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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版  Vol.34  2004.05.06

[20040506]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.34
木村書店Web公開シリーズ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.34 2004.05.06 ━━
 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■
     近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
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                      等幅フォントで御覧下さい。
              出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

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         ┫ 第四章:鉄鍛冶師のカースト ┣
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◆(第4章−3)スポンジ・アイアン ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

   鉄の技術史を研究した市川弘勝は、鉄は意外に早くから知られていたと
  主張しており、つぎのように書いている。
  
  「紀元前約3000年ごろにつくられたといわれるケオプスのピラミッドの石
  材のつぎ目から鉄製のナイフが発見され、カルノック・スフィンクスの一
  つの足もとからは鉄製の鎌が発掘されているので、鉄は相当早くから人類
  に知られていたものと思われる。」(『鉄鋼』、p.2)
  
   また、同じく技術史家の立川昭二は、『古代鉱業史研究』の中で、ゲル
  ゼの先王朝(古代エジプトの統一王朝以前)の墓から、鉄のビーズ玉が発
  見されたと書いている。紀元前14世紀のトゥト・アンク・アモン(ツタン
  カーメン)の王墓からは、鉄製の短刀もでてきた。
  
   こういう事実を指摘しているのは、不思議なことに、いわゆる歴史学者
  ではなくて、技術史家、つまり、冶金学者に近い研究者ばかりである。そ
  して、歴史学者や考古学者は、たとえば鉄のビーズ玉(首飾りらしい)に
  ついて、墓の盗掘者が落していったのではなかろうか、などといっている。
  鉄のナイフも、やはり盗掘者がピラミッドに穴をあけようとして、抜けな
  くなったまま、すてていったのではないか、などという疑いをかけている。
  
   はたして、どちらが正しいのであろうか。また、どうして歴史関係の学
  者考えと、技術関係の学者の考えとが、これほどまでにくいちがっている
  のであろうか。
  
   ほとんどの歴史書には、鉄の発明が行なわれたのは、紀元前1500年頃で
  あり、その場所は現在のアルメニアあたりであるというように書かれてい
  る。これは、技術史家の主張している年代とくらべれば、2000年以上もの
  くいちがいがある。どうして、こんなにくいちがうのであろうか。
  
   わたしも最初は、この「現代の謎」がとけなかった。ところが、イギリ
  ス人の技術史家、フォーブスが書いた本をよんでみたら、この学者は化学
  の専門家なのに、歴史学者と同じ見解をとっていた。彼は、鉄の発明がな
  ぜおそかったかという理由を、鉄の性質に求めており、つぎのように書い
  ている。
  
  「鉄の冶金は、銅や、その合金の冶金とは全くちがうものであった。……
  もっと高い温度を必要とした」(『科学と技術の歴史』、p.65)
  
   これがまた、決定的なまちがいである。古代の鉄の製法では、高温を必
  要としなかった。ところが、専門の技術者がこう書いているのだから、イ
  ギリスの歴史。考古学者は、当然、この説明を信じてしまう。その結果、
  イギリス系の学者を中心とするオリエント・エジプト史では、この先入観
  がすべてを支配したにちがいない。
  
   一方、すでに1880年代、ドイツの製鉄史家、ベックは、鉄を鉱石からと
  りだすのは、銅の場合よりもやさしいという事実を指摘していた。鉄の溶
  解点は約1200度Cで、金、銀、銅の場合よりも、高い温度を必要とする。
  ところが、銅を鉱石からとりだすのには、約1100度Cの溶解点まで加熱し
  なければならないのに、鉄は、塊まりのままでも、還元され、鉱石から分
  離してしまう。さきにあげた「酸化」との関係でいうと、酸化されやすい
  ものは、逆に、還元もされやすい。
  
   たとえば、技術史家の中沢護人は、この性質にもとづく鉄のとりだし方
  について、つぎのように書いている。
  
   「この還元とよばれる過程は400度から800度あれば進行でき、温度が低
  ければ、固体のまま還元して酸素を失った孔だらけの海綿状の鉄になり、
  もっと温度が高ければ、粘いあめ状の塊になる。これを鍛錬して鉄でない
  部分を十分に除去すれば、立派な鉄となる」(『鋼の時代』、p.24)
  
   この海綿状の鉄塊(スポソジ・アイアン)の利用については、わたしも、
  セメント工場の経験者から、つぎのような話をきいた。日本で、戦前に鉄
  鋼が不足したころ、というよりは軍需用にとられてしまったころ、町の鉄
  工場では、鉄鉱石を入手し、セメント用の石灰を焼くカマで、海綿鉄をつ
  くった、というのである。日常の鉄製品の原材料だけなら、結構、この方
  法でも間に合うわけだ。[註]
  
   ではなぜ、イギリスの技術史家が、こう事実を知らなかったのだろうか。
  もっとも、全く知らなかったわけではない。さきにあげたイギリス人のフ
  ォーブスは、温度が低いと、「スポンジ状のモエガラの塊りと金属粒」が
  できるという事実も書きそえていた。しかし、彼はそれを、ひとつの失敗、
  加熱の不足というように理解していたらしい。
  
   このあとは、若干の推測をするほかない。しかし、大筋は当っていると
  思う。
  
   というのは、ヨーロッパにおける高炉法(高いカマの意だが、高温で鉄
  を溶かして流しだす)の中心地は、ドイツだった。イギリスでは、古い製
  鉄法も行なわれていたが、この高炉法を輸入した。そこで従来の技術と新
  しい技術の断絶が起ったと考えられる。日本でも、明治以前と以後の技術
  史には、こういう例は多い。その結果、技術者が古い製鉄法を伝えなかっ
  たか、最初から知らない鍛冶師が出現したか、ともかく結果として知らな
  いという状態になった。だから、低温で出てくる海綿状の鉄塊を、フォー
  ブスのように、単なる「モエガラ」としか考えなくなってしまったのであ
  ろう。
  
   註:上記の「セメント工場の経験者」は、私の亡父、勲である。戦前の
  旧制の帝国大学時代に九州大学工学部に学び、旧・浅野セメントに入社、
  中途、北支那開発公社に出向し、敗戦後、現・日本セメントに戻った。下
  関工場の生産課長から本社の生産課長として退職するまで、セメント工学
  の技術部門の職を歴任し、定年退職後に嘱託として付属研究所に通って研
  究を続け、九州大学工学部で博士号を取得し、鹿児島大学に工学部が出来
  た直後、主任教授として赴任した。当時の弟子が、その後、日本セメント
  の本社生産課長を継いだ。
  
        次回配信は、第4章−4「鉄鍛治師の未裔」です。

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