ヨーロッパ旅行(報告編)


◆ 英仏滞在を終えて ◆



<スコットランド・エディンバラにて>


全ては神さまの導きのうちに、初めてのイギリス・フランス訪問を終えることが出来た。
まだ韓国訪問記を残しているが、英仏訪問の振り返りを記しておきたいと思う。

数多くの想い出が目に心に焼き付いているが、真っ先に思い出すのは
イギリスやフランスの街並み。シックで落ち着いた街並みに、心が躍った。
いつまでもゆっくりと歩いていたいような思いに駆られた。
また、改めて多様なキリスト教の教派や教会との出会いがあった。
中でもロンドンのカトリック教会での「あなたはカトリックですか? 
カトリックの信者ではない人は聖餐にあずかってはいけない」という言葉は、
衝撃だった。ある種苦い思い出だが、身をもってカトリックとプロテスタント
の違いを痛感したのは、感謝でさえある。
「カトリック」という言葉が本来意味する「普遍的」の意味を考えずにはいられなかった。

クリスチャンに会うと、「あなたの教会は何派?」と聞かれ、しばし戸惑う。
しばらく経って「United(日本キリスト教団)」と答えた。
これもまた、「教団」という意味をヨーロッパ(西欧)で改めて気付かされた。



(ロンドンにて)


まだ1回目の英仏訪問ではあるが、ヨーロッパは非常に「カトリシズム」の
地域だと思わされる。長い間カトリックを国教とし文化や生活の
ベーシックな部分にまで深く影響を与えていたことをあちこちに感じた。
街並みだけを見渡しても、新しいことや変わっていくことが、
日本やアメリカほど重要ではない、むしろあまりよくないことのように
思われているのではないだろうか。そして2−300年前の
建物を壊さずに改築して丁寧に使うさまは、尊敬に値する。

むろんカトリックの後にプロテスタントも生まれているが、それでも「カトリシズム
の地域だなぁ」と思う。ドイツなどを訪問すると、また感想も変わるのだろうか。
まだ訪れてはいないが、むしろアメリカはプロテスタント・・新教の国なの
かもしれない。いつか確かめる時が与えられる日を気長に待つとしよう。

教会はどことなく「観光地」になっている印象を受けた。普段の礼拝やミサで、
どのぐらいの人が集うのだろうか。かつてほどでは決してないだろう。

ヨーロッパの全てが素晴らしいと言っても過言ではないが、何に接する時でも
私の根底にはいつも、「アジア的な視点・マイノリティの視点・女性の視点」のような
ものが流れていたように思う。「ヨーロッパはすごい」と惚れ込んだり絶賛するのは
ある意味あたっているが、しかし美しい面や歴史ばかりでは決してない。
それはどこの国だって持ち合わせているはずだ。普段東北地方の青森と言うローカル
に住んでいること、そして学生YMCAでの様々な出会いや学びを通してマイノリティ
への視点を常に持てるようになったことは、私にとって大きな財産になっている。
歴史の表舞台にはなかなか表れてこない「すきま」を、
これからも目を凝らし耳をすませていきたいな。

パリのトリニテ教会へ訪れたこともあって、帰国後初めてメシアンの作品に
取り組んでいる。彼に関して調べていたら、面白い文章に出会った。

『メシアンは本能的にヨーロッパ音楽の伝統に深く根ざす作曲家では
あるが、同時にヨーロッパ音楽の構成的な豊かさが、微妙なリズムや
音色の犠牲の上でなされたと認識し、それらを豊かに保存している
非ヨーロッパ音楽に学び、それら人間の音楽のみならず鳥の音楽までも
含める大総合をしようとしたのである。そのような<普遍>を目差す意味で
カトリック的ともいえるが 〜(略) 』(音楽の友社 新音楽辞典より)

特にヨーロッパと非ヨーロッパ音楽との違い、そして「普遍」というあたりに
非常に興味が湧き、刺激を受けた。ヨーロッパのある一部の国に接して、
多くの宝物を得ることが出来た。これから日本での生活や場の中で、ヨーロッパ的
なものとアジア的なものの融合、そして最後はそれらが「私らしさ」へとつながって
いくといいな。今までがそうであったように、またのんびりとじっくりと歩んでいこう。



(ノートル・ダム@パリにて)





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