NS夏の集会 in 北海道 ![]()
2000年 8月
アイヌ・モシリを訪ねて・・
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一度はぜひぜひお会いしたかった、萱野さんとの2ショット★ すごくいい「おじいさん」でした。何だか独特のいい雰囲気がありました。沖縄の阿波根昌鴻さんにもつながるような・・。今顔を思い浮かべてもうるうる来ちゃう。 (/_;)/~~ |
萱野さんとみんな。 後ろの白樺が、とっても涼しげですね・・! 萱野さんの講演録in秋田・本荘市をみつけました。 →ここです |
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二風谷ダム。町立の博物館の裏手の方にありました。 アイヌにとって神聖な地であるこの土地に、あまり利用価値のないダムが強制収容により造られてしまいました。 萱野さんと貝沢さんの二人が、国を相手に訴訟を起こしました。「誰も個人の受け継ぐ文化を侵してはならない」という、とても力強いよい判決が出たのですが、残念ながら国は未だに何の行動も反省も見せないそうです。 |
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二風谷を離れる前に、アイヌ料理をいただきました。 これはキトビロ丼。とっても美味しかった! キトビロとはギョウジャニンニク(ニラに似ている)のことで、においがします。そのために「アイヌはくさい!」等のひどい差別もあったそうです。 それは朝鮮の方への「キムチはくさい!」と同じ差別の構造があったようです。異文化を極端に退ける私たちの「日本文化」。その恥ずかしい習慣を、少しずつでも改めていきたいですね・・。 |
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< 東北地区夏の集会に参加して > T大学 Fさん 今回のNSで感じたことを書く前に、春頃からなんとなく、感じていたことから書かかせてください。 今年の3月、大阪に帰省中、Nさんにつれられて、釜が崎の夜回りにお邪魔させていただいたことがありました、 私は、大阪に10年以上住んでいながら、「釜が崎」っていうと「日雇い労働者の街」ということぐらいしか、それも実感の伴わない、ただ漠然とした単語としての「日雇い労働者の街」としてしか、知りませんでした。 正直に言うと、「釜が崎」がどこにあるのか、どういう街かも殆ど知らずにいました。 しばしば、しかも予備校時代は毎日のように、その街の下を地下鉄で通り過ぎていたにもかかわらず、です。 大阪の3月とはいえ、夜はコートを着ないと、まだまだ寒かったです。 そんななか、道路に人が寝ている……。作り話でなく、本当にあるんだということ、自分がそれまで知らなかっただけで、目の前に現実にあるんだ、といことを強烈に感じました。 (一回行ったぐらいで、こんなことを言う資格はないのでしょうが、) 私はそれまで、おかしな言い方ですが、そういうことを、見たことも、感じたこともなく、それゆえに、実感がわかないものですから、そういうことに伴う全てのこと、(例えば夜の街の寒いこと、暗いこと――夜が暗いって当たり前ですけれど、部屋で電気を消している暗さと、屋外の夜の暗さとは、何か、違うような気がしました。――、 寝ているのが、自分とおんなじ人だということ、寒さも、しんどさも感じるといこと、うまく書けないけれど、今の自分があるのは、それまでに、いろんなことを見たり、聞いたり、感じたり、考えたり、行動したり、そういうことがあったからで、それと同じものが、彼らにもあること、などなど。)を捨象して、「彼らは世捨て人で、好きでそうしている。」としか、考えていませんでした。 よくもまぁ、知らない、実感がないと言うだけで、ここまで捨象できるものだと、自分の想像力のなさ、無神経さに、あきれるというか、悲しくなりました。 5月に活推協で、朝鮮初中高級学校を訪問したとき、日本でいう小学校教育で、ハングルに多くの時間を割いている、――自分達の言葉を伝えるのに、ものすごくエネルギーを要するんだ――ということや、強制連行の歴史――その連行された一人一人のことを具体的に想像すると、苦しくなります。もちろん自分が経験していないことを想像するのだから、その何十分の一も想像できていないのかもしれないですが、――を教えていただいた時も、 2月に汝羊寮でSさんとアイヌについての話をしたときに、「アイヌ語って、話す人なんて、もういないんでしょう?」という不用意な発言に対して、アイヌが実際にいること、その言葉を話している人がいること、他者の存在を、どういう理由であれ、無視するような発言は全くもってけしからん、とたしなめられた時も同じようなことを感じました。 だから、今回の聖研ででてきた、「隠された宝物」という表現について、それは、単に自分が知らない(知ろうともせずにいるがゆえに知らない、あえて避けているがゆえに知らない)で、実感が湧かなくて、貧困な想像力ゆえ想像もできないでいて、そのために、実際に存在している、生きている、いろいろな人のことを、存在そのものの時点で無視していることが、ものすごく失礼と言うか、情けないことで、そして自分自身を貧しくしている。そんなことを、ふと感じました。 そして今、自分の中で分からないことは、答えられないことは、「知ること、認識することの大切さを少しだけれども、なんとなく、感じることができたような気がします。 さて、今度は多少でも、知り、認識することが、仮にできたとしたら、その後自分はいったい、どう行動していけばよいのでしょうか?」ということです。 例えば遠藤先生のように、大学教授を辞めて、釜が崎で弁護士活動をする、そういう生き方は自分にはちょっとできそうにありません、 いやホンネをいうと、自分はしたくないなと思っています……。 (まず弁護士になれん!……そういう問題ではない。) こういうことについて、みなさまは、どう考えられているのか良かったら、聞かせていただきたいなって、思います。 なんだか、今年のぼくの学Y活動を通じて思ったことのようになってしまいましたが、今回のNSで感じたことは、こんなことです。 |
こんにちは、竹佐古真希@青森(東北地区共働スタッフ)です。 皆さまいかがお過ごしですか? 東北地区学生YMCA夏の集会、お陰さまで無事に終了しました! 今年はあれこれ初めての試みが多かったのでとまどったり、結局聖研講師の日向さんにコーディネートを事実上していただいたり・・も多くなってしまいました。 日向さん、本当にあれこれありがとうございました。心から感謝をしています。 また今後とも、よろしくね。 。。☆⌒(^-゜) 特にドライバーとして運転をしてくれた日向さん(!)、室蘭の安保くん、どうもありがとうございました。 また終わった後の振り返り・分ち合いもオンライン(オフでもね)でしっかりと続けていこうね。 < 参加者 > 北大YMCA (滝川のみに参加) 白鳥文秋 岸本帰一 三浦くん 高木くん 東北大YMCA 古谷雄一郎 近藤大雄(渓水寮シニア) 長倉 望(渓水寮シニア) 室蘭工業大学 安保 尊 聖和大学YMCA 原 えりな 小川 基(音楽家) 九州地区共働スタッフ 吉村亜紀子(個人参加) 東北地区共働スタッフ 竹佐古真希 計12名 他に 講師:宮島利光先生 聖研講師:日向恭司さん 宮島美智子さん ギジーナさん(ドイツからのお客さま) そう、今回のNS夏の集会in北海道は、「最初の一歩」でしかないように思います。もしかしたらNSメンバーによる「下見」? ぜひぜひアイヌ・沖縄などは、アジアの他の国へのツアーと重ねてこれから学生YMCAで取り組んでいくべき課題だと思います。 本当に北や南の端っこの島から、恐ろしいほど日本の構造がよく見えます。「先住民族・開拓・開発」・・たくさんのキーワードがあります。 宮島先生が大切にしておられる「土地や風土と出会って愛する」という姿勢も本当に大切にしたいものです。 沖縄とアイヌ(北海道)は本当に近い。 二風谷で資料館の展示物を見ながら、なぜか私の頭の中は琉球の音楽が鳴り響いていました・・♪ |
2000年8/20に 「沖縄・アイヌ・・・そして青森」な礼拝 を試みたよ♪ |