『沖縄・アイヌ・・そして青森』な礼拝



 2000年8月20日


< 礼拝の式順 >

●主なる神はあなたを呼んでおられます 

 前奏(黙祷) 新垣壬敏 『てぃんさぐぬ花によるファンタジー』
※この曲はネットで知り合った鳥取のおともだち、タロウさんがたまたま図書館で見つけて紹介してくださいました。原曲は「オルガンのための沖縄の二つの歌 〜てぃんさぐぬ花と汗水節によるファンタジー」です。
この日の礼拝では琉球讃美歌を1曲歌ったので、そのメロディーだったこのオルガン曲を使用しました。少し長い曲なので、始めの部分を前奏に&終わりの部分を後奏に。
実は翌月の9月に、何と新垣先生ご本人にお会いできました

 
告 白(懺悔)
 司会)主は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われます。
 
会衆)神よ、私たちは教会として、重荷を負っている人を喜んで迎え入れ、癒しを与えることに失敗してきたことを告白します。私たちはその人たちを受け入れることよりも批判することにより時間を費やしてきました。主よ、どうぞあわれみをお与え下さい。

 讃 美 歌 422  《主よ、この時代に》   アーメン

 詩篇の交読   70       (交読詩篇 P. 79)

 讃 美 歌   アイオナ共同体讃美歌 《みんなで輝く日が来る》
※この頃アイオナの讃美歌が大好きで、浪岡伝道所や高校生の集い、学生YMCAの集いなどでも紹介をしています。
讃美歌集からの引用:「スコットランド西部のアイオナ島の共同体は、社会と積極的に関わり、失業した人たち、青少年や女性の問題、エイズなど、現代社会が抱えるさまざまな課題と取り組んでいます。同時に礼拝を何よりも大切にし、新しい祈りや賛美を模索し続けています。」

 アイヌのための祈り  (→こちらへ)                           

●主なる神はいま語られます。み言葉に聴き従いましょう

 聖   書  アモス書 第8章 4-8  第9章 11-15  

 証   励   『沖縄・アイヌ・・・・そして青森』 竹佐古真希姉

 祈   祷  

 讃 美 歌  琉球讃美歌 《エスぬ救い》−1番
  ♪ 拝(うが)でィ拝み欲(ぶ)しゃ 天(てィん)ぬ神がなし
    語い 告(ち)ぎ欲しゃや 栄光(エス)ぬ救い
※父の友人で沖縄で牧師をしておられる古堅宗伸先生の編著「方言・民謡 琉球讃美歌」から採用。メロディーは「てぃんさぐぬ花」(ほうせんか)なので、私でも知っていたから1番だけを3回繰り返して歌いました。和声付けは、新垣先生のオルガン曲のものを使用。

●わがすべてを主に献げましょう

 献金と感謝                      自由祈祷

 奉   告

●主なる神の祝福の中で生きてゆきましょう

 讃 美 歌   516-5番 《主の招く声が》

 出発の祈り   →こちらへ
                         
 祝福の祈り                      竹佐古真希姉
※アイオナ共同体の「みんなで輝く日が来る」の1番の歌詞を読みました。

 後奏(黙祷) 新垣壬敏 『てぃんさぐぬ花によるファンタジー』




< アイヌのための祈り >

 創造主なる神さま、あなたは、すべてのものが生きるにふさわしいところとして、この世界を造られました。感謝します。
 アイヌ・モシリと呼ばれる北の大地にも豊かな営みがありました。感謝します。
 そのアイヌ・モシリを和人は侵略し破壊し、今も続けています。神さま、おゆるしください。
 先住民族アイヌから土地を奪い、言葉を取り上げ、文化と信仰を踏みにじりました。神さま、おゆるしください。
 同化と差別の総仕上げとして、「旧土人保護法」なる悪法を押しつけました。神さま、おゆるしください。
 そして、教会は先住民族アイヌの苦しみ、悲しみ、叫びに応えることなく、侵略と収奪の歴史に加わってきました。神さま、罪深い私たちをおゆるしください。
 先住民族アイヌは今、自分たちの権利、言葉、文化を回復しようと求めています。
 そのアイデンティティーを取り戻す闘いに勇気と力を与えてください。
 主なる神さま、教会が歴史の中でおかしてきた罪を悔い改める勇気と、無関心さから解放する力を与えてください。
 どうか、教会が真の隣人として、先住民族アイヌの課題を共に負うものとしてください。いと小さきものの神、主イエス・キリストのみ名によって祈ります。 
  アーメン

 (北海道札幌市・小西二巳夫牧師作成  1994 「礼拝と音楽」誌 80号よりの転載)


< 沖縄・アイヌ・・・そして青森 > 竹佐古真希

 今日は竹迫牧師の代理で急きょ証しをすることになりました。近頃本当に感謝な出来事として、あちこちでいろんなお仕事の機会が増えました。それはオルガンの演奏であったり、時には奏楽者のための講習会、礼拝や集会でのお話など様々です。
 でも浪岡以外の場所ではたくさん語っているけれども、「たまには自分の『現場』である浪岡でもお話してみよう。そして皆さんからも応答をしてもらおう」と思ったので、代理ではありますがお話をさせていただきます。

 数年前に、北海道で小さな二つのお人形を買いました。それがこれです。このお人形を見て、皆さんはどんな印象を持たれるでしょうか? 私は素直に「わぁ・・かわいい!」と思って買い求めました。いつ買ったのかは覚えていないのですが、生まれが北海道なので多分久しぶりに親戚のうちを訪れた帰りにでも、お土産やさんで購入したのでしょう。

 でも今の私にはこのお人形は、「かわいい!」と素直に言えるものではなくなってしまいました。少し一緒に考えていただければ・・と思いますが、よくよく考えるとどこか不自然ではないでしょうか? そもそもアイヌの人たちが「おみやげ」やキャラクターとして商品になること自体が・・??
 私たちに当てはめてみると、例えばそれは「これはかわいい津軽人ですよー」とお人形にされるようなものだと思います。どこかヘンではないかな?

 私を含めて浪岡伝道所の多くの方が、東北地方の青森・津軽で生活をしています。私が今のように「地域」にこだわったり敏感になったのは、一つの大きなきっかけがありました。
 1997年に日本YWCAの主催で「沖縄の旅」に参加する機会が与えられました。そこで出会った沖縄の人々・そしてこれまでの本当にひどい不幸な歴史は(それは現在もなお続いているわけですが)、これまでほとんど何も知らなかった私にとって、ものすごい衝撃でした。

 沖縄は第2次大戦の末期、日本で唯一の地上戦が繰り広げられた所です。島のほとんどがアメリカ軍によって襲われ、多くの人が尊い命を失いました。本当に私たちの想像を絶するような地獄があったそうです。
 沖縄には「ガマ」という自然に出来た洞窟がありますが、最後はそこに立てこもって外にも出られずにアメリカ軍との闘いを続けざるを得なかったそうです。
 そうしてそういう時に真っ先にひどい目に合うのは、大抵の場合「弱い」立場の人々です。例えばそれは軍人でなく、民間の人々であったり・小さな子ども・女性・お年より・・。

 ようやく戦争が終わっても、いわゆる「本土」とは違った現実が沖縄を待ち構えていました。アメリカ軍による占領、その後「本土復帰」した後もなお残る膨大な米軍基地。 
 そして未だに後を絶たない女性への暴力。少女への哀しいレイプ事件が、時おりニュースで聞かれます。しかしあまりの哀しさ・恥ずかしさに公にしない女性も多いので、実際はもっともっと多くの事件・被害があるのだそうです。

 あまりの現実や歴史の前にショックに打ちひしがれた私ですが、でも沖縄へ行ってはっきりと見えたものがありました。それはとても漠然とではあったけれども、自分の生まれ故郷である「北海道」、そして今の住まいである「青森や東北」です。
 正直に言って、「沖縄は外国だなぁ」と思いました。気候は亜熱帯だし文化も言葉も本当に違う。元々は琉球王国で、違う歴史を歩んでいたのですよね。

 北海道は島ですし、「アイヌ民族」のこともずっと心の中でひっかかっていました。北海道で生まれた者の責任として、いつかはきちんと学ばねば・・と思っていました。
 今週の火曜日から、東北地区の学生YMCAのメンバーたち数人と北海道を訪れ、アイヌについて触れたり学んだりする予定です。そのためにスタッフの仕事・勉強として何冊か本を読んだりもしているのですが、またまた何もしらなかった自分の姿にびっくりしました!

 アイヌは北海道において、「先住民族」でした。恐らく私たちの先祖であろう「和人」が住むずっと前から、豊かな北海道の大地で自然と文字通り共存しながら静かにつつましく生活をしていたのです。
 しかし「本州」から私たちの先祖が、「開発・開拓」のために北海道を侵略・植民地化していきました。奇しくも私の先祖や竹迫の祖父母も「開拓」組であろうと思います。

 ここで注意をしたいのは、「本州」の側から見るとすれば、北海道に入っていった人たちは、恐らくとても貧しかったり生活が厳しい人たちだったのでは・・と想像できます。そのような人々が「新天地」を求めて北海道に「入植」したのでしょう。
 でも北海道には、彼らよりももっと弱く苦しめられる立場におかれてしまった「アイヌ」が存在していました。アイヌの人々の和人に対する抵抗・蜂起は、既に15世紀中ごろから始まっています。ということは、それよりも前からかなり苦しめられていたと言うことになります・・!

 何か物事をみつめたり考えたりする時、大切なのは「これはどうしてこうなのか」という歴史的な事実をきちんと知ること、そして「構造を知る・分析をする」ことです。
 それから「今自分はどの辺にいるのか」というバランス感覚のようなものも、とっても大切だなぁ、と思わされています。

 アイヌと沖縄の話をしましたが、では青森県はどうだろう?
 これは私なりの考えも多いのですが、東北地方全体が歴史的に「エミシ・蝦夷」と言われてきました。中央政府から見て、正体不明なあまり言うことを聞かない存在だったようです。東北地方にもアイヌ民族はたくさん存在していました。秋田や青森には、聞いてすぐに「あ・・アイヌ語だな」と思えるような地名がたくさん残っていますが、それらは元々はたくさんのアイヌの人々が生活をしていたことを物語っています。
 でもどんどん彼らは追い詰められていって、北へ北へ・・と生活圏を移さざるを得なかったのでしょう。東北は歴史的に見ても、中央から抑圧されていたし今なおそうですね。三沢に米軍基地があったり六ヶ所村に核燃料サイクル施設があるのが、その例です。

 残念ながら、津軽藩などはアイヌの人々を抑圧するような側に立っていったのだと思います。そのような非常に哀しくて複雑な歴史(抑圧されていた者から、抑圧する者へ)が、私たちの住む東北地方には横たわっています。

 なぜ沖縄・アイヌ・・青森なのか!? それはどれも社会的には小さく弱くされ苦しめられている人々が存在するからです。物理的な距離としてはとても遠い地域だけれど、歴史的・空間的にはとても近いものを共有できるはずです。
 私たちの教会はとても小さいですが、でもそれゆえの共同体を作りたいね・・と願いつつ歩んでいます。
 聖書には「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と書かれています。私なりに言い換えるとすれば、「自分が『痛い』という思いを大切にしよう。そうすればきっと他の人の痛みにも気付いていけるよ」ということかな?
 自分たちの「弱さ・痛み」に敏感でありたいな、と心から思います。それは自分のことに敏感な人は、きっと他の人の痛みにも気づいたり敏感になれるのではないかな?と思うからです。 

 今日集っている皆さんの多くは、なかなか沖縄や北海道を訪れることは出来ないかも知れませんが、でも「私が私らしく生きたい」と願う気持ちがあれば、きっと遠いどこかで苦しめられている人々のことを覚えてそして気持ちがつながれるのではないかな・・と思っています。
 「私が私らしく」という思いが、「あなたがあなたらしく」という気持ちになっていけば、とってもステキですよね♪

 近頃以前にも増してあちこちを飛び歩いている私ですが、でも飛び回っている責任として、これからまた皆さんと少しずついろんなことを共有していきたい・・と心から願ってやみません。
 私たちひとりひとりに出来ることは決して多くはないけれども、でも少なくもありません。高ぶったりまたヘンに落ち込むこともなく、今のままの私たちに出来る何かを小さなことからでも始めていきましょう。
 平和を願い覚えるこの8月だからこそ、今日はこのようなお話の準備をさせていただきました。ありがとうございました。 



< 出 発 の 祈 り >

いつくしみと愛があればどこにでも
 神はそこに共にいる
キリストの愛に結ばれ その喜びを分かちあい
 惜しみなく仕えあおう
心から神をたたえて わけへだてをとり除き
 ねたみと争いをしりぞけ 輪をひろげて進みゆこう
主を囲むひとつの輪を 光り輝くキリストを
 素顔のままに仰ぎみる
尽きぬ喜び限りなく 世々とこしえに  アーメン

<カルメル会 御告げの聖母修道会 「教会の祈り」より>

※タロウさんからテープをいただきました♪