現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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グローバリゼーションの時代の「蟷螂の斧」?
サパティスタの「銃火と言葉」が象徴するもの  
『インパクション』140 号(2004年3月発行)掲載
太田昌国


                  はじめに

「忘却と虚偽に対する二一年間の闘争と一一年間の戦争」「サパティスタ民族解放軍(EZLN)創設二〇周年、蜂起一〇周年――銃火と言葉」――昨年末以降に公表されているサパティスタ文献やビデオやホームページを見ると、この表現をよく見かける。

都市部の伝統的左翼知識人・技術者・医師・学生たち二〇人足らずが、メキシコ最貧部のチアパス州山中に入り、そこに暮らしていた先住民族と出会ってから二〇年、またその後一〇年に及ぶ共同工作の時期を経て反政府・反グローバリズムの明確な要求を掲げて武装蜂起に起ってから一〇年であることを思えば、この歳月の区切り方には、サパティスタに固有の必然性が見られる。また「火」あるいは「銃火」(fuego)と「言葉」(palabra)というふたつの表現が用いられていることも、その運動展開の内実に照らしてみれば、意図は明快である。


「先住民族」と「反グローバリゼーション」――サパティスタ運動といえばすぐに思い出される、このふたつの鍵となる概念は、右に規定されたのとほぼ同じ時間帯において世界的にも適用されうる普遍性をもつ。

このことを、以下の文章において検討しようと思う。だが、サパティスタ運動は、その運動の本質からいって当然にも、自分たちの理論と行動が、世界の中心に位置するとか、他地域の何事かを規定するとは主張しないだろう。

それぞれの地域がもつ固有の歴史過程と足元の課題に即して、事態の検証はなされなければならない、というだろう。その考えに同意する私は、サパティスタ運動に、時に近づき、時にそこから遠ざかりながら、先住民族の権利回復運動の、このおよそ一〇年間の過程の意味を捉え返してみようと思う。


                   一

 一九七九年、長年続いた独裁体制を打倒して勝利した中米ニカラグアの社会革命には、私が注目した独自の性格があった。首都蜂起の最終段階においてモニンボに住む先住民族ナワァ人の末裔たちの主体的な関わりが顕著であったことである。先住民族は、もとより、ある社会の一時期に、外部からの侵入者が登場して、土地その他の生活条件を奪われ、その社会の中で従属的な地位におかれてきた人びとのことを指している。

そのような存在の人びとが歴史創造の主体になることは、それまでの二〇世紀社会革命においてすら、見られることはなかった。二〇世紀も後半に至って、実現された各地域の社会革命の中に露わとなったさまざまな歪みを検討しながら新しい変革のイメージを模索していた者にとって、民族・植民地問題は、なかでも鍵となる論点であり、したがって、先住民族の闘争が重要な役割を果たしたニカラグア革命の一特質に大きな注目を寄せる人びとがおり、私もそのひとりであった。


 個人的にいえば、私(たち)は当時、ボリビア・ウカマウ集団の映画の自主上映に取り組み始めており、その意味でも、右に触れた問題意識はかき立てられた。

アンデス諸地域に外部からやって来た征服者として君臨し、現在もなお絶対的な統治者としてふるまう欧米白人社会の価値観を批判しこれを離れて、先住民族の人間関係論・自然哲学・広く価値観に学びながら、先住民族こそが新しい歴史創造の主体であることを、一九六〇年代半ば以降の諸作品において、ウカマウはきわめて印象的な形で押し出していたからである。

外部者による征服が世界史上もっとも大規模な形で行なわれ、その影響力が現代にまで及んでいる顕著な例はラテンアメリカ地域に見られるから、こうして、歴史的主体としての先住民族の登場もまたこの地域に目立ったには違いない。だが、たとえば少し時代をすすめて「一九九二年」を前後する時代を思い起こせば、歴史意識の世界的な共時性を思うことは、不当なことではない。

一九九二年は、コロンブスの大航海から数えて五〇〇年目の年であった。ヨーロッパの側には「アメリカ大陸発見」と「文明化のための伝道」から五〇〇年の画期を迎えて、これを祝おうとする動きがあった。

他方、ラテンアメリカ諸地域からは、「発見」も「伝道」も自分たちからすれば「土地の簒奪」「資源の略奪」「集団虐殺」を意味する「征服」に他ならず、近代から現代に及ぶこの時間帯は「抵抗の五〇〇年」と名づけられるべきであるという視点が強く打ち出された。

そしてさまざまな地域・時期の準備会議を経て、「インディオ・黒人・民衆の抵抗の五〇〇年キャンペーン大陸会議」の第二回目(一九九一年、グアテマラ)と第三回目(一九九二年、ニカラグア)が実現した。

これらの動きをうけて、国連の「先住民族の国際一〇年」が一九九四年に始まっているように、この問題意識は同時多発的に世界規模で広がった。そのことを証明する例はいくつもあるが、現代において米国内部から政治・社会・文化の諸問題をめぐって刺激的な発言を行なう数少ない人物のひとりである、言語学者ノーム・チョムスキーの一九九二年段階での言葉を引いてみよう。


「市民権や平和、フェミニズム、環境などの、人間にとって重要な課題をめぐって緩やかにかつ混沌としたかたちで組織された人びとの運動が、過去三〇年のあいだにどれだけ状況を変えたか認識することはとても重要である。

(中略)状況の変化は全般についていえる。一九九二年を考えてみよう。コロンブスの五〇〇年目が一九六二年だったなら、その記念は、コロンブスのアメリカ大陸『解放』を祝うもののみであったろう。一九九二年には、『解放』を祝う反応一色というわけにはいかなかった。

ほとんど全体主義的ともいえる統制になれてきた文化支配人たちは、これによりヒステリー状態に陥った。これら文化の支配人たちは、アングロ・サクソン以外の人びとと文化とに敬意を払うことを要求する行為は『ファシズムの行き過ぎ』であるとどなり散らしている」(『アメリカが本当に望んでいること』益岡賢訳、現代企画室、一九九四年)。


これらの世界的な動向のなかに、北海道でアイヌ民族が一九九〇年に始めた「アイヌ民族の人権確立のための写真パネル展」をおいてみる。

各地を巡回していたこのパネル展を私(たち)が東京で開催できたのは一九九一年秋のことだったが、地味な写真展に大勢の人びとが詰めかけ、「日本のなかの少数民族問題を考える」と題したシンポジウムも、熱気を帯びたものになったことをありありと記憶している。この延長上で、さらに問題領域と参加者を拡大しながら実現したのが「五〇〇年後のコロンブス裁判」(一九九二年一〇月一一日〜一二日、東京)であった。

ここでは、異民族の征服の上に成立したヨーロッパ近代の精神的なあり方が、そして当然にもその物質的基盤が、再審に付された。総じて言えば、植民地からの収奪なくしてヨーロッパ近代は可能であったか、という問いが出されたのである。

問いは私たちの足元にも及んだ。先端的なヨーロッパに遅れること三〇〇年、明治維新以後の近代日本が近隣の諸地域に侵略し、ついにはアジアで唯一植民地支配を行なう国家へと変貌を遂げる過程の端緒は、維新直後の「エゾ地併合」と「琉球処分」に求めるべきではないかとする意見が大きな関心を呼んだ。

当時の新聞記事や雑誌の内容を思い起こすと、世界の各地で、同じ問題意識に基づく催しが、思い思いの形でつくられていた。私たちと同じように、模擬的な裁判の形式をとったところも目についた。

ラテンアメリカ規模で組織的になされた「抵抗の五〇〇年キャンペーン」を除けば、それらは相互に連絡を取り合っていたわけではない。期せずして、同じ問題意識が世界的に生まれていたのだと振り返ることができる。その意味で、「一九九二年」は、先住民族という存在が近代以後の世界に何を意味しているかという問題を考えるうえで、忘れることのできない重要な年である。 


                  二


 一九二〇年代から、先住民族の労働問題に一定程度取り組み、その生活と労働条件に関する唯一の包括的国際文書をまとめている国際労働機関(ILO)や国連の先住民族作業部会が示す人権基準に立脚して、目標の実現を図ろうとする先住民族運動体の場合には、「一九九二年」に前後して生起した世界的な出来事に影響されずに、既定の路線を推し進めることが可能だったかもしれない。


「一九九二年」の前年、一九九一年末に社会主義ソ連邦が崩壊した。そのまぎれもない衛星国であった東ヨーロッパ社会主義圏の一党独裁体制は、すでに一九八九年以来次々と倒壊していた。理念としての社会主義にシンパシーを感じる人びとのなかにあってさえも、いまさらソ連圏共産主義に何ほどの希望や期待や未練をもたない者が多かったに違いない。

私もそのひとりではあったが、同時に革命初期の激動期を担った民衆の初心を思い起こせば、その無残な末路に名状しがたい悲哀は感じた。だが、抑圧的な社会主義体制の崩壊は、社会主義のための、ささやかな勝利には違いないと、逆説的に考えていた。そんな立場の者にしても、ソ連瓦解が次第にボディブローとして効いてくるものだと知ったのは、あとのことだ。


 ボディブローはふたつの方向から効いてきた。ひとつには、社会主義に象徴された「変革(革命)の思想」に対する大衆的な不信感の増大である。

自分が生きている現世は、確かに政治的・経済的・社会的な不満もあり、変わらなければならない点も多い社会だとしても、資本主義とは対極の理想を掲げて二〇世紀を試行錯誤したユートピア思想の「なれの果て」を見届けた人びとの心に、今までの信奉者が総括もないままに逃亡したり、新たな装いも凝らさぬ理念は、届くはずもなかった。新たな理念の模索ですら、不信の目で迎えられた。


 ふたつめには、社会主義経済圏の実質的な崩壊によって、経済のグローバル化(全地球化)が急速に進み、世界中を自由市場経済原理という唯一神が支配し始めたことである。この支配が浸透していく速度と深度と強度は,一〇年後の現在いっそう驚くべきものであり続けている。


 こうして、「革命の不可能性」が人びとの心に浸透し、同時にグローバリゼーションの拡大によって資本主義が勝利を謳歌している真っ只中の一九九四年一月、メキシコ南東部のチアパス州でサパティスタ民族解放軍(EZLN)は武装蜂起した。

チアパスは、自然と資源に恵まれていながら、そこに住む先住民族は政府によっても顧みられることもなく遺棄さえているにひとしい地域である。その蜂起は、住居、仕事、学校、病院、道路、電気などの敷設・整備を求めている点で、州政府や中央政府に対する要求貫徹の闘争であった。

同時に、その日に発効する北米自由貿易協定(TLC)は、米国・カナダとの間での貿易を全面自由化することによって、メキシコの先住民族農民に対して死を宣告するに等しいと訴えており、反グローバリズムの内実を備えるものでもあった。

約めていえば、世界でももっとも貧しい地域に住み、「文明の恩恵」からはるかに遠ざけられた生活をおくる先住民族が、もはや「向かうところ敵なし」というべき勢いをもつグローバリズムに抗して対峙しているという点に、この問題の本質はあった。しかし、圧倒的な力量の差は、誰の目にも明らかであった。

サパティスタの発したメッセージに共感を持つ者ですら、「蟷螂の斧のごとし」との不安な予感が心に過ぎったのは、それゆえである。

 状況的な認識は、もちろん、サパティスタ自身にも、あった。「(ベルリンの壁とソ連が崩壊した後では)もう闘うことなどできない」「狂っている! もう戦争なんてできない。戦車やヘリコプター相手にどうやって戦争なんかやろうというんだ!」。

チアパスの山奥深いラカンドン密林に篭るサパティスタの人びとの間で、今後の方針が討議されているとき、こんな声が飛び交っていた、とタチョ司令官は開けっぴろげに語っている。だが、こう反論する人びともいる。「『闘うことはできる。価値ある、正義の闘い、正義の戦争をやるべきなんだ』と。これまでの伝統の繰り返しではない、新しい何かを」(イボン・ル・ボ+マルコス副司令官=共著『サパティスタの夢』、佐々木真一=訳、現代企画室、近刊)。


 この経過を見るかぎり、確固たる展望もないままに、サパティスタは蜂起に至ったように思える。だが、何事かを創造するに至る歴史的な決断というものは、元来、そういうものではないかという思いも消えない。

何という僥倖だろう! と思える事例があるということは、逆に、勝利はおろかささやかな獲得物の水準にも届くことなく潰えた人びとと理想のほうが圧倒的に多いのだろうという、歴史的現実への思いへと連なっていく。


 それにしても、なぜ、「蟷螂の斧のごとき」サパティスタは、一〇年間を生き長らえることができているのか。それを探りうるひとつの方法は、彼らがいう「銃火と言葉」の秘密に分け入ることによって、である。銃火とは、もちろん、蜂起及びその直後の短期間、サパティスタが実践した軍事活動、武装闘争を指している。

合法的な請願・要求・集会・デモではついに目標を実現できるどころか、関係当局や社会の関心をすら惹くこともなかったサパティスタは、先に見た時代状況から判断すれば反時代的とも思える武装蜂起によって、メキシコ社会ばかり
か全世界の関心を惹きつけた。

だが、彼らは東西冷戦時代の反政府武力闘争と異なり、武装闘争至上主義者ではなかった。蜂起からまもなく政府軍の爆撃が始まると、ラカンドン密林の奥深く身を潜めて、正面からの対峙戦を避けた。

「戦争を廃絶したい」と語り、「兵士は好んで選択している道ではなく、できることなら教師、医師、農民でありたい」「未来のある日、もう兵士など必要でなくなる日のために、この世から消滅することが目的であるような、この自殺的な仕事を私は選んだ」などと語った。

サパティスタおよび共鳴者が多数集まる民衆集会では、武装した者がそのことによって力を誇示するのはよくないとして、その投票権を制限し、目立たぬように配慮した。彼らが用いた(用いている)「銃火」は、このように慎重に制限されていることによって、逆に、政府軍との比較でいえばはるかに劣り、貧しいものでしかない武装力が、本来持ちうる以上の「実力」を発揮しているといえる。


 サパティスタが原則的に依拠するのは、「銃火」よりはむしろ「言葉」による闘いである。蜂起と同時に発表されたいくつもの内部文書、その後立て続けに発表される外部向けコミュニケ、新聞投書欄を使っての読者との応答、社会を構成する各層の人びとが参加できるようさまざまに工夫されて実現される対話や集会――それらのいっさいが、言葉を通しての人びとに対する働きかけである。

上から指導するのではない。問いかけながら、共に歩もうとするのである。文章・文体の吟味もよくなされている。干からびた政治言語はそこにはない。先住民族の
神話的世界、物語、寓話なども交えて展開されるその内容的な豊かさには、注目すべき特質がある。


 サパティスタが永らえているのには、もうひとつ重要な要素がある。「先住民族」が「グローバリゼーション」に反対して発した「銃火と言葉」のメッセージ性を、メキシコ内外の外部世界の人びとが受けとめ、これを支えると同時に、それは自らの足元にも迫り来る課題であると捉えて実践しているという事実である。

それは、コンピューターがここまで人びとの日常生活に行き渡った、ここ一〇数年間の結果として実現している。その意味では、「グローバリゼーション」は当然にも、その成果を民衆運動が十二分に活用できる側面をも備えているといえる。


                   三 


 一九九六年七月末、メキシコ南東部チアパス州にある、サパティスタ民族解放軍(EZLN)が管轄する地域一帯に、世界中から三〇〇〇人の人びとが集まった。サパティスタの呼びかけで、「人類のために、新自由主義に反対する大陸間会議」が一週間にわたって開かれたのである。メキシコ政府当局は、自らの領土内で武装した反政府勢力が籠る地域一帯に、その理論と行動に共鳴する人びとが世界中から多数集まる現実を前に、一時的に旅券を取り上げてコピーするという以上の嫌がらせもできなかった。

政治・経済・社会・文化――いくつもの問題をめぐって世界各地の人びとが直面している現実が語られ、討論された。


 この会議は、以後連続的に場所を変えて開催することが確認された。翌年、スペインで第二回会議が開催されたものの、以後は実現していない。初回の会議のあり方自体に、サパティスタへの依存状況が強かったことの、正直な反映だったように思える。

しかし、当面する課題を「反グローバリズム」という立場から、初めて明確に提起したサパティスタのメッセージは、その後しっかりとそれを聞き届ける相手を世界中にもつことができたと言える。

もちろん、サパティスタを特化せずに、ここでも再び「問題意識の共時性」と捉えてもよいだろう。この問題意識が、その後一九九九年米国シアトルで開催された国際貿易機関(WTO)の閣僚会議を挫折させる民衆の抗議行動へと繋がり、二〇〇三年にも今度はメキシコ・カンクンでの同閣僚会議を、民衆の共同行動と第三世界地域の政府代表の抵抗とによって、決裂へと追い込む原動力となっている。

「カンクンにおける農民・先住民国際フォーラム宣言」を読めば、大企業・多国籍企業の利益を優先するグローバル化経済秩序に対して、世界中の先住民族が共通してもちうる抵抗の根拠を読み取ることができる。各国内で孤立して、それぞれ従属的な地位に押しとどめられてきた先住民族が、こうして、世界規模の声を結集するに至っていることに、ここ数十年間の着実な変化の跡を見ることができる。

 さらに、サパティスタが一九九六年に呼びかけて実現した「新自由主義に反対する大陸間会議」の精神は、二〇〇一年ブラジルのポルトアレグレで初めて開かれた「世界社会フォーラム」へと引き継がれている。

二〇〇四年一月、インドのムンバイで開かれた第四回フォーラムへは、日本からの参加者も大幅に増えた。各所でなされている詳細な報告は、世界の動きから孤立しがちなこの社会にある私たちのなかに、三度使えば、「世界と共時的な問題意識」が生まれてくることを助けてくれるだろう。
  

                  おわりに


 経済的グローバリゼーションの趨勢を牽引する超大国が、自らの経済権益を死守するために、定めた標的に向けてその強大な軍事力を行使する様を日々見せつけられていると、ともすれば、これに抵抗する民衆の姿はすべて「蟷螂の斧」のように、はかないものに思えてくる。

そんな重苦しい思いが、人びとの上に圧しかかっているのが、二〇〇四年の現状かもしれない。だが、私たちがここで見てきたように、「自分の力の弱さをかえりみず、敵にはむかう」そのたたかいは、一定期間の歴史過程の中においてみると、「敵」から見ても侮りがたい固有の役割をしっかりと果たしていることがわかる。


 「先住民族の国際一〇年」の歩みを、こうして捉え返してみるのが、本稿の目的であった。サパティスタがどれほどまでに武力の行使に禁欲的であるといっても、サパティスタと違って、武力にはいっさい訴えないという原則の下に活動している先住民族運動体も多い。

「銃火と言葉」なくしては、サパティスタは現在まで獲得している成果を手にすることはなかったであろうことは自明だが、それはサパティスタに固有の条件であったにすぎない。世界各地の先住民族の復権運動は、国際的な繋がりを形成することを重要な環としながらも、それぞれ固有の「言葉」をもってさらに展開されていこう。「非」先住民族の側がもつべき、もちうる「言葉」は何か。そのことが、同時に問われていることは、言うまでもない。


●参考文献

中米の人びとと手をつなぐ会=編訳『「コロンブス」と闘い続ける人々――インディオ・黒人・民衆の抵抗の五百年』(大村書店、一九九二年)

サパティスタ民族解放軍『もう、たくさんだ!――メキシコ先住民蜂起の記録1』
(小林致広+太田昌国=編訳、現代企画室、一九九五年)

太田昌国『<異世界・同時代>乱反射』(現代企画室、一九九六年)

崎山政毅『サバルタンと歴史』(青土社、二〇〇一年)

マヌエラ・トメイほか『先住民族の権利――ILO第一六九号条約の手引き』(苑原俊明ほか=訳、論創社、二〇〇二年)

イグナシオ・ラモネ『マルコス ここは世界の片隅なのか――グローバリゼーションをめぐる対話』(湯川順夫=訳、二〇〇二年)

山本純一『インターネットを武器にした<ゲリラ>――反スローバリズムとしてのサパティスタ運動』(慶応義塾大学出版会、二〇〇三年)

反差別国際運動日本委員会グァテマラプロジェクトチーム=編集『マヤ先住民族 自治と自決をめざすプロジェクト』(現代企画室、二〇〇三年)

山本純一『メキシコから世界が見える』(集英社新書、二〇〇四年)

マルコス副司令官『ラカンドン密林のドン・ドゥリート――カブト虫が語るサパティスタの寓話』(小林致広=訳、現代企画室、二〇〇四年)

イボン・ル・ボ+マルコス副司令官『サパティスタの夢』(佐々木真一=訳、現代企画室、近刊)

先住民族の10年市民連絡会編集「先住民族の10年NEWS」の各号。

日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(RECOM)発行「そんりさ」の各号。

 
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