滝川二の坂伝道所 

2000年7月 
学生YMCA東北地区夏の集会の下見

 
 会堂の左側にはリード・オルガンがあり・・
 
 右側にはピアノがありました♪ 
 たまにコンサートもするらしいよ! 木に響く音は、きっととってもあたたかいだろうなぁ・・★
 宮島美智子さん。とてもステキな方でした。
「あぁ、この方が『べてるの家』を始められたのだなぁ」とじわっと実感できました。
 逆光で暗くて、ごめんなさい・・。
 札幌から車で同行してくださった、手稲はこぶね教会牧師の日向恭司さん。ネットを通じて知り合い、今ではとても大切な友人の一人です。
 東北地区夏の集会では、聖研講師をお願いしています。よろしくね★
 夜には北大YMCA汝羊寮を訪問したのですが、その前に弘前学院大学YWCAシニアの水木さんと、1年ぶりの再会!
 大通り公園のビール園で軽く飲みました★
 
 一緒に写っているのは、息子のソナタくんとその場で知り合ったあやちゃん。

< アイヌ・・ >

 私は北海道札幌の生まれである。これまで北海道や札幌は私にとって、懐かしくそして憧れの土地であった。それは現在住んでいる東北地方のようなある種古い伝統やしきたりがあまりなく、新しく自由な土地であるように思っていた。
 時おり弟たちと「北海道って、いいよねー。Countryって感じだよね(=英語が似合うということ)」などとつぶやいていた。

 今回東北地区学生YMCAでこれまでの「東北学」の延長として、いよいよ北海道やアイヌについて少しでも触れてみようということになった。私もほとんど初めて「アイヌ」に向き合ってみて、あまりにも何も知らなかった自分の姿に呆然とした。
 アイヌは北海道において、「先住民族」だったのである。豊かな北海道の大地で、自然と文字通り共存しながら静かにつつましく生活をしていた。しかし「本州」から私たちの先祖が、「開発・開拓」のために北海道を侵略・植民地化していった。奇しくも私の祖父母や連れ合いの祖父母も「開拓」組である。
 「開拓・開発」と言った時に、誰のための何の開発なのか? それは日本がアジア諸国に対しても全く同じようなことを行っている。

 私が衝撃だったことは、アイヌが「先住民族」であったことと(今までも漠然とした知識はあったが、明確な自覚がなかった)、それから朝鮮の人々を「皇民化政策・教育」する何100年も前から、アイヌに対して日本の中央政府からの「同化」政策が始まっていたこと!
 それに反抗しての蜂起は、15世紀中ごろから既に始まっている。そんなにも昔からアイヌは、「本州」の人々に侵され続けてきたのだ!!

 宮島先生の本によれば、そもそも北海道と本州は歴史的にも異なった時代を歩んでいる。北海道では縄文文化の後に続縄文文化、その後擦文文化とオホーツク文化が並行して鎌倉時代まで続いている。その後鎌倉中期あたりから、アイヌ文化へと独自の展開をしてゆく。
 また自由に北方の大陸や民族との交易・往来があったようである。彼・彼女らのどこが「未開な土人」なのであろうか!?

 アイヌ民族の苦難の歴史は、「在日朝鮮人」の方々や沖縄の歴史と、まっすぐにつながっていく。本当に恐ろしいほどに。
 日本の端と端は距離的には遠いが、空間的・歴史的には直結している。これからも「端から見る」という視点を大切に、地方からの視点・発信を続けたい・・と強く願っている。


2000年8/20に
「沖縄・アイヌ・・・そして青森」な礼拝
を試みたよ♪