神戸少年事件(1997年神戸連続児童殺傷事件)告発状2

1999.8.6 WEB雑誌『憎まれ愚痴』掲載

神戸少年事件・後藤弁護士告発状(その2)

「記」の「第四 告発理由」の「三」の続き

(一) A少年の「供述」どおりとすると、J君は、午後二時をかなり過ぎた時間に殺害されたことになるが、J君は、午後一時三〇分か三五分ころ、家を出たが、解剖の結果、胃の内容物がほとんど消化されていなかったこと(J君の遺体を解剖した神戸大医学部龍野教授談)から、J君は、家を出た直後に殺害されたとされており(死亡推定時刻は午後一時四〇分ころとされている)、A少年の「供述」は明らかに矛盾する。

(二) A少年の「供述」によると、J君は、抵抗し、相当の時間格闘したことになっている。しかし「殺害」の状況に関する「自白」の内容は、リアリティーに欠け、また種々矛盾している。たとえば、

(1) 抵抗するJ君を押えながら、靴ひもを、しかも左手でほどき、これで首を絞めたかのように述べるが、このようなことが可能か多大の疑問がある。

(2)「供述」どおりだとすると、J君の首には何重かのひもの跡が残るはずであるが、J君の首には、四五度の角度で一本だけひもの跡がついていた(右龍野教授談)ということであり矛盾する。

(3)「供述」によれば、格闘の途中でジーパンのポケットを探したら、普段ジーパンのポケットに入れて持ち歩いているはずのナイフを持っていなかったことに気がついたというが、不自然である。

(4) J君の身体には、格闘した痕跡は残っていないとされている(J君の父親の著書)。

(5)「供述」どおりだとすると、A少年の着衣は相当汚れているはずであるが(神戸海洋気象台は、当日午後○時二五分から九時四五分までの間に「降ったりやんだりの計四ミリ」の雨を観測している)、着衣は汚れていなかったとされている。

(6)「供述」によれば殺害した後、遺体を隠す施設の人り口の南京錠を壊すため行きつけの店に「糸ノコギリ」を万引きに行って来たというが、鰻屋の主人が客が来てから鰻をとりに出かけるようなもので不自然極まりなく、その間遺体を丸見えの場所に放置したことになり、とても考えられないことである。

  遺体が目撃され、あるいは万引きを見咎められたら万事休す。

(三) 当初の「供述」では、南京錠および遺体を「糸ノコギリ」で切断したと述べ、後に「金ノコギリ」と訂正している。

(1) この訂正の経緯は不自然である。

(2) 仮に糸ノコギリもしくは金ノコギリで南京錠を切断したとすれば当然にも金屑粉が落下するが、アンテナ基地の現場にはそのような痕跡は残っていない。

  また金属粉がノコギリに付着し、切断した頸部にも付着するはずであるが遺体にはそのようなものはない。

(3) J君の首は、四五度の角度で切断されており、その切断面は、「一様で、滑らか」だったということである。糸ノコギリや金ノコギリなどを使ったものではありえない。

(4)「供述」によれば、少年は、遺体切断のノコギリを行きつけのコープリビングセンター北須磨店で吊るして売っているものを万引きしたということであるが、同店で吊るして売っているのは、「系ノコギリ」であって、「金ノコギリ」は吊るして売っていない。

(四) 「供述」によれば、J君の首を、ケーブル基地内の溝の上付近に来るように置いて切断し、その後ビニール袋の中の血を飲んだということになっている。しかし、

(1) J君の首は、第二頸椎の下端部で四五度の角度で鋭利に切断されていたとされており、このような切断方法は、顎を上げ、しかも段差のある場所でなければできない。「供述」のような現場にはそれを可能にする場所はない。

(2) ビニールのゴミ袋の中に溜った血をこぼさず、衣服を汚さずに飲むなどとい うことは現実にはできない。

(五) 「供述」によれば、遺体の首は、一旦別の山に隠したが、二六日に黒色のナイロン袋に入れて自宅に持ち帰り、家族が外出していた昼間に自宅の風呂場で洗い髪をすき、自分の部屋の天井裏に隠したということになっている。しかし、

(1) 自宅に持ち帰り、風呂場で洗ったという時間帯に、仮りに家族が留守だったとしても、いつ帰宅するかわからないのにそのようなことができるわけがない。

(2) 五月下旬に、死後三日もたった切断遺体を放置すれば強烈な死臭が漂い、家族が気が付かないはずはない。

(六) 「供述」によれば、五月二七日深夜に、自宅の窓から抜け出し、友が丘中学校の校門の上に首を置いたが、すわりが悪く、すぐ落ちたので、正門の鉄扉の前に置き、家に帰り、鉄の棚を利用して家に入ったということである。しかし、

(1) 塀は高さが一九八センチメートルということであるが、身長一六〇センチメートルというA少年が、重さが四~五キログラムはあろうかと思われるJ君の頭部を塀の上に置くなどということはできない。

(2) 首の置いてあった場所が目撃者の供述と異なる。

(3) 当時家の鉄の棚は無くなっていて、庭側から部屋に入ることはできない。また家族に気付かれずに出入りすることは不可能である。

(七) 九月になって突然、前掲「犯行声明文」と同じ文体と思想性を盛り込んでいる、「懲役13年」と題する文書が、少年の手になるものということで公表された。しかし

(1) その文体、使われている語彙、文章展開そのものの論理性、構想力、そして 学問的知識と思想性などからして、到底一四歳の少年に書けるものではないものであり、現に少年の書いた他の文書と比較すると少年の書いたものではありえない。

(2) また、その出所が友人が頼まれてワープロにうったものとされているが不自然極まりない。その原文は存在せず、フロッピーは廃棄されたという。このことじたい不自然であり、A少年に前記声明文を書く能力があるとするためにつくられた証拠としか考えられない。

 ざっと一瞥するだけで、A少年の「検事調書」に記載されていること、そしてこれをもとに神戸家裁が認定した事実は、客観的な事実や、他の証拠などで明らかになった事実、さらに経験則と相容れず、説明不能ないし至難な矛盾がある。A少年が本件をおかしたことを疑うにたる合理的な疑いがあまりにも多い。

 これに対して、被害者の血痕の存在など、合理的な疑問を越える客観的証拠はない。

 各省庁を冒しつつある腐敗が、軍事の中枢たる防衛庁に及んでいたことがあばかれるに至った。国家権力の中の権力であり、不正を糾明すべき警察・検察の不正だけが見逃されていい筈がない。事実の認定は公正な認定方法とプロセスによって保証される。偽計による自白の強制はこれに反するものであり、最高裁判例が憲法三八条に即してこれを排斥しているのは当然といわなければならない。A少年に対する捜査は始めから不正手段に訴えたものであり、裁判官の認定を誤らせ、司法の堕落をもたらすものである。A少年の非行(犯行)と認定した家裁の事実認定には多くの合理的疑問があり、被害者の血痕など合理的な疑問を超える客観的な証拠はない。のみならず、このような犯罪を厳重に処罰しなければ、目的のためには手段を選ばず、ドロを吐かせるためには何をやってもいい、という戦前の強権支配の復活を許すことになる。

 本件告発に及んだ所以である。

第五 証拠方法

一 A少年に対する神戸家裁決定(要旨)(毎日新聞・一九九七年一〇月一八日付朝刊)

二 レポート「神戸事件の自白排除事例」(A少年の付添人であった本上博丈執筆・『季刊刑事弁護』No.14所収)

三 A少年に対する殺人・死体遺棄被疑事件の捜査記録および保護事件の記録一切(保管者 神戸家庭裁判所)

四 被告発人らの取調べ

五 鑑定 

1 供述通りの方法によって、発見された遺体の状況になるか否か。

2 前記「犯行声明文」及び「懲役13年」等の文書が少年の書けるものか否か。


以上。


家裁決定要旨
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