朝鮮が私たちに投げかけたもの〜日朝首脳会談に思う

清水雅彦(和光大学)

 2002年9月17日の日朝首脳会談で明らかにされた「拉致事件」の説明は、大変ショックなものでした。「拉致」され、異国に連れ込まれた方々は、これまでどんな思いで暮らしてきたのでしょう。異国の地で亡くなられた方もいます。これらの出来事は許せません。

 しかし、日本国内の反応にも違和感を感じます。一例を挙げれば、週刊ポスト10月4日号が「ふざけるな小泉! 『怒りと正義の追及』大特集」を、週刊現代10月5日号が「ふざけるな北朝鮮 怒りの大特集」を組み、アエラ9月30日号が「人生を返せ」との言葉と横田めぐみさんの写真を表紙に使っています。また、「ある時代の歴史を解釈するに当たっては、その時代の時代精神を基準とすべき」だから、「拉致事件やテロ、不審船などの北朝鮮の犯罪行為と、日本がかつて植民地支配によって朝鮮に与えた損害を対置して、両者間にあたかもある種の相殺関係が存在するかのような発想」は「はなはだ不見識」であるとの主張も出てきています(神谷不二慶応大名誉教授、朝日新聞9月20日夕刊)。

 私は今回の首脳会談については、朝鮮(私は、「韓国」に対する「北朝鮮」なるおかしな政府・マスコミ用語は使いません)側がそれなりに真摯に対応し、大分妥協したと考えています。確かに、共同宣言上で「拉致」という言葉がなく、それについての「謝罪」という言葉もないという問題はありますが、会談では金正日総書記が謝罪を行っています。いわゆる「不審船」問題についても、日本側対応に法的な問題があるにも関わらず、会談で金総書記が再発防止を言明しています。共同宣言で朝鮮側はミサイル発射のモラトリアム延長もうたい、植民地支配に対する財産・請求権放棄まで了承しています。

 今後の国交正常化交渉の中で両政府に望むことは、朝鮮側にはまず「拉致事件」の真相解明、関係者の処罰、被害者などに対する補償でしょう。これに対して日本側に望むことは、植民地支配下の実態調査、謝罪、補償です。今回の会談で小泉首相は朝鮮側の補償要求を突っぱねています。確かに、1965年の日韓基本条約との関係があるとは言え、日本が行ったのは、「反省とお詫びの『気持ち』の表明」にすぎません。殴った相手に「ごめんなさい」と言わず、「ごめんなさいという気持ちを表明する」と言っているようなものです。「拉致」された人の死を思うとき、なぜ国家により拉致され(強制連行)、戦争などで無惨にも殺された何十万の朝鮮人の存在(関東大震災では自警団に、戦前は炭坑・工事現場・戦争などで殺された)を思い起こすことができないのでしょうか。やはり私たちは「殺した側」であったことを認識し、まずは日本の植民地支配の追及が先です。

 マスコミに聞いてみたいです。週刊ポストさん、週刊現代さん、これまで「ふざけるな天皇! 朝鮮植民地支配怒りの大特集」をやったことはありますか? アエラさん、「従軍慰安婦」の写真を掲げて「人生を返せ」という表紙をなぜ作らないのですか? 神谷さん、英独仏などでは国内法で、また戦争犯罪時効不適用条約や国際刑事裁判所規定など国際法で、人道に対する罪などの戦争犯罪が時効を不適用としていることをご存じですか?

 さらに、どうもマスコミは朝鮮のあらゆることが気にいらないようです。横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんの「主体91年」という手紙の記述には、「故金日成主席誕生の年が主体(チュチェ)元年だ」(朝日新聞10月4日夕刊・素粒子)と、曽我ひとみさんの「敬愛する将軍様」という日本政府調査団との面会時の表現には、「呼び捨ては政治犯」(朝日新聞10月11日夕刊)と、幸福・不幸論を論じる中で、「あの国でいえば、金日成主席が死去したときの嘆きはすさまじかった。国をあげての『一大不幸』だった」(朝日新聞11月19日朝刊・天声人語)と書いています。では、逆にお尋ねしたいのですが、国民主権の国で紙面に「平成」なる元号を表記し、大日本帝国崩壊後約半世紀経っても皇族の子どもにさえ「さま」を付け、昭和天皇の死を「崩御」と書いて「すさまじ[い]」報道をしていたのはどこの国のマスコミなのでしょうか。

 また、マスコミに限らず、良識のあるはずの人々にも気になることがあります。先に述べた「北朝鮮」なる呼び方ですが、「大韓民国」を「韓国」と表現するのに、なぜ「朝鮮民主主義人民共和国」が「北朝鮮」になるのでしょうか。せめて、朝鮮を「北朝鮮」と呼ぶなら、「韓国」は「南朝鮮」にしないとおかしいです(私は、「韓国」「朝鮮」と表現しています)。アメリカが一方的に名付けた「テポドン」「ノドン」なる名称もそうです。98年の「テポドン」は「光明星」という朝鮮側の名称がありますし、日本では「ミサイル発射」と騒がれていますが、当時の朝鮮・アメリカ・ロシア・中国の発表は「人工衛星の打ち上げとその失敗」でした。確かに、推進体はミサイルと共通であるとはいえ、これで騒ぐなら、日本のH2Aロケットも同じように論じるべきです。政府・マスコミ用語・発表にあまりに鈍感な人が多いのは残念です。

 今度は朝鮮の「核開発」が発覚しました(10月17日)。私が今後、朝鮮に要求したいのは、「拉致事件」や「核開発問題」の徹底した解決です。今までの過ちを明らかにし、徹底した謝罪・補償なり、核開発放棄をすべきです。それが、日本の植民地支配に対する不誠実なこれまでの対応や、アメリカの核固執の独善主義を浮き彫りにするからです。朝鮮が真摯な対応をとれば、各国の「自国絶対主義」から「世界相対主義」への転換も期待できるわけです。特に日本では、残念ながら平和運動でさえ「加害者意識」が不十分であったりしますが、これを機に己の「加害性」「ナショナリズム」に気がつくべきなのです。

 それはともかく、当分続く国内での「拉致事件」報道や、国内タカ派による国交正常化反対論に対しては、過去の過ちを両国が謝罪・補償し、国交締結を求めていくべきとの論理で対抗すべきだと思います。それが二国間係の正常化、アジア地域での平和につながり、さらにはアメリカの「悪の枢軸」論を挫き、有事法制必要論を砕くことになるからです。

(10月18日脱稿の愛知憲法会議通信369号・2002年10月掲載文章に、11月24日加筆修正。)

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