憲法調査会 第二幕の幕開けと二つの改憲構想

『マスコミ市民』2000年10月号(382号)、11-12月号(383号)

三輪 隆(埼玉大学教員)


 総選挙前、憲法調査会の論議は低調だった。欠席が目立ち、出ている議員も居眠りをしたりウロウロと出たり入ったりして「まるで学級崩壊状態」(市民監視センター高田健)ともいわれた。議論の内容は全体としておそまつで水準も低く、「聞いているほうが恥ずかしくなる」とは傍聴者に共通する感想だった。昨年第一四五国会で他の重要法案にまぎれて調査会を発足させたことは、実は改憲派の実力にあり余る出来過ぎたことだったのではないか。そんな疑問もわいたほどだ。しかし、そのしょうがない憲法調査会がいま少しずつ変わろうとしている。何よりも総選挙の結果である。
 すでに改憲発議を阻止しうる三分の一をわっている明文改憲反対派(これを仮に護憲派と呼んでおこう)の議席は、総選挙によってさらに後退した。民主党内では旧社会党系議員の比率がさがり、社民党は健闘したものの,共産党議席は減った。

一.憲法調査会の様変わり

<「新しい国のかたち」という改憲論>
 選挙後の衆院憲法調査会では「21世紀の日本のあるべき姿」について調査をすすめることが合意された。そして八月三日の第一回会議で、改憲派は「新しい国のかたち」論議が改憲のためになされるべきことを一斉に主張しはじめた。「新しい時代に対応できる法規を整える義務がある」「これまでの議論で共有できた憲法と現実との乖離の認識から、改憲の必然性を再認識した」(高市早苗・自民党)、「新しい事態に対応する憲法の現代的あり方を検討すべき」(鹿野道彦・民主党)と、与野党をこえて改憲の必要性が強調される。「論じたけれども何も変えないのは論憲の論憲たるゆえんがない」(赤松正雄・公明党)、「慎重な議論を重ねることは結構だが、時間の関係と憲法の内容は別問題。議論をするだけで結論が出ないのはおかしい」(野田毅・自由党)、「新しい世紀にふさわしい国の形を定める憲法の調査をやっているのだから、護憲の立場に固執するのはおかしい」(山崎拓・自民党)、「改憲草案をつくるところまでやるべき」(塩田晋・自由党)、両院の調査会が「違うということがあっては、一生懸命やってもまとめるのが難しくなる。合同の議論をする場を設けてほしい」(森山真弓・自民党)という具合に、改憲派の意気込みは高い。

<調査会のトークショー化>
 他方,参院憲法調査会では会長村上正邦が、「憲法論議の私的考察」と題したメモを示して、調査会の今後の活動のあり方にたいして注文を出している。一言でいえばその注文とは,国民一般の興味関心をひきたてる「国民参加型」活動の展開である。村上は,調査会によって改憲論議が広まったことを評価しながらも,学級崩壊さながらとまで言われたこれまでの調査会の活動を批判する。「これまでの調査会はまだまだ国民に対して明確な改憲のメッセージを発していない。委員の側にも説得力のある語彙が不足している。テレビも報道の域を出ていない。」と。
 これをふまえて村上は、憲法調査会をトークショー化しろといわんばかりの注文を出している。彼は言う。「無関心層に対してメッセージが伝わるように新たにテレビへの対応を考える。無関心層にまで届くようにPRするために、公述人や参考人の選定,調査会のパフォーマンス性の向上、定期的な活動報告の演出などについても工夫する。現状では,論議が無味乾燥で興味を引きにくい。学術用語やいわゆる学者用語を駆使するだけの人では面白くない。質疑・意見交換にパフォーマンス性を持たせなければならない。国民の理解と教官を得るための工夫の一つとして、もっと傍聴人を意識しなければならない。場合によってはPRの専門家からアドバイスを受けてもよいではないか。」憲法調査会の会議室はいずれショー番組のスタジオに改造されていくのだろうか。

<調査を改憲準備につなげない条件>
 こうした改憲派の攻勢にたいして護憲派は、憲法調査会の任務規定が「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」とあって、憲法改正準備のための調査とは定められていないことをとらえて、「改憲を前提とした調査・論議は憲法調査会の設置目的に反する」と反撃する。「日本国憲法から離れて国のあり方を議論することは,それ自身、調査会の目的を逸脱するだけでなく,結局は憲法改正の地ならしとなる」(春名直章・共産党)。まったく当をえた批判である。しかし、憲法調査会の調査活動の目的を改憲準備とする規定がないのは、調査会に護憲派を引き出すための政治的妥協の産物でしかない。実際には調査のための調査などというものはありえない。調査はそれを行う主体の立場に応じて調査目的をもたざるをえない。「日本国憲法の歴史的先進性を明らかにする」とか、「日本国憲法と現実政治との乖離の原因を点検する」とかいうことも、調査会の任務規定からは正当に導かれる調査目的ではあるが、それだけが唯一排他的に導かれるものということはできない。調査会の実際の調査活動がどのような内容のものとなるかは、まさに調査会内外の政治的な力関係にゆだねられている。
 およそ議会内の少数派にとって、首尾よく多数派の企図を阻むためには、議会外の世論、運動と手をつなぐことが不可欠である。護憲派はすでに改憲発議阻止議席すら下回っている。護憲派政党が、本当に調査会の活動が改憲の準備になることを阻止しようとするのならば,院外における世論形成と連携することをとおして改憲派議員の動きを縛っていくしかない。では何をやっていくのか。
 改憲派の改憲構想がまだ固まっていない現段階では,改憲派の改憲構想がもつ問題を明らかすることよりも、共産党が提起しているように憲法と現実政治との乖離の原因を点検告発したり、日本国憲法の現代世界における先進性を明らかにすることに重点をおくことは適切な取り組み方といえるだろう。しかし、こうした取り組みが改憲運動に対抗する政治的な力をもつためには、何よりもそれが議会外の社会運動・憲法運動として広がることが必要不可欠である。議席をもつ護憲派政党にいま求められているのは、単に調査会の中で奮闘することだけでなく、議会外の憲法運動を支援する適切な政治的メッセージを示していくことに他ならない。

二.共産党の自衛隊活用論
 こうした改憲に向かう新しい状況の中で、護憲派のなかに注目すべき動きがあった。「必要にせまられた場合には、存在する自衛隊を国民の安全のために活用する」という共産党の大会決議案発表である。

<使える自衛隊?!>
 これまで共産党は、日米安保条約を廃棄したあとの中立日本においては「急迫不正の主権侵害に対しては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である」という立場をとっていた。そして、こうした方針の背景には、九条の「国際的先駆性」を積極的に評価し「世界史の発展段階は、わが国が恒常的戦力によらないで 」という判断があった。今回の提案でも、そこでは「憲法をめぐっては九条が最大の焦点」と捉えられており、「九条改悪反対、、、という一点での広大な国民的共同」が呼びかけられ、「九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら段階的にすすめる」という立場が示されている。
 しかし、この提案では「自衛隊の活用」がどのような政府のもとで容認されるかについての限定はない。これはすなわち、いわゆる民主連合政府とか、共産党が入閣したり閣外協力したりする政府でなくても、主権侵害や大規模災害があって既存の警察力や消防力で対応できない場合には、どんな政府でも「自衛隊を活用するのは当然」だと認めることと同じである。前者の場合は、安保条約五条の共同防衛事態であり米軍の出動がある。後者の場合、自衛隊の出動は治安出動と同様に統合幕僚会議議長の軍事的指揮命令系統をとおしてなされ、首相や知事のコントロールのもとにおかれるわけではない。「自衛隊の活用」なるものがともなうこうした問題は、共産党の立場からは警戒を要しないことがらになったようである。

<九条実現を遠ざける有事活用論>
 そして、今回の「必要にせまられた場合の自衛隊活用」論は、「九条完全実施への接近」を実際には不可能にする。
 第一に、主権侵害にたいして警察力の不足を補うものとして軍事力によって対処するという発想は、「自衛のための必要な最小限度の実力」は合憲とする政府の立場と異なることころがない。「警察力不足分を補う」自衛隊であれ「必要最小限度の実力」であれ、一旦それが認められるならば、その実体は状況によって伸縮自在にかわることとなり、将来の縮減・廃止にむけて縛られるものではないことは自衛隊の歴史が実証済みである。
 第二に、「必要にせまられた場合に活用する」はずの組織にたいして、「憲法違反の組織であるという認識」にたって廃止にむけた措置をとるという主張はジレンマに陥っていて説得力がない。いざというときに活用する組織なら、普段から整備しておくべきだという主張の方がずっと説得力がある。
 今回の提案は、共産党が入閣する前の段階からの自衛隊活用を容認したためだろうか、そうした政府段階で「九条完全実施への接近」のためにとられるべき具体的提言は示されていない。「九条完全実施への接近」の措置は政府与党の側にたって政治的多数派になった段階ではじめてとることができるからというのだろうか。しかし、政府与党の側にないときに既に「必要にせまられた場合の活用」を認めておきながら、与党になったから一転して廃止に向かうというのは一貫性に欠ける。本当に「九条完全実施への接近」をめざすというのであれば、政府与党の立場にない段階から、いかなる場合にもどのような軍事力の使用をも認めないという立場に立つしかない。共産党入閣前の段階からも自衛隊活用を容認するというのであれば、「九条完全実施への接近」の諸段階がいかに詳しく描かれようと、実際にはその第一段階にもたどり着くことはできない。
 もっともこうした難点も、周辺事態法の発動など実際に浮上してくる問題にたいする社会運動・市民の対応にとってはさしたる影響を及ぼさないかもしれない。今のところ共産党は、周辺事態法廃止を掲げており、当分は政権に参加する可能性がないからである。

<憲法運動にたいする否定的影響>
 しかし、九条擁護の社会運動にとっては、微妙な変化が生まれる可能性がある。「必要にせまられた場合の自衛隊活用」を容認する結果、憲法九条を擁護する根拠が揺らいでしまっているからである。かねてから共産党は九条二項の非武装規定を、恒常的戦力・常備軍の禁止と限定して捉え、「緊急の軍事力」「臨時の軍事力」を認める傾向があった。しかし今日では軍事力は「いざというときに備えて」のものであって、先進国では米国を除いて平時にも役割を発揮することが期待されているような国家はない。もし、院外の社会運動が共産党の今回の提案に影響されるようなことがあれば、九条擁護の憲法運動はその社会的影響力を大きく縮減することになるだろう。
 護憲の世論を広げるには、単に憲法と現実との乖離を告発するだけではなく、憲法の諸規定から構想することのできる非武装の日本や東アジア、社会福祉システムの充実した社会など、将来の社会像を積極的に描きしめすことが必要である。「二十一世紀は、軍事力による紛争の「解決」の時代ではなく、”国際的な道理にたった外交”と”平和的話し合い”が世界政治を動かす時代になる」とうたいあげても、「必要にせまられた場合には自衛隊を活用する」立場に立つというのであれば、それは形無しである。

 このように「二十一世紀の国のかたち」キャンペーンへ向かって改憲をめぐる動向には予断をゆるさないものがあるが、改憲派の動きが改憲草案の提案にまとまっていくまでには、未だに時間的余裕がありそうである。そこで今のうちに改憲派の中にある改憲構想の萌芽をみておこう。そこには改憲の内容をめぐっての不一致があり、それはこれから改憲草案が用意されるうえで障害物になると思われるからだ。

三.改憲派の二傾向
 昨夏来、改憲派の政治家たちは憲法にかかわる文章をあいついで発表してきた。これと調査会での発言をあわせてみると、そこにはぼんやりとしたものではあれ二つの傾向をみることができる。とはいえ現下の改憲論議ならではの共通点も多いので、まずはそれを見よう。共通点を整理すると次の通りである。
(1) 集団的自衛権行使と海外派兵を可能にする九条改正
(2) 首相公選制への転換
(3) 非常事態・緊急権条項の新設
(4) 参議院改革
(5) 改憲手続きの柔軟化
(6) 環境権など「新しい権利」の新設
 (2)については、象徴天皇制との両立について小沢の異論があり、(4)や(5)の中味についても相異もあるが、全体としてみれば一致点は決して少なくない。つまり、<派兵と強い政府>、ここに今日の改憲構想の特徴があると言ってよい。では相違点は何か。違いは人権保障と国家規制との関係にかかわって明白である。
 一方の側は人権保障にたいして「公共の福祉」などによる国家規制を優先する立場である。小沢一郎は「日本人が本当の意味で自立するためには、時には個人の自由が制限されることもはっきりさせておく」として、彼の「日本国憲法改正試案」では、第十二条を次のように改正するという。「この憲法の保障する基本的人権はすべて公共の福祉及び公共の秩序に従う。公共の福祉及び公共の秩序に関する事項については法律でこれを定める」(「文藝春秋」同九月号) 。また、山崎拓は「健全なナショナリズム」を強調して、「敬老精神、親孝行の美徳は、大事な思想として取り戻すべき」、「家族愛、社会的責任の思想が大切であり、社会的秩序の際構築が必要」、「国家と国民は対立概念ではない」と言う(「中央公論」九九年七月号)。
 これに対して、鳩山由紀夫は「個人が先か国家が先か」と問い、「基本的人権は保障されなければならない第一番目のものであり、公共の福祉はそれに続くもの」)とし、小沢の立場は「国家の権限で公共の福祉を盾に何でも行ってしまう懸念も出てくる。,,,国家の管理をより優先的につよくしたいという為政者的、国家主義的な発想が垣間見え,,,このように憲法に書いてしまうと、常に個人より国家が上位に来る発想になってしまう危険があ」る、と批判する(「文藝春秋」同一〇月号)。
 この相異は、日頃からの小沢や山崎の国家権威主義的「タカ派」イメージ、鳩山の新自由主義的改革推進派イメージから、新自由主義的改革をめぐる対立の憲法的表現ともとられなねない。右に引用した文章でも小沢は、「通信傍受法は、国防を含めた治安維持に欠かせない」とか、「公共の福祉という概念をきちんと理解してもらって、その上で具体的な危機管理システムを」とか、「住民台帳も、有事の安全保障や緊急時の危機管理に必要」と述べ、また山崎は「国家という秩序の有効性」を説いて止まない。他方、鳩山はニューリベラル改憲論と称して、「市場経済にもっと自由と自立性を持たせ、政府の役割はなるべく小さくしていくべき」だか、「弱者の保護といったリベラルの金科玉条に縛られることなく、市場経済の有効性を認め、むしろ強い経済をつくるための方策を積極的に打ち出していくことが必要」と主張している。
 しかし、この山崎にしても経済成長による社会保障「国民負担率」の規制を唱え、「公的な制度の守備範囲や役割の整理、自立する個人の支援」を語っているように新自由主義的改革そのものを否定しているわけではない。そして言うまでもなく小沢は新自由主義的改革の徹底急進派である。
 つまり新自由主義的改革によって生じている社会不安の拡大にどう対処するか。その際に憲法の次元で「公共の利益」などによる人権の一般的規制条項をいれるかどうか、ここに両者の違いがある。
 この違いは、政治家の主観においては単に社会不安に対する対応の重点のおきかたの違いであって、たいした相異ではないと思われるかもしれない。鳩山にしても、「立ち退きの遅れで、環状八号線や成田空港は、、、たいへんな国益の損失」だとか、「公共性の高い問題に関しては、やはり個人の権利も譲らなくてはいけない」、「特に緊急事態に関しては、内閣に緊急事態を宣言する権限を付与したほうがいい」と平然と述べているのだから、彼が人権規制に慎重であると言うことはできない。両者は共に「国の強い指導」を求める権威志向的な民衆心情を煽りこれに迎合する点では一致しており、その違いは程度の差でしかないとも言える。
 だが、法的文書として憲法に「公共の利益」などによる人権の一般的規制条項をいれるか否かは、程度の違いということはできず、相対立する質的な相異である。この相異は人々の日常の社会生活における行為指針としての憲法の影響に違いが出るだけではない。何よりもそれは、立法、行政そして司法という国家の権力行使のありようを決定的に変える。国家権威主義的発想の強い中曽根が、非常事態措置や危機管理条項について語りながら、人権の「公共の利益」の一般的規制条項に触れていないのは、改憲御意見番を自認する彼ならではの細かな配慮というべきである。

 憲法調査会の改憲論議がもりあがらず、政治家達の改憲構想にもまた亀裂があるとき、注目されたのが「讀賣」と「日経」の五月三日の改憲キャンペーンであった。「讀賣」はいわば国家権威主義的改憲論を、「日経」は新自由主義的改憲論を支えるかたちで改憲運動にコミットしたのである。

四.読売第二次試案
 讀賣の第二次改憲試案は、九四年の改憲試案を大幅に手直ししたものである。その主な内容は、イ)犯罪被害者の権利・ロ)行政情報開示請求権や、ハ)政党条項の新設、ニ)衆議院の法案再議決要件の緩和、ホ)地方自治原則の「自立と自己責任」への転換、そして、ヘ)「公の秩序」による人権制限条項、ト)緊急事態条項、チ)自衛隊の軍規定化である。

<「論憲」ムードを作った九四年試案>
 いまなぜ第二次試案が出されるか.その意義と性格をみるには、ひとまず九四年試案をふりかえってみるとよい。
 九四年試案は、a)「自衛のための組織」保持と軍事的「国際協力」をはじめとして、b)国民主権規定の天皇条項からの分離と優先規定化、c)憲法裁判所の設置、d)首相の指導性の若干の強化、e)改憲手続きの若干の簡易化、f)人格権・プライバシー権・環境権の新設、g)人事・条約についての参議院の独自性拡大など、多方面にわたる改憲を提起していた。とはいえ、その中心眼目が九条改憲にあることは明らかで、a)の内容は当時改憲運動をひっぱっていた小沢一郎の九条改憲論をふまえたものだった。その他b)以下の改憲提言は、九条改憲を目立たせないための飾りのようなものと評された。
 こうした九四年試案の改憲ウェイトのかけ方は、村山自社連立内閣のもとで一挙に進んだ社会党の護憲政党からの転換、日米安保と自衛隊容認・合憲視に対応してつくられたものだったといえる。第一には、安保・自衛隊合憲論で自民党から社会党までの「大連合」形成という既成事実を定着されること。第二には、単なる安保・自衛隊合論をこえて明文改憲にふみだすために、改憲=復古反動という伝統的警戒論を無力化し、社会党を護憲に逆戻りさせないことである。前者が、a)の自衛隊の「自衛のための組織」としての容認と、「平和の維持促進、人道的支援」のための「国際協力」規定であり、後者がb)以下の全体として自由民主主義的な改憲の諸規定である。
 当時b)以下は、九条改憲を目立たなくするための多様な論点提起、ごまかしであるとも批判された。例えば、f)「人権規定の充実」を語りながら、その一方では通信の秘密の不可侵規定が削られたり、捜索などの令状主義要件が緩められたりしていた。本当に「人権保障の充実」をめざすなら、このような姑息な手直しはできない。また、d)やe)も首相公選論など政治家たちの最近の改憲構想につながるものではあるが、九四年試案の提言内容はいかにも中途半端で、それぞれの制度実体を転換することよりも、実体は変わらなくても僅かではあれ「変えた」という実績をつむことに狙いがある提言とみられた。そしてg)にしても参議院改革論議が最近すすむとあっさりと取り消され、2次試案では反対にニ)が入れられるという始末。たしかに九四年試案のb)以下は、改憲対象拡散による九条改憲隠しの効果を狙っていたといえる。
 とはいえ、今ふりかえってみると、九四年試案のこうした多様な論点提起は、九条問題に特化されない改憲論議の展開を促し、九条改憲に抵抗を示す部分をも改憲論議にひきこむ役割を確かにはたしたといえる。b)以下の一見すると自由民主主義的な改憲提案は、当時の社会党の「創憲」論や、そして現在の「論憲」論など九条護憲派をいわば武装解除するうえで少なからず貢献したのである.

<権威主義的方向での改憲派諸潮流の調整役>
 九四年試案とくらべると、第二次試案の多岐にわたる提案は「論憲」のためにする改憲案ではなく、この間に実際にすすんだ国家社会体制の改編そして改憲論議に対応するものであることがわかる。ロ)は情報公開法、ホ)は地方分権一括法、ハ)は政党助成法、ト)は中央省庁等改革法によって新たにつくりだされた事態を確認し、イ)ヘ)は”強い国家指導”をもとめる最近の世論傾向をさらに促進し、ニ)ト)チ)は政治家たちの改憲論に呼応しようとしている。
 つまり改憲論議を九条護憲派をもまきっこんで幅広く進める局面をこえて、憲法体制にかかわるこの間の国家社会体制の改編を前提にしながらも、これらの改編を憲法上の改編へとさらに進めることがめざされている。そして、こうした対応は明らかに一定の方向付けをもってなされている。それは「公共の利益」と人権との調和条項と詳細な緊急事態条項によく示されている。<「公の秩序」重視、社会の安全守る。自己中心の風潮憂慮。「公」を再検討する時。行き過ぎた個人主義、義務・責任とバランス図る。>これが五月三日の讀賣紙面に踊る見出しである。九四年試案にあった自由民主主義的装いはかなぐり捨てられている。
 讀賣は、政治的に無力化した「創憲」・「論憲」論者をもはや相手にすることなく、明文改憲派にむけて改憲共同草案のたたき台を示すことに転じたと言える。このことは二次試案とこの間の政治家たちの改憲論議との対応関係に注目するとはっきりする。
 第一に、改憲の重要事項である九条については、九四年試案が小沢案と同じく自衛力保持規定と国際貢献規定の二項目構成となっていたのを踏まえながらも、第二次試案では「自衛隊を軍隊と認めよ」という鳩山にならって端的に自衛隊=軍規定が取られている。第二に、小沢と鳩山の重要対決点である人権規制問題については、「公の秩序」「公共の利益」重視をうちだし小沢案に肩入れしながらも、人権に対する「公共の利益」は露骨に優越することなく「調和」すべきものと慎ましやかに規定され、また、緊急事態における人権制限には小沢案のように法律に委ねることなく、憲法上の根拠規定が直接に与えられている。
 小沢や鳩山の改憲論との間でのこうしたこと細かな間合いのとり方は何を意味するか。それは、単に改憲機運を盛り上げるだけではなく、改憲諸潮流の間で共同しうる改憲構想づくりを促そうとする意図の表れと思われる。改憲に組する諸政党・政治家たちの改憲構想上での一致を仲立ちする役割を讀賣は買って出たということができる。

五.「日経」の改憲キャンペーン

<「自立と自己責任」の改憲論>
 日経は元来メッセージ製の高い紙面を作る新聞である。憲法にかかわっても、司法制度改革について昨秋以来「司法 経済は問う」という特集を四度ににわたって連載している。司法にたいして「利用者」である企業・経済界からの「使い勝手の良さ」を注文するというものである。
 その日経が五月三日に「憲法の見直し」を訴える社説だけでなく、一面肩に「憲法改革」の論説、そして見開きで四点にわたる改憲論を一度に載せたのである。改憲を支持する新聞といえばサンケイと読売と相場は決まっていたところへ日経も加わったのだから、これは新聞界では画期的な出来事である。読売サンケイの大衆的読者層(その多くは権威的心性をもつ)と比べて日経の読者の平均像は一部上場企業の社員など高学歴の都市中間層上層にシフトしているとすれば、日経のコミットは改憲問題への新聞キャンペーン対象層が「上方」と「中央」へと広がったことを意味する。
 日経の改憲論の対象もまた読者層の違いに応じた特徴をもっている。改憲対象とされるのは、(1)経済的自由規制の解除、「福祉国家」の見直し、(2)地方分権、(3)参議院の行政監督機関化、(4)九条改正である。
 そしてこのまったく異なる事項が改正されるべきゆえんがたった一つの理屈で説明される。いわく、「個」の自立、自立した「個」の自己決定と自己責任の原則である。(1)で目指されているのは、自立した個人同士の競争を自律的秩序とする経済社会である。そこで主張されるのは、つまるところ、経済的自由にたいする国家の関与は競争秩序維持についてのみ認められ、競争規制・参入規制的な関与は許されないことである。営業の自由や財産権保障にたいする制約規定(第二二,二九条)や、これと対になっている福祉国家の根拠規定たる第二五条が改憲の対象となる。あげられる理由は、イ)戦後日本の国家目標であった「豊かな社会」建設はすでに達成されたこと、ロ)この政策を担った行政国家の一国完結性の困難化である。しかし、「豊かな社会」になったとしても誰もが常に自立できているわけではないし、福祉行政の一国完結的実現が仮に難しくなったとしても福祉問題がなくなるわけではない。経済的自由規制解除の主張は、もっぱら富める者や多国籍企業の視点からなされているといって過言ではない。
 自己決定・自己責任原則は、地方自治体、国会そして国家についてもあてはめられ、(2)〜(4)の改憲を導いている。(2)中央官僚にコントロールされる地方公共団体から、独立した財源と権限をもって自己決定する地方自治体へ。(3)官僚主導の官僚内閣制から政治主導の国会内閣制と行政監視へ。(4)集団的自衛権行使ができず主体的決定のできないニッポンから、自らの決定で「国際社会での責任」を果たす国際国家ニッポンへ、という具合である.自己決定と自己責任は、もともと”自立した「個」”について唱えられるものであるから、これを人為的制度・組織にあてはめるのはいかにも無理がある.とりわけ、政治の自己決定・自己責任というテーゼから参議院の行政監視機関化を導く議論は、ほとんどまともな論理的筋道もなくこじつけとしか言いようがない.
 だが、アピールの要点は、何よりも単純さのもつ分かりやすさである。多岐にわたる改憲対象がたった一つの原則から説明できるとしたらこんなに簡単なことはない.読売試案のように一方で人権保障の拡充を語りながら、他方では「公の秩序」を強調するといったややこしさはここにはない。日経の打ち出した改憲論のもつ魅力は何よりもこの単純さにある。

<新中間層むけの改憲論>
 単純で分かりやすいからといって、この改憲論がどの階層にも受け入れられやすいということはない。出発点となる原理は何よりも個人の自己決定・自己責任という新自由主義的色彩のつよいものである。日経の読者が望んでもそのすべてが”自立した「個」”であり続けることができないように、自己決定と自己責任に生きることができる者は限られている。
 とはいえ、ここには自立した「個」を強調し、決定と責任をひきうける個人主義のいさぎよさと格好のよさがある。こうした規範スタイルは何よりも新中間層に受ける。そして新中間層こそは、閉塞状況にある現在の日本社会の中で相対的に高い政治的活力を示している部分なのだ。
 新中間層といえば、これを政治的に代弁しようとしているのは、さしあたり民主党を中心としたリベラルを自称する比較的若い世代の政治家たちである。しかし、九四年「政治改革」このかた自称リベラルの政治理念は、この国では訳の分からないものになっていて、とても改憲構想どころではない。最近でも「医療と福祉の自由連合」を自称した勢力は、首相公選制と連邦制導入を改憲を語ることなく総選挙で公約していた。先に見たように鳩山の改憲論は小沢の改憲論と異なるはずのリベラル性を明瞭に示すことができなかった。しかし、鳩山が小沢との違いを際立たせようとして、弱者保護にしばられず強い経済をつくるためニューリベラル改憲論なるものに徹底するとすれば、いずれ日経が示したようなタイプの改憲論へと近づくことになるだろう。
 日経の改憲キャンペーンは、新自由主義の論理を一方に徹底した改憲案を示し,かつ新中間層にアピールする中味をもつ点で,たとえこれを担う政治勢力がいまのところ大きくつくられていないとしても注目に値する。

六.公共性をめぐる対抗

 讀賣と日経の改憲論から描かれる国家像はずいぶんに違う印象をうける。一方は強い権威的国家、他方は軽やかな小ぶりの国家。とはいえ改憲対象はかなり重なる。すなわち自衛隊合憲を当然の前提とした上での集団的自衛権行使の容認、地方分権の徹底、参議院権限の縮減または法案再議決要件の緩和、そして改憲発議要件の緩和である。改憲にのぞむ姿勢として新自由主義的改革を全面肯定している点も共通する。その上での違いである。一方の讀賣は「公の秩序」による人権制約の可能性を強調し,他方の日経は経済的自由の拡大回復、生存権規定の改廃・福祉国家の見直しを主張する。こうした違いは何を意味するのか。それは山崎・小沢の改憲構想と鳩山のそれとの間の違いと同じなのか。すなわち、日経は新自由主義的改革を徹底することだけにとどまって、それによって拡がる社会不安に無頓着であるのにたいして、讀賣は国家権威主義的対応を用意しているということなのか。
 この問いに答える鍵は”公共”という言葉がこの国でもっている二面性にある.

<オホヤケとpublic>
 ”公共”という言葉は西欧のpublicの訳語であって、維新改革前の日本語にはない。そこでまず、publicという言葉の意味を英語やフランス語の辞典でひいてみると、それは人びと、民衆、人民を意味するラテン語のpublicus,populusに由来する語で、「全体としての人民の、またはそれに関わる・属する、共同の」とか、「全構成員に開かれた、共用される」とか、「一般の人々の観察、注目、認知に開かれた」などの意味があるとされている。これにたいして、日本語の”公”のほうは、オホヤケつまり大宅(これに対するのは小宅ヲヤケ)に由来し、「天皇、朝廷、国家(「日本書紀」ではミカド、オホヤケと読むという)、または社会(これまた訳語)」を意味するとある。一方は人民にかかわり、他方は国家にかかわる。両者の違いは歴然としている。
 にも拘わらずなぜ”public”の訳語に「公」という文字が入りこんだのか。”public”には「公」の契機はないのか。言葉は歴史社会の中で作られ変化していく。両者の関係をみるには、”public”と「オホヤケ」、そして中国語の「公」という言葉の用法を古代にまで遡ってつき合わせてみる必要があるだろう。しかし、ここではその余裕はないので、ただ両者が重なるところだけを見る。
 それは国家が人々の共同の事がらを人的・財政的に担うという場面である。先進国における大衆民主主義にみあう社会福祉の進展、後進国における上からの権力的「近代化」。こうした場面で多くの人びとに共通する共同の必要をみたず事業を国家が担う事態がすすむことをとおして、「国家が担っているがゆえに即ち共同性をもつ」と受け止められるようになる。しかし、国家活動が共同性を体現するのは、共同事が国家に託されるからそうなるのであって、国家が行うから自動的に共同性をもつようになるのではない(ちなみに共和国と訳されるrepublicという言葉は、ラテン語のres(「事項、もの」の意)とpublicusからなり、「人民のもの」を意味する)。イギリスのパブリック・スクールが私立であるように人々の共同の必要事は国家が独占排他的に担うものと決まっているわけではない。しかし、日本社会は「オホヤケ」という言葉にもその一端が示されていたように長い間にわたって国家求心的に編成されてきた(いわゆる天皇制問題)。そこで育った人間がpublicの語を国家における共同性の点に着目して「公共」と訳したのは無理からぬなりゆきだっただろう。こうして”public”という言葉は、人々の共同性を示すと同時に日本古来のオホヤケ(国家と国家求心的に統合された社会)とを二つながらに示す言葉、すなわち「公共」と訳されたものと思われる。

<オホヤケをひきずる公共観>
 いま、日本語の辞書をひけば「公共」という言葉は、「社会一般、社会一般の人々(に関すること)。社会一般に人々が共有する。おおやけ。民衆全体」といった解説がでてくる。「おおやけ」の語を除いて「公共」を解説している辞書は見つからない。そして現実生活では、「公共」という言葉をオホヤケの意味で用いる場合がきわめて多いのである。この国で「公共」という言葉は、昨今一部ではやっているように人々の共同性にかかわる言葉として用いられるのではなく、国家が決め国家が行うことと同一視されて使われることが少なくないのだ。
 こうした事情について憲法との関係から問題となるのは、次の二点である。
 第一は、公共(性)の有無が、人民にとっての共同性の有無によってではなく、それが国家によって決められたり運営されているか否かによって判断されることである。ここから共同の事がらに主権者として主体的能動的に臨む姿勢は弱められ、「お上」=オホヤケが決めたことに没批判的に従う「公民」的な態度が強められることになる。たとえば、元号法や国旗国歌法はただ定義を決めているだけで特定の態度行為を求めてもいないのに、多くの人が「お上」の一方的指示に従うといった具合に。
 第二は、国家は国家に属する国民=公民の存在・生活を公共=オホヤケの名のもとに制限できると同時に、その生活を保護し配慮すべきことが期待されることである。人民は主権者であるから国家にたいして生活の保障を求める権利を有するのではなく、反対に国家に帰属し、その公的規制に服する「公民」であるからこそ国家による保護を期待する資格をもつと考えられることになる。社会福祉は人民の権利ではなく、国家の恩恵であり、ありがたい配慮であるとうけとめられる。

<「読売」「日経」の違いの意味>
 公共という言葉がオホヤケの観念を引きずって用いられる。この点に着目して讀賣と日経の改憲構想の違いを見なおしてみよう。
 讀賣の「公の秩序」「公共の利益」強調は、新自由主義的改革によってうまれる社会不安に対応して、強い国家による秩序維持を求めるものといえる。他方、讀賣は新自由主義的改革そのものを肯定しながら、社会権条項の見直し(生存権規定の削除など)を迫らない。これは「福祉」における人々の国家への依存が、現代社会においては国家と公共性をつなぎ同一視する意識を生みだすうえで重要なポイントであること。日経のように「個」の自立を過度に強調することが国=公秩序への依存意識を緩和することへの警戒からくるものと思われる。
 これに対して、日経が「公共の利益」による秩序維持にふみこまないのは、公=国家の秩序という同一視が、国家による資本の活動規制を当然視することにつながることを警戒してのことと思われる。
 日経は徹底して国家から自立した「個」によって構成され、彼らによってつくられる共同関係をめざしているかのようだ。しかし、現代社会で自立した「個」たり続けることができるのは、規制のない競争社会での勝者、強い者だけであって、望んでいてもすべての者が自立した「個」であり続けうるわけではない。人間は平等であるとする仮構、すなわち各人がつなぎとめられている社会的条件を捨象したところにイメージされる平等な個人は、同時に他人にも国家にも依存しない自立した個人であると考えられる.こうした個人が自分たちの共同の事柄を決め社会秩序を形づくっていく。こうした社会は、国家が公共性を独占する社会と比べてずいぶんに伸びやかで自由であるのではないかと想像される。
 しかし、この構想は日本国憲法の”公共の福祉”構想が示しているものと比べると”反動的”な構想だと言わざるをえない。なぜなら、不平等な社会条件におかれている諸個人のあいだでの公共性を実現する構想として、日本国憲法は生存権をはじめとする社会権規定をおいていたからである。この社会権規定は一九四六年の段階でも不充分だったと評価されることもあるが、「自立した個人」すなわち持てる者だけからなる公共社会の狭さを克服する進歩的な構想であることは確かである。日経五月三日の特集は、日本はすでに豊かな社会になったので福祉国家を基礎づける生存権など社会権規定の役割は終わったと主張する。しかし、こうした秩序構想はむしろ”反動的”ですらある。日本がはたして豊かな社会を実現したかは疑わしいが、この点を認めるとしても、経済のグローバル化・新自由主義的改革が進むなかで、現在途上国のみならず、西欧でも人権としても社会権規定の拡充が改めて問われているのである。持たざる者をもカバーする公共社会をつくる原理である社会権と、その実現を”公共の福祉”とする日本国憲法の構想は今でも私たちの切実な課題であると思われる。
 ところで、「公の秩序」を強調する讀賣の改憲構想は、新自由主義的改革に反対する国家主義的運動と結びつき、新自由主義的改革に敵対するものに転化しかねないしろものである。また「公共の利益」によって一般的に人権を規制しうるような憲法は、自由民主主義憲法の現在のグローバル・スタンダードからも外れる。改憲派の改憲構想を作っていくうえで讀賣と日経は、さしあたり相互補完的な役割を果たしているのであって、どちらかが主導権をにぎっているとは言えない状態にあるようだ。支配エリートの改憲構想がどのような方向でまとめられるかは、非武装平和主義を擁護して海外派兵に反対する運動とともに、新しい福祉国家=社会の実現をめざす運動の進展いかんにかかっている。

(一、二は一〇月五日執筆、三以下は八〜九月執筆)

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