拡大してから、当初からの課題に接近しよう。


 前編の末尾で触れた「ユートピア主義者」についての思いは、故ジャック・ロッシから聞いた言葉を思い出しながら綴った。一九〇九年フランスに生まれた彼は、一六歳でポーランド共産党に入党、やがてソ連に入り、語学の才能を見込まれてコミンテルン(第三インターナショナル)に配属され、世界各地でスパイとして地下活動に従事した。

三七年、内戦下のスペインにいるときに突然モスクワに召還され、そのまま言われなき罪で監獄に収監された。

その後二四年間のラーゲリ(強制収容所)生活をおくり、出獄後は教師の仕事のかたわら、ラーゲリの実態を明らかにすることをライフワークとした。

その結果は三冊の書物となり、日本語でも『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』(恵雅堂出版)、『さまざまな生の断片――ソ連強制収容所の二〇年』(成文社)、さらに『ラーゲリのフランス人――収容所群島・漂流24年』(恵雅堂出版)として出版されている。私は、繰り返し読むに値する本として、この三冊の本の置き場所を定めてある。


 彼は、一九九七年、ラーゲリ仲間であったロシア文学者・内村剛介らの招待で来日し、いくつかの講演を行なった。

その際、若い一時期を共産主義者として生きたことの総括なのだろう、「〈人類を救う〉という初心、いま思えばその過剰な自意識をもった自分自身を顧みること」の肝要さを私たちに語った。

社会的公正さを求めるユートピア主義者の夢が失敗したのは「人間の本性が自己中心的、あるいは自己保存的であるという、あるがままのものでしかないことを認めず」、「それによって生じる〈主義〉と〈現実〉との矛盾をごまかすために、暴力と恐怖が必要となる」からであると彼は断言した(註1)。

私は、苦難の果てにジャック・ロッシがたどりついている地点を自分たちへの戒めとして大事にしなけれならないとは思ったが、「人間の本性」云々については、十分に納得できないまま留保したものを抱え込んできた。


 だが、その点を留保している私は、現実によって次第に追い詰められていることも自覚している。

現実社会が孕む矛盾、否定的な現実が多々ありながら、若いころの私たちがある意味で楽観主義者であり得たのは、自分をも絡めとっているその矛盾があるからこそ、その解決と止揚をめざして矛盾の只中を生きることに意味があると考えることができたからだ。

私がそんなふうに考え始めたのは一〇代半ばの一九六〇年前後だったが、世界の現実を見ても、そのような事例に事欠くことはないように思えた。

それは、当時の私には、社会主義革命と第三世界解放闘争の先に、漠然とではあっても、未来を予感することが可能だったからである。


  だが、いま私たちの眼前に展開しているのは、次のような現実でもある。一九六〇年代にその「未来」を体現していると思われたベトナムにおいて――あの激しい抗米闘争から三〇年有余を経て――重大な問題になっているのは、党幹部や企業家の汚職・不正である。

私は、指導的な立場にいる人物のこの種の問題は、民衆が有する解任(リコール)権限によって解決すべきであり、かつできると考えるので、ジャック・ロッシとは違って「人間の本性」一般論で留めるつもりはない。

しかし、民衆がその権利を行使する制度的な保証を欠いていたり、民衆自身がそれを行使する意図や意欲を持たないときには、体制の様態は異なるにせよ現在の日本に見られるように、深刻な問題となることは否定すべくもない。

中国もまた、日本帝国の侵略戦争と戦い抜いた末の革命を経ているだけに、私たちの積極的な関心を常に呼び起こす存在であった。

その中国も、一党独裁、人民解放軍なる国軍の強大化、幹部の特権化、貧富の地域格差の拡大、中華民族主義に基づく少数民族への徹底的な弾圧、環境問題の深刻化などを抱えており、「革命」によっても変革されなかったいくつもの現実を外部からでも現認せざるを得ないのである。


  私は一九六〇年、日米安保条約改定反対闘争敗北後の日々に、埴谷雄高の『幻視のなかの政治』(初版・中央公論社、現在・未来社)を読んだ。

そこに見られた現存社会主義に対する厳しい批判的な理論活動の存在自体が、いわば「未来」の明るさの担保であると思うことができた。

人類の歴史をけっして近視眼で見ようとは思わないにしても、四六年後のいまも、私がかつての埴谷と同じ憤怒と疑問を、無残に潰えていったソ連型社会主義に対しても、また現存社会主義に対しても抱え込んでいることについては、複雑な思いを断ち切ることができない。


  最近の一例としては、中米ニカラグアにおける大統領選挙の結果を考えてみよう。一九七九年に武力革命によって政権を奪取したサンディニスタ民族解放戦線は、一党独裁を基盤とする旧来的な方法で革命を持続させることの不可能性を自覚していた。

したがって、複数政党制を採用したが、米国が支援する反革命勢力との長年の内戦に疲れきった民衆は、革命後二度目の一九九〇年の選挙において、反対党の候補者を選出し、サンディニスタは下野した。

私は、十一年間に及んだサンディニスタ革命の過程に、従来の他の革命過程には見られなかったいくつかの積極面を見出すことができた。

革命直後からの死刑制度の廃止、初期には重大な過ちを犯したものの少数民族との関係性の重視、ブラジルの教育学者パウロ・フレイレの理論に基づき対話性・相互浸透性を重視する教育改革、超大国の包囲を打破するための多角的な貿易体制の確立――などである。

そこには、新しい社会革命を模索する志向性をはっきりと読みとることができた。

したがって、九〇年選挙にサンディニスタが敗北したときにも、私は豊かな社会革命としての可能性までもが雲散霧消したわけではないことを信じ得たのである。


  二〇〇六年十一月の大統領選挙において、サンディニスタの元大統領、ダニエル・オルテガが返り咲いた。このこと自体は、この間ラテンアメリカに目立つ抗米政権の成立という文脈で捉えることが、確かにできよう。

だが、それは事態の一面でしかない。他面にあるのは次の事実である。サンディニスタが下野して以来、「栄光ある革命」の語り部でもあった幹部たちの一部は、革命後に接収した旧支配者の豪邸に居座り、同じく革命後に行なった農地改革によって生み出された公有地を掠め取り、高級外車を乗り回してきた。

他ならぬダニエル・オルテガもそのひとりであり、彼の場合には、それに加えて義娘から性的暴行で訴えられながら明快な説明を行なって嫌疑を晴らすことをしていない。

サンディニスタの内部には、これらを問題とし、運動の刷新を図る動きも続いているが、力たり得ていない。

民衆がこの種の人物をリコールする権利を行使しない限り、ジャック・ロッシがいう「人間の本性」論は繰り返し立ち現われて、社会革命の不可能性を人びとに囁きかけるだろう。


  ラーゲリでの生活を通じて、「殴打が意識を決定する」、「人間がいれば条文はみつかる(誰にだって罪をでっちあげられる)」、「ここはコミュニズムだ、あんたのものは何もないんだよ」(いずれも『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』より)などという恐るべき「真理」にたどり着いたジャック・ロッシの言葉は、それだけ重く、私たちを捕らえて、離すことはないのである。

これは、私が社会革命の課題を考え続けるうえで、永久に消し去ることのできない前提である。



                   (二)

 ジャック・ロッシはまた、当日の講演において、「力弱き者の立場に立ち、体制を批判することは、確かに必要なことだが、いかなる体制であれ、その悪に対して暴力によって立ち向かうな」とも強調した。

私たちが前編において、一九六〇年代以降の社会・政治状況に密着して映画表現を持続してきたウカマウ集団の作品を通じて考えた問題に、ここで接続することになる。


 振り返ってみれば、第二次世界大戦直後から一九九一年のソ連崩壊に至る四六年間におよぶ戦後世界を大きく規定していた東西冷戦構造=米ソ対立構造は、当時私たちが考えていた以上の力を全世界に及ぼしていたと思える。

「社会主義革命と第三世界解放闘争の先に、漠然とではあっても、未来を予感することが可能だった」と、一〇代半ばであったときの私の気持ちを先に書いた。

しかし、もう少し長じてからは、東西冷戦構造という名の、ソ連型社会主義と米国式資本主義の経済競争や宇宙開発競争の先にも、ましてや軍備拡張競争の先にも、何の希望も夢も持つことはできなかった。

このふたつの超大国は、大国であるがゆえの傲慢な自己中心主義と自負心、自国の正義性への揺るぎない確信をもって、「敵」陣営との軍事的争いを厭うことはなかった。

自陣営に不利な事態がどこかで起こると、そこが自らの影響力が及ぶ地域であれば、直ちに軍事的な介入を行ない、殺戮と占領のうえに自らに都合のよい秩序を作り上げるのだった。

国連的な枠組みも、大国ゆえのそのような「特権」を規制できないままに、戦後秩序は成り立ってきた。


  一九六〇年代にあって台頭する第三世界解放闘争は、このような世界秩序それ自体を変革し得る性格を帯びていると私には思われた。

それが、従来のヨーロッパ中心史観の克服という歴史的課題も伴っていることを知れば、現実の変革と新たな歴史認識の獲得とが並行して進むのだから、若いこころにはいたく刺激的だった。

その第三世界解放闘争の多くは、軍事力によって支えられ微動だにしない現行秩序に挑む以上は、必然的に武装闘争の道を選んでいた。

合法的な集会、デモ、世論へのアピールでは聞く耳を持つ者はおらず、組織化活動の自由も大幅に制限されていたからである。

闘争が深まり、長期にわたれば、「味方」にも「敵」にも死者は増える、負傷者も増加の一途をたどる。

六〇年代のベトナム戦争のように、メディアでの報道が頻繁になされるようになれば、遠方の地にいながらにして、そのことが分かる。

「傍観者」にも深い苦痛がはしる。だが、どうできるというのだろう、武力をもって最初に侵略した者が誰であり、解放運動の主体はそれに対して武力をもって対抗するしかない、と知っているからには……。


  当時の私(たち)の思考は、ここで止まっていたように思える。一〇年前にも私は書いている。

「自分たちが日本で繰り広げている反戦運動では、ベトナム民衆の勝利に寄与するものは何もないことを知りつつ、彼らの〈軍事的〉勝利だけは信じ待望していた当時の私自身のあり方」。

あるいは「自分たちが結局はベトナム戦争の『傍観者』でしかありえないという冷厳な事実を前に、その引け目を補完するかのように、ベトナム民衆への感情移入が私(たち)の内部では進行した、と今でこそ言える」(註2)というように。

そして、同時代的には理解が不可能であった他者の文章を、それに同感するという意味においてではなく、異なる視点からの意見にわが身を晒して、何よりも自らをふりかえるよすがとできる心境に至ったとして、文芸評論家、磯田光一のシニカルな文章を引用している。

「アメリカが大国の威信と国内世論の圧力のために戦争をやめにくくになっていたのにたいして、ベトコンは世界にふりまかれた“ベトナム解放者”のイメージを裏切らないために、勝つまで戦争をやめることができない」(註3)。

 磯田のこの一節までをも引用している私の文章は、私自身がそれ自体としては歓迎した、抑圧的なソ連体制の自壊と東西冷戦構造の消滅が、自分の予想をはるかに超える形で社会的なマイナスの影響力を発揮して、社会の雰囲気を退嬰的なものにしている事実を見て、私が「崩壊感覚」におそわれている状況を内省的にたどったものである。

私はそのとき、従来ならば、主体的・客観的な条件さえあるならば必然的な選択肢であると捉えていた第三世界の武装革命闘争に関して、複眼的な視点を持ち始めたのだと言える。第三世界解放闘争が、その国に生きる主体勢力の自律的な必然性に基づいて開始されるものであることは自明のことである。

だが、彼らが貧しさゆえに、あるいは国際的な連帯を求めて、国外勢力の援助を要請するとき、多くの場合、現実に存在した東西冷戦構造の中にあっては直ちに米ソのいずれかが登場するために、自らその枠組みの内部に封じ込められることを意味した。

敵味方ともに、自前では作ることのできない武器が、支援する外国政府から送られてくる。

  司馬遼太郎は言う。「戦争は補給が決定する。補給が相手よりもはなはだしく劣弱になったときに終了する。

(……)しかしながらベトナム人のばかばかしさは、自前の武器工場をもつこともなく敵味方とも他国から、それも無料で送られてくる兵器で戦ってきたということなのである。(……)。

大国はたしかによくない。しかしそれ以上によくないのは、こういう環境に自分を追いこんでしまったベトナム人自身である」(註4)。

 
 ここでも、私は司馬の主張に全面的に同意するのではない。

ベトナム民衆に対する、私の〈心情的な〉支援のあり方の限界を再検討するために、武装解放闘争に対するいかなる見解であっても、その批判的な咀嚼を試みるのである。

この段階以降、この問題をめぐって私が考えている論点は以下のようなものである。もちろん、なかには、何年もかけて内部で発酵してきて、ようやく形をなしてきたものも含まれている。


(1)「敵の先制的な攻勢がある以上、これに武力で対抗することは不可避であり、必然的だ」とする思考方法に留まることは、少なくとも止めること。

それは、「なぜ」「いかにして」「いつまで」などの問いを封じ込めることに繋がり、「暴力の応酬の、無限の連鎖」という分析・解釈に応答しないことを意味する。


(2)私の場合、前衛党絶対主義への批判から党的な結集や党派性には十分な警戒心をもち、そこからの距離を自覚的に取ってきたにもかかわらず、(第三世界の)解放軍、ゲリラ軍、人民軍などに対しては、過剰なロマンティシズムを付与して捉える傾向が強かった。

仮に、それが過渡的には必要な活動形態であることを認める場合であっても、本来的には、軍の廃絶、すなわち兵士のいない社会、戦争のない社会を、未来から展望するという視点を手放さないこと。


(3)自衛隊の湾岸戦争への参画は、戦後史の決定的な転換点を画した。自衛隊の海外派兵に対する批判活動を、現行憲法9条に依拠しつつ、さらには、いかなる国家にせよ国軍を持つ根拠自体を批判し、その廃絶を企図する展望のなかで行なうこと。

その際に、上記(2)の立脚点は大きな意味をもつことになる。


これらの論点については、過去・現在において、自他がおかした重大な過ちから汲み取ったものもある。

同時に、時代と状況の変化のなかで、どこかの具体的な運動主体が自らの経験と理念に基づいて新たに生み出した価値観も含まれている。

後者は、たとえば、ベトナム解放戦争を戦った北ベトナム軍の兵士が書いた小説であり(註5)、メキシコのサパティスタ民族解放軍が近未来に展望し、インドネシアの獄中にあって東ティモールの来るべき大統領シャナナ・グスマンが一時にせよ考え至った「解放軍の廃絶」「兵士なき社会」などのイメージである。

すなわち、私たちは、もちろん、自他の過ちからも学ぶが、歴史過程のある段階で未来社会のイメージが先駆的に生み出されるという経験を有することもできるのである。それは、必ずや、解放のための理論と実践の内容を豊かにするだろう。



                    (三)
 ジャック・ロッシの「人間の本性」論に全面的に頷くことはできないにしても、人がそこへ導かれる現実は、確固として存在する。

人をして、かつてなら手の届くところにあると思えた〈明るい未来〉が遠のいていくばかりだという「崩壊感覚」に晒されていると思わせる現実も、また。


 だが、どうだろう、だからといって、絶望するしかないのだろうか? ラーゲリの中に幽閉された或る囚人は、あまりに苛酷な地下牢に入れられたとき、わが運命を「最悪だ!」と呪ったという。だが実は、その下部になお、牢はあったのだった。

先には、さらなる「最悪」が、すなわち「最最悪」という虚無が待ち受けていた! 「最悪というものはない」。これが、ラーゲリのジャック・ロッシが行き着いた地点だ。 


 その意味で、この時代のわれらが運命を「最悪だ!」と言うのは、ジャック・ロッシたちの前では、おこがましいだろう。先へ進み出る意欲を失いたくはない。


〈民衆の対抗暴力〉という問題は、当然にも、「武装し戦争を仕掛ける国家」への対応関係の中で生まれてきた。したがって、広く「武装=戦争」が孕む問題という枠組みの中へ、この問題を差し出すことができる。

「武装=戦争」という問題に関して、従来にはない積極的な論点を提起しているのは、私の考えでは、一部の考古学者とフェミニストである。

考古学者、故・佐原真は、人類がチンパンジーから分かれた時点から数えると六百万年に及ぶ人類史の中で考えるなら、人類が戦争に明け暮れているのは、推定される最古の戦争から数えて一万四千年ないし一万二千年前以降のことであり、ヒトの歴史を六メートルとすると戦争の歴史は一センチ強にすぎないと主張する(註6)。

これは、「戦うことが人間の本能だ」とする戦争不可避論への強力な反論である。

人類史上「初め、戦争はなかった」が、農耕と定住がもたらした富や不動産の格差が戦争を引き起こしたとすれば、人類には戦争を廃絶するだけの知恵も備わっているはずだとするのが、佐原が依拠した、譲ることのない論理的な場所だった。

オーストリアの動物行動学者で、『攻撃――悪の自然史』(一九七〇年、みすず書房)の著者コンラット・ローレンツが主張した「弓矢の発明がヒトの抑止力を失わせた」という考えを、武器廃絶論の重要な論拠として援用したのも、佐原であった。

二〇〇二年に亡くなった佐原が構想していた「戦争の考古学」をなお引き継ぐ考古学者がいて、その成果を私たちが学び続けることができるとすれば、武装=戦争の起源を明らかにし、その廃絶を見通す歴史的・哲学的な思考は、いっそう強靭なものになるだろう。

広く人類全史の中で、武装=戦争の問題を捉えようとする佐原の志向性には、人の視野を大きく広げてくれる魅力があった。


  晩年の佐原は、これからの課題は「ジェンダーの考古学だ」と熱っぽく語っていたという(註7)。それは、「武装=戦争」に関わるフェミニストからの問題提起が、根源的な場所を指し示していると考える私にとって、十分に腑に落ちるところだ。

日本でこの論点をもっとも強く打ち出しているのは、『戦争とジェンダー』における美術史家・若桑みどりである(註8)。

若桑はこの書の冒頭で、現代の最大の危機である戦争を生み出すものは「家父長制的男性支配型国家」であることを明らかにすることが本書の目的だと述べる。

これは、若桑自身が噛みくだいて語る言葉によれば、ベトナム戦争後の米国に中心に、フェミニズム、あるいはジェンダー理論が沸き起こったとき、従来は男性が独占してきた戦争論がはじめて女性によって語られ、従来の見方とはまったく視点を異にした「戦争論」の追求が始まった、というのである。


  それは、端的に言えば、「ジェンダーとしての男性」が「権力をもった支配階級」であることを最少の条件として、戦争という愚行にはしるという事実の確認に始まる。

そして、戦争を牽引する「男らしさ」とは何か、「戦争のなかった時代」を求めての考古学的追求(ここで、佐原真の問題意識と重なる)、戦争を起こすものとしての「国家」論、女性差別と戦争――などへと若桑の問題意識は展開して、従来の戦争論を一新するのである。


  私が大きな意義を認めてきた一九六〇年代後半の全共闘運動のなかにあっても、「男性論理」が女性たちを縛り付けていたとは、今までにもよく提起される問題のありかだった。

こうして、若桑の提起は、全共闘運動に参加した者の多くが自覚的に行使した「対抗暴力」が、どんな意味をもったのかをふりかえることにも繋がっていく。

〈民衆の対抗暴力〉をめぐる議論は、現代的な広く深い枠組みの中で、さらに豊かに展開されることを待っているのだと言える。


 註

(1)ジャック・ロッシ講演から(一九九七年六月八日、東京・東京大学本郷校舎において)

(2)「終わりし道の標べに」(派兵チェック編集委員会編『派兵国家日本の進路』所収、一九九五年、緑風出版。のち、太田『〈異世界・同時代〉乱反射』所収、一九九六年、現代企画室) 

(3)磯田光一「ベトナム戦争の文脈」(磯田『左翼がサヨクになるとき』所収、一九八六年、集英社)    

(4)司馬遼太郎『人間の集団について――ベトナムから考える』(一九七四年、中央公論社)

(5)バオ・ミン『戦争の悲しみ』(一九九七年、めるくまーる)。別な訳者によって『愛は戦いの彼方へ』(一九九九年、遊タイム出版)としても出版されている。

(6)佐原真『戦争の考古学』(「佐原真の仕事」4、二〇〇五年、岩波書店)

(7)春成秀爾「佐原真さんを悼む」(二〇〇二年七月一六日付け毎日新聞夕刊)

(8)若桑みどり『戦争とジェンダー』(二〇〇五年、大月書店)

 
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