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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版 Vol.75 2005.02.17 |
| [20050217]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.75 木村書店Web公開シリーズ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.75 2005.02.17 ━━ ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■ 近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 等幅フォントで御覧下さい。 出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房) ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉● ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓ ┫ 終章:王国の哲学 ┣ ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛ ◆(終章−4)地に満ちよ ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 古代エジプト人は、スーダンの北部を、ター・セティとよんだ。また、 この地帯に、セツーとよばれた古代国家もあった。そして、ター・セティ が、カセット、クシュと変化したもののようである。クシュ帝国の自称は、 まだわからないのである。 セティやセツーは、セムトゥーの変化であろう。そこは、牧畜部族の土 地だった。セムトゥは、いろいろな場所にいた。旧約聖書のカナンの地は、 おそらくサハラであろう。そして、サハラに永らく栄えていたガラマント 王国の名称と、関係があるのではないだろうか。ガラム、カナム、カナン、 である。しかし、「カナンの地はききんが激しく」、人々は、「エジプト に下(くだ)るのを恐れてはならない」と教えられた。だが、「羊飼はす べて、エジプトの忌む者」であった。つまり、南国境フィラエには、「家 畜を連れてこの国境を越えてはならない」という石碑まで建てられるよう になった。人々はそこで、「ゴセンの地に住まわせてください」、とパロ にたのんだ。つまり、ナイル河上流域にあったカセット(ター・セムトゥ )、カセン、ゴセンへの移住の許可を、ファラオ(パロはファラオと認め られている)に求めたのである。 ユダヤ史学者の小辻誠祐によれば、セム系諸民族は「言語及び人種の特 徴」からして、アフリカ大陸からアラビア半島に渡ったものと説く学者が、 早くから何人もいた。小辻誠祐の『ユダヤ民族――その四千年の歩み』と いう本は、すでに1943年に出版された本の改訂版である。詳論はさけるが、 いまや、この説以外に成立する学説はありえなくなってきた。わたしは、 いわゆる大言語族の系統を、全く別々のもののように説く学説も、近く完 全に破綻するものと考える。そして、新しい言語体系は、アフリカ人の学 者の輩出によって、バントゥ語に出発点を置いたものとなるであろう、と 考えている。 さて、セムトゥは家畜の群と一緒なので、最初の移住範囲は限られてい た。だが、ケムトゥとヤムトゥ(ヤ・ムントゥ)とは、身軽だった。たと えば日本列島に、クマソ、クマノ、ケの国、ヤマトという地名がいたる所 にあるのは、彼らの移住の証拠ではないだろうか。 一方、人々を意味するバントゥは、ヨーロッパで、マント、マンに変り、 アジアで、ピンヅー、ヒンヅー(インド)となり、ヒント、ヒトになった。 レムトゥは、ケムトゥ一般よりも、あとから本拠地をはなれた。だが、 彼らは耕地面積を広くつかえたので、有力な部族になった。オリエントに は、レバント(シリアの古代名)の国ができた。中国では、レント、レン (人)が、人間を意味するようになった。自分の国をレーベンとよんだ人 々もいて、中国人はこれに、日本という字当てた。 ギリシャの各地には、語尾に「ントス」がつく地名が多い。この意味は ギリシャ語ではとけず、先住民のつけた地名だとされてきた。しかしこれ も、ムントゥ、ントゥ、ントス、の名残りであろう。たとえばコリントス は、コルン(角)・ムントゥかもしれない。角のあるウシ、ヒツジ、ヤギ を飼う人々、もしくは、家畜用のムギ類を主食にするようになった人々で はなかろうか。ドイツ語のケルン(穀物)、英語のコーン(同)は、とも に、コルン(角)と関係がありそうだ。 たとえばエンゲルスは、家畜用の穀草を栽培するのが、農耕のはじまり だったのではなかろうか、と推測した。現在では、農耕文化が先行した、 という考え方が大勢をしめている。しかし、エンゲルスの推測は、いった ん遊牧化した民族が、ふたたび定着する際に生じた、二次的な農業社会で の出来事、という想定に生かされてもいいのではなかろうか。 もっとも、このコルン・ムントゥ、または、コルムトスは、レムトゥの 出身かもしれない。ローマの伝説は、ロムルス・レムルスの双生児による、 建国をつたえている。しかし、これは後代の解釈であって、レムス、すな わちレムトゥより出でたるロムルスの国であり、ロムルスはコルムトスが、 ホロムルス、ロムルスとなまったものではないだろうか。 これとは別に、日本のカミや、アイヌ民族のカムイを、トルコ・モンガ ムのカム(シャーマン)に結びつけている学者もいる。そのもとは、ケム トゥではなかろうか。それも、ケムトゥが金属精練の秘法を知り、それが、 ケムトゥの秘法、アル・ケミアとよばれたこととに由来するのではないだ ろうか。いわゆるシャーマンは、鉄鍛冶師なのだ。 ふたたび、コトバに立ちかえってみよう。コトバとはなんだろうか。そ れは単語のことではなくて、思想体系だったのではないだろうか。日本語 のコトバを、アラブ語のキタブに結びつける人もいる。キタブは、本その もののことではなくて、本に書かれた内容、つまり、思想体系としてのコ トバの意味である。 わたしは最初、コトバを、人の道、つまりムントゥまたはバントゥの道 と考えた。そしてムントゥが、キントゥ、クントゥ、ハントゥを支配する ための教えであり、キ・ク・ハの関係を説明したものではなかろうか、と 推測した。この可能性もあるだろう。 しかし、より行動的に、ケ・セ・ヤまたは、キ・タ・ヤブの三部族の、 協力を説いたものと考えてもよい。そして、それぞれの部族または、その 三部族の要素を持った民族集団同志は、お互いにコトバが乱れないように、 つねに交流を絶やすな、とおしえられたのではないだろうか。旧約聖書の 構成には、どうもそのような気配がある。遊牧民族の伝承のつねとして、 農耕にかかわる部分は、かなり抽象化されている、しかし、ユダヤ民族は、 セムの子孫なのに、ハムの子孫の系図も、くわしくつたえている。出会っ た民族と、コトバをあわせる、という習慣があったのではないだろうか。 そして、キリスト教のカテキズム(宗教問答)も、キタブ、カテヒ、カテ キ、と変化したものではないだろうか。 少ない材料では、これ以上の推測はできない。しかしわたしは、きっと、 はじめにコトバがあったのだ、と思いはじめた。そのコトバは、力の哲学 であった。コトバによって、人々は力を振いおこし、ある時ははたらき、 あるときはたたかった。日本では、その重要なコトバを、ヒミ(秘み)コ トバとか、イミ(忌み)コトバとよんだ。秘めると、忌むとは、同じ語源 をもっている。ヒミコトバは人格化されて、ヒミコとなり、イミコトバは、 ミコトとなった。一方は、女性に結びつけられ、他方は、男性に結びつけ られたのではないだろうか。そして、ヤマトタケルノミコトとは、ケムト ゥの土地のヤムトゥの秘めたるコトバ、だったのではないだろうか。 わたしの推測は、当を得ていないかもしれない。しかし、これが本当に 証明されたら、どんなに素晴らしいことだろうか、と思わずにはいられな い。そうすれば、「人間はひとつの家族」というコトバは、抽象的なもの から、はっきりと具体的なものになるだろう。 だがそれにしても、最初の意識的な、法則的なコトバをつくったのは、 バントゥの中の、どういう人々だったのだろうか。 次回配信は、終章−5「インクルレコ」です。 (次でおわりだよ〜 (;_;)/‾‾‾ ) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。 http://www.mag2.com/ 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm ――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org (ご案内) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html (木村書店) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html (憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
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