憎まれ愚痴入口木村書店戻る┃  メルマガ1の目次項目別案内

まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版  Vol.59 2004.10.28

[20041028]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.59
木村書店Web公開シリーズ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.59 2004.10.28 ━━
 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■
     近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                      等幅フォントで御覧下さい。
              出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

  ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●

         ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓
         ┫  第六章:バントゥの王国  ┣
         ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛

◆(第6章−12)マクロビオイ ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

   先ず写真をみていただきたい。これは、紀元前15世紀に、プーント延性
  をした古代エジプト人が、神殿に、その遠征の模様を報告した壁画の一部
  である。
  

         第6章の扉絵(プーントの王の壁画)
          (『黒色人文化の先行性』より)
            (図変更のため貼り込み)
  
   プーントの王とされている真中の人物は、いやに顔が大きく、極端な胴
  長である。これはどういうわけだろうか。わたしも、最初は全く意味がわ
  からなかった。腰をかがめて臣従の礼をとっている形にしたのかな、など
  と考えていた。しかし。それにしては、右手の男が棒を持っているのが気
  になる。どうにも解釈のしようがない。
  
   ところが、古代エジプトの美術様式についての説明をよんでいたら、こ
  の謎がとけた。古代エジプトの絵画や浮彫り、群像の彫刻や塑像などでは、
  立っている人物の頭部の高さを、同一線上にそろえることになっていた。
  だから、この不思議なプーントの王の肖像は、腰から下をデフォルメされ
  たのであろう。これは、背の高い巨人だったにちがいない。遠征隊の記録
  係として同行した芸術家は、そのプーントの王を、リアルにつたえたかっ
  た。しかし、頭部をそろえる習慣を、くずすことはできない。そこで、も
  っとも簡単な、脚部の描写を犠牲にしたのだ。これ以外に、合理的な解釈
  は成りたたないだろう。
  
   さて、つづいて、ヘロドトスの証言があらわれる。ギリシャ人は、エチ
  オピア人の中に、とくに背が高い人々がいることを知っていた。そしてそ
  の人々を、「長命族(マクロビオイ)」とよんでいた。ただし、このマク
  ロビオイの語源については、長命に由来するものではなく、長弓をよくひ
  くことに由来する、という説もある。しかし、一方のピュグマイオイ(ピ
  グミー)が、肘の長さの人、の意とされていることから考えると、背の高
  い人、の意ではなかろうか。それとも逆に、ピュグマイオイの方が、短弓
  を得意とする人、の意だったのであろうか。
  
   このへんの事情はよくわからないが、いずれにしても、マクロビオイと
  ピュグマイオイという単語は、対になっていたにちがいない。それゆえ、
  ついでながら、ヘロドトスの『歴史』の中から、「小人」に関する記述を
  ひろい集めるのには、非常に熱心な姿勢を示すヨーロッパ系の学者たちが、
  マクロビオイを無視しているのは、奇妙といわねばなるまい。マクロビオ
  イに関するくだりの方が、何度もでてくるし、非常に具体的なのだ。
  
   たとえば、古代エジプト第27王朝を開いたペルシャ王カンビュセスは、
  紀元前6世紀末、さらにナイル河上流域の征服をくわだてた。そして、ま
  ず、手始めに、使節をよそおったスパイを送りこんだ。
  
   ヘロドトスは、ことの次第を、つぎのようにくわしく物語っている。
  
   「カンビュセスが使節を送った当のエチオピア人というのは、世界中で
  最も背が高くかつ最も美しい人種であるといわれている。その風習は多く
  の点で他の民族と異なっているが、ことに王制に関して次のような慣習が
  ある。全国民の中で最も背丈が高く、かつその背丈に応じた膂力をもつと
  判定される者を、王位に就く資格があるとするものである。……エチオピ
  ア王は彼らがスパイとして来訪したものであることを看抜いて、次のよう
  にいった。『……この弓をあの男に手渡し、次のようにいってやれ。エチ
  オピア王はペルシャ王に忠告する。ペルシャ人がこれほどの大弓を、この
  ように易々と引けるようになったら、その時こそわれらに優る大軍を率い
  てこのエチオピア長命族を攻めるがよい。しかしそれまではエチオピアの
  子らの心に自国領以外の国土を獲得する願望を起さしめ給わぬ神々に感謝
  するがよい、とな。』
  
   エチオピア王はこういうと弓をゆるめ、これを来訪者たちにわたした。
  
   ……寿命や食事について質問すると、エチオピア人の多くはその寿命が
  120歳に達し、これを越えるものもあること、肉を煮て常食とし、飲物は
  乳であると王は答えた。スパイたちが寿命の話に驚いていると、王は一同
  をある泉に案内したが、この泉で水浴すると、さながら油の泉につかった
  ように、肌が艶やかになった。この泉は菫のような芳香を発していたとい
  う」(『歴史』、3巻、p.20〜23)
  
   ここでまず面白いのは、背の高い男が王位継承の資格をもっていること
  だ。アフリカの王国は、ほとんど女系である。男の王は、軍事指導者であ
  る。そして、女系の血統の中から、選挙でえらばれる。多くの場合、選挙
  に敗れた男とその一派は、王国を立ち去るか、あるいは紛争をさけるため
  に殺されてしまう。なお、この殺し合いを「未開」の証拠のように表現す
  る学者もいるが、ヨーロッパや日本の中世期にも、全く同じことをしてい
  る。国民を捲きこまないで解決するアフリカ方式は、むしろ、より人間的
  である。
  
   さて、このような制度があったため、マクロビオイの直径の子孫は、ま
  すます背が高くなった。背の低い男は、王位継承権が認められず、不満を
  抱きながら、別天地を求めて去ったにちがいない。わたしの考えでは、現
  在の巨人、ワッシ民族は、エチオピア人のなかでもとくに背の高いマクロ
  ビオイの、直系の子孫である。
  
   さらに、長寿の説明も、合理的である。中央アフリカ一体には、火山、
  温泉が多いから、つじつまも合う。コーカサス山中や、ヒマラヤのブータ
  ン王国などに、同様の長寿者が多いことを考えれば、あながち誇張とばか
  りはいえまい。
  
   ヘロドトスは、さらにつづけていう。「カンビュセスは、大いに怒って
  ただちにエチオピアに向って兵を進めたのであるが、あらかじめ糧食の準
  備を命令することもせず、また自分が地の果てに兵を進めようとしている
  ことも考えてもみなかった」。
  
   カンビュセスの軍勢は、このため、途中の沙漠地帯で糧食が切れ、その
  果てには、とも喰いさえはじまり、やむなく撤退したという。
  
   では、ここで「地の果て」、表現されているマクロビオイの国は、果し
  て、現在の、ワッシ民族の居住地のあたりにあったのだろうか。
  
   ヘロドトスは、別の章で、「リビアの南の海に面する地域に住むエチオ
  ピアの『長命族(マクロビオイ)』」、という表現をつかっている。ここ
  でいう「リビア」とは、アフリカ大陸のことである。つまり、アフリカ大
  陸の南の海岸地帯にいた、といっているわけだ。だが、この「南の海」は、
  ヴィクトリア湖のことであろう。例のサッド、つまり、スーダン南部の沼
  沢地帯ではないか、と書いている学者もいるが、それでは、温泉の説明が
  できない。しかも、すでに紀元前8世紀には、古代エジプト帝国は、ヴィ
  クトリア湖までつながっていた。
  
   スーダン北部に根拠地をもち、第25王朝を開いたクシュ帝国は、ピアン
  キ(前751〜716)の時代に、「北は地中海から東は現在のエチオピア国境
  まで支配下においたが、それはアフリカ大陸の4分の1におよぶ広さであ
  った」(『アフリカ美術探検隊』、P.126)
  
   これはいいかえると、ナイル河流域を、水源湖にいたるまで制圧したこ
  とでもあり、当時の世界で最大の帝国となったことでもある。その証拠は
  石碑に残されており、歴史の諸委細はわからないとしても、ウガンダや、
  ルワンダ、ブルンジのあたりが、孤立した辺境ではありえないことをない
  か証明している。
  
   つぎに、ディオプの研究には、写真のような、ワッシ民族の髪型が紹介
  されており、ラムセス二世(前1298〜1232)像の頭部デザインと比較され
  ている。ディオプの主張の重点は、これらの小円を配置した頭部デザイン
  が、「黒色アフリカ人の縮れ髪の髪型に由来する」、というところにある。
  この指摘もいろいろと興味深い論争点を含んでいるのだが、賛成の意だけ
  を表して、本書では割愛する。
  
   http://www.jca.apc.org/‾altmedka/afric-6-wassizokunozu.jpg
        ワッシ民族の髪型とラムセス二世像の頭部デザイン
            (『黒色人文化の先行性』より)
  
   古代人の髪型は、日本の武士階級のチョンマゲのように、強い伝統をも
  っていた。髪型の一致は、民族的なつながりを推定する上でも、重要な論
  拠とされている。ラムセス二世の祖父であり、第19王朝の始祖であるラム
  セス1世と、第二代セティ1世とは、ヴェルクテールによれば、ともに
  「弓隊隊長」の経歴を持っている。そして、古来から、エジプト帝国軍に
  は、クシュ(エチオピア)出身者の弓隊が重要な一翼をなしていた。この
  結びつきも見逃せない。おそらくクシュ帝国は、早くからウガンダあたり
  と、つながりをもっていたのであろう。
  
   さて、古代エジプトは、上下、または南北の二重王国制をとっていた。
  この二重王国制は、ソロモンの国にもみられた。そこでは、北のイスラエ
  ル王国と、南のユダヤ王国とにわかれていた。この二重王国の原理は、ど
  こで、どういう理由で発生したものであろうか。
  
      次回配信は、第6章−12「二重王国」です。

―――― 木村書店の新刊 ――――――――――――――――――――――

    噂の真相を超える徹底硬派の新雑誌・第3号 10月1日発行
          ◆ 季刊『真相の深層』 2004・秋◆
http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-sinsou.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。
 http://www.mag2.com/
 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org
(ご案内)   http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html
(木村書店)  http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html
(憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


Vol.60へ


メルマガ案内   2008.1.16