学生YMCA夏期ゼミ 
ここ3年の歩み
 


2000年夏期ゼミのご案内

1999年 学生YMCA夏期ゼミの後で・・ (東山荘にて)

学生YMCA夏期ゼミここ3年の歩み            

1997年
 テーマ:『Are you Ready? こわす関係・つくる関係・終えて始まる私の関係』  
 講師 浅見定雄さん (東北学院大学教授)
 聖研講師 堀江有里さん (日本キリスト教団向島伝道所牧師)

1998年 
 テーマ:『〜対話からありのままのあなたと私が生まれる〜 ふみだそう希望を信じて』
 講師 高里鈴代さん (基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)
 聖研講師 岩田雅一さん (日本基督教団 八戸北伝道所牧師)
  →岩田さんの講演はこちら(「核時代に生きる神学を作る会のページへ)

1999年 
 テーマ:『受け止めよう あなたを  伝えたい わたしを』
リソースパーソン
 堀江有里さん (日本基督教団 向島伝道所牧師)
 竹迫 之さん (日本基督教団 浪岡伝道所牧師)
  →竹迫之さんの講演はこちら (竹迫さんのサイトへ)

*所属・肩書きは開催年当時のものです*

参加者の感想文から・・抜 粋

◆1997年

○夏期ゼミで思ったこと、今思うこと 京都大学YMCA 金津将庸

 スタンツの準備の時、僕の班はみんなが強い印象を受けたと感じた堀江さんの聖研の話を題材に取り入れようということになり、そういう内容を含むスタンツを演じた。で、細部はまあ良いのだが、その中のある台詞が「堀江さんがいるここでは同性愛を茶化したりふざけたりする話はできない」というように受け取れるもので、それに対して劇のあと堀江さんが「とても傷ついた」と感想された。台詞の意図は「堀江さんの話を聞いて、これからは同性愛のことを茶化すような話はできないと思う」というもので、直後にこのことを堀江さんと話して言葉上の誤解は解けた。

 だが、問題の本質はそこ(=言葉上の誤解)にはない。「言葉に気を付けようね」と準備のときに繰り返し確認しあったにも関わらず、あの事件は起きた。堀江さんの言葉を借りれば「わたしたち(同性愛者)は本当に痛いんだよ」にも関わらず、彼らの痛みに無頓着な僕(=多数者)。全ての差別はそこから流れ出すのではないだろうか。

 しかしまた、「彼らの痛みが完全にわかる」などとは僕にはとても言えない。僕は自分の性に関して日常的に「痛みを感じ」なくてすむ立場にいる。僕は彼らの痛みを本当にはわからない、そしてそれゆえに僕は彼らを傷つけ続け得るだろう。自分が発する言葉全部に完璧な検閲をかければすむという話ではないのである。まずこの事実を直視し、そして痛みと苦しみが少しでも共有できるよう努力することから出発しなければならない。

 聖研のあと、僕は周りの参加者にくらべて落ち着いていたようだ。同性愛に対して言葉だけの知識はある程度あったからというのもあるのだろうが、意識の根底にはやはり「僕は差別していない、ゆえに僕には関係ない」「所詮は他人事だ」という思いがあったようだ。これはたとえば日雇労働者の問題にも通じることなのだが、僕の個人的思いがどうだろうと社会的な差別−抑圧の構造は存在し続けているし、そこには傍観者という席は存在せず、たとえば僕は多数者であることによってその真っ只中に投げ込まれているのである。それはまさに「僕自身の問題」以外の何者でもない。

 「彼ら」と「僕たち」という二分法は味気ないし、多様な性のあり方があって当たり前だという社会こそ目指すべきものであろう。だが、まず自分の立場というものを認識し、しっかり見据えることから僕は始めたい。 (かなづ まさのり)


○浅見先生の講演を聴いて  慶應義塾大学YMCA 大野高志

わたしはこの講演を聴くまで、いわゆるカルトをわたし(たち)の倫理的な思考の俎上に載せることを非常におそれてきました。もし『お父様』が本当にメシアだったら……、もし『尊師』に従っていくことで我々が救われ、従わないものはポアされることでのみ本当に救われるのだとしたら……。もちろんわたし自身には、彼らのドグマと本気で対峙し、また受け入れたがゆえにそのことに悩んだという経験があるわけではありません。

しかしながら、彼らのドグマがこの世離れすればするほど、彼らがわたし(たち)の倫理とかけ離れたところで、しかも外に閉じたドグマをもてばもつほど、ー彼らのドグマがそれほど高尚なものであるはずはありませんがー ロジックとしてはわたし(たち)の倫理の側からの彼らのドグマへの介入も不可能事となってしまうわけです。当たり前の事ながら、ドグマは反証可能な科学とは違うーそれゆえにわたしは、カルトをわたし(たち)の倫理で考える事を中止し、わたしのドグマ、すなわちキリスト教のドグマでのみ扱おうとしてきたのです。

ところが浅見先生のおっしゃることには、カルト批判の根拠を自己の思想信条に求めてはいけないというではありませんか。根拠は、社会的な問題性、そして(その社会的な問題を引き起こす背景という意味も含めて)究極的にはそのカルトを操る教祖が善意からしていることではないということにあるんだと。

わたしはやっと気づきました、カルトはドグマではないと。むろん、事の首謀者が善意の行為者であるということは、行為全体の正当性にとって十分条件であるとはいえないでしょうが、自らに利するためだけに設けた借り物のドグマが行為全体を正当化するなど、よもやありえない話なのです。わたしは『悪い木がよい実を結ぶことはない』ことに改めて気づかされた思いです。

さて、今回の夏期ゼミのテーマは、『Are you ready ? ーこわす関係・つくる関係・終えて始まるわたしの関係ー』でした。今までわたしは、カルトをその教祖の人となりに目を向けることなく、そのドグマのみで判断してきたわけですが(けだし、カルトの内部にいる人々もそうなのだろう)、この考えは教祖と呼ばれている人物との自然で、人間的な関係をこわし、意図的につくられた関係へとわたしたちを導きます。わたしには浅見先生の講演が、まさにこのような人間関係をこわし、つくり、終えて始まる関係に入る準備をすることの重要性を説いているように思われます。 (おおの たかし)

◆1998年

○これからだなあ 〜夏期ゼミのテーマ解題を終えて〜

原恵里子 日本社会事業大学YMCA 

夏期ゼミが始まり、講師の高里さんと岩田さんと出会うことからフィリピンで出会った人たちのことを思い出していた。それは、フィリピンで出会った人たちが、それぞれの活動のスタンスが違っていても精一杯人とつながりながら闘おうという姿勢をとっている姿だった。
今はフィリピンで闘っている人たちが言う「正義」と、私が今まで考えていた正義と意味合いが違うのかもしれないと思い始めている。

 夏期ゼミの講師をしてくださった高里さんと岩田さんの講演を聞き、生き方を垣間見たことから感じた共通のことがある。それは、「痛い」という感覚に敏感に勘を研ぎ澄まし、その痛みから出発したある種の正しさというものか、動いていく時に核になっているものがお二人にはある気がする。

きっといろいろな人たちに出会い、ゆらぎながらその都度続けている結果培われたものだと思う。諦めずに粘り強く、そして私にはまだ言葉にできないが何かの思いで人と人とがつながっていったり、分かりあおうとしたりしている。そのような生き方だから自分を、希望を見失わずに闘い続けられるのだと感じた。

 私はまだ私の中の大事にしている核さえもゆらぎっぱなしの状態だ。
けれど、逃げ続けないように、私も諦めず粘り強く私の正しさを求めていけるように学Yのみんなと生きていけたらと思う。自分事で恐縮ですが。
「希望」を見失わないように、出会いと対話を恐れないように。これから、これから。ゆっくり。 (はら えりこ)


○高里さんの講演を聞いて 高徳 宗和   東北大学YMCA 
 
高里さんの講演を聞いた時一番心に響いた言葉は「ここは沖縄の地域社会との境界線です、許可のない者の出入りを禁じます〜住民の命による」という部分でした。特にその中の「住民の命による」という部分が一番心に残っています。この言葉は「軍司令官の命による」という言葉に対して法的には何の根拠もないけれど、これほど大きな根拠もないでしょう。

 また講演の内容を読み直してみると、境界線という言葉についてもアレ? と感じました。軍によって書かれた境界線は基地や軍隊を守るためにある、では沖縄の住人を守るための境界線はどこにあるんだろう。

基地の中には機密を守らなくてはいけないものもあるだろうから立ち入り禁止区域があるのは当然だ、でも沖縄に住んでいる人たちにも守るものがある、それを守るものはどこにある?

高里さんの言葉通り「当然と思っていたことの中に意外と大変な問題が隠されている」のだなあと実感しました。ならば今まで僕が当然と思ってきたことの中にも大変な問題があるのではないのか、では僕が当然と思ってきたことは何か。それがたとえば沖縄に多くの軍事基地があること、なのです。

 国防やアジア地域の安全のために、という視点からならば基地は確かになければならぬものであり、実際にその役目を果たしていると思います。そして僕は沖縄に基地があるのは当然と思っていました。

しかし実際に基地がすぐ側にあるということはどういうことなのか、兵隊さんたちがすぐ隣にいるということはどういうことなのかそれがどれだけ大変なことなのかはここに来るまで知ってこそいても実感してはいませんでした。今でももしも自分の家族が・・・と想像することも出来ません。でももしそうなったら自分はどうするのだろうか、と考えると少なくとも何か行動を起こしていただろうな、と思えます。

そう考えたところで、ああ僕は沖縄の問題を他人事のように考えていたのだな、と気付きました。沖縄の基地問題、六ヶ所村の核燃サイクル施設問題、いやそれだけでなくどんな地域社会の問題に関しても世界規模の問題に関しても一番大切なことは、どれだけの人を自分の家族、仲間として感じられるかということだと思います。もし日本国民全員が沖縄に住んでいる人を家族と感じられるなら基地の存在を当然と思えるだろうか、もしアメリカ人が日本人を仲間と思うならば、あのような事件は起きただろうか、もし世界中の人が互いにすべて仲間だと思えれば基地なんか必要だろうか。これは絵空事かもしれない、でも大切なことだと思う。

そして高里さんの話を聞き高里さんと話したことで僕にとって基地問題は他人事ではなくなった。少なくとも高里さんという仲間が沖縄にいるのだ。出会って話すただそれだけで他人ではなくなるのだと思う。
こうしたつながりをより多くの人が持てたらいいなと思います。 ( たかとく むねかず )


○聖研の感想  吉村亜紀子 九州地区共働スタッフ
聖研は、岩田先生が伝道をしておられる六ヶ所村の現状とエレミヤ書を重ねて進められていった。(でも、先生は、六ヶ所村に関わることで、核の神学をつくろうと思ってはならないといわれていた)
講演を聞きながら思ったことは、岩田先生の言葉の光りだった。力強さと、洞察の深さと、優しさと、真実が織り合わさっている感じがした。ハッとする言葉がいくつもあった。

初めにびっくりしたのは、今回の夏期ゼミのテーマである、「ふみだそう、希望を信じて」の「ふみだそう」というのは「優しさ」なんじゃないかと言ったときだった。
「優しさ」とは、人に憂うこと(相手の心に共にあろうとすること?、国家の論理に対抗するもの)。「ふみだそう」という言葉からその様なことを思い起こすものの見方に本当に驚いた。

沖縄の基地もそうだけど、六ヶ所村にも、危険なもの、あってはならないものを私たちが追いやっている現実がある。正直にいうと、私は私が誰かの生活や命を奪っているということに実感をもちにくかった。頭ではわかっていても、なんか悪いことをしているという思いはあっても。

いろんな話しを聞いて、いろんな人に出会って、いろんなところに行ったというのに。(その時々は思っても)。今でもどれくらい実感できているかわからないけど、自分が背負うべき十字架があるんだと今は思う。六ヶ所村で生きている人の生活、命、安全、自然、権利、利益、を奪って、のうのうと生きている私がいる。原子力の問題や、生きている一人一人の命を見ない、その声を聞かない日本の政治の問題は、「六ヶ所村」の問題ではないのに、そうしてしまっていた。だけど、そのことにどれくらい「うめいて」いるのだろうと考える。

岩田先生はこう言われていた「私たちはうめかなければならない。そうしなければ希望も生まれてこない。」私はこの言葉が心に残っている。歪んだ日本の構造の変わらなさに落胆したり、構造にのっかっている自分にこれでいいのかと問いて苦しんだり、人々のうめきに共にうめいたり。
じゃあ、わたしは? わたしたちは? 出会った人と向き合う中でうめくしかないのかなと思う。

どこに踏み出せばいいのかわからなくても、希望が見えなくても、やっていくしかない。うめく感性を磨くしかない。
とてもしんどい作業のように思える。私は、まだ?社会に出ていないし、社会に対して自分の意思を表明していない?から、エレミヤのようなうめきとは違うけど、自分の差別心や、弱さ、無関心、自己中心的な自分と戦い、うめく感性を研ぎ澄ませていきたいと思う。みんなとやる作業もあるけど、今までおろそかにしていた自分との戦いをやろうと思う。(本当にやっていけますように。)それを通してふみだす方向や、希望を見つけていきたい。 (よしむら あきこ)

◆1999年

○掘江さんの感想 活水女子大YWCA 宮田 葵

堀江さんは2年前と同じように私たちの前で自分のことを語ってくれた。慣れているように見えたがすごい不安と緊張の中で必死に話してくれていたのだと思う。
そんな堀江さんとのやり取りを通して、色んなことが私にとって大きな力になった。
たくさん苦しい思いで闘っていること、そしてそれでも私たちとつながろうとしてくれるということ、「あなたの当たり前は何なの?」と問いかけてくれたこと、など。

実際に夏期ゼミではつながりたい、わかりたい、何か返したいと思うのに、私は言葉がでてこなかった。何も浮かばなかった。何を話していいのか分からなかった。
「返す」というのが何かもはっきり言ってわからなかった。でも黙ったまま終わってしまえば2年前の夏期ゼミと変わらないと思った。あせった。迷って、迷って朝方やっと堀江さんに切り出した。「何を言っていいのか、何を返していいのかわからない」とちょっと情けなかったけど言った。堀江さんは「葵ちゃんの思いは一緒にいて伝わってきたから」と言った。その時は少し情けなくて、でもありがとうと思った。

それから考えたことは、今の私は今ある思いを形にしていく、今ある思いで動いていく、それでいいんだということだ。この自分しかいないから仕方ない、その自分でぶつかるしかないのだと思う。それは「開き直り」とか、相手を傷付ける「自分勝手」ではなくて、関係を作ろうとか、わかろう、つながろうという先のある切れない思いを基本に持っていればのことだけど。

何かを一緒にやっていくことは学Yに限らず日常生活の中で結構多い。なかなか思い通りにいかなかったり、自分の思いが伝わらないと、もう何もできない、もういいやと思う。そんな時に思い出す、「つながるってどういうことだった? 大切にするってどういうことだった?」。
ここで、何もしないで「何もできない」「もういいや」はこの関係を大切にしてるのか?と考えてみる。そして、「もう1回話しをしよう」「私はこう思っている」「何であなたはそう思うのだ?」ということを言ってみる。

私の人間関係はそれがやれることで少しづつ変わっていると思う。これは本当に小さなことだけどなかなかむずかしい。でもこれがもらったものを今自分の生活に返していくこと、周りに広げていくこと、につながると思うし私にできる形の動きかただと思う。そうやってひとつの出会いを周りにつなげていけたらいいなあと思う。  (みやた あおい)


○竹迫 之さんの講演感想  名島寮  ザキ

僕は初参加ながら直前の準備に参加させてもらっていた。そんな折、一人の男性が部屋に入ってきた。くしゃくしゃの髪を後ろで束ね、戦闘服のようなかっこで、あの人は現れた。
その人がワークブックに登場し、今回の講演講師である竹迫之さんだった。僕はその時初めて出会った。その瞬間、僕に飛び込んだのは竹迫さんの目だった。その鋭さだった。

講演はその2日目の朝、始まった。講演中、之さんは2、3曲歌を歌った。1つは讃美歌で(ゴメンなさい、タイトルは忘れました)、もう1曲は"薔薇はあこがれ"という曲だった。そこで聞いた之さんの声、あれは人を震わせるものだった。僕は歌を愛してるのでわかる、あれは人を引き付けて止まない天性だ。あの泥臭くしゃがれた声、心で歌ってる、一緒に歌ってるときそんな之さん声が僕に飛び込んできて、僕は忘れてたものを思い出したような気がした。

「いつも心に中指を。」、講演で竹迫さんがおっしゃった言葉で、夏期ゼミ参加者にはあまりに有名になった言葉。僕はこの言葉に出会えてうれしかった。生活の中でうまくいかなかったこと、信じてたけど傷つけられたこと、そんな体験のたびに僕は自分の培った、温めていた自分の信念を疑い、容易に捨てる。こんな事やってたら先に進めないし、生きてけないんじゃないだろうか。そうじゃなくて、もっと自分を信じて挫けず戦えこのやろう、僕にはそんなメッセージだった。(これでいいのかな)

 

 

このページの作成者:竹佐古真希(東北地区共働スタッフ)