秘書の小部屋 2002.9

2002年9月30日(月)雨。涼しい

よっこらせ。やれやれ、くたびれた、っと。

気がつけば、約半月のブランク、そして9月もお終いです。この間いったい何を秘書はしていたんでしょう。長い長い夏休み、つい遊び癖がついて遊び呆けてまっとうな人生を踏み外して・・・たりなんてこと、先立つものがなくては出来ません。もっとも人生は失業した時点で踏み抜いちゃってますが。

思えば秘書の人生、苦労の連続でした。いいことなんか1個もありません。このまま終わりまでいって報われることがあるのでしょうか。先人の残した人生訓はあんまし当てにならないものだな、と最近つくづく思います。楽ばっかしの人生送る人は世にたんとおります。

と、ぶちくち、言いたくもなります。この半月、三方からブルドーザーが遠慮なく押し寄せて秘書は土砂に埋もれて穴に転げ落ち、ひいこら必死に這いのぼって来た、とお思いください。やっと地上に手を掛けた時、ぶははは、と高笑いと共に聳え立つのは、あの鬼、いや、編集長。いや御苦労であった、と言葉だけは殊勝ですが、しっかり秘書の手を踏みつけてくれました。ううっ、人でなし、と力尽きて秘書また穴底に転げ落ちました。それからは苔の一年いやコケの一念でよじ登って来ました。おのれ、今度逆の立場になったら、スパイクシューズで踏みつけてやるっ、と。

今社内は殺伐としております。

ところで秘書を踏んづけてくれたのは鬼だけではありません。御存じ、秘書の同居人も性懲りも無くフリーペーパーの編集を引き受けてきました。勿論無給で勿論持ち出し。またしても夜昼なし時間に追われてパソコンは駄々こねる、プリンタはうんともすんとも言わなくなる。うわあー、いい加減にせい! とそこへお知り合いから、会報作りたいんだけど。今月中ね・・・と有り難い申し出。

秘書は一人しかおりませんがな。

しかしぼやいていても一銭にもなりません。(ぼやかなくても一銭にもならないのですが)。

人生前向きに対処いたしました。

編集長の御本の件に関しましては、書く、と言った日から半年以上、忙しがってさんざん引き伸ばしてきたのに、脱稿となったら、はよやれ、とせかすこと。報酬はあるわけありません。なにしろ本を書くというのは編集長の道楽の一つですから(わっ、言っちゃった)。売れたら何%、なんて話を協力者としてるらしいですが、秘書の知ったこっちゃありません。本の現物支給もあるそうですが、秘書には支給しても無駄と思ったらしく、ふかふか毛皮の冬用のコートを現物で下さることになりました。狸の毛皮だそうです。あんまし欲しくありません。ミンクがいいです。口惜しいので、有り余って玄関の棚にぎゅう詰めになってるスリッパを一足手付け代わりに貰って帰りました。帳尻は合いそうにありません。

結局お陰で参考書を4冊も買い込んで組版ソフトのお勉強に精をだしました。4冊計11,600円。高い授業料ですな。もとを取りたいもんですな。

時にめっきり涼しくなりました。田舎へお母様の付き添いのために帰った、あの焼け付くような日々が夢のようです。心掛けはよいのに時間のない秘書はまだ衣替えができず半袖シャツのまま出歩いております。行き交う人々は秋色の上着をはおり皆さんお洒落です。秘書は真冬のキリギリスの気分です。新しいお洋服が欲しいものです。早くお給料が貰える身分になりたいものです。

2002年9月10日(火)涼しい

いきなり話が降って湧きました。

どしゃっと積み上げられたのは、書く書くと半年以上も前から言ってお金まで集めてしまったまま一向に進展しなかった、「911」本の打ち出し原稿。

秘書の留守中、貼付けておいた護符の加護があったのか、羽目も外さず道も踏み外さず溝板も踏み抜かず、ちゃんと原稿を書いていたらしいです。大いに結構、結構。

結構なんですけど、読め、組め、という。ひえー、組版ソフトは買ったけど、インストールもしてないよう。学校で習ったのと違うやつだよう。マニュアルもないよう。

なのに、9月中に発行だって。印刷所と打ち合わせもしてないのに。

2002年9月9日(月)曇り

涼しいです。よい気候になりました。思えば田舎生活は炎熱地獄でした。海や山で遊んでいたわけでもないのにこんがりとキツネ色に焼けてしまいました。

では、都会人の憧れの田舎暮しのレポートを一発。

8月26日(月)暑いです。同居人と一緒に鈍行列車に乗っていざ田舎へ。特急は勿論早いけど、贅沢いえる身分ではありません。ゲロッピどめのお薬を飲んだせいで泥沼にはまったように眠りこけました。そんな時に、ここの意味がよく分からない、とぎっしり詰まった英語のテキストをつきつける同居人は、要領の悪い悪魔です。

8月27日(火)今日も○○暑いです。秘書のお母様は入院しました。前に行った時は、入院したら殺されるんではないかと不安になるほどボロい病院でしたが、さすがに建て替えたようで、ぴかぴかでした。ところで、秘書のお母様は、入院することを今日までお父様に黙っていたことが判明しました。心配するといけないから、という理由らしいのですが、当日突然言われる方がよっぽど不安ではないでしょうか。同居人は、あんたの親だもんね、と言いました。どういう意味でしょうか。

8月28日(水)今日もまた○○暑いです。今日は手術です。病院までは自転車で20分。秘書よりさらにチビのお母様愛用の、異様にサドルの低い自転車をガニマタになって漕いで行きました。勿論、お母様は手術することをお父様に内緒です。手術同意書には秘書が署名させられました。夫婦ってこういうものでしょうか。同居人は、あんたの親だからだよ、と言います。

8月29日(木)今日もやっぱり○○暑いです。同居人が東京に戻ります。病院は駅のそばなので、帰り際お見舞いかねて寄って行くというので、自転車連ねて今日2度目の病院まいり。帰り道ちょこっと横道にそれたらたちまち迷子になりました。生まれ育った所だろ、と言われても、幼少時代ののどかな田舎町の面影は完全消失し、無秩序に(猥雑に)家が立ち並び、昔の農道だったところを車が行き交います。この先を曲がって、と思っても立体交差になってしまっていて直進するしかなかったり・・・故郷を捨てた身で言う言葉ではありませんが、醜悪な町になりはてましたなあ。
だいたい県庁所在地だというのに、交通の便がすこぶる悪い。バスなんぞ、1時間に数本、ではなく、1日に数本ですぞ。お陰でどの道にも車が大洪水。だいたい道という道が編集長の脳血管みたいに曲がりくねっていて、なけなしの方向感覚をぶちこわしてくれる。裏道なんぞは、角を曲がったら、ひとんちの庭だったり畑だったり。傍らを結構深い農業用水路のある所にガードレールもなくて、向こうから車が来たら、すれ違いそこねて落っこちるしかないじゃありませんか。
ところで、お母様は手術翌日だというのに、ひょこひょこ病院内を歩きまわって元気でした。秘書はお家に帰って、お父様に真実を告げ、お見舞い解禁にしてあげるつもりです。なにしろ、お母様からいきなり、入院するけど見舞いにくるな、と言われて一人ほっておかれてたのです。相当不安だったのでしょう、それとなく探りを入れてきたりしましたが、この母にしてこの秘書あり、すっとぼけておりました。いやー嘘をつくってのは疲れるもんですな。

8月30日(金)○○暑いでがんす。お見舞いに行くことになったお父様は、こんな頭じゃ行けん、と言ってまず床屋に行きました。秘書の目にうつるお父様の頭はほとんど毛がありません。こんなんでも1人前の理髪代がかかるのでしょうか。別にどんな頭でもいいんじゃないかと秘書は思うのですが、おめかししてお父様はいそいそとお出かけになりました。これが夫婦ってものでしょうか。
留守番秘書はお布団を干すことにしました。常軌を逸して暑いのでお布団がほかほかになりましたが、扇風機で冷まさないと夜寝られそうにありません。

8月31日(土)○○暑い! 明日は日曜、学校に行く日なので、身替わりに少々ぶうたれる同居人を呼び寄せて、秘書東京に戻りました。やっぱり東京はいいです。東京といっても西の外れの多摩地区のことですが、町並みが整然としています。道もほぼ真直ぐです。緑も多いです。

9月1日(日)晴れ、暑い 日曜学校の後、吉祥寺をふらふらして、都会の匂いをたっぷり吸いました。明日はまた田舎暮しです。

9月2日(月)○○暑い 入れ代わりに同居人が東京に戻るので、タクシーを呼んで駅まで、なんて勿体無いことできしまへん。例の、お母様愛用の異様にサドルが低い自転車に二人乗りしていくことにしました。同居人が漕いで後ろに秘書が同居人の必需品の重たいノートパソコン抱えてのってえっちらおっちら。田舎の道は曲がりくねっているだけでなく、アスファルトがつぎはぎだらけです。マンホールやら何やらの蓋の部分はヘソみたいに窪んでたりします。お陰でおケツの痛いこと。送った帰りに一人で乗る自転車が快適でありました。

9月3日(火)○○暑い 
9月4日(水)○○暑い 

暇な田舎暮しの合間にたっぷりお勉強しようと、分厚いマニュアル本を2冊持って来ましたが、全然読む気になれません。お父様と仲良く、みのもんたさんのおもいっきりテレビなんぞを見ております。健康にはこれ!と毎日やるので、さぞや健康オタクになることであろう、と思ったら大間違い。翌日にはきれいさっぱり忘れています。物忘れにはこれが効く、とかいうのもやってましたが、これ、がなんだったか思い出せません。冷蔵庫に大量にあったらっきょうは、この番組を見たお母様が買っておいたものらしいです。

9月5日(木)○○暑い 本日お母様退院。お父様は朝からそわそわしています。がにまたで自転車漕いで病院に出向き、手続き済ませタクシー呼んでお母様を乗せて、あとからシコシコ自転車漕いで帰って見れば、入院中家に帰りたくて仕方なかったお母様は、早速テンション高く家事にいそしんでおりました。いいのかな。

9月6日(金)雨、やっと涼しい お役御免になったので東京に戻ります。雨が降ってきたな、と思っていたら、帰りついた東京では大雨洪水警報が出ていました。まるで秘書の前途を暗示する様です。 お終い。

2002年9月8日(日)晴れ

今日も日曜学校です。実は先週も日曜学校のためにだけ帰ってきたりしてました。へへっ、内緒内緒。しかし、前にも言ったけど、クォークは楽ちんですな。先生が説明するより先にマウスが動きだしてしまいそうになるのをジッと我慢しておりますがな。

2002年9月7日(土)雨、涼しい

お待たせ致しました! 秘書の復活です! と、元気良くドアを開けて入って行ったら、きょとんとした顔、顔、顔。

秘書が帰ってきちゃ何か御不満ですかい?

と、出かかった言葉を取り敢えず、お土産の葡萄(高級品の巨峰である。有り難く思って欲しい)を差し出して、つつっと奥に進んで、思わず秘書息を飲んだ。

ひどい、ひどいよお。秘書の机がないよお。二重の失業だあ。

べそかいていたら、すまんすまんと編集長が出て来て、古新聞やらのゴミ山を片付け始めた。一抱えふた抱えみ抱え・・・ やっと見覚えのある椅子と机が顔を出した。心なしか黴臭い。ぐすっぐすっ。ちょっと置かしてもらったのだというが、本当にそれだけか。ゴミ山の中に、わら人形の秘書でも隠していたんじゃないか。お土産の葡萄引っ込めて家に持って帰るぞ。

聞けば、秘書は都会生活から落ちこぼれて田舎者に戻って当分バスも通わぬ山奥でタヌキさんやクマさん相手に世を捨てて暮らすのだと、誰かさんが言ったとか言わないとか。ふん、人の不幸をお笑いのネタにしおって。

おぼえておれ。パソコンの呪縛から逃れて健全な市民生活を送っていた秘書の復活パワーはすごいんだい。ひっかき回してやるぞい。