抗議文
   首相 森 喜朗 様


 森首相は、5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会の場で、「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国」と発言しました。

 それより以前にも、韓国から来た労働者がベトナム戦争に参加しているから銃を撃つことも不慣れではなく、まとまれば大変な軍事行動ができる(92年6月)と言い、あるいは、「沖縄県の教職員組合は共産党が支配していて何でも国に反対する」(今年3月)と、問題発言は数限りなくあります。

 しかし、今回の発言で激しい批判を浴び、17日参議院本会議で陳謝したと報道されました。

 私たちが最も恐れているのは、謝罪という隠れ蓑によって首相の真意が変わることなく政策に継続されていくことです。首相は「日本は天皇を中心とする神の国」であると本当に思っているのではないですか。その証拠に、発言の撤回を拒否しました。かつてアジア全域にわたって侵略戦争を遂行した大日本帝国を支える思想を持った指導者に、平和を愛し、恒久の平和を祈念する日本政治をまかせることはできません。

 首相は、確かに、、国民主権の理念を否定したのです。あの場での発言を読む限り、何をどのように「誤解」できましょうか。明らかに言葉どおりの意味であると思います。首相は教育勅語の復活を提唱しているではありませんか。

 日本政治は、この半世紀、憲法の理念を「解釈次第」でねじ曲げてきました。

 憲法九条の空洞化、国旗国歌法の成立強行、盗聴法、組織犯罪対策法、駐留米軍用地特別措置法、周辺事態法等々の強行採決と、国会における「多数の暴力」によって、国民不在の政治と言われ続けてきました。やはり自民党の中に国民主権という認識は微塵もないものだと言わざるを得ません。首相の時代錯誤は決して首相一人のものではなく、政府自民党の中に蔓延していると見るべきでしょう。

 こうした国内外に不快と困惑と怒りを生じさせる発言は、ここに始まったことではなく、これまでも多々ありました。そのつど、形ばかりの謝罪とか撤回とかで切り抜けてきましたが、そのたびに、人々の政治不信は深まりました。「またか」と。

 また、国際的にも日本の政治家の低劣さが宣伝され、大きなイメージダウンをうながしました。日本の世界における信用は軽くなるばかりです。私たちの我慢にも限界があります。

 私たちは、首相と自民党に対し、心からの怒りをこめて抗議します。

 そして、首相の即時退陣を要求します。

 私たちは、何人であれ、一人一人の人権を尊重する政治家をもとめています。そういう政治こそが、人々の心を豊かにし、愚劣な犯罪を阻止する最も有効な手段であると信じているからです。

2000年5月17日

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代表世話人/水田洋


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