小泉首相の思いつき改憲発言

 就任以来、小泉首相の改憲発言が続いている。
 自ら「改革断行内閣」を自称したものの、「聖域なき構造改革」の見通しは明らかではない。そこで人気確保のつなぎに改憲論が押し出されているとの観察もある。しかし、改憲が政治日程にのせられつつあるとき、現職の首相が改憲に積極姿勢を打ち出し続けていることは、憲法政治に無視できない影響を及ぼすだろう。簡単にその中身を整理し問題点を指摘したい。

1. 首相公選制
 小泉首相の首相公選論はおよそ次のようなものである。イ「首相を選ぶ権利を国会議員から一般国民に移管する政界の規制緩和」、ロ「国会議員の何十人かの推薦を資格要件とすれば売名・泡沫候補は阻止できる」、ハ「候補者は国会議員でなくても良い」、ニ「閣僚は過半数を国会議員とする規定も見直す」、ホ「議員も国会も廃止する気持ちはなく、公選制が独裁につながることはない」。
 言うまでもなくイ)ハ)ニ)は、いずれも憲法の現規定(第67-69条)に直接に抵触するので、これを実現するには明文改憲が必要になる。また、ファシズムとは異なって国会を残す(ホ)というのであれば、首相の与党と国会の多数派との関係、とりわけ内閣不信任が可決されたり、予算案をはじめとする重要法案が否決された場合の政治運営ルールの転換が問題となり、これらも当然に憲法にかかわってくる。こうした点を公選された首相や内閣が国会に優越するかたちで再編するかどうか。つまるところは現在の国会中心の代表制システム(第41条)からどのような政治システムへ転換するのかが問われる。いずれにせよ現憲法規定の大々的な改正が不可避になる。
 中には、内閣不信任決議を3分の2の特別多数にすれば現憲法でも首相公選制は導入できるなどという応援論もあるが、これも暴論である。表決方式だけとっても、野党提出決議案だけ特別多数にして政府与党提出法案を単純多数にする理由などが問題になる。

2. 集団的自衛権の行使
 「日本近海で日米が共同行動をしていて、米軍が攻撃を受けた場合、日本がなにもしないということができるのか」、「政府解釈は長年の議論の積み重ねがある。この解釈を変えるのはよほど慎重な判断がなければならないが、本来集団的自衛権を行使できるなら、誤解のない形で憲法改正が望ましい」
 集団的自衛権とは国連憲章第51条によってはじめて国際法に登場した概念である。それは、自国と緊密な関係にある他国への武力攻撃がるとき、自国への直接攻撃がなくても反撃のために武力を行使しうる権利とされている。このような内容が国家自衛の観念で説明できるかは大いに疑問であり、東西冷戦下で大国による武力干渉の口実に用いられたこともあって、国連本来の集団的安全保障体制を脅かすものとして批判も多い。
 もっとも小泉首相の集団的自衛権行使発言は、日本が独自判断で自衛隊を他国へ派遣する途を全面的にひらこうというように軍事大国を直接に志向するものではない。しかしそれは、もっぱら周辺事態法で足がかりができた自衛隊の海外における米軍との共同軍事行動を全面的かつスムーズにするための提唱であるだけに現実味がある。集団的自衛権行使が容認されれば、周辺事態法で可能となった”武力行使を伴わない後方支援”はその枠を外され、武力行使を伴う後方支援へ、そして後方支援は前線での戦闘もふくむ日米共同作戦行動へと自衛隊の軍事行動は拡げらることになるだろう。

3.靖国公式参拝
 「宗教的活動であるから良いとか悪いとかいうことではない」、「戦没者への敬意と感謝をささげるために参拝する。お参りすることが宗教的活動だと言われればそれまでだが、それが憲法違反だとは思わない」、「A級戦犯がまつられているからいけないともとらない」、「公式、非公式の違いはよくわからないし、答えたこともない。公用車で行って警護がいるから公式と言われてもどう答えていいかわからない」
 閣僚の靖国神社参拝については、戦争責任の問題だけでなく、政教分離の憲法原則との関係から、公人でないこと、その行為が宗教的目的をもたないことや宗教的形式をとらないことなどが、政府見解や最高裁判決などで問題になってきた。小泉発言はこれらの点を全く無視し、憲法規定を踏みにじることを公言するものに他ならない。

 こうした現憲法にたいするあからさまな挑発的発言にたいしては、各方面から批判や懸念の声があがっている。しかし、マスコミでの扱いは、自らがそのお先棒をかついだ小泉人気もあってか及び腰である。この「市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題Web」では、今後も小泉首相の憲法発言のもつ問題点について、よりつっこんだ批判的検討を加えていきたい。
 とりあえず二つの点に注目しよう。
 その一つは、首相の発言が自民党総裁選挙をとおして作られた「人気」を背景にして、きわめて情緒的・扇情的になされていることである。「命をかけて国を守る集団が憲法違反という議論させておくのは失礼」、「家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった人への敬意を込めて、総理として参拝する。批判があろうと、日本人として自然なこと」などの発言は、理性的討論をあらかじめ遮断した暴力に似た性質をもつ扇動的発言といえる。
 第二には、彼のこうした思いつき改憲発言は、これまで長いあいだ地道にがんばってきた改憲勢力の中に少なからず混乱をまきおこしていることである。
 たとえば、人気の高い首相公選制は、その制度的不安定さから、執行権強化をめざすこれまでの改憲構想のほとんどが取り上げてこなかった。また、最初に首相公選制で改憲を経験しようという小泉案をとると、96条から国民投票を削除するような改憲手続き緩和はかえって難しくなる。集団的自衛権の行使を政府解釈や国会決議でおこなうのであれば九条の明文改憲は遠のく。
 「えらいことになった」と中山衆院憲調会長は驚きをかくさず、「小泉首相自らの改憲についての見解をききたい」と言い、自民党幹事長におさまった山崎拓氏は解釈変更による集団的自衛権行使実現を牽制する発言をしている。連立与党の公明党は、首相の乱暴な靖国公式参拝発言に戸惑いを隠せない。小泉改憲発言を公然と支持しているのは、改憲派のなかでも今のところ改憲居士中曽根康弘氏くらいなものである。
 Looks are everything. これは小泉氏の総裁選挙勝利を報じた News Week 誌の記事の見だしである。首相の思いつき会見発言が改憲論議の凧をさらに天高く舞い上げるか否かは、見てくれに惑わされることなく冷静に考え討論する市民の如何にかかっている。

2001年5月21日
三輪 隆(埼玉大学)

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